二つ目の裁判
「首尾は?」
「上々。おそらく狙った時期に決定が出ると思います」
中洲のミセス・ドーナッツで、正太郎と本郷は不服申立てについて会合していた。本郷はホットコーヒーにドーナツを2個注文し、一つを正太郎に勧めた。
「いや、結構」正太郎は甘いものは苦手だったので、遠慮した。
「おいしいのに」
「後は、岩島側の対抗手段だ」
「特に何も講じないと思いますよ。煙幕事件や針金事件の犯人と思しき従業員に、今動きがあれば逆に怪しいと思われますから」
「想定の範囲内だ。俺はこれから事務所に帰って準備を進める」
「がんばってください」
「ありがとう」正太郎は本郷に礼を告げると、事務所へと帰宅した。
事務員の本辺優子が、「おかえりなさい」と迎えると、ブラックコーヒーを淹れてきた。ブルーマウンテンの香りが部屋中に香る。
「いい香りだ」
「所長。伊達さんからお電話がありました。折り返し連絡下さいって」
「分かった。ところで優子君、司法試験の学習は進んでいるか?」
「ええと。それがですねー」
事務員の本辺優子は正太郎の法律事務所で働きながらも、自らも司法修習生になってゆくゆくは法曹士の道を目指そうとしている。司法試験を合格し、浦和で司法修習生8ヶ月の研修を終え、その後裁判官、検察官、弁護士のいずれかになることが出来るのである。
「なーんか、行き詰っちゃって。裁判が気になって、気になって。てへペロ」
「・・・・・。古い」正太郎はすかさず突っ込んだ。ブルマンを啜る。
「単に勉強したくないだけだろ?そもそも優子君は将来は何になりたいんだ?弁護士か」
「うーん、迷ってます。所長とか若林さんとか見てると、女弁護士もいいなって思うんですけど、裁判官もやりがいあるんじゃないかって。ほら所長の知り合いに柊裁判官っているじゃないですか。あんなに美人で、しかも裁判官なんて、憧れちゃいますー」
「検察官は?」
「なーんか、送検とが起訴するのはめんどくさいです。それに刑法ガチガチって感じで融通きかなさそうじゃないですか」
「いっぺんドラマHEROO!でも観たらいい」
「えー。私キムタロじゃなくって、アイワ君がいいです!」
「誰が君の趣味の話をしているか!」
正太郎は、葵裁判の書類に目を通し、今後の流れをイメージした。更にパソコンのキーボードをカタカタと打ち、保存したらメールに添付して送信する。
検察官のバッジは、秋霜烈日を意味する。秋霜烈日とは、秋におりる霜と夏の厳しい日差しのことで、刑罰や志操といった厳しさに揶揄される。犯罪を立件して起訴するかどうかを見定め、法廷で検察側に立つのである。柊塾の同期には検察官になったものはいない。
正太郎は、一連の流れ作業を終えたところで、伊達に電話をかけた。
「正太郎か。今夜空いてるか」
「ああ」
「じゃあ、ジガーで8時に」
「了解」
二人は、柊美由紀の父が経営するバー・ジガーのカウンター席にいた。
「正太郎、俺はこの裁判に決着がついたら、葵を辞めて検察官になろうと思う」
伊達は、思いもよらない言葉を言った。
「何故、検察官に?」正太郎は、警視正を辞めた履歴に、今またなぜ逆行するかのような伊達の発言に戸惑いながらも理由を訊いた。
「お前と、柊。それからあの・・・、本郷。同期のお前たちの仕事ぶりに触れるうち、柊塾時代の熱い思いが甦ってしまったと思う。俺は警察内部のしがらみから逃げたが、俺の中で決着のついていないものがまだある」
「そうか・・・。過去に何があったかは、いつか話してくれれば良いと言ったが、そのことと関わりがあるんだな」
「ああ。一人でやってみるつもりだ」
「なーに。手が足りないときは必ずあるだろうさ。その時は協力させてくれ」
「持つべきものは、同窓の友だな」
「秋霜烈日。伊達、お前には合っているよ」
マッカランとワイルドターキーのロックを乾杯させ、二人は一気に飲み干した。
十一月一日、民事訴訟第二回審理、証人尋問が行なわれた。
起立願います。
ただ今より、○○○○号 原告葵デパート、被告岩島デパートによる第二回民事訴訟の審理を開廷します。
「本日は、原告側証人による証人尋問です。原告側、証人不在との事ですが、どうしますか」柊美由紀が、正太郎に尋ねた。
「裁判長。事前に証人申請をしておりました、鵜飼克哉氏は二ヵ月前、死亡しております。よって出廷は不可能です。証人申請は取消しいたします」
「ふん。たとえ証人が出廷したとしても、何を証明できたと言うのです」藪田弁護士は高らかに言った。
「では、審理を終了しますか?」と柊裁判長。
正太郎は、原告席ですっと立ち上がって、スーツのボタンを留め静かに言った。
「いいえ。このまま続行をお願いします」
「しかし証人不在です」
「実は、昨日まで証拠能力を有していなかったものが、今日十分な証拠能力を有し、証拠として示せるものがあります。裁判長、甲四十二号証、行政不服申立ての決定書を示してもよろしいですか」正太郎は数枚の書類を右手で掲げ、裁判長に許可を求めた。原告側の顧問弁護士らが、書類のコピーを裁判官、被告席の藪田たちに手渡す。
