4-3
平日朝ほど混んでいない電車に揺られ、学校の最寄り駅も通り過ぎ、この近辺で一番栄えているという、中央駅で降りた。
駅の改札を出た瞬間、目の前に広がる光景に仰天して、思わず尻餅をつくところだった。
俺の世界では最も巨大な建築物である魔王の宮殿よりはるかに背の高い建物が幾つも立ち並び、大きな道路には、動く金属の箱、自動車がひっきりなしに行き交い、そしてたくさんの人の数! この世界に来た初日に見たショッピングモールもたくさんの人間がいたが、それを超える人数だった。事前に『魔法の鏡』で調べて、ある程度覚悟はしていたが、それでも想像以上だ。自動車の走行音、人々の足音、そしてやかましく響き渡る歌声や音楽……。
すぐに頭が痛くなってきた。
「こんなの、東京とかと比べたら、全然大したことないし」と、聡美。
世界征服への道は遠いな、とこの光景を見せられると嫌でも現実を認識させられる。
「……で、ご主人様の仰せの通り、賑やかなところへお連れいたしましたが、どこへ行きましょう? 映画館、百貨店、家電量販店、カラオケボックス、アニメグッズ専門店、松沼市名物の蓮根ミュージアム……、一通り揃っておりますが」
聡美がわざとらしく慇懃な様子で言ってきた。普段聞かない口調だけに逆に気持ち悪いな……。
確かに、とりあえず色んなものが見られるところへ連れて行け、と聡美には命令した。しかしそこから先を考えてなかった。行った先で考えようと思っていたが、これほど多くの選択肢を提示されてしまうと、逆にどうしたらいいものか迷ってしまう。
突然、聡美に裾を強く引っ張られ、危うく倒れそうになった。
「おい、急に何だ?」
聡美に向かって文句を言う俺のすぐ脇を、丸々と太った初老男性が俺の顔を見て小さく舌打ちしながら、通り過ぎていった。
俺にガン飛ばそうとはいい度胸だな、その太鼓腹に俺の必殺正拳突きをお見舞いしてやる! と意気込んで初老男性に向かっていこうとするのを、聡美に今度は襟を掴まれ、阻まれてしまった。そのまま、道脇まで引っ張られた。
「な、何をする!」
「アンタが悪い、こんな人通りの多いところでぼうっと突っ立ってるから」
「あの太鼓腹、高貴な血筋の末裔たるこの俺を侮辱して。今度会ったらたたでは済まさん!」
「はいはい……、二度と会うこともないでしょうね、こんな人の数だと」聡美は肩をすくめた。「こんなところにぼさっと突っ立ててもしようがないし……、じゃああたしに付いて来て」
聡美は人ごみをかき分け迷う素振りも見せずずんずんと先に進んでいった。俺は置いていかれまいと必死に聡美の姿を追った。人にぶつかるまいと気を張って歩いたせいで、すぐにくたくたになってしまった。満員電車ほどではないが、よくもまあこんなたくさんの人が密集する中、平然と歩けるものだと感心する。人間は力もなく魔法もないが、忍耐力だけなら魔人族に劣らないと認めざるを得ない。
しばらく大通りを進んで、とある路地を曲がった所で聡美の足が止まった。
「本当は今日、大橋とここへ来る予定だったんだけど」
と言って、聡美が指差す先には長蛇の列が見えていた。
「な、なんだ、あれは?」
一瞬吐き気がした。……ようやく人ごみから逃れたと思ったらまた人集りかよ。
「パンケーキ屋。最近できた海外のお店で、東京にもまだ一軒しか進出してないんだって。だからすごい人気みたい」
「おいおい、まさかこの列に並ぶつもりか? どれぐらい待つんだ?」
「……ざっと二時間ぐらいじゃない?」
「二時間!」
貴族の会合でもあるまいし、何が楽しくて二時間も行列に並んで待ってなきゃならないんだ。馬鹿馬鹿しい。
「他の場所はないのか?」
「それを聞いたら、アンタ何も答えなかったじゃない」
痛いところを突かれた。が、二時間もただ待つだなんて愚かな所行だろう。
「……帰ろう」
「どうぞご勝手に……」
そう言い残して聡美は一人、列の最後尾に向かって歩き出した。
……従者のくせに本当に俺の言うことを聞かない奴だ。
俺は五秒ほど悩んだ末に、聡美の後を追った。
「あれ、帰るんじゃないの?」
「いや、その何だ。……人間どもがかくも並んでまで食べたいというパンケーキに興味があるのだ。決して一人じゃ帰るのが不安なわけじゃない」
うわずった俺の声に、聡美は目を細め「ふーん」と言っただけだった。……その態度、信じてないな!
