インターセクション2
夕食が終わり、聡美が台所で食器を洗っていると、居間の方からテレビの音声が聞こえてきた。
お父さんとレノンは、芸能人が路線バスに乗って日本各地を巡る旅番組を見ていて、今回の旅先は伊勢・志摩のようだ。地域の特産品を解説するナレーションがゆったりとしたバックミュージックと共に流れている。
テレビばっかり見てないで少しは手伝え、と思わなくもないが、二人が手伝ったら手伝ったで、余計面倒なことが起こりそうな気がする、特にレノン。皿が次々に割れていくアニメみたいなシーンが目に浮かぶ。結局一人でやった方が早い、と聡美は自分を納得させた。
ジュウジュウと、聞いているだけで香ばしい匂いが漂ってきそうな、何かを焼く音に重なって、お父さんとレノンの会話が聞こえてくる。
「おい筆頭従者、何だあの肉は! 分厚いくせに柔らかいだなんて。それに、……し、汁が、汁がこぼれ出てくるぞ!」
「松坂牛って言うんだ。僕も一度ぐらいしか食べたことないけど、凄く美味しいよ」
「くそっ、あのじじい。俺の目の前で旨そうに食いやがって。……こっちまで腹が減ってきたぞ」
今さっき夕食食べたばかりでしょ! しかも白米三杯もおかわりして、と聡美は心の中で突っ込んだ。
「そうだ! 今度の連休にみんなで伊勢に旅行へ行こうか」と、お父さんがまさに番組協賛側の思惑通りの発言をする。「松坂牛を食べて、それからレノンくんに色々見てもらいたいものもあるし」
「ふむ、実に興味深いな。そこへ行けばあの分厚い肉が食えるのか?」
「い、いやあ……。あれはさすがに値段が……」
お父さんの声が小さくなっていく。
ガチャガチャと皿を洗い続けながら、聡美はレノンに初めてテレビを見せた時のことを思い出した。テレビに映像が映った瞬間、レノンは「は、箱が喋り出した!」と大声で叫ぶや否や、何を思ったのか近くにあった箒を持ってテレビを叩き壊そうとしたのだ。お父さんが必死に取り押さえて、なんとか我が家には不相応な大画面テレビは無傷で済んだ。そんなレノンも今や普通にテレビを見て楽しんでいる。
この一週間ですっかり世慣れしたな、と思う。
お父さんもレノンが来てからずっと嬉しそうだ。話し相手ができたためだろう、あんなに楽しげに喋るお父さんを見るのは久しぶりのような気がする。家がこんな賑やかな雰囲気になったのは、一年前駿くんが来て、今のレノンと同じく、しばらくこの家に居候していたとき以来かもしれない。
お父さんと二人きりのときはもっと静かなものだ。
テレビからのたくさんの笑い声に混じって、お父さんの笑い声も聞こえてきた。
「今のは、何が面白かったんだ?」
レノンが不思議そうな様子で言った。
「あの芸能人が本当は降りなきゃいけないバス停を寝過ごしたんだよ」
「それの、どこが面白いんだ?」
「えっ? えっと……」と、お父さんが言いよどむ。
「他人の不幸を笑うとは、下品だな、人間は……」
「なかなか厳しいことを言うね、レノンくん」
お父さんは困惑したような声で言った。
——おいおい、どの口が言うか。散々人を見下したような台詞を吐いておいて。
しかし……、とスポンジに洗剤を足しながら聡美は考える。
あの過剰とも言えるほど、魔人族いや自身の家系を誇示し、それ以外の人間たちを見下す態度はどこから来るのだろう?
そこまで自分の家系を大切に思っていて、家の再興とかいう訳の分からない理由で、異世界までやってきたのか?
信じられない!
