3-09 近侍と侍女とお嬢様の仲直り
神暦721年 玉座の月16日 地曜日
私達は使用人棟との通路から最も離れた階段まで屋敷の廊下を駆け抜け、さらにそれを駆け上る。
追っ手たちは各階のお屋敷との出入り口にテオともう1人置いて、残りで手分けして使用人棟内を捜索しているはずだ。
だとすれば、今のこの屋敷内が一番手薄…そう考えての行動だったけど、どうやら上手く行っているようね。
だけど屋敷内の所々に立っている使用人達は苦笑いで私達を見送ってくれるけど、追っ手から尋ねられればあっさりとそれを伝えるだろう。
なのでいつまでも走って逃げ続ける事もできない。
どこかに身を隠して時間を稼ぐ必要がある。
そして私達は、屋敷の中で一番の盲点となりそうな場所へ急いだ。
扉を薄く開け、大広間の中を窺う。
貴族達の姿があるという事は、会合までまだまだ時間があるということか…さっさと始まってしまえばいいのに。
そう思いながら知っている姿を探すと、伯爵は旦那様と共に入り口付近に陣取って立ち話を続けており、奥様方も一緒…そしてニネットはといえば、その近くのソファーでグラスを呷っていた。
傍についているのは…エミリーか。
ニネットと面識があったから彼女の相手に選ばれたのだろうけど、ガチガチに緊張してるのがこの距離でも見て取れる。
苦労をかけるわね。
そしてさらに広間を見回すと、さっきの令嬢3人組の1人と目があった。
…確か、ミレーユと言ったかしら?
彼女は身を屈めて部屋の中を窺っているこちらを見て驚きに目を見開いているが…彼女がいるのは扉にいちばん近いテーブルの脇だ。
丁度いい、手伝ってもらおう。
私が彼女を手招くと彼女は連れに声をかけ、そして3人で歩み寄ってくる。
うん、狙い通り。
「ユーリアさん、どうされました?」
先程の自己紹介が印象的だったのか、しっかりと名前を覚えてもらえたようだ。
「はい、お客様方にこのような事をお願いする事は心苦しいのですが、少々お力をお借りできれば…と。」
私の突然のお願いに、彼女達は顔を見合わせてからにこりと笑みを浮かべた。
「はい、私たちで出来る事であれば、喜んで。」
ゆっくりと歩くミレーユ達に壁になってもらいつつ、その影に隠れてテーブルまで移動する。
彼女達は私に続くお嬢様とマリオンを見て戸惑いの表情を浮かべる。
「まぁ、ミリアム様、何故このように?」
「そちらはマリオン様…ですか?タレイラン家に行儀見習いに出ているとは聞いておりましたが。」
どうやらカリーネはミリアムと、コゼットはマリオンと顔見知りらしい。
まぁ、ちょくちょくと旦那様主催の夜会に顔を出す関係でお嬢様は歳の割に顔が広いし、リース家でも夜会が無いではないらしいのでそんなものなのだろう。
「それについてはまた後程…。」
「はい、今は目立たぬようにする事が先決ですわ。あ、後、くれぐれもこの件については内密に…特に私の父には。よろしくお願いいたしますわね?」
マリオンが念押しすると、3人はこくこくと頷く。
そうして私達はたどり着いたテーブルから垂れ下がったクロスを持ち上げる。
直径3キュビット(1.32m)程度の小さなテーブルであったが、その中に身を寄せ合って何とか潜り込むことができた。
「ありがとうございます。助かりました」
「いえ、お力になれて何よりですわ。」
薄暗いテーブルの下にもぐりこんで、ミレーユたちに礼を告げる。
そして彼女達の遠ざかる足音を聞いてほっと一息をついた。
するとマリオンがこちらに背中を寄せてくる。
(何、マリオン?)