俺は聡美の横に立って、列の様子を窺った。ほとんどが女性だった。行列の先頭には平均年齢の高そうな女性グループがメニュー表を見ながら笑顔で話し合っている。その傍らにある看板には、丸く平たいパンが何層も積み重なり、上にはたっぷりのクリームとアイスが乗った絵があった。
なかなか期待が持てそうだ。料理の味を想像しているだけで、二時間なんてあっという間に過ぎてしまうかもしれない……。
「……まだか? いつまで待たされるのだ」
「まだ五分しか経ってないし。おとなしくしてて。……貧乏揺すりしない!」
「もう耐えられん……」背後を見ると俺たちの後ろに三組ほど並んでいた。「貴族たるこの俺を待たせるなんて。そうだ、俺が一声かければ連中、順番を譲るんじゃないか? いや譲るはずだ、譲らなければならない」
魔人族最高位の貴族であるこの俺に道を空けない、などという不敬な輩はいないだろ。いたらまとめて粛正だ!
「急病人でもあるまいし、誰もそんなことするわけないでしょ。アンタがあっちの世界でどれだけ立派な貴族だったとしても、こっちじゃまったく関係ないんだから」聡美は呆れ顔で言った。「……なんだかんだ言って、もう一週間よ。そろそろ理解したら?」
「妾の言っている意味が、分からないな」
「って言うか、もう気付いてるんでしょ。アンタはまったくの世間知らずのお坊ちゃまでもなければ、頭が悪いわけでもない。少なくとも、アンタの世界での常識がこっちの世界じゃ通じないことも分かってる。……でなきゃ、最初は駿くんの口車に乗せられたとはいえ、生徒会の仕事を続けてないでしょ。世界征服だなんて馬鹿げた妄想もそろそろ忘れてほしいけど、だとしても、アンタの世界での地位や肩書きとはまったく関係なく、こっちの世界で認められないとダメだって、……レノン、アンタはもう理解している」
「意味不明な御託を並べて……。生徒会で、妾や赤眼鏡を手伝っているのは、あくまで魔人族最高の貴族の家系であるファテルベルク家に生まれた俺の偉大さを、下々の人間どもに手っ取り早く理解させてやろうと……」
——あれ、反論のつもりが反論になってない?
「ほらほら」聡美は意地悪そうな笑みを浮かべた。「ちゃんと分かってるじゃない。だから、あえてそんな空威張りなんてしなくても、もっと素直になれば周りももっと……」
「黙れ! 空威張りなんかじゃない!」
俺の大声に聡美が瞠目した。同時に俺たちの前後に並んでいた人間たちが一斉にこちらへ振り返った。
聡美は俺の肩をぐっと掴みつつ、愛想笑いを浮かべて周囲に頭を下げた。
「どうしたの、急に大声出して。びっくりしたじゃない」
聡美は内緒話をするように抑えた声で言った。俺も小さな声で答えた。
「これは魔人族でもっとも古くもっとも格式高く、魔人族の歴史を作ってきたファテルベルク家の一人として、下等で劣った人間どもに対する当然の態度だ。……素直にとか、意味が分からないな」
今やすっかり没落し、かつての恩義を忘れた他の貴族どもに侮蔑の目を向けられたとしても、ファテルベルク家に相応しい態度が求められるのだ。決して卑屈にならず毅然とせよ、それがおばあさまの教えだ。
「所詮は人間の平民である、妾には分かるまい」
「そうね、アンタの世界のことも、アンタのことも、あたしには分からない」
聡美は憮然とした様子で眉間に皺を寄せ、それっきり黙ってしまった。
これ以上、聡美と話していたらまた何を言われることか……。俺も口を閉ざした。
しかし会話が途切れると時間が進むのも遅く感じられる。列は遅々として進んでいかない。
すぐに耐えられなくなってしまった。
隣の様子を盗み見ると、聡美は『携帯型魔法の鏡』を触り始めていた。……暇つぶしの道具があって羨ましい。俺の『魔法の鏡』は家に置いてきたから、本当に何もすることがないのだ。
列に並んでいる人間たちをよくよく見ると、彼ら彼女らもグループで喋っているか、各々『携帯型魔法の鏡』を触っているかのどちらかだった。それに、思い出してみれば満員電車に乗っているときも、多くの人間たちはずっと『携帯型魔法の鏡』を握りしめている。
果たして人間たちはかくも熱心に『携帯型魔法の鏡』で何をしているのだろうか? だんだん気になってきた。