「これは!」藪田と真田が驚いた。
「裁判長、実はこの裁判とは別に、原告は当該書類に記載のある不服申立てを行政庁へ行なっており、これはその決定書です。内容は福博市天満町一帯にある、地下街の7番出口が封鎖された事を受け、葵デパートは経営上の不利益を被るに至ったことへの不服申立てとなります。実は地下街は先の震災によって補修工事が必要だったわけですが、事前の調査で専門業者によれば、最も補修工事が必要だったのは他の出口で、7番出口は鵜飼課長が意図的に指示し、工事のためと称し閉鎖させたものです。その理由は岩島デパートが、葵デパートの営業妨害をする目的でした。鵜飼課長と結託し贈賄をしてまで、7番出口が封鎖されたことは云わば公務員による権利の濫用に当ります。そもそも贈収賄はもともと犯罪ですが」
ざわざわ
法廷は騒然となった。
「まずい」藪田は真田を見て、そう言った。
「静粛に」美由紀が法廷内を沈めた。
「裁判長。本不服申立ての決定はこうです」正太郎は決定文を読み上げる。
「地下街7番出口封鎖については、担当者鵜飼克哉課長の瑕疵ある指示によって行なわれ、あまつさえ一民間企業と癒着し、贈収賄を以ってこれを断行したことは許しがたい。よって、公務員の権利の濫用として過失を認め、不服申立人への賠償を行なう。しかしながら、当該7番出口は封鎖工事が完了しており、これを再び開通することは掛かる工事費用や多方面への影響と、不服申立人の利益の回復とを比較考量したとき、原状回復請求権は認められず、封鎖の取消しはしないものと決定する」
「藪田さん。どうやら事情決定となったみたいです」ほっとした表情を見せた真田に藪田が小声で怒鳴った。
「何を安心しているのです。工事の取消が行なわれないだけで、岩島の営業妨害行為が露呈したのですよ。ただ証拠はないですがね」
正太郎はその様子を横目で見ていたが、続けた。
「この決定書は、事情決定にて工事の取消をしないとなりましたが、公務員の過失と、贈収賄の犯罪性が認められました。決定書は、裁判の判決すなわち確定判決と性質を同じくするものと推定されます。これを証拠として本民事訴訟とあわせて、事情決定に対する控訴の意味で、行政事件訴訟をここに提訴します。そしてすでに今朝、提訴の手続は終了しており、裁判所に受理されています」
「なんだって!?やられた」藪田が蒼白となる。
「裁判長。誠に異例のことではありますが、二つの裁判は牽連性を持つものですから、高等裁判所へ本民事訴訟を移送し、行政事件訴訟と併せて審理を行なうべきと進言いたします」
「!!」美由紀はきっと正太郎を睨みつけた。
通常の裁判の手法で戦いなさいよ、などと思っている顔だ。
正太郎は平気だ。
「その申し出については、ただ今から合議します」
美由紀をはじめとする、三名の裁判官がその場で合議を開始し、二分ほどして解散した。
「裁判所の決定を伝えます。裁判所としては訴えの内容から、行政事件訴訟との合併審理を行なう必要性を認め、原告側の申し出を採用することとします」
美由紀は憮然とした表情でたらたらと述べた。
「裁判長。本件は行政事件訴訟と合併審理となりました。ゆえに第一回の審理で請願した指紋採取の件を再考した上で、職権証拠調べをお願いします」
「なに!?」藪田が驚いて叫んだ。
「本件は、煙幕事件によって、避難する客にけが人も出ている、刑事事件に発展するものです。事実を明らかにし、捜査を進展させるためには、裁判長の特権によって調査を行い、岩島デパートの従業員すべての指紋を採取するほかありません」正太郎は、口調を強めて進言した。
ざわざわ ざわざわ
「静粛に!」
職権証拠調べとは、裁判官が、事件の真実を明らかにする必要と認めたとき、特権で事件にまつわる調査を行うことである。
藪田は激しく抗議した。
「裁判長。原告代理人の申し出は、事実の立証責任を裁判所へ委託する無責任極まる発言です。岩島デパート側は了承できません」
美由紀は深くため息を一つつき、静かに言った。
「今の原告代理人の申し出については、刑事事件の捜査の進展を促す目的を含み、また指紋を採取するごとき調査そのものは軽微で、被告側の人権や財産を著しく脅かすものとは判断しないため、採用することとします」
「そんな馬鹿な!」真田が叫んだ。
「被告は、裁判所命令が発令されますので拒否はできません」美由紀がバッサリと切って捨てた。
「裁判長。併せて次回の審理では原告側は、現福博市副市長、安永徹治氏を証人として申請します」正太郎が最後の土壇場で付け加えた。
「本日はこれにて閉廷します。次回は職権証拠調べの進捗を報告し、その後証人尋問となります」
第二回の審理は、異例の展開を見せて終了した。