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「ちょっと難しいですね。これは……」
大きな顕微鏡を覗きながら、白衣姿の男——俺が監禁されたとき、佐々木という太鼓腹親父の脇に控えていた中年男だ——が首を振りながら言った。
病院奥の、研究室と名がついた様々な機材が並んだ大きな部屋で、俺と清治は顕微鏡を覗く白衣男の後ろに立っていた。俺が持ち帰ってきた薬を白衣男に渡して、本当に聡美に使用できるか調べてもらったのだ。監禁されていたはずの俺が清治と一緒に現れたとき、初め白衣男は驚いていたが、有効な薬を持ってきたと清治が説明すると、特に何も言わず、解析を始めてくれたのだ。
「難しいって、どういうことです。柴田先生? 薬が効かないってことですか?」
焦った様子で清治が言った。柴田と呼ばれた白衣男は首を左右に振った。
「薬自体は効きました。由良さんのお嬢さんから採取した病原菌と、彼が持ってきた薬をマウスに注入したら、程なく病原菌は死滅しました。でも……」
柴田が指差した先には、息をしていないマウスがいた。
「薬の副作用が強過ぎます。マウスや人間にとっては毒となる成分が含まれています。これをなんとかしない限り、人間には服用できません」
「俺たちはいつもその薬を使っているんだぞ?」
俺が詰め寄っても、柴田は眉根一つ動かさず、かろうじて聞き取れる程度の小声で言った。
「この辺りが人間と、君たち……えっと、魔人族でしたっけ? 微妙な違いの一つだと思います。見た目も体の作りもほぼ一緒なのですけど、まったく同じ、というわけでもない。魔人族にとっては平気でも人間にとっては毒、というものもあるのでしょう」
「副作用を軽減した薬を作るには、どれくらいかかるんですか?」
清治が藁をもつかもうとする雰囲気で、柴田に迫った。
「薬自体は手に入ったので、完成はぐっと早まりましたが、じゃあいつか、と聞かれると、何とも言えませんねえ。もちろんスタッフや協力機関含めて、全力を尽くしますが」
「白衣野郎、どうしてお前はそんなに平然としてられるんだよ!」
緊張感のない態度が気に食わない。俺は柴田の襟を掴んだ。しかし柴田は表情一つ変えず、「慌ててもしようがないからね」と言っただけだった。無性に腹が立って、一発殴ってやろうと拳を握りしめたところ、
「八つ当たりは止めなさい、レノンくん」
清治の言葉に、俺は柴田の襟から手を離して、一歩離れた。
「はあっ……」
清治は溜息をつくと、近くにあった椅子に腰掛けて、力なくうなだれた。
俺も急に体が重くなって、その場にへたり込みたい気分だった。
苦労して手に入れた、両親の思いも詰まった薬が使えないなんて。笑えない冗談だ。
窓を見ると、ブラインドの隙間から明かりが差し込んでいた。もう朝だ。天気は憎々しいまでに快晴だった。
背後で扉が開く音がした、そして大きな足音を立てて、入界管理局の部長、佐々木がこちらへやってくる。
「何をやっているんだ、由良!」
唾を飛ばしながら、佐々木は清治に向かって怒鳴りつけた。
「あっ、佐々木部長……グシュン!」
清治が何かを言いかけてくしゃみをした。佐々木の目が大きく見開かれた。
「お前も菌保有者だろ……。おい柴田。どうして由良を隔離しないんだ!」
「由良さん。菌保有したまま管理局の会議に何度も参加していましたし。だから自分も部長ももう感染しています。今更じたばたしても遅いでしょ」
柴田の言葉に、青ざめた佐々木はただパクパクと口を開閉させただけだった。一方、柴田はさっきからまったく表情が変わっていない。この中で一番肝が据わっているか、それとも既に諦観しているのか……。
「それに、彼らのおかげで治療薬の開発が一気に進んだんですから」
ようやく佐々木は俺の存在に気付いたようだ。佐々木はゆでダコのように顔を真っ赤にして湯気を出し、俺を指差して怒鳴った。
「何でこいつがここにいるんだ! 部屋に監禁しておけって言っておいただろう!」
「レノンくんには、病気の治療薬を取りにいってもらっていたのです」
と言って、清治が立ち上がった。
「由良、お前の独断か? ……まったく、これ以上面倒ごとを増やしやがって。ただで済むと思うなよ」
「はい、……覚悟の上です」
声こそ大きかったものの、清治の腕は震えていた。
「……で、その薬は手に入ったのか?」
佐々木は柴田の方へ向くと、柴田は黙って息絶えたマウスを指差した。