俺は首を伸ばして聡美の『携帯型魔法の鏡』を覗き込んだ。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ……、何、人のスマホ覗いてるの!」
聡美は『携帯型魔法の鏡』の画面を隠しつつ、凄い形相で睨んできた。
「な、な、なんだ。まさか、怒っているのか?」
「そりゃ怒るわよ、人のスマホ盗み見されちゃ」
「いや、そっちじゃなくて……、さっきの話」
「さっきの話……」聡美は小首を傾げた。「怒っちゃいないわよ、ただ呆れただけ。それより何か用? おとなしく待っててと言ったはずだけど」
「暇でしようがないんだ。だから妾が何やっているのか気になって」
「格式高い貴族に相応しい態度を、なんて言っている奴の台詞とは思えないけど」
「う……うるさい。それよりも、何をやっているんだ? 教えろ」
聡美は小さく溜息をつくと、『携帯型魔法の鏡』を俺へ向けた。画面は、色とりどりの玉が並んでいた。「ただのパズルゲーム」
「ああ、それか。俺もそれなら知っている」
家で『魔法の鏡』を触っていた時にたまたま発見したパズルゲームだ。
「アンタ、部屋に籠ってずっと勉強してるかと思ったら、ちゃっかりそんなこともしてたの?」
「これも大切な調査の一環だ。……ところで、妾は世界ランキング何位だ?」
聡美は少し考えるような素振りを見せてから答えた。「えっと……、三万位くらいだけど?」
「はっはっはっ、まだまだだな、俺は今第三位だ!」
俺は高らかに勝利宣言した。初めて……いや久しぶりに聡美より優位に立てたような気がする。
「たかがゲーム一つで、親の仇が取れたように、そこまで喜ばなくてもいいじゃない」
と言いつつも、聡美は悔しそうな表情を浮かべた。その顔を見て優越感が更に増す。
「いかなることでも手を抜くな、これもおばあさまの教えだ。所詮遊戯、されど遊戯、ゲームランキング征服の日は近い! ……と言いたいんだが、一位の点数が尋常じゃなくてな」
「……確かに」
聡美は『携帯型魔法の鏡』を操作して、ランキング一覧を表示した。三位である俺の点数が約百万点で二位から五十位くらいまでほぼ団子状態、しかし一位が二千万点と、桁が一つ違っているのだ。
聡美は何かに気付いたらしく、「あっ」と声を漏らした。
「一位のアカウント名どこかで見たことある、……そうだ間違いない。駿くんだよ」
——赤眼鏡か! ことごとく俺の前に立ちはだかってくれるな。
「本当に何者なんだ。あの赤眼鏡は?」
「一年前に結構厄介な世界からこっちにやってきたの。そうしたら、あれよあれよという間に生徒会長になっちゃうんだから。時々何考えてるのか分からないことがあるんだよね。でも……」
「でも?」
「人の心を掴んで、思い通りに動かすのは得意みたい。現にほら」
聡美は、聡美自身と次いで俺を指差した。
「……」
返す言葉が思い浮かばなかった。
「それに駿くんは、自分を演出するのが得意って言うのかな、うまく立ち回って、それに人を動かして、自分の評価を確実に上げていくタイプ。端から見ると優しくて有能そうに見える。だから生徒会選挙も圧倒的支持を受けたし。第三者にとっちゃ、そりゃいい生徒会長に見えるでしょうね。細かい雑務から大きな規則変更まで、色んな要望を叶えてくれるから。でも彼に付き合わされた方は、たまったもんじゃない!」
聡美の眉が釣り上がっていた。……何かのスイッチが入ってしまったようだ。
「こっちは会議資料の作成に予算管理、それに文化祭の準備に忙しいって言うのに! あの生徒会長、自分が良い顔したいがために変な仕事を次々に引き受けてくるんだから。普通、生徒会が犬の散歩なんて引き受ける? この前なんて、メンバー総出で駅から高校までの通学路の清掃活動までさせらて……」
「……おい」
「……それから、ジャガイモの皮むきをさせられて……」
俺にはもう聡美の口から滝のように流れ出てくる愚痴を止めることはできなかった。気付いたら二時間が経過してしまった。退屈はしなかったが生産的な時間だったかと聞かれると、首を傾げざるを得ない。
ようやく順番が回ってきて店に入ることができた。しかし、席に着いても聡美の愚痴はまだ終わらなかった。
「えっと……、い、色々大変だったんですねぇ?」
聡美のあまりの威圧感に、俺はいつもの口調を忘れてただ頷くだけだった。
