3-13 近侍と女中の悩み事
前回投稿前に2周年を迎え、数日前に評価点1000点の大台を達成しました。
みなさまのご愛顧に感謝です。
神暦721年 剣の月27日 岩曜日
「「エミリー!」」
夕食の時間が過ぎ去り、片付けも終盤に入った使用人棟の厨房。
アリアとアリスはエミリーを見つけると、名前を呼んで走り寄った。
「あら、2人ともお疲れ様。仕事は終わったの?」
エミリーがしゃがんで2人に視線を合わせて尋ねると、彼女達は大きく頷く。
「うん、おわったよ!」
「おわったー!」
そして揃ってその顔に笑みを浮かべると、得意気に胸を反らした。
アリアの顔は煤にまみれ、アリスのお仕着せには飛び散った水しぶきの跡が残る。
だが、今日の仕事をやり終えた満足感で誇らしげである。
「それでね、きょうもユーリアのところにあそびにいっていい?」
その言葉にエミリーが2人をよくよく観察してみてれば、共に襟周りを汗でぐっしょりと濡らし、額には玉の汗を浮かべている。
ここ数日春としては暖かい日が続き、ただでさえ熱気と湿気に溢れる厨房でのきつい仕事が、いつも以上に幼い2人の体に堪えていた。
そんな2人の汗をハンカチで拭いながら、エミリーは考えを巡らす。
仕事場の暑さ故、このところ2人は毎日の様にユーリア達の部屋に涼みに訪れてしまっていた。
それでなくても只でさえ普段から彼女の好意には甘え尽くしているのだ。
それがこう続くようでは、ユーリア達の生活に迷惑をかけてしまわないだろうか…そう悩んでいると、目の前の2人の表情は次第に曇っていった。
「いっちゃ…ダメ?」
そう再び尋ねる2人。
その表情は悲しげに歪んでいるが、噛み締めた唇はエミリーの返事がどのようなものであろうと我慢して、それに従おうと覚悟しているようも見える。
実際、エミリーが2人を押しとどめれば、彼女達は気落ちしつつもそれに従うだろう。
幼い小間使いは、公私共に同室の年長者の指示に従う…それがこのお屋敷のルールである。
だが、その時エミリーの脳裏に浮かんでいたのは、苦笑を浮かべた部屋の主の顔。
そして脳内では「何遠慮しているのよ。」とやはり苦笑混じりの彼女の声が響く。
そうだ、彼女は年下には非常に甘いのだ。
それも、男女貴賎を問わずに。
実際、彼女は昼間にお屋敷の坊ちゃんを担ぎ上げて廊下を走り回る事もあれば、自室で舟を漕いだアリアたちを優しく寝かしつけ、その後でそっと彼女達自身の部屋に運んだりもする。
もっとも、前者の場合は後で上役から苦笑混じりの注意を受けることになるが。
そんな彼女であれば、例え毎日であろうとアリアたちを喜んで迎える事は想像に難くない。
そう、ユーリアはそんな人物だ。
「あんまり迷惑かけちゃだめよ?」
脳内のユーリアの表情につられ、エミリーも苦笑交じりで答えるとぱぁっと笑顔を浮かべる2人。
「うん、わかった!」
「いいこにしてるよ!」
そしてやったとばかりに2人で手を打ち合わせると、揃ってエミリーの方を向いた。
「ねぇ、エミリーのおしごともおわり?いっしょにいこ?」
だが、その言葉にエミリーは僅かに表情を歪める。
(今日は岩曜…だとすれば、部屋には…いえ、それだけじゃないわね…私は…。)
そして彼女は歪んだ表情を誤魔化すように再び苦笑気味に微笑んだ。
「私は…もうちょっとかかる…かな。それに、ちょっと頭が重いから、今日は止めておくわね。」
「ええーっ、また?」
「エミリー、大丈夫?」
彼女の答えに、残念そうに声を上げるアリスと、エミリーを心配してその具合を窺うアリア。
そして「びょうきならしかたがないでしょ!」とアリアはアリスを窘める。
(双子といっても、やっぱり姉であるアリアはしっかりしているわね。)
2人についた小さい嘘に気が咎めながらも、アリアの振る舞いに微笑を浮かべるエミリー。
「うん、寝ていればすぐに治ると思うわ。だから、2人で行ってらっしゃい。」
「うん、わかった。」
「おだいじに…ね。」
エミリーに返事を返すと、くるりと身を翻す2人。
そんな彼女達の背中に、エミリーは釘を刺す。
「あまり遅くなっちゃだめよ?」
「「はーい!」」
彼女達はちらと振り返って返事をすると、そのまま宿舎に向けて駆け出していった。
「さて…と。」
彼女は立ち上がって厨房を見渡す。
