インターセクション1
「じゃあ、お先に」
出口前に立った聡美が挨拶すると、PCや紙の束に目を落としたまま、生徒たちは次々に「お疲れさまっす」「聡美ちゃん、また明日ー!」と返事をした。
聡美は一礼して生徒会室を出た。
廊下の窓を見ると、外は夕闇に染まりつつあった。昼間はまだまだ蒸し暑いのに、着実に日は短くなっていて、少しずつだけど秋の気配を感じられるようになってきた。
まだ窓から明かりが漏れている教室もある。文化祭まであと三週間。聡美が籍を置く生徒会もこれからが仕事のピークだ。これも初秋の風物詩。
「……って、あたしもまだ二回目なんだけどね」
と、独りごつ。
「あっ、由良くん。今日はもう帰るの?」
薄暗い廊下の奥から声を掛けられ、声の主がゆっくりと姿を現した。
生徒会長の天野駿だ。生徒指導の先生に呼ばれていて、今から生徒会室に戻るところだろう。
「はい会長。お疲れさまでした」
と言って、駿くんの脇を通り過ぎようとしたら、行く手を遮られてしまった。
「会長だなんてよそよそしいな、由良くん。君と僕の仲じゃないか。もっと親愛をこめて、駿くんと呼んでくれて良いのだよ」
駿くんの顔が迫ってくる。まるで壁ドン状態だ。……まったくときめかないけど。
「何か用でしょうか? 家に帰って夕食の準備をしないといけないので、用件があれば手短に」
お父さんにしろ、駿くんにしろ、どうして自分の周りには軽薄と言うか、調子がいい男が多いのだろう。
目の前の男が前回の生徒会長選挙において歴史的得票率で圧勝したことが未だに信じられない。みんな彼の上辺に騙されているのだ。
「今日、由良くんの教室に留学生が来たよね」
駿くんの一言に、聡美ははっと息を飲んだ。
魔人族が支配する世界からやってきた没落貴族の末裔、レノン=ファテルベルク。この一日でどれだけもどかしい思いをしたことか。
お父さんが入界管理局として限りなく黒に近い手法を駆使して、半ば強引にこの学校へ編入させてあげたのに、それをぶち壊すかのような行動の数々。よりにもよってクラスヒエラルキー頂点の須賀くんを怒らせるし。おかげで聡美自身も友達にアイツとの関係を説明するのに苦労した。今日一日、アイツがクラス内でハブられていたのは、自業自得だけど。
「あの子って、もしかして……」
メガネレンズの奥から、駿くんは視線をまっすぐこちらへ向けた。全てを見透かしているかのようだった。
「会長のお察しの通りです」
駿くんに無理に隠してもしようがない、聡美は素直に認めた。
「そうだろうと思った」
「駿くん、これは誰にも言っちゃ……」
「百も承知している。……それより、彼をね、生徒指導の先生のところへ行く途中にたまたま見かけた。確か由良くんと同じクラスの須賀くんと、えっと……誰だっけ、古代魔術何とかっていう同好会の子……、ああ、浜谷くんだ。彼らと一緒だったよ」
「……そうですか」
クラスヒエラルキー頂点と底辺、そして早々にヒエラルキーから追い出された者、とても奇妙な取り合わせだ、と思った。
駿くんは赤いメタルフレームの眼鏡の位置を正しながら言った。
「由良くんも意外に何も見えてないね……」
「それはどういう意味……」
駿くんの刺のある言い方に、思わず語気を強めた。
「須賀くんとその友達が、浜谷くんをいじ……ちょっかいを出していたようだね。それをファテルベルクくんが仲裁していた」
「……えっ?」
聡美は耳を疑った。
人助け? 口ばっかりで尊大な態度で、周りを皆格下だと思っているようなアイツが? まったく想像できない。
「信じていない様子だね。……まあ僕も遠くから見ていただけだから、詳しい事は分からないけど。まっ、見た目や態度がその人の本質を表しているとは限らないものだよ。僕みたいに」
「会長は見たままの、調子のいい適当野郎でしょ」
聡美は即答した。
「ひっ、酷いなあ由良くん」
と駿くんは返すも、表情は変わらず笑ったままだ。
冗談はさておき——でも九十パーセント以上は真実だ——、駿くんがここでデタラメを言う理由は思いつかない。
ただの気まぐれかそれとも……。
「聞きたかったのは、それだけだよ」駿くんはようやく道を空けてくれた。「悪かったね、呼び止めてしまって。……ファテルベルクくんか。なんか面白そうだなあ」
悪知恵を働かせるいたずらっ子のような駿くんの顔を見て、聡美はとても嫌な予感がした。
そして嫌な予感はすぐに的中したようだ。
今日の夕食は面倒だからスーパーで総菜を買って済ませるか、などと考えながら駅へ向かう通学路を歩いていると、お父さんから電話がかかってきた。
『聡美……、今どこだい?』
「今ちょうど学校を出たところ。夕食は途中で何か買うから」
『刺身が食べたいな……ってそんなことより、レノンくんと一緒じゃないかい?』
お父さんは何でそんなことを聞くのだろうと、聡美は首を傾げた。
「アイツと? ううん。あたしは生徒会の仕事があったから先に帰れって、言っておいたけど』
正確には勝手にしろ、と言っただけだが、さすがに有りのままは伝えられない。
『レノンくん。まだ帰ってきてないんだ』
お父さんの焦ったような声が聞こえた。
アイツめ! また面倒なことを! 心の中で舌打ちする。
「そのうち帰ってくるでしょ。放っておけば?」
