判決
二日後、岩島デパートには裁判所から調査のため相当数の職員が押し寄せ、証拠調べによる、全従業員の指紋が採取された。休暇中の者や直近で退職した者まで徹底的に洗い出し、その成し様はまさに異例のようにも見えた。対応した岩島の総務部長らは「裁判所の証拠調べは警察の鑑識よりもこんなに厳しいものか」と思うほどだった。調べの陣頭指揮を執っているのは、裁判長である柊美由紀である。
「そこ。今日はいない人の机ですね。引出しのとっての裏からも採取しておいてね。あとで従業員が直接指紋を押捺したものと照合しますから」
美由紀はスマホを取り出し、電話をかけた。
「正太郎?こっちは終わったわよ。これ貸しね。でも証拠調べなんて初めて経験したわ、なーんか楽しいわねー。じゃあ」
端的に話して電話を切ると、「撤収」と号令して調査団とともに引き上げた。
翌週、岩島の上は会長から、下は全従業員、アルバイトに至るまで366名の指紋の照合が終わり、その結果総務課の若い男の社員ら三名が警察に逮捕された。煙幕花火に付着した指紋と一致したためだ。この知らせを受けた伊達は、正太郎と支店長の恵子に告げ、これで岩島の野望を打ち砕くことが出来ると確信した。
「逮捕された岩島の社員たちは、素直に真田常務の指示だったことを自供するかしら」
恵子は、一連の主犯が真田であることを追及できるか否かを心配した。
「中村支店長。この際真田の犯罪性を証明しても、こちらに何の特もありません。大事なのは営業妨害の行為を止めさせることです。まあ損害賠償請求をして償還は受けられるでしょうが」
正太郎は、もちろん警察官ではないから個人の犯罪を立証する目的では動かない。
「ただ、この件で真田常務は結果として、会社を追われ、ともすれば背信行為で訴えられるでしょう。どちらにしても破滅です」
「そうね。でも次の裁判は公判となりそうですね。安永副市長は素直に証人として出廷すると思いますか?」
「自身の身の潔白を証明するためにも、来るでしょう。こちらが質問するのは鵜飼課長へ7番出口を封鎖するように指示したかどうかに焦点に絞ってくると思っているでしょうから」
「え?違うのですか」
「中村支店長。ここから先は7番出口を再び開通させられるかどうかが最大のポイントです。でなければ、私があなたに依頼された本件の目的を果たしたとは言えません」
「でも、不服申立ての決定は、裁判所の決定と性質を同じくするというなら、覆すのは難しいのではありませんか」
「確かに難しいと思います。でもそれゆえの安永氏の証人尋問です。何とかやってみます」
「お願いします」恵子はこれまで、全く不利の状況であったところから、ここまで逆転する正太郎の裁判に、何やらマジックのルーティンを見せられているようで、内心次に何が起こるかとワクワク感さえ覚えていた。
「ところで支店長、個人的なご質問です。伊達の退職の申し出の件ですが」
「ここを辞めて検察官になりたいそうですね。せっかく優秀な人材ということが判ったばかりで惜しいですが、私個人は彼が根っからの司法の徒であると思います。活躍するステージはここではないと感じています」
「伊達の友人として、お礼を申し上げます」
「ただし、赴任するときは是非この街へ」
「私もそう願っています」正太郎は、彼の目的が収束した後は、この街で鎬を削る相手として活躍してくることを望んだ。
応接室では、安永と真田が対峙していた。
「副市長。われわれ岩島のもくろみは完全に崩れました。この上は私は自身の保身を考えなければなりません」
「鵜飼君の死も無駄だったねぇ。可哀相に」
「弁護士の薮田も、菅正太郎という弁護士の常識では考えられない手段には、全く手も足も出なかったと言っていました。まさかあのような手で来るとは、まさに奇襲です」
「ちょっと派手にやりすぎたしねぇ」
安永は葉巻の煙を宙に吐き、他人事のように所感を述べる。
「次の裁判は、あなたが証人として申請されています。出廷するつもりですか?」
「うーん。鵜飼君に私が指示した証拠は何も無いがなぁ。面倒だがここは出廷してきっぱりと否定するほうがいいだろう」吐き出した煙をもう一度香り、葉巻を楽しむ。
「真田君にはいろいろ手伝ってもらったからねぇ。岩島をクビになった後は私の方で面倒見ようじゃないか」
「ありがたい。しかし、このままでは同時に、岩島の役員会に背信行為で訴えられます」
「その点も、今後の岩島の営業にうまみが出るよう、いろいろ便宜を図ろうじゃないか。その旨君のほうから、役員に根回ししたまえ」
「承知しました」
「だから例の件は、墓場まで持って行ってくれたまえよ」
「分かっております」
真田は、縁無し眼鏡の真ん中をくいっと上げて、安永の要望を承諾した。支店撤退を狙った葵への攻撃は、将来岩島の莫大な利益になるとして、取締役会でも承認を取り付けていた、まさに会社ぐるみの行為だった。現会長の岩島氏が病気で寝たきりだったこともあって、会長の一人息子であるお飾り社長の岩島ジュニアを操って、真田が実権を握り今回の作戦を画策したが、役員たちは何かあったときは真田の独断であった事とする条件で、承認したのである。