厨房の中では他の女中達がそれぞれの仕事をこなし、苦笑を浮かべた調理長がこちらに視線を送っていた。
(あら、いけない。)
エミリーは仕事中の私語を今のところは大目に見てくれている調理長の配慮に軽く会釈を返すと、そのまま残った仕事の続きに取り掛かったのであった。
「ふーん、またなんだ…。」
部屋を訪れたアリアたちから事情を聞いて、私はため息混じりに呟いた。
その間にも、私は興奮気味に視線を向けてくる二人の前で『凍える大河』を手に取り、『氷河の刃』を発動させる。
「「わぁーっ、すごいすごーい!!」」
いつもながらの歓声に気取った一礼を返してみた私は、部屋の隅に張られたロープに『凍える大河』を吊るし、その下に桶を置く。
普段よりも頭数が多いこの室内、わざわざ部屋の熱気を我慢してまで彼女達が訪れるのを待っていたのだ。
その価値はあったと内心満足気に頷きつつ天井付近をたゆたう『科戸風の命』に視線を向け、『凍える大河』を中心に風を循環させるように命じる。
返ってきた反応に満足して視線を戻せば、やはり同じように天井に視線を向けて居たアリアと目が合い、彼女はにへらと微笑んだ。
そういえば、見えてるのよねぇ…。
活発で剣術の真似事を良くしているお転婆な妹アリスに比べて、姉のアリアは文字を覚えるのも得意で魔術に対しても興味津々だ。
そのうち、カロン殿に弟子として推挙してみるのもありかもしれない。
別に小間使いから女中となって手に職を付けるのが悪い人生とは言わないが、魔術に関る貴重な才能があるのならば、立派な師につけて伸ばしてやるべきだろう。
この若さで精霊が見えるのであれば、魔術にも十分な適正があるはずだ。
もしその方面の才能がないようであれば、いっそのこと精霊使いに---。
「何時もながらに、お見事ですわ。」
その声に意識を向ければ、その先には私のベッドの脇に控えるカスティヘルミさん。
いや、もう呼び捨てにしても問題ない関係となっているのだが、いまだにさん付けの習慣は抜けずにいた。
その彼女はいつもの貫頭衣を身に纏い、それ以外は首元の例の首輪だけだ。
彼女が従属宣言をしたあの日以来…彼女は休暇の度に私達の部屋を訪れ、私に傅いている。
おかげで2人きりの時間が減ったマリオンはここのところご機嫌斜めなのだが、カスティヘルミさんにとってはどこ吹く風、全く気にしていないようだった。
そして彼女はこの部屋に居る時は何時もこの格好で、決して他の服を着ようとはしない。
なにやら彼女にもこだわりがある様で、もう少しまともな格好をするように命じた私に、「もしこれが気に入らないようであれば、どうぞ破り捨ててください。」等とのたまってその身を差し出して居たのだが…どうみてもあの服一枚の下は下帯しか着けていないのよねぇ…。
なので仕方なく…そのままの格好を許している。
まぁ、彼女があの格好で出歩くのはこの部屋と彼女の部屋の間だけなので問題ないだろう…多分。
さて、それよりもエミリーである。
カスティヘルミさんがこの部屋に来るようになってから、彼女は明らかにこの部屋への立ち入りを避けている節がある。
記憶を辿れば、彼女はマリオンがこの屋敷に来た頃から時折悲しげな表情を見せて居たような気もする。
勿論そんな彼女には悩みでもあるかと何度か尋ねた事もあったのだが、その度になんでもないとはぐらかされてしまっていた。
だけど…どう考えても何も無い訳がないのよね。
ここらでひとつ、腹を割ってとことん話し合うべきかもしれない…。
そう考えてため息をついてから部屋を見渡すと、こちらをじっと見つめるマリオンと目が合った。
「何よ、マリオン?」
私が尋ねると、彼女もため息をひとつ。
しかし、今日のこの部屋はため息が多いわね…ホント、良くない傾向だわ。
雰囲気的にも、おチビ達の教育的にも。
「なんでもありませんわ。ただ、お姉様が他の娘の事を思い悩むのを見て、焼いているだけですわ。」
そう不貞腐れるように呟いてから、口を尖らせてそっぽを向く。
「それにどうせ、彼女の悩みも素敵でお優しいお姉様に思い煩うとかきっとそんなものですわ。只でさえお姉さまの周りには若い娘が多いのに、更に森妖精の下僕さえも傅いているんですもの。きっとそれでこの部屋にも立ち寄りづらくなってるに決まってますわ。」
「エミリーとはそんなのじゃないわよ。只の…いえ、大切な同僚よ。」
「信じられませんわ。」