聡美は突き放すように言ってやった。
『そういうわけにはいかないだろ。レノンくん、昨日来たばかりだよ』
そう言うのなら、いきなり学校へ行かせようとするな、と聡美は思わずにはいられなかった。
『もしかして道に迷ったかな、と思って、近所を探してみたけど見つからないんだよ。どうしよう、交通事故に遭ったとか、誘拐されたとかだったら……』
「分かった。あたしも学校の周りを探してみるから。お父さんももう一度近所を探してみて」
帰りも面倒を見てやるべきだったか、と後悔の念が沸き上がる一方で、「あたしは子守りじゃないぞ」と叫びたくもなった。
電話を切って、大きく溜息をついた。
それにしても、どこへ行ってしまったのだろう。本当に道に迷ったのか? 少なくとも高校から最寄り駅まではほぼ一本道、迷う理由がない。それとも、今日一日学校でハブられたことに傷ついて、家出した? ……まさかねえ、そんな心が繊細な奴には見えないけど。
ふと、さっきの駿くんの言葉を思い出した。『見た目や態度がその人の本質を表しているとは限らないものさ』
聡美もだんだんと不安の気持ちが膨れ上がっていく。明日の新聞に、〈外国人留学生、変死〉なんて見出しが躍るようなことになったら、洒落にならない。
とりあえず駅まで行ってみよう。案外、電車の乗る方向を間違えただけかもしれない。レノンにはそれほどお金を渡していないので遠くには行けないはずだ。
聡美は駅に向かって駆け出した。
街灯と商店街の明かりに照らされた松沼高校前の駅は、帰宅中の会社員や学生たちが足早に行き交っていた。
そして改札口の横、券売機の前にアイツはいた。暑苦しそうな真っ黒な格好と、浮世離れしたような明るい金色の髪、そして日本人と比べてわずかに赤みのある肌がすぐに目に留まった。
あまりにあっけない発見に、正直拍子抜けした。
「アンタ、こんなところで何やってるの?」
背後から声を掛けると、大きな紙バックを持って路線図を見上げていたレノンがゆっくりと振り返った。
「あっ……」と、聡美は息を飲んだ。
レノンは今にも泣き出しそうな表情をしていたのだ。
お互いの目が合うと、レノンの両目は拡大鏡を覗いたかのように大きく広がり、愕然した表情を浮かべた。
「おおっ、妾よ。な……何の用だ」
レノンは威厳たっぷりに言っているつもりだろうが、動揺しているのは明らかだった。
「だから、あたしは妾じゃない……。って、アンタこそまだ帰ってなかったの? お父さん心配してるんだけど」
「人間の分際で俺の心配をするなんて、ずいぶんと余裕だな」
「あっそう……、じゃああたしは先に帰るから」
心配して損した。聡美はさっさと改札口へ向かう。
するとレノンが腕を掴んできた。
「ま、待て、妾。俺を置いていくな。……実は帰りの電車賃が無いのだ」
「はぁ? お金はちゃんと朝に渡したでしょ。どこかに落としたの?」
「いや、そういうわけでは、ない……」レノンは俯いた。「その……なんだ。今日学校で我が下僕となった奴に駅前の商店街を案内させていたのだ。そうしたらあるわあるわ、旨そうな料理や、面白そうな遊び場が」
「つまり……、電車代を全部それらにつぎ込んだ、と」
聡美の口振りに驚いたのか、レノンは急に小さく萎んだように肩をすぼめ、顔を下に向けたまま、首をこくりと動かした。
——なんだなんだ? この小学生の失態とそれを諭す母親の図は……。
「はーっ、分かった分かった、連れて帰ってあげるから」
聡美は溜息まじりに言うと、レノンは顔を上げ、一瞬だけ表情を輝かせたが、すぐにいつもの人を蔑むような表情に戻った。
「うむ……よろしく頼むぞ、妾」
一発本気で殴ってやりたい気持ちをぐっと堪えて、聡美はレノンの分の切符を買った——この電車賃、あとでお父さんに請求してやる。
改札へ向かおうとすると、レノンが「ちょっと待て」と引き留めた。
「喜べ、妾と筆頭従者に土産だ」
レノンは持っていた紙袋を差し出してきた。
「お土産……?」
聡美は紙袋の中を覗く。大きな熊のぬいぐるみが入っていた。ちぐはぐな方向を向いている大きな瞳がなかなか可愛らしい。
「下僕にゲーセンなる娯楽場へ案内されてな。そこでUFOキャッチャーという遊具の景品で手に入れたのだ。この世界の娯楽は本当に興味深い。時が経つのを忘れる。……ちなみに筆頭従者にはシュウマイというものを買ってやった。本当ならどちらもアンに持って帰ってやりたいところだが、いつ帰れるか分からん。しかたないから代わりにお前たちにくれてやる。哀れな人間どもに施しを授けるのも主人としての務めだからな。ありがたく受け取れ……」
大威張りするレノン。その姿を見て、思わず聡美は吹き出していた。
なんだコイツ? 尊大な態度で喋っているつもりでも、よくよく見ると、大人の振りをしようとする小さな子供みたいじゃない。
「妾よ、な、何が可笑しい?」
「べ、別に……ありがと」
素直に紙袋を受け取ることにした。
「ありがとうとは随分と馴れ馴れしい。こういうときは『ご主人様、謹んで頂戴いたします。このような大層な品々、末代までの宝とさせていただきます』と涙を流して感謝するものだ」
「……」
よくもまあ一日そこらで、そんな日本語を覚えたものだ、と呆れるしかなかった。




