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天野に連れて来られた場所は、特別教室が入っている校舎で、今の時間帯は文化系の部活動で使用されているらしい。その一角で、たくさんの野次馬が集まっていて、狭い廊下を塞いでしまっていた。
「なんか臭うな……」
どこからともなく漂ってくる悪臭に我慢できず鼻を押さえていると、人山の奥から、男女が激しく言い争う声が聞こえてきた。
天野と俺は人ごみをかき分け進んでいった。天野の姿を見た人たちが「会長だ……」「これで収まってくれるかな」と呟いていた。
人だかりの中心には、大きな丸眼鏡をかけた白衣姿の女子生徒と、汚れたエプロン姿の男子生徒が、廊下の真ん中で睨み合っていた。
「やれやれ、人間の趣味はよく分からんな」
これが俺のエプロン男子対する感想だった。何せ彼の髪型は右側が短髪で左側が長髪、という非常にアンバランスだったのだ。
「えっと、どうしたんだ?」
天野と俺が男女のもとへ近づくと、二人は一斉に天野の方を振り向いた。
「生徒会長、聞いてください。美術部が……」「会長、聞いてくれ。科学部が……」
同時に押し迫ろうとした二人を、天野は手で制した。
「僕は聖徳太子じゃないから、同時に言われても困る。順番に頼むよ。えっと、科学部の三宅くんと、美術部の浅野くんだね。部室の前で何を言い争っていたのだい? ……ところで浅野くん、さすがにその髪型は……校則違反じゃないのか?」
野次馬の中から小さな笑い声が漏れた。……俺と同じことを思った奴もいるらしい。この世界でもあの男のような髪型は一般的ではないようだ。
浅野と呼ばれた不思議髪型男子は、笑い声がした方を一瞥したあと、天野に向かって言った。
「これがファッションなんだよ。それに会長、校則に髪型に関する項目は今はねえだろ。あれは会長が改訂してくれたし……」
「ああ、そう言われれば、そうだったね」
とこともなげに天野は言ったが、俺は激しく体を揺さぶられる感覚に襲われた。
規則を変えただと、この赤眼鏡が……。信じられない。
俺の世界で規則を変えるなんて普通は誰も考えないか、考えたとしても実際変更するには天地をひっくり返すくらい大変なことだというのに。この世界の規則は夕食の献立予定のように、いとも簡単に変えられてしまうのだろうか? だとすれば秩序はどうやって維持されるのか?
俺の思考をよそに、天野と言い争っていた二人の会話は進んでいく。
先に話を切り出してきたのは浅野だった。
「……そんなことよりも聞いてくれ。科学部の部室からすげえ臭い匂いが漂って、とてもじゃねえが、こんなところで部活なんかできねえ。だから奴らを止めさせてくれ」
「それはこっちの台詞よ」三宅と呼ばれた白衣女子が言い返した。「最近、美術部から変な匂いがして、大切な私たちの実験が出来ないんだから。美術部の活動を止めさせてよ、生徒会長」
俺には二人の問題の詳細は理解できなかったが、揉めていることだけは理解できた。であればすべきことは一つだ。
周囲を見渡すと、天野も群衆も一同首を傾げている。どうやら、この問題をどう解決していいものか思案に暮れているのだろう。
天野が俺をここへ連れて来た理由をようやく理解できた。彼らは将来の王たる俺の華麗な裁定を期待しているのだ。そこまで期待されているのであればしかたがない。一肌脱いでやろう。
「おい、そこの二人」俺の呼びかけに、三宅と浅野が振り返った。「お前たち二人のうち、家格が高いのはどっちだ?」
「……あの、ファテルベルクくん?」
困惑した表情で俺を見る天野を無視して続けた。
「それぞれ、地位があるだろう。高い方はどっちだ、と聞いている」
「地位って……」「……言われてもなあ」きょとんとした表情で二人は言った。「俺も三宅も二年だし」「別に地位とかそんなのは……」
なるほど、同一の家格らしい。
「じゃあ、どっちの部活動を停止するか、二人で決闘して決めるがいい。俺とここにいる群衆どもが立会人……ってなんだ、おい」
途中で天野に両肩を掴まれてしまった。
「ファテルベルクくん、ちょっと」そのまま天野は俺を引っ張って、言い争う二人や群衆から離れた。
「……突然何を言い出すんだ、君は」
天野他問い詰めてきた。
「奴らの争いを収めに来たのだろう。貴様がどうしていいか分からなそうだったから、俺が解決方法を提示してやっただけだ」
「なるほどなるほど……、ただ昔の封建制度でもそんな乱暴な裁決はしないだろうさ。君の世界の紛争解決方法はそうかもしれないけど、ぼくが元いた世界やこっちの世界じゃ違うんだ」
「俺の裁定が気に入らないと?」
「気に入る、気に入らないという問題じゃ……。しばらく黙っていてくれないか」
再び、天野に連れられて群衆の中心に戻ってきた。
ではお手並み拝見といこうか、そんな気持ちで俺は腕を組んで天野の様子をじっと観察した。
「ごめんごめん、話を中断しちゃって。もう少し話を聞かせてくれないか。まず三宅くん。科学部はどんな実験をしていたんだ?」
「肥の研究よ」
三宅は胸を張って答えた。白衣を着ていてよく分からなかったが、よく見るとなかなか豊満な体つき。つい視線がそっちへ……って、いかんいかん。大事な裁定の時に理性を揺さぶられるなど、将来の王としてあってはならない。
——って、彼女、今なんて言った?