窓際に立った真田は、ブラインドを人差し指でカシャっと開けて覗き、福博の街に冬の到来を告げる木枯らしが吹くのを見て、寒々とした気持ちになった。
十二月三日
地方裁判所より、高等裁判所に移送された民事訴訟とともに、行政事件訴訟の裁判が始まった。
起立願います、礼
「これより イ○○○○号 原告葵デパート、被告福博市鵜飼克哉下に於ける地下街7番出口封鎖の取消しを求める行政事件訴訟の審理を始めます」
「まず訴状の読み上げをお願いします」
裁判所が変わったため、裁判長は美由紀から男性の裁判長に変わっていたが、複数の審理が行なわれるため、民事訴訟の裁判長であった美由紀は合議制の一裁判官として残留することとなったのである。
訴状の読み上げが終わったのち、職権証拠調べの結果が伝えられた。
「本件行政事件訴訟に掛かる、民事訴訟○○○○号を発端とした職権証拠調べでは、被告側の従業員すべての指紋を採取し、警察の捜査上にあったものと照合した結果、岩島デパートによる、原告への営業妨害行為と犯罪行為は明白となっています。被告代理人、この点何か言うことはありますか」
「・・・とくにありません」藪田が応じた。
「続いて、証人尋問に移ります。原告側から証人申請が出ている証人。本日は出廷していますか?」
「はい、出廷しております」正太郎が応える。
傍聴席からぬうっと、人影がゆっくりと立ち前へ出た。安永だ。
「証人。宣誓をして下さい」
安永は法廷に立ち、宣誓をすると手を前で組んで殊勝な態度をとった。
「では、原告代理人。質問をお願いします」
「はい」正太郎は原告席から出て、安永の横へ立った。
「あなたのお名前と、職業を教えてください」裁判の形式だ。
「安永徹治。公務員、福博市副市長です」
「ありがとうございます。それでは伺います。あなたは地下街7番出口の封鎖を、今は死亡した鵜飼課長へ指示したとの調査結果があります。この点いかがです?」
「まったく身に覚えのないことです。一体どこの調査です」
「本来ならば、鵜飼課長を証人として証言があればよかったのですが、残念ながらすでに亡くなっています。あとはあなたの証言に頼るしかありません」
「繰り返します。まったく身に覚えはありません」
「裁判長。原告代理人の質問はなんら根拠の無いものです」本件も担当する藪田が異議を唱えた。
「しかし、グリーン推進課の申請書類に、あなたの承認印が捺印してあります。これはあなたのものでしょう?」正太郎は事務書類を指差し、安永へ示した。
「申請に附してあった、調査結果の書類を見て問題が無かったため、承認しました。それが何か?」
「実は、地下街の調査を行なったのは、外注の専門業者です。その調査結果報告書には1番と24番出口の補修工事が最も急務であるとありました。あなたが見た調査結果とはどの書類のことでしょう」
「鵜飼君が何故、調査に外注の業者を使ったのかは解りません。ただしは私の見た調査結果の書類は、メールで送られてきたもので、その中身は7番出口が最も重要だと書かれていました」
「裁判長。乙十号証を示します。それは今安永証人が証言した、メールで送られてきた調査結果を印刷したものです。メールファイルは送受信した日時の改ざんは出来ないことから、当事の添付ファイルであったことは明らかです」藪田は続けた。
「これによると、確かに地下街の補修工事の優先度は7番出口だと記載があります」
正太郎は、報告書をしばらく眺め内容を確認した。
「なるほど。それでは7番出口の補修工事は承認はしたが、それは鵜飼課長の報告書を下に判断した不可抗力であったと言う訳ですね」
「不可抗力という言い方自体も釈然としないが、そういうことになりますな」
安永は憮然と言った。
「本当に?」
「くどい」
「本当の本当にぃ?」正太郎は安永の顔を覗き込むように食い下がった。
「裁判長。原告代理人は意味の無い質問を繰り返しております。身に覚えのないと否定してますので、これ以上の重複する質問は時間の無駄です」
実際に被告となっているのは、市と鵜飼であったが、安永は被告側の行政庁補佐機関という固有の立場を有しているため、藪田の積極的弁護の対象といえた。
「原告代理人。質問を変えてください」裁判長は正太郎に促した。
藪田は、安永と目を合わせ、「勝ったな」と互いに勝利を確認した。
藪田が更にダメを押して、高らかに述べた。
「それに、菅先生。あなたも前回の民事訴訟で、行政不服申立ての決定は確定判決と性質を同じくするもの推定されると言ったじゃありませんか。であれば事情決定にて7番出口の封鎖を解除しないことは、一事不再理の法理の観点からも、この審理をもってしても覆らないと思いますよ~」
一事不再理とは、一度裁判で下った判決は覆すことができないという考え方で、双方の永続的な争いを法によって収束させることを目的としている。故に三審制度ともされているのである。
無意味な質問はやめろ!審理を混乱させてやがる!