「本当よ。レノンもよく分かるでしょ! 本当は駿くん、あたしたちがいないと何もできないんだから」
「ま、まあ……、そうですねえ」
俺たちと同年代の給仕姿の女の子が水を運んできて、ようやく、聡美の愚痴が一段落したとき、俺は疑問に思ったことを口にした。
「そんなに文句が多いなら、生徒会の仕事を手伝わなきゃ良いだろ?」
俺が手伝っているのは生徒会長という地位をちらつかされたわけだが、聡美はどうして天野を手伝っているのだろう? 天野から何か見返りを求める代わりに労働力を提供しているのだろうか。
「そ……それは」聡美は言い淀んだ。「な、なんと言うか。駿くんに色々相談に乗ってもらうときがあるの。進路のこととか……」
「分かったような、分からないような答えだな。……あんな奴に相談するくらいなら、俺に相談してくれてもいいんだぞ。何せ俺は妾たちの主人なんだからな! 従者の悩みを受け止める義務がある」
「誰がアンタみたいな非常識男に相談するか!」
聡美が大声を上げると、丁度、店の入り口で事前に注文しておいたパンケーキを運んできた給仕が驚いて、危うく料理を落としかけた。聡美が慌てて愛想笑いを浮かべて、涙目で怯えた様子の女の子に「驚かせてごめん」と謝っていた。
給仕の震える手によって、生クリームとチョコレート、それにメープルシロップがかかった三層に重なったパンケーキと紅茶が俺の前に配膳された。一方、聡美の前には生クリーム、メープルシロップ、アイスクリーム、さらに色鮮やかな砂糖菓子が乗った、五層のパンケーキが置かれた。
……量も多く、豪勢なパンケーキを注文した理由は聞くだけ野暮だろう。
パンケーキを目の前にすると、さすがの聡美も相好を崩した。いつもはボーイッシュな印象が強い聡美も今は夢見る乙女のように目をキラキラと輝かせ、さっきまでの会話も忘れてパンケーキに魅入っていた。一方、俺も二時間待った成果に、興奮が抑えきれなかった。
早速一口……。
「旨い!」と心の底から叫んでしまった。
パンケーキのフワフワとした食感、生クリームとメープルシロップの上品な甘み、口の中で精霊たちが喜びの舞を踊っているかのようだ! あまりの旨さに体が震えた。ああ、二時間待った甲斐があった。この一週間、色々こっちの世界の料理を食べてきたが、まだこんなものが存在していたなんて。人間たちの美食への飽くなき探求心は底が知れない。
この感動をどうやって聡美に伝えてやろうか、と思いながら顔を上げると、聡美は表情を曇らせ「うーん」と唸った。
「どうした、食べたくないのか? じゃあ俺が……」
手を伸ばすと、聡美にパチンと手の甲を叩かれてしまった。
「残すわけないでしょ」聡美は皿を自分の手元に引き寄せた。「……美味しいんだけど、予想と違うというか、なんか今ひとつなんだよね……。味が薄い……と言うより、ゴムを噛んでる感じ」
「どれだけ舌が肥えてんだよ!」
こんな旨いものを辛口に批評ずる聡美に、いつか俺の家の飯を食わせてやりたい。噛むと歯茎が痛くなるほど堅い黒パン、苦味しかない豆スープ……、底辺がどんなものか教えてやる。
「肥えてないわよ、あたしだってこんなの滅多に食べないんだから」突然聡美は両手で鼻と口を抑えた。「……クシュン!」
「どうした、病気か?」
俺はナプキンで手と口を拭く聡美に向かって聞いた。
「……うーん、どうだろう? 誰かがあたしの噂でもしてるのかな?」
「暴力的な女、だと? ……痛っ!」
脛を蹴られた! 主人にすら手と足を出して来るのだ。やっぱりどこかで暴力的な女だと噂されても不思議じゃない。……って、噂されるとくしゃみが出るなんて初耳だ。何の呪術だ?
「……でも、さっきから少し頭がぼーっとして体が怠いかも。やっぱり風邪かな? 季節の変わり目だし……」
聡美は手を額に当てた。
風邪という病気がどんなものか知らないが、体調が良くない状態で、俺に付き合ってくれたのか……。
「体を大事にしろよ」
と、声をかけてやった。
「なっ……、何突然、気持ち悪い」
聡美は大げさに体を仰け反らした。
「従者や妾の体を心配するのは、……主人として、当然のことだろう」
「そ……そう、じゃあ言葉通り受け取っとく。……クチュン!」
聡美は再び大きなくしゃみをした。
「本当に、大丈夫か……?」
少し顔が赤くなった聡美の様子を見て、俺は訳が分からず首を傾げた。