「肥……」天野からにやついた表情が消え、顔をひきつらせていた。「肥って、もしかして……?」
「もちろん。地元畜産農家と協力して、どの動物のアレが一番植物を育てやすいか調べた結果を、今度の文化祭で発表するの」
この悪臭はそのせいだったのか。可愛い顔して凄いことやっているな……。
「とんでもねえ話だろ! すぐに止めてくれ」
浅野が大声で天野へ訴える。
「この程度で臭いって? 浅野だって汗かいて出すもん出してるんでしょ、それに比べれば」
「まあまあ……」天野は二人を引き離すように間に割って入った。「じゃ、じゃあ浅野くん、美術部は何をしていたの?」
「俺たちか? 今度の文化祭のために、学校内で見つかったネズミとかモグラの遺骸を集めてるんだ」
そういうことか、この悪臭の源は……って、俺の世界にも美術という分野はあるが、あれは絵画または彫刻だろ。何でわざわざ動物、しかも遺骸を集めているんだ?
「おい、留学生」突然浅野が俺に向かって言った。「何、不審な目で俺を見てんだ? これこそ芸術。動物の遺骸をあえて展示することで、鑑賞者に死について考えてもらうっていう現代アートだ! 海外の方が、こういうのは多いだろ?」
そんなこと言われても、知らねえよ!
「なるほどなるほど……。それでお互いの匂いが気になって、相手に止めてもらいたいと」
天野が難しい表情で言うと、三宅と浅野が同時に頷いた。
「両方、止めさせろ……」と主張しようとしたら、天野が俺の唇に指を当ててきた。「ファテルベルクくんは黙っていて……」
「……」
天野は再び二人に向き直った。
「大体事情は分かった。僕に提案がある。聞いてくれるかな?」
「生徒会長の話なら……」「聞かない理由はない……」
二人は素直に天野の言葉に従った。
「ありがとう……。どうだろう。科学部と美術部、文化祭は合同で発表してみたら」
「どういう……」「ことだ?」
二人はそろって目を点にした。
「科学部は動物の排泄物と肥料の研究、美術部は動物の遺骸に関する展示だね。その二つが結びつけばもっと大きな視点、生態系の循環について論じられないだろうか?」
「へえ」「ほう」二人は前乗りになって天野の話を聞き始めた。
「動物が食って、出して、死んで、土に還る、という大きなサイクルに科学と美術から迫るんだ。別段難しい話じゃない。サイエンスとアートの協同はずっと昔から試みられていることだし。二つの部活動が力を合わせたらきっと面白いものが出来ると、僕は思うんだけど」
「うん……」「面白そうだな」
白衣女子と不思議髪型男子が目を合わせた。そしてがっちりと握手を交わした。
その瞬間、野次馬たちから一斉に「おおっ!」と感嘆の声が漏れた。
「ありがとう会長」
目を輝かせた三宅が天野の両手をぎゅっと握った。……ちょっとだけ羨ましかった。
「なんのなんの、ただ、扱うものがものだから、他の部活動から文句が来るかもしれない。だから作業場所だけは変えてくれないかな。場所が見つからないなら、生徒会にいつでも相談してよ」
天野はにやけた笑みを浮かべて応えた。
「早速話を詰めてみようぜ」「そうね」
すっかり意気投合したらしい、二人は一緒に美術室へ入っていった。
俺は唖然とするしかなかった。
訳が分からない。気付いたら争いが解消されていた。
集まっていた野次馬連中も「結局なんで二人は争っていたの?」「理系脳も美術脳も何考えているかさっぱりだ」「会長の話分かった?」「まったく分からん。でも丸く収まったみたいだし良いんじゃね」などと言いながら散開していった。
最後に俺と天野だけが残された。
「どうしたんだい、狐につままれたような表情で?」
天野が声をかけてきた。
「……なんだったんだ、あれは?」
未だ目の前で起こったことが整理できず、そう聞く以外に言葉が見つからなかった。
「二人は納得する答えを見つけて、めでたく事件は解決ってやつだけど?」
と言って、天野は誇らしげな笑みを浮かべた。
「争いの理由も、赤眼鏡が提示した解決方法も俺にはさっぱり分からんが、二人の様子を見ていれば解決したんだろうなってことくらいは分かる。……それよりも俺が聞きたいのは、こんな面倒くさそうな理論を振り回す必要があるのかってことだ。さっさと決闘で決着を付けた方が早いだろう」
「だから、さっきも言った通り、こっちの世界でそういう解決法は取らないんだ。双方で落とし所がないか模索する。何でもかんでも先生や生徒会長が強権的に裁定していったら、高校なんて小さなコミュニティー、あっという間に崩壊してしまう。面倒かもしれないけど、君が本当に生徒会長になりたいと思うなら、郷に入れば郷に従え、こっちの世界のルールに則って事を進めるべきさ。……世界征服を目論む異世界からの訪問者くん」
天野が言っていることは理解できなかった。しかし、未だかつて聞いたことがない話だけに、心に引っかかるものを感じた。
「とにかく、これでまた僕の生徒会長としての株は上昇だなあ。それに君も少しは顔が売れたんじゃないか?」天野は不敵な笑みを浮かべながら腕時計を見た。「もうこんな時間か。ぼくは別の用事があるから、ファテルベルクくんだけ生徒会室に戻って、由良くんの仕事を手伝ってあげて」
そう言い残して、天野は俺に背を向けて堂々とした足取りで廊下を進んでいった。