傍聴席からもガヤが喚きだした。おそらく岩島の関係者だろう。
このままでは、正太郎の敗色は濃厚だった。
「静粛に」裁判長が騒ぎを鎮める。
「分かりました。では質問を変えます」正太郎はこれまで優雅な微笑を絶やさなかったが、ここに来て目を細め、真剣な表情で安永を見た。
「足立麻衣さんという女性を知っていますか」
安永が一瞬固まり、ギクリとなった。
「もう一度聞きます。安永さん、足立麻衣さんという女性を知っていますか」
「答えてください」
「う・・・。た、確か私が吉丸百貨店に在籍していたときに、そんな名前の秘書がいたような・・・」
「その通りです。足立麻衣さんは現在も吉丸百貨店の秘書として在籍しています。・・・が」
正太郎は、安永から目を移し、藪田を一瞥した。
「ずいぶんと前から、会社には出社していないようです。吉丸の従業員に聞いたところ連絡も取れない状況だとか。実質的な行方不明です」
「それがこの審理とどのような関係がある!悪戯に審理を混乱させるだけだ」藪田が叫んだ。
「続けます。吉丸で更に聞き込みをした結果、非常に興味深い話が聞けました。安永さん、あなたが吉丸に在籍していたころ、あなたと足立麻衣さんは密かに不倫関係にあったと噂されていましたね」
「し、知らん」安永は唇が紫色になっていた。
「そうですか。更に続けます。このとき足立さんの年齢は二十二歳、あなたは六十二歳であったそうですね。親子ほども歳が離れているが、今の世の中特に珍しいことではないとも思います。そしてもう一つ。あなたが吉丸を去られたあと、しばらくしてあなたのご子息である、現吉丸の常務取締役安永信一氏と足立麻衣さんは、社内でも公然の秘密となるような熱愛振りで交際していたとの話も聞けています」
「や、やめろ!」
安永は正太郎に向かって叫んだ。その目は狂気を孕み、血走らせて殺気を放っていた。
「証人は冷静に。原告代理人、わかりません。その質問に何の意味があるのか、明らかにしてください」
「はい。本件は行政事件訴訟と併せて、民事訴訟ですが、その一方で贈収賄や、他の犯罪も行なわれている極めて特異で、複雑な事件です」
「他の犯罪とは?」と裁判長。
「はい。殺人です」
「何ですって!?どういうことです」
「実は刑事事件の捜査の過程で、とある事実が判りました。裁判長、後に乙三号証足立麻衣戸籍謄本を示してもよろしいでしょうか」
安永の身体はガクガクと震えだし、膝から崩れ落ちた。
「なんということだ・・・」藪田はそう呟くと、半ば立ち上がっていた腰を椅子に下ろし、天を仰いだ。
「安永さん。足立麻衣さんの父親が誰なのか、戸籍を確認して声に出して言って頂けますか」
正太郎は、崩れ落ちた安永に書類を見せて要求した。安永のその目からは、大粒の涙がせきを切ったように流れ出し、嗚咽に似た泣き声を漏らしていた。正太郎の要求には応えない。
「・・・・・・。裁判長、証人に代わって私が述べます」正太郎は眉を深くひそめ、沈痛な面持ちで宣言した。
「足立麻衣さんの父親は、安永徹治さんであり、血縁上の本当の親子です。母親はすでに亡くなっております。当事安永さんは結婚しておりましたが、足立麻衣さんはいわゆる妾の女性が産んだ子で、足立さんには母親以外身よりは無く、母親の死後、天涯孤独の身の上でした。いきさつは判りませんが、安永さんは大人になった足立さんとその後出会い、親子の名乗りをしたのでしょう。父親である安永さんは自分の会社で実の娘さんを秘書として雇うことで、生活の保障をするに至ったと推察します。傍目にはお二人は交際していたように見えたのでしょう。そして・・・。あろう事かその後、本妻の子である、安永信一氏と足立さんが交際をしてしまいました。当然安永さんは二人の関係を否定して、引き離そうとしたに違いありません。その場面はいかなるものであったかは、当人らのみが知るものとなりますが、ご子息の信一氏は足立麻衣さんが、腹違いの兄妹であることを知っていたのか・・・」
