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地下街7番出口封鎖  作者: 菅 承太郎
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民事訴訟 第一回審理開始 -柊美由紀登場-

 正太郎が、本郷の駆るフェラーリで舌を噛まないように必死で取手につかまっていた頃、市役所の応接室で、三人の男が会合していた。一人は岩島の真田常務、もう一人は薮田弁護士、あと一人は安永副市長だ。真田は窓際に立ちブラインドを閉めると、安永を向き直った。

「副市長。こちらの事情が変わりまして」

「例の金が警察に押収された件かね」

「お耳が早い」真田は眼鏡をくいっと上げた。

「警察にちょっとした知り合いがいてね。君絡みの件は知らせてくれるよ」

「食えないお人だ。私も監視されていると言うことですか」

「それで?」安永は、今後の情勢がどのようになるかを訊いた。

「はい。葵は顧問弁護士とは別に、やり手の弁護士を雇いました。鵜飼課長に弁護士の写真を見せて確認しましたが、脅迫者とは別人です。しかし確証はありませんが、弁護士と脅迫者は、協力関係にあると見てまず間違いないでしょう。葵は何としても地下街7番出口の封鎖を解除するため、裁判を起こすと考えられます」

「裁判か。心配は無いと思うが、万が一負けたらどうなる」

「万が一負けても、7番出口の封鎖はもう完了してコンクリートで埋め立てています。裁判官も、やわか一企業の利益を尊重するため、埋め立てた公共の施設を再工事するなどありえません。判例でも事情判決になることが殆どですから」

 薮田が弁護士の知識を以って、保証するように述べた。

 事情判決とは、被告側の過失や瑕疵を認めて、原告側の勝訴とするも、すでに行なわれた処分などを取消すと、その効果が社会的に多大な影響を及ぼすことが考えられるため、処分自体は取消さないという法理である。

 民事裁判の例でも、請負契約においてビルなどの建物を建築した際、手抜き工事などが原因で、建築業者を訴えて契約を取消したとしても、建築物は不動産としては物理的に大き過ぎて、取り壊すと多方面に及ぼす影響が甚大になるため、取り壊しまではせず、建築物の補強の義務付けや、損害賠償の支払のみに留まる。

「であれば良い」

 安永は、スーツのポケットからキューバ産の葉巻を取り出し、マッチで火を点け深く吸うと、暗い部屋の天井に煙を燻らせた。

「勝っても負けても副市長にご迷惑はおかけしません。この件が終わったら例の件、どうかよろしくお願いします」

 真田はそういうと、内ポケットから封筒を取り出し、テーブルに置くと安永の前へすっと押した。2本は入っている厚みだ。

「葵撤退の跡地に、岩島の2号館が参入するために便宜を図る件ね。分かっているよ」

 安永は、差し出された封筒を面白くもなさそうに見つめ、葉巻の灰を灰皿に落とした。

「鵜飼課長はどうします。証人尋問されたら、あなたの名前が出るかと・・・」

「彼には一応、独断でやったと言うように言い含めてあるが、何というか意思の弱いところがあるからねぇ」

「昨日、金が押収されてますから、警察も逮捕に踏み切るようですが、今は休暇中でしたね」

「ああ。旅行に行ってもらっているよ。ただ警察は張り付いてるかも知れないがね」

「旅行先はいけません。行きなれない場所は事故にあったりしますから」

「そうそう、事故は怖いねぇ」

 安永は笑っていたが、真田の目は笑っていなかった。

 その夕方、他県の温泉宿で、足を滑らせ、頭を打って死んでいる鵜飼が露天風呂で発見された。



 ホテル岩島の最上階には、シックなバーがあり、宿泊客はもちろん一般の客も利用できる。ただし、暗黙の了解で客はハイソサエティな身分の者に限られていた。デザイナーズのつくりと間接照明によってもたらされる特殊な空間は、時間の流れさえ忘れさせるようだった。バーの中心には大きな水槽があって、美しい熱帯魚らが舞い泳いでいる。バーテンダーをはじめとするスタッフはきびきびと動きながらも、決してあわただしさなど感じさせない、常に静かな微笑を絶やさず接客する。見た目も選び抜かれたイケメンたちだ。