「そんなことだろうと思ったよ。勝手に『トリイ』を開いておいてこのざまか。……由良、お前のところの神社の言い伝えでもあるまいし、そう簡単にはいくまいよ」
神社、言い伝え……? とても心に引っかかるものを感じた。
「おい、清治何のことだ? 神社の言い伝えって」
俺が問うと、蒼白顔の清治がゆっくりとこちらに向いた。
「あれ? ちゃんと話してなかったかな。僕たちが住んでいる双照神社の由来に、どこからともなく鬼がやってきて、病気で苦しむ住人たちを救ったって話があるんだ。のちの研究で、多分その鬼は異世界からやってきた旅行者だろうと推測されている。別にそれを意識してレノンくんに頼んだわけじゃなかったけど、言われてみれば似たような状況だね」
「まあ、異世界からやってきた奴らが救世主として崇められている神話やおとぎ話なんて数知れないが、現実問題として、そう簡単にいくものじゃない」
と言って、佐々木はふんと鼻を鳴らした。
しかし、俺は佐々木の小言など、右から左へと聞き流していた。
神社、薬、鬼……。何度もこれらの言葉を頭の中で反芻する。そして、
「あっ……!」
全てがつながったような気がした。
「その鬼って、多分、俺のご先祖様だ……」
「「「はっ?」」」
その場にいた三人の大人たちが一斉に「何言ってんだ、こいつ?」と言いたげな表情で俺を見た。
「千年も前の話だけど、ご先祖様もこの世界に来たって記録が俺の家に残っているんだ。そのとき、ご先祖様は当時の住人から『鬼だ鬼だ』と恐れられたって」
俺は清治たちと比べると、わずかに赤みがかった腕の肌を擦った。
「……確かに、神社が出来たのも千年くらい前だから、辻褄は合うけど」と清治。
「それがなんだって言うんだ。君の先祖がここに来て、だからどうしたんだ?」
と佐々木が言って、不審そうな表情を浮かべた。
「その時流行ったっていう病気も今と同じ、アーバドン病かと思ったんだ。それくらい、俺の世界じゃ昔からちょくちょく流行る病気だから」
「それで?」
「……別に、それ以上のことは……」
俺は言葉を続けられなかった。繋がりを思いついただけで、それ以上はなかった。
佐々木はますます額に皺を寄せて、不機嫌そうな表情を浮かべる。
そのとき、柴田が初めて少しだけ興奮を含んだ声を出した。
「……当時の詳細な情報が残っていれば、副作用のない薬を作るヒントが得られるかもしれない、ということですか?」
その途端、佐々木と清治がハッとした様子で顔を上げた。
「そうか、昔の資料があれば……」
清治の声も興奮気味で、先ほどまで生気が失われていた清治の顔にわずかに赤みがさしていた。
「な、何のことだ?」
……俺だけ理解してないようだ。
「つまり、レノンくん。君のご先祖はかつてこの世界で流行ったアーバドン病を治す薬を持っていた。その薬はさっき君が持って帰ってきてくれた薬に含まれている副作用がないんだ。何故そんなことが分かるかと言うと、その薬を使った人々は元通り元気になったんだから」
「あっ……」ようやく理解できた。「だったら、もう一度俺の世界に戻って、昔の資料を探してくれば……」
しかし俺の提案は、佐々木に一蹴されてしまった。
「駄目だ、お前をホイホイと世界移動させるわけにはいかない。そもそも一度開いた『トリイ』を再び開くには、しばらく時間が必要だ。その間にこの病気はあっという間に広がってしまう」
「由良さんの神社の話でしょ。神社に残ってないんですか、そういう記録?」
柴田が清治に尋ねた。清治はしばらく「うーん」と唸ってから答えた。
「昔はあった気がするんですけど、父親の時代に、老朽化した倉庫を取り壊して、その時、置き場に困った資料を……どこかにやったはずなんですけど、どこにやったんだっけ……」
「本当に使えん奴だな、お前は」
佐々木が悪態をついた。
「……多分、知っている」
三人の視線が一斉に俺に向けられた。
『あっ、レノンくん……じゃなかった、ご主人様。どうしたのこんな朝早くに? ご主人様携帯持ってたっけ? ……えっ、人から借りたんだ』
清治から借りた『携帯型魔法の鏡』から聞こえてくる蒼馬の声は、今俺がいる研究室の雰囲気とはまったくの真逆で、緊張感のかけらもなかった。
『……よくぼくの電話番号が分かったね』
「そんなことはどうでもいい!」
通話口に向かって俺は叫んだ。実際には清治から天野、そこから生徒会メンバーの伝を辿って蒼馬の電話番号を手に入れたのだ。それにしても天野の奴、今俺たちが置かれている状況を何となく察していたのだろうか、嫌み一つ言わずすぐに協力してくれた。……今度肩でも揉んでやるか。