「安永さん。足立麻衣さんは今何処にいるのです」
「う、う、うう・・・」安永は頷いているのか、わからない様子で泣き続けている。
「安永さん、答えてください。あなたのお嬢さんは何処です」
正太郎は、慈愛に満ちた静かで、囁く様な声で安永に問いかけた。
「じ、地獄だ。地獄を見た。信一が麻衣を手に掛けたとき」
安永は狂ったように話し出した。
「あいつは、麻衣が自分の妹である事を知ったとき、突然喚き出して麻衣の首を絞めた。私が必死に止めようとしたが、過去の自分の罪の重さに足が動かなかった。動かなかったんだ。ううう」
「お嬢さんは何処にいますか」
正太郎は、三度目の質問をした。懺悔を聞く神父のように・・・。
「・・・・・・。7番出口・・・です」
「裁判長・・・」静かな瞳の正太郎は、裁判長を向き直って事態の収拾を促した。
「ほ、本日はこれにて閉廷します」
十二月二十四日
事件と裁判は異例の速さで進捗を見せ、結審の日を迎えた。
「判決を述べます」
「主文。一、原告の訴えを認め当該地下街七番出口の封鎖は解除し、原状回復するものとする。二、被告は原告に対して営業に掛かる損失に対する賠償金を、平成二十六年三月から年五分の割合で支払済みまで支払う。三、裁判費用は被告側が支払う。なお判旨を述べます・・・・・・。 以上」
地下街7番出口は、遺体の遺棄の捜査を理由として、警察の手によって埋め立てたコンクリートを掘り起こされ、程無くして足立麻衣の遺体が発見された。
殺人の容疑者として吉丸百貨店の常務安永信一は、令状によって逮捕され、重要参考人として安永副市長が警察に出頭した。
また、安永信一の自供に基づき死体遺棄の実行犯とされた、岩島の真田と若手社員三名は、葵での犯行を含めて、すべてを認める供述を始めたという。
岩島デパートは、損害賠償として数億円の損害賠償金を支払うことになり、倒産の危機を迎えたが、葵からの申し出によって、吸収合併することとなった。合併にかかる費用は無論全額岩島が負担することになり、程無く葵デパート二号館が誕生することとなる。
地下街7番出口は、以前と同じく人の往来が絶えない、にぎやかさを取り戻していた。
正太郎と中村支店長、伊達真二、柊美由紀、本郷法司は7番出口を眺めてこれまでの戦いを振り返っていた。
「菅さん、本当にありがとう。これで葵も持ち直すでしょう」
「お役に立てて本当に良かったです」二人は握手をした。
「正太郎!もうあんな無茶な裁判はこりごり。今後一切やりませんからね」美由紀が正太郎の肩をパンチした。
「しかし良かったな。お前が足立麻衣のことを掴んだとき、警察への水面下の依頼が役に立った」伊達が言った。
「ああ。あの裏技がなければ、勝てなかったな。だが、実の娘のことを持ち出すのは心苦しかったかなぁ」
「いずれにしても、真実を明らかにするのは私たちの仕事。ね、そうでしょ!伊達君」
美由紀の一言に、伊達はこれから検察官になる自分を、いっそう引き締めた。
「伊達君、検察の支部がどこか決まったら教えて・・・」本郷がそう言い掛けたとき、地下街の時報を告げる透き通った鐘の音が響き渡った。
「クリスマスイブだな」
「菅さん、あなたたちがこの街で仕事を続けている限り、私たち市民は安心して生活できると感じています。これからもこの街を護ってください」
「はい。それではまたお目にかかりましょう。伊達、美由紀、本郷も・・・。メリークリスマス」
「メリークリスマス」
こうして、長かった争訴は勝訴として決着をし、正太郎は依頼を見事に遂行することができた。
※正太郎の採った一つの審議、二つの審理の手順は、のちの語り草になったという(若林弁護士談)