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一体なんだったのだろうか? これが今日一日を振り返っての感想だった。
天野駿。俺と同じく、こことは異なる世界からやってきた男。そいつがどういうわけか生徒会長として君臨している。そして、次期生徒会長にしてやると言われ、気が付いたら俺は生徒会なる組織に加わっていた。
なんだか都合よく動かされているんじゃないか? 改めて今日一日の出来事を振り返ってみると、色々疑問が湧いてくる。
本当に、生徒会の仕事を手伝えば次期生徒会長になれるのだろうか? 俺の世界で働き者が指導者になれるなんて話は聞いたことがない。上に立つ者ほど普段は働かないのが常だ。これが世界の違いというやつなのだろうか? でも天野も別の世界から来たんだよな。
そもそも、天野は俺が生徒会長となって、学校を征服することを望んでいるのだろうか? 奴は今の学校の王、対して俺は挑戦者。つまり敵同士だ。敵に塩を送ることなどするのだろうか? 俺の偉大な存在に畏れをなし禅譲を申し出た、と思えれば楽だが、そんな雰囲気は微塵も感じられなかった。
俺を誘ったのは、同じ境遇のよしみと言っていたが、本当はもっと別の意図があるんじゃないのか?
天野に対する警戒感は、奴のことを考えれば考えるほど増してくる。それどころか、俺が世界征服を進める上で天野の存在が大いなる障害になる、とすら感じるのだ。
しかし、世界征服どころか学校征服の糸口すら掴めない状態では、悔しいし危険ではあるが、現状天野を頼る……じゃなかった利用するしか術は思い浮かばない。
息苦しい満員電車の中でそんなことを考えながら、高校から『犬小屋』に戻って来た。「今日はお父さんがいないから」と言って聡美が用意したカップラーメンを食べて——あまりの旨さに涙が出そうになった——、自室で勉強する。何故か英語の授業で朗読をやたら指示されるので、特に念入りに予習しておく必要があるのだ。
一通り宿題と予習が終わり、『魔法の鏡』でこっちの世界を調査している合間に、たまたま見つけたパズルゲームを始める。この世界は料理も旨いが、娯楽もバラエティ豊かで飽きない。気付くと時間があっという間に過ぎていく。
本日のベストスコア、世界ランキング八位を叩き出したところで——ゲームだったら間もなく世界征服完了だ——、時計を確認する。
「さて、そろそろ風呂に入るか……」
着替えを抱えて脱衣所へ向かう。
こっちの世界の食事、娯楽に次ぐもう一つの美点を挙げるなら、清潔好き、ということだろう。俺の世界じゃ風呂なんて毎日入らない。その上、『魔法の鏡』によると、温泉という、体を綺麗にするどころか、健康にも良い癒しの場があるらしい。本当にそんなものがあるのなら、是非母上を連れて行ってみたいものだ。
母上は元々体が丈夫ではなく、一日中寝室から出られない日もある。そんな状態にも関わらず、母上は自分のことより俺やアンの身を案じてくれる。この世界へ来る直前、興奮のし過ぎから俺が流行病になったときも、辛そうな体を押して自ら俺の寝室に薬を持って見舞いに来てくれたのだ。俺はそんな慈愛に満ちた母上を妹のアンと同様に大好きで、役立たずの親父の代わりに守っていきたい、と強く思う。そのためにも、この世界を一刻も早く征服し、ファテルベルク家に富をもたらさなければならない。
脱衣所で服を脱ぎ風呂場を仕切る戸に手をかけたとき、奥から微かに歌声が聞こえてきた。こっちの世界の歌はさっぱりだが、それでも上手だと思える、聞いていると心地よくなるような歌声だった。
先客がいるのか? 清治は地域の集まりだとかでまだ帰っていない。では残りは聡美か……。
俺はためらうことなく戸を押し開けた。
予想通り、聡美が湯船に浸かっていた。
歌声がピタリと止まる。湯気がもうもうと立ち込めていて全身はよく見えないが、聡美は陸に放り出された魚のように、目を丸め、口をパクパクとさせていた。