家のために身も心も捧げるだなんて、どれだけ時代錯誤的よ。
もし自分がレノンの立場だったら……、と聡美は仮定してみる。きっと「やってられるか!」と言いたくなるだろう。
いや現に言っている。
お父さんは娘に神社を継いでほしい、と考えているのだ。直接本人の口から言われたことはないが、お父さんの態度で何となく察しがつく。
しかし聡美は知らない振りをしている。
周りの友だちには「巫女? 格好良いじゃん!」なんて軽い口調で言われるが、神社を継ぐこととバイトで巫女をするのとはわけが違う。……そもそも、もし神社を継ぐなら巫女じゃなくちゃんとした神職になる必要があるのだけど。
お父さんの気持ちも分からなくはない。聡美はたった一人の子供なのだから。どんな形であれ、長年受け継いできたものをここで途切れさせたくはないのだろう。しかし、それを考慮しても、なんだかよく分からない因習と歴史を背負わされるなんて嫌だ、と聡美は強く思う。
——わたしにだってやりたいことはあるんだから。
そんな聡美の気持ちを察してくれた、数少ない知り合いの一人が駿くんだった。駿くんが聡美の家に居候していたときから、何度か相談とも愚痴ともつかないような話を聞いてもらっていたのだ。本当に人の心の機微な変化を読み取るのが得意な人だな、とは思うが。駿くんも駿くんで勘違いに基づく行動や発想も多いし、尋常ではない生徒会メンバーの使役に腹も立つときもあるが、それでも聡美は駿くんに感謝している。
「あっ……!」
つるりと手から滑り落ちた泡だらけの湯呑を、慌てて掴み直した。
洗い物に集中しないと、と聡美は気持ちを入れ直すが、再びお父さんとレノンの笑い声が聞こえてきて、意識はどうしてもそちらに向いてしまう。
本当のところ、レノンは今の状況を本当の所どう考えているのだろう? まあ、世界が違うのでレノンの世界では家のしきたりだとか、家を守るなんて考え方が、封建制度のように罷り通っているのかもしれないけど。
今日の昼間、パンケーキ屋でレノンは「俺に相談してくれても良い」なんて言って、聡美はそれを断ったが、彼の率直の気持ちはいつか聞いてみてもいいかな、と思う。
何故なら、レノンは無理をしているんじゃないのか、と感じるからだ。初めて高校へ行った日から薄々感じていたけど、その予想はますます確信を強めている。彼はもっと本当はおとなしい……、言ってしまえばもっと内気な性格なんじゃないか、と。
「なんだ、この視聴者プレゼントの伊勢海老ってやつは?」
レノンが横柄に言う。
「今日の夕食にあった海老フライよりももっと大きい海老だよ。応募すると抽選で貰えるんだ」
「おい筆頭従者。すぐに応募して手に入れて来い!」
お父さんとの会話を聞いていると、無邪気なわがままお坊ちゃまの会話にしか聞こえない。もっと素直になって居丈高な態度を改めればもう少し周りもレノンのことを受け入れてくれると思うのに。
まあ所詮は赤の他人、知ったことじゃない、はずなのだけど……。
——どうしてあたしはレノンのことをつい考えてしまうのだろう?
「おい、妾!」
唐突に、レノンが呼ぶ声がした。
「何!」
聡美も負けずに大声で返した。
「茶が飲みたい!」
すっかりこの家の主気分のお坊ちゃまはお茶をご所望のようだ。
でも、こっちもすっかり慣れたなあ。妾と呼ばれて普通に答えちゃったし……。
じゃあ、レノンはあたしのことを本当はどう思っているのだろう? ふと聡美は思った。
聡美は妄想とも言える考えを振り払おうと大きく頭を振った。
考えるだけ無駄だ。ただ自分を格上に見せたいだけで、そう呼びたいだけなのだろうから。そこに愛情なんて欠片もないに違いない。
「……クシュン!」
またくしゃみが出た。
昼間よりも頭が痛くなってきたし、少し寒気もする。本当に風邪をひいてしまったかもしれない。
今日は早めに寝た方が良いかな、と思い、聡美は皿を洗うスピードを上げた。