「いらっしゃいませ」

 カウンターに座った女性客を、バーテンダーがコースターを出して迎える。

「カシスソーダを」

「かしこまりました」

 カシスソーダを頼んだ女性客は、かっちりとリクルートスーツを身にまとっている、タイトスカートから伸びるすらりと長い美しい脚は、男なら誰でも目を離さずにはいられない。肩よりも少し長い見事な黒髪は、一本で束ねてあった。そして何よりその美貌。美しさと可愛らしさが同居する顔は、表情を変えるごとに幾つもの新しい女性の魅力を感じさせた。

「あの。曲いつものヤツにしてくれる?」

 女性客は、バーテンダーにBGMの変更をリクエストした。

「かしこまりました。この曲が終わり次第、お掛けします」

 慇懃に答えたバーデンダーは、ボルスのクレーム・ドカシスの瓶を注いで瓶の口を拭きソーダを満たして女性客の前に置いた。どうやらこの女性客は常連らしい。

 出されたカクテルを一口含んだ女は、手帳を取り出し何やら予定を確認する。手帳には予定がびっしりと書き込まれており、『第三回審理』や『判決日』など、日時とともに記載があった。

 パタンと手帳を閉じて、ふた口目を飲むところで手を止めた。

「やあ。一人?よかったら一緒に飲みませんか?」

 サラリーマン風の男が女に声を掛けてきた。したたか酔っている様子だ。

「・・・。結構です」

「そんなこと言わずにさあ。ね?ね?」男はしつこく誘ってきた。まるで絵に描いたようなシーンだ。

「一人になりたいとき、この店にくるの。あっちへ行って」女はきっぱりと言った。

「お客様、こちらのお客様が嫌がっていらっしゃいます。どうかご遠慮ください」バーテンダーも仲裁に入る。

「なんだと!それが客に対する物言いか」男はプライドを傷つけられたか、カッとなって怒鳴った。

「俺を誰だと思ってる。日中銀の次長だぞ。お前ら一般の市民とはランクが違うんだ。何だ、ちょっと美人だと思ってお高くとまりやがって!」男は持っていたタンブラーを床に投げつけ、叩き割った。

「お客様!」バーテンダーがカウンターを飛び出し、パンサーを呼びにいくようボーイに指示する。

 すっと、女が手でバーテンダーを制してカウンターから立ち、男の前に出た。

「悪いお酒ね。ふーん、あなた日中銀の次長さんなの?偉いわねぇ。でもそんな肩書きを振り回すのは銀行の中だけにしたほうがいいわ。外へ出ても自分の権威が通用すると思っている勘違い野郎は、早めに反省しないと、あとあと後悔することになりますよー」

「何だと!生意気言いやがって」

 男は、女のスーツの襟をぐいっと掴んで激高した。

「お客様、おやめください」バーテンダーは男に言った。

「やかましい!」

「お客様のためです。もう一度言います。おやめください」

「な、何!」男は自分のためと言われ、戸惑いの表情になった。

「どうしたの?何かするんじゃないの?」

 そのとき男の目に、女のスーツの襟に輝く徽章が映った。三種の神器である八咫やたの鏡を象った、中心に裁判所の『裁』の文字。

「お客様。その方は柊美由紀ひいらぎみゆき様、裁判官でいらっしゃいます。今回は相手が悪い」

 バーテンダーの厳かな紹介に、酩酊した男は口をぱくぱくさせて、襟から手を離した。

 美由紀は、スーツの襟をしゅっと手で整えてから、酔っ払いに言った。

「あんまり、おいたが過ぎると、懲役にしちゃうぞ」

 悪戯っぽく笑う表情は、男にとって天使にも悪魔にも見えた。

 やがて曲が変わり、美由紀のリクエスト『Left Alone』が静かに流れ始めた。


起立願います。

礼。

ご着席ください。

 補佐官の号令が法廷に響き渡った。

「これより、○○○○号、原告葵デパート、被告岩島デパートによる訴訟の審理を行ないます」

 裁判長の宣言とともに、裁判が始まった。

 恵子と正太郎は、原告席に座り気を引き締めた。恵子は正太郎を見て、正太郎はなぜ福博市相手の行政事件訴訟でなく、岩島相手の民事訴訟にしたのか疑問に思ったが、事前に説明を求めても、勝訴するための手順であるという以上の言葉は聞けず、伊達の進言もあって、正太郎に任せることにしていた。