「確か、蒼馬の何とか研究会の部室に、双照神社に関する古文書があったよな?」
「……えっ! うん、『古代魔術伝承研究結社』だよ……。それならあるよ。だいぶ昔に神社から寄贈されたって。レノンくんも前見たじゃない」
「でかした! さすがは蒼馬だ!」
興奮が抑えきれず、俺は叫んでしまった。俺の後ろで会話を聞いていた清治と柴田がお互いうんうんと頷き合っていた。
『……あ、ありがと』
一方、事態がよく読み込めていない様子の蒼馬は戸惑ったような声を出した。説明するのももどかしく、用件だけを伝える。
「よく聞け、その古文書を今すぐ俺のところへ持ってきてくれ」
『い、今から?』
「そうだ、とっても大事なことなんだ。頼む」
『もちろん、レノンくんのお願いなら喜んで、だけど、何処へ持っていくの?』
俺は柴田から見せてもらった病院の住所を読み上げた。
『どうしてそんな所にいるの? ……別に良いけど。今丁度高校前の駅だから、まずは学校へ取りにいって……あれっ?』
蒼馬の仰天する声が響いた。
「おい、どうした?」
これ以上不測の事態とか、勘弁してくれよ……。
『なんか、駅が閉鎖されてる。これじゃあ学校へ行けないなぁ』
清治と柴田が同時に、佐々木を見つめた。佐々木ははしばらく何事か? と目をパチクリさせていたが、何かを思い出したように、手を叩いた。
「ああ、今、松沼高校周辺は閉鎖していたな。病気が広まらないように……。その少年は学校が閉鎖されていることも知らずに通学していたのか、間抜けな奴……って、何だお前たち、私を睨みつけて」
清治と柴田は、目をぎらつかせて佐々木を睨みつけていた。俺もそれに加わる。
「……まったく」
佐々木も上着の内ポケットから『携帯型魔法の鏡』を取り出し、電話を始めた。
「……あっ、私だ。一人保護してほしい少年がいるんだ。名前は……」
大きな紙袋を手に提げて部屋に入ってきた蒼馬は、中にいた複数の男たちから一斉に向けられた視線に驚いたようで、びくりと体を震わせた。そして俺の姿を見つけると、パタパタと走り寄ってきた。
「びっくりしたよ。駅にいたら突然真っ白な防護服を着た一団がやってきて……。ぼくもその防護服を着て学校に行ったんだ。凄かったなあ。で、ぼく、ピンと閃いたんだ。謎の新興宗教の教祖を今度設定に加えてみようかと……」
老使い魔並みに口数の多いやつだ。俺は蒼馬の口をきつく摘んだ。
「い、痛い! 何するの、レノンくん」
「うるさい。そんなことより、持ってきたか?」
「うん……。これのこと?」
蒼馬は古びた書物を机に広げた。前に俺が蒼馬の部室で見た書物も含まれていた。
後ろにいた清治が「あっ」と声を上げた。「まさか、本当に学校にあったなんて」
物の管理はちゃんとした方がいいな、俺の実家も貴重な物かただのガラクタかすぐには区別つかない物がたくさんあるから、なんて、どうでもいいことを考えてしまった。
清治と柴田が書物をペラペラとめくり始める。部屋の隅で佐々木が俺たちの様子を窺っていた。
やがて清治があるページで手を止めた。ミミズが這いずったような文字が書かれて俺にはさっぱり読めなかったが、何やら図やら表が書き記されていた。清治と柴田が何やら話し合っている。
「ど、どうなんだ?」
俺は我慢できず二人に尋ねた。蒼馬は意味が分からない、といった様子で首を傾げていた。
「ここの記述が当時の病気の件です。書かれている病気の症状、薬の記述もある! この記述を参考に彼が持ってきた薬を改善すれば、いけるかもしれない」
俺の質問に答えた柴田は、最初の頃は一番冷静だったはずなのに今や一番興奮している様子だった。
「やった! ありがとうレノンくん!」
突然、清治が俺に抱きついてきた。
「清治、なんだ急に、あ、暑苦しい……」
清治に強く抱きつかれてしまって、身動きが取れない。何故か蒼馬は悔しそうな表情で俺と清治を交互に見つめていた。
「まだ成功すると分かったわけじゃないだろうに」
佐々木がそう呟いたが、その声に先ほどまでの刺々しさはなかった。
清治にすっかり拘束されてしまった俺は、なんとか首だけを動かして、机に置かれている古い書物を見つめた。
——千年前、人々を助けるために用意した薬、か。
「やっぱり最高だな、ご先祖様……ファテルベルク家は」
と、俺は呟いた。