「……ア」
何かを言い出そうとする聡美を俺は手で制した。
「妾の分際で主人より先に風呂に入るとは本来であれば重罰ものだが、俺は心が広い。今日一日生徒会の連中にこき使われ、疲れた俺の体を労り背中を洗うため、ずっと待っていたのだろう? その心意気や良し。ようやく主従の関係というものが分かってきたようだな」
と言って、俺は風呂場に足を踏み入れた。その刹那、
「アホか!」
聡美が叫ぶや否や、熱湯をぶっかけてきやがった。
「熱っ!」
俺は脱衣所に逃げ戻って、戸を閉めた。
「待て、従者にして俺の将来の妾。体を洗ってくれるんじゃないのか?」
「誰がアンタの体なんか洗うか! それに疲れてるのはこっちの方よ!」
聡美がまくしたててくる。
「何を言う、この俺の見事な任務完遂能力により、どれだけ妾の仕事を助けてやったことか。『ご主人様、恐れ多くもわたくしめにお力添えいただけるとは、空よりも広いお心にただただ感激の涙を流すばかりでございます』くらいは言ってもらいたいもんだ」
「その言葉、そっくりそのまま返すから。アンタのおかげで今日一日まったく仕事が進まなかったんだからね!」
「あれだけ手伝ってやっただろう、そんなはずはない」
「レノンがいなきゃ、一時間で終わる仕事だったんだから。それを何度も何度も同じことを教えて、どれだけ時間を無駄にしたことか!」
「そんな冗談を言って、俺をからかっているのか? 妾にそんな茶目っ気は求めてないぞ」
「……」
聡美からの返事はなかった。
その反応が逆に多くを物語っているように思えた。
——俺は、本当に役に立っていなかったのか?
そんな考えが、脳裏を掠めていった。
少しだけ落ち着きを取り戻した聡美の声が聞こえて来た。
「……そりゃもちろん、こっちの世界に来てまだ日が浅いから、しようがないんだけどさ。でも、自身がどれくらい周りに迷惑かけてるのか、いい加減に認識して」
聡美の言葉はほとんど頭に入らなかった。俺は脱衣所を出て、自室へ戻る。
足下がおぼつかない。地面がぐらぐらと揺れているようだ。
認めない、絶対に認めてなるものか!
俺は魔人族最高貴族たるファテルベルク家の一族、世界に必要とされている存在なのだ。迷惑かけるだけの役立たず、だなんて有り得ない。
——口先だけなんかじゃない。
見ていろ、聡美に天野に生徒会メンバー、それに学校の連中。俺の本気を見せてやる。生徒会の仕事を完璧にこなしてやろうじゃないか。
涙を流して許しを乞うてももう遅い! 草を食み、泥を啜ろうとも、逆境を跳ね返し、野望を達成させる。これこそファテルベルク家の精神だ。そして、ここで俺が踏みとどまらなかったら、誰がファテルベルク家を、アンと母上を救うというのだ。
部屋に戻った俺は、俺は早速『魔法の鏡』を取り出して、コピー機の使い方やお茶の汲み方を尋ね始めた。
しばらくして、部屋の戸をノックする音が聞こえた。俺は『魔法の鏡』に視線を落としたまま答えた。「なんだ?」
「あたしよ」
聡美の声がした。
「今は忙しい、用があるならあとにしろ」
絵具の使い方と書かれた画面をスクロールさせながら、俺は答えた。
「お風呂空いたって教えに来たの。……って、それよりも謝罪の一つも無いの」
「何の謝罪だ?」風呂場に入ったことか? あれはハレムの主として当然の行動だ。謝る理由などまったくない。「……学校で妾の手を煩わしたということなら、すぐに俺無しでは仕事一つ回らないようにしてやるから、覚悟して待っていろ」
「えっ、ど、どういうこと?」
聡美の戸惑ったような声が聞こえた。
「ええい、気が散る」俺は立ち上がって乱暴に戸を開けた。「調査の邪魔だ、近づくな」
「……」
湯上がりでほんのり上気した聡美はまた口をパクパクさせると、突然「キャー!」と叫びながら走り去ってしまった。
「なんだ? 突然」
と言って、俺は裸のままの脇腹をボリボリと掻いた。