 訴状の朗読が終わり、法定代理人による攻撃防御が始まった。

 訴えの争点は、煙幕事件と針金混入事件が、岩島の営業妨害を目的とした不法行為であることによる損害賠償請求だ。

「ただいまの原告側の訴えは、事実無根であり、まったく岩島には身に覚えのないことです。訴えの根拠となる証拠を示していただきたい」

 相手の法定代理人は、順当に藪田弁護士だった。

 刑事事件では、原告は検察となるから、提訴は立件起訴となり、被疑者は被告人と称するが、それ以外の訴訟においては、訴えられる側は被告と称される。

「原告代理人」裁判長が返答を促す。

「裁判長。乙十五号証、警察の捜査記録を示します。この中の記載に、煙幕事件の事件現場から採取された、犯行に使われた花火から指紋が検出されているとあります。現在本事件について警察の捜査は進展しておりませんが、それは原告が敢えて警察の事情聴取に対して、犯人の心当たりは無いとして、岩島デパートの名を申告しなかったため、岩島デパートには捜査の手が伸びなかったからです」

正太郎は、恵子と伊達の三人で話し合い、煙幕騒動を事件にはするが、岩島の名前を出すタイミングは、妥当な時期が到来するまで伏せると言う作戦を立てていた。

「話は変わりますが、食品針金混入事件では、消費者が針金混入の苦情を葵デパートに言ってきたのは、煙幕事件の次の日から始まっています。ということは、実際に針金が入れられたのは煙幕事件と同日と考えるのが妥当です」正太郎は続けた。

「事件当日、季節は初夏でした。食料品売り場では冷房がよく効いています。客の中にジャンバーを着て帽子を被った人間を見ても、他の人は特に怪しいとは思わないかもしれません。しかし手袋をしていれば別です」

「ところで、食品に混入された針金は、太さが非常に細いものであったことから、混入させる作業は手袋をしていたらとても難しいと推察されます」

「裁判長、ここまでの原告代理人の主張は、事件そのものの詳細を説明するにとどまり、岩島との因果関係をまったく立証しておりません」藪田が反論した。

「原告代理人は、論点をはっきりさせてください」裁判長が指示した。

「・・・続けます。同じ日の二つの事件は、すでに証拠として提出した防犯カメラの映像から、同一犯と断定できます。そして季節が初夏であったこと、針金を混入させることは手袋をした状態では作業が困難であることから、警察の捜査記録にあるように、花火に指紋がつくのは当然の結果だったのです。つまり営業妨害の目的で、犯行が行なわれたことを帰結として考えると、この検出された指紋こそが、この裁判で非常に大きな意味を持ってきます」

「わかりません。それで原告代理人は何を証明しようと言うのです」裁判長が正太郎に尋ねた。

「今回の訴えを以って、被告側岩島デパートの全従業員の指紋採取を了承いただきたい」

「原告代理人。その要求は、警察の捜査によってなされるものです。捜査の進展を待つことはできませんか?」

「そのとおり。あらぬ疑いを掛けられた上、指紋の採取までさせろとは非常識にもほどがある」と藪田。 

「裁判長。捜査の進展の効果と、本審理を円滑に進めるためです。是非裁判所の決定をお願いします」正太郎は食い下がった。

「原告代理人。指紋の採取の必要性は、犯罪の容疑足りえるに、嫌疑が及んだときに証拠の目的で採取されるのが一般的であり、妥当です。まだ嫌疑の相手すら具体的に特定できていないのでは、採用するわけにはいきません。ただし、被告側の了承が得られれば別ですが」

「了承などするわけが無い。名誉毀損で訴えますよ」藪田が反撃する。

「それでは、その申し出は却下します」と裁判長。

「わかりました」正太郎は素直に引き下がった。

「双方、何か他に言いたいことはありますか」

「ありません」原告、被告ともに述べた。

「本日はこれにて閉廷します。次回はお互いの証人尋問となります」

 第一回の審理は、葵デパートの旗色悪く終了した。


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