マリオンはそれだけ言うと、珍しく自分のベッドに潜り込んでこちらを向かずに横になった。
…拗ねて不貞寝を決め込んだか。
マリオンとは…まぁそういう関係だけど、だからと言ってお屋敷内の人間関係まで彼女に縛られている訳でもないのよね…。
こっちもこっちでどうした物かと頭を抱えると、部屋の中をちょこちょこと動き回っていたアリスがマリオンのベッドによじ登った。
「マリオン、ちょっとどいて、いい?」
そして膝立ちのまま進むと、場所を空けたマリオンを避けて壁に取り付く。
不貞寝した割には、意外と素直に退くわね。
そんな事を考えていると、アリスは首を麻紐で括られた小瓶をベッド脇の壁にある物掛けに吊るしている。
その小瓶には、氷血華の小枝が刺さっていた。
そう、最近の彼女達は、この部屋に来ては氷血華の小枝を部屋のあちこちに配置して遊んでいるのだ。
「アリアー、びん、つるしたよ?」
「じゃぁ、つぎはそっちのだいのうえー。」
「でも、ひきだしがあるよ?」
「あ、そっか。じゃぁ、ほんのうえだね。」
「うん。」
そんな風に声をかけあいつつ、アリアはといえば紐で吊るした『凍える大河』に、氷血華の茎を押し付ける。
するとすぐに茎が凍り付いて張り付くが、彼女はそれを何度も繰り返して『凍える大河』を茎だらけにしてから満足そうに頷いた。
…この一見良く分からない遊びだが・・・彼女達にこの遊びの意味について聞いてみたこともあったが、その結果わかったのは『意味が分からない』という事だけであった。
どうやら彼女達は一定のルールに従って小枝を配置しているようなのだが…そのルールも説明が支離滅裂過ぎて理解できなかった。
まぁ、別に害は無いし、同じ場所に置きっぱなしだと開花までの時間に偏りが出るから好きにさせてるけど。
「こんちわーっす。」
と、そんなことを考えているうちに仕事を終えたのかポーレットもやってきた。
そして部屋に入るなりお仕着せの合わせを緩め、次にスカートの端を持って煽る。
「ひゅーっ、相変わらず涼しいっすねぇ!」
…お仕着せの下の熱気を逃がす為なんだろうけど…緩めた所為で体の動きに合わせていつもより余計に揺れる胸が何とも羨ま…けしからん。
私室の中なので、はしたないと目くじらを立てる人は誰もいないけど…ああ、本当にけしからんわね!
だけど最近の私は、昔のようにけしからなさに我を忘れたりはしない。
私だって成長しているのだ…マリオンのおかげで。
「あれ、エミリーは来てないんすか?厨房にはいなかったんで、もう仕事を終えたのかと思ってたんですが。」
部屋を見渡してポーレットが尋ねる。
「調子が悪いらしくて、部屋で休んでるらしいわ。」
「ああ、またですか。」
彼女はため息をつきつつ、ちらと視線を逸らす。
その先を辿ると、そこにはカスティヘルミさんが。
彼女も何か心当たりがあるのだろうか?
「やっぱり、一度様子を見てきた方がいいかしらねぇ。」
「うーん、それがいいんじゃないですかねぇ。お願いできます、ユーリアさん?」
最初から他人任せなポーレットの態度にそっちに視線を向けると、睨まれたとでも思ったのかわたわたと彼女は手を振った。
「いや、2人でじっくりと話してみるのもいいんじゃないかと。私はしばらく涼んでますし。」
あー、まぁ…そうかしらねぇ…それしかないかしらねぇ。
「分かったわ。ちょっと行ってくるから、ここで待っててちょうだい。」
「いってらっしゃーい。」
ひらひらと手を振るポーレットたち3人。
そして思慮の外において居たのが1人…。
「私はどう致しましょう、ユーリア様?」
その声に、『あら、貴女居たの?』といった表情を浮かべてみると、上気した表情で身を震わせるカスティヘルミさん。
私は務めてそれを見なかったことにすると、部屋を見回した。
マリオンは…絶賛不貞寝中か。
「そうね。チビ達の面倒を見ていてちょうだい。危なくない様にね。」
「はい、畏まりました。」
私はそれだけ伝えると、そのまま部屋を出た。
ただ、部屋を出る際に不穏な会話が聞こえたような気がしたが、それはあえて無視した。
「それでは、何をして遊びましょうか?」
「おうまさーん!」
「わんちゃーん!」
「この前の芋虫は見事でしたねぇ。」
うん、あの森妖精は…もう手遅れかもしれない。
あ、いや、気にしないんだってば。




