6-5
「お帰り」
光り輝くカーテンをくぐり抜けてきた俺の顔を見て、清治は言った。
戻ってきたのか、再びやってきたのか、それとも追い出されたのか……?
「……ただいま」
いい言葉が思い浮かばなかったので、一番素直な言葉を返しておいた。
清治は驚いたように、何度か瞬きをしたあと、「どうしたの、その顔?」と言った。
「苦労して薬を取りにいったお前のご主人様に対して、ずいぶんな言い草だな」
「……ごめん。でも、一等の宝くじ券が入った財布を無くして、ダメもとで交番に行ったら、丁度ばったり運命の人と出会ったような顔していたから、つい気になって」
なんだ、それは? まったく意味が分からない例えだ。
しかし、俺は今どんな顔しているのだ? 外じゃ鏡もないから分からなかった。
「まあ良い。……それよりもこれだ」
俺は小脇に抱えていた薬箱を見せると、清治の唇がきつく結ばれた。
「ありがとう、レノンくん」
清治は俺の手から薬箱を受け取った。そして箱を開ける。
「……なんだい、これは?」
清治が困惑したような声を出した。
「薬に決まっているだろ。その隅にある赤いのがアーバドン病の特効薬で、いつも俺たちが使っているやつだ。どれも母上が苦労して集めてくれた貴重な薬だ、慎重に扱え」
「こ、これが薬ねえ」清治が箱の中から、大きな赤玉を取り出し、まじまじと見つめた。「泥団子かなにかにしか見えないんだけど。改めて世界の違いというのを思い知らされるよ。どうやって使うの、すり潰して飲み薬にするのかい?」
「そりゃ、もちろん魔法で直接体内の血管へ……って、あっ!」
魔法が使えないぞ、この世界。神社周辺にあるマナの量じゃ足りない。じゃあどうやって薬を使うんだ?
「たぶんそれなら大丈夫、さっき僕がレノンくんの腕にしたみたいに、注射があるから。でもこれを注射するのか……うーん」
清治は赤玉を見たまま、悩ましげに唸っていた。
「ここで悩んでいてもしようがないだろ、今これしか方法がないのなら、試してみるより他あるまい」
俺の言葉に、清治は「そうだね」と頷いた。
再び清治の自動車に乗って、聡美がいる病院へ向かった。時間はすっかり深夜を回っていて、明かりが灯った家屋はまばらだったが、サイレンを鳴らした自動車がひっきりなしに通り過ぎていた。
窓から流れ去っていくランプの光筋を眺めていると、不意に清治が声をかけてきた。
「レノンくんに一つ謝らないといけないことがある」
俺は黙ったまま、清治の言葉に耳を傾けた。
「実は君が初めてこっちの世界へ来たとき、僕は事前に君のことをよろしく頼む、とある人から言われていた。レノンくんはこっちの世界で到底受け入れられない思想を叩き込まれ、世界征服の先鋒として行くけど、どうか温かい目で見守ってほしい、出来ることなら色々経験させて、成長の機会を与えてほしい、と。その人には自分が関わっていることは黙っていてほしい、と強く言われていたんだけど。……誰のことか分かる?」
「……親父だろ」
眩しいぐらいに明るいコンビニの看板を目で追いながら、俺は即答した。
清治が「何だ知っていたのか」と言いたげに肩をすくめた。
「レノンくんにとっては格好悪くて立派なお父さんとは言えないかもしれないけど、家族のために必死だってことぐらいは、理解してあげてほしいと思う」
かつては魔王の最強軍団を率いて勇猛果敢に戦ったファテルベルク家の当主とは思えない、こそこそと小細工ばかりしやがって……。
本当に守りたいものを守るためには、手段も格好も選ばない、というわけか……。
夕方に高校で須賀たちの前で取った自身の行動を思い出す。
「良くも悪くも、俺はあの親父の息子なんだな……」
「何か言ったかい? レノンくん」
心の中でだけ呟いたはずが、声に出ていたらしい。
「別に……。それより清治、お前はどうなんだ?」
話題を自分から逸らそうと、清治に問いかけた。すると清治は「んっ、ん?」と声を詰まらせた。
「清治は、聡美の父親として、自分のことをどう思っているんだ?」
「僕こそ、父親失格だね」ゆっくりと自動車のスピードが落ちていく。「妻が出ていってから……家事は聡美に任せっきり……」
驚いて体を起こした。「ちょっと待て、出ていった……? 死んだわけじゃないのか、聡美の母親は?」
清治は首を左右に振った。「まさか、ピンピンしているよ。『巫女美子団』っていう舞踊劇団の主宰をしている。たまに便りを寄越してくるけど、今はドバイで公演中だそうだ」
母親の姿を見かけなくてずっと触れないでおいたのに。気を使って損した。
「……そ、そうか……。で、でも清治は、神社と入界管理局の仕事があって、忙しいのだろ。多少手伝ってもらうのはしかたないだろ」
「それだけじゃないよ。聡美には僕の希望を押し付けちゃって……。僕は聡美にうちの神社を継いで欲しいと思っている。でも、聡美には別の夢があるらしくてね……詳しくは教えてくれないけど。親としては娘の夢を応援してあげるべきなんだろうけど、でもやっぱり色々先祖から引き継いだものを考えちゃうとね、たった一人の娘だし。……だから、レノンくんの知らないところでは、結構喧嘩もしているんだ」
どこかで聞いたような話だな、と感じた。
自動車が左折すると、大きな建物が見えた。俺は前方に近づいてきた病院を見つめたまま言った。
「……いろいろあるんだろうけど、少なくとも、今かけずり回っている清治の姿は、家族のために必死だ……って、お、俺の親父だったら言うんだろうな」
雰囲気に飲まれて柄にもなく恥ずかしい台詞を言ってしまった。なんて思っていると、突然車が左右に揺れた。驚いて運転席の清治を見ると、彼は手を口に当てて、必死にパチパチと目を何度も瞬きさせていた。そして震える声で言った。
「ありがとう……。聡美の病気が治ったら、三人で松坂牛のステーキを食べにいこう」
「ああ、分厚い肉を期待しているぞ」
と、俺は返した。