(ほら、もっと身を寄せませんと、入れませんわ。)
そしてそのまま懐にもぐりこんできたマリオンに、私はため息をつく。
まったく、甘えん坊なんだから。
まぁ別に構わないかと思いつつお嬢様に視線を向けると、薄暗い中に爛々と輝く瞳が、羨ましそうにこちらを見つめていた。
私は苦笑いを浮かべてマリオンの膝をぽんぽんと叩くと、お嬢様は満面の笑みを浮かべていそいそと這い寄ってそこに収まる。
ほんと、大きな妹が2人もできた気分だわ。
「マリオンたちが、見つからない?」
テオの報告に、伯爵はその表情を渋面へと変える。
「はい、使用人たちの証言から、2階の大広間近辺に居る事は間違いないのですが…。」
申し訳なさそうに告げるテオに、伯爵は大きくため息をついた。
大広間近辺…招待客の目があっては、物陰などの隠れられそうな場所を大っぴらに探す事もできない。
「おや伯爵。マリオン嬢は見つかったのかね?」
と、そこへ他の招待客達と話をしていた侯爵が戻ってきた。
だが伯爵が浮かべた表情から、状況が芳しくない事を悟ったようだ。
「会合まで、それほど時間はありませんぞ?」
「はい、それは分かっているのですが…やはり時間切れを狙っているのか…。」
と、そこまで言ってから伯爵は口をつぐみ考える。
(時間切れを狙ったとして、それをどうやって知る?まさか閉会まで粘るつもりはあるまい。だとすれば時間?予定?会合の開始時間はおおよそでしか決まっていない。それが分かる場所に潜んでおるのか?だとすれば…。)
しばらくの黙考の後、伯爵はニヤリと笑みを浮かべる。
「そうですな、ここまで来ては侯爵を始め招待客の皆様にご協力いただく他に手もなさそうですな。」
そうして伯爵は自分の案について、侯爵に語りだした。
私がマリオンを抱き、マリオンがお嬢様を抱く。
しばらくはそうして過ごして居たが、マリオンの体温で段々と眠気が…って駄目よ、そんなんじゃ。
私は慌てて首を振って眠気を飛ばすと、マリオンの肩をつつく。
(あら、お姉様?)
(ほらマリオン、やらなきゃいけない事があるでしょう。丁度いい機会だから、今のうちに…ね?)
私の言葉に、マリオンは頷く。
そしてお嬢様の耳元に口を寄せ、ぽつぽつと話し始めた。
(申し訳ありませんでした、お嬢様。あんな冷たい態度を取ってしまって。今ではなんて馬鹿な事を仕出かしたのだと、心から反省しておりますわ。あんな事があっては嫌われ疎まれてしまっても仕方がない事だとは思いますが、もし身勝手な願いが許されるのであれば、行儀見習いが明けた後は今までのように親しくしていただければ、これ以上の幸いはありませんわ。)
マリオンの謝罪を黙って聞いていたお嬢様は、聞き終えるとマリオンに向き直った。
その彼女の眼尻には涙の雫が浮かんでいる。
彼女はにっこりと笑うと、ゆっくりと頷いた。
(私も…ユーリアの事でマリオン様を怒らせてしまったのだから、おあいこです。でも本当よ?ユーリアは大好きだけど、独り占めするつもりなんて無かったんだから。)
(ええ、分かっていますわ。だってお姉様は優しくて、格好良くて、とてもとても素敵な方ですもの。)
マリオンの言葉に安心したのかぼろぼろとこぼれるお嬢様の涙を、私はハンカチを取り出してマリオン越しにふき取る。
(ですので、これからはお姉様は2人のものということにしていきましょう。)
(はい、マリオン様。)
取り敢えずは仲直りできたのでめでたしめでたし…といったところか。
まぁ、その会話中の聞き捨てならない事については、後でマリオンを問い詰めるとしても。
「それでは、間もなく会合を始めさせて頂きたいと思います。出席者の方は議場へお移りください。」
テーブルの外から案内の声が響き、広間の中が一層ざわつきだす。
私は思わず拳を握ると、マリオン達とハイタッチを交わす。
会合に出席する貴族とその場に残る同行者との挨拶や、連れ立って広間へと移動する貴族達の話し声。
やがてそのざわめきは遠ざかり、やがてそれは急に小さくなった。
大扉が閉じられたか…これでやっと外に出られる。
そしてそのまましばらく待った後…室内のざわめきが落ち着いた頃を見計らって、私達はテーブルの下から這い出した。
「うっ、うーん…。」
這い出してからまず一番に、長時間身をかがめていた所為で凝り固まった体をほぐすために背伸びをする。
そして力を抜いて弛緩したところに、背後から声がかけられた。
「ほう、そんな所に隠れていたのか。外に飛び出したとばかり思っていたんだが、上手く潜り込んだ物だね。」
聞き覚えのある声に振り向けば、そこには会合に向かったとばっかり思っていた伯爵が立っていた。
「伯爵、会合へは…?」
私が呆然としながら尋ねると、伯爵はニヤリと笑う。
「何、途中から姿を現さなくなったことから、おそらくはどこかに隠れて会合の時間を待っていると踏んでね。侯爵にお願いして集合時間だけを早めてもらったのだよ。」
そして伯爵がマリオンに向き直る。
「さてマリオン、今度は逃がさんぞ?部屋の出口には手の者を配置しているのでね。」
扉に目をやれば、それぞれの扉の前に従騎士達と執事達がついている。
ここから見えない配膳室の扉なら…って無理だろうな。
使用人でごった返した配膳室を安全に駆け抜ける方が大変そうだ。
と、そんな事を考えていると、ミリアムお嬢様が伯爵の前に進み出る。
「ブリーヴ伯、私達は捕まってしまったの?」
「その通りです、ミリアム様。これ以上の無駄な足掻きは諦め、素直にお話を…。」
とそこまで伯爵が言ったところで、お嬢様はパンとその手を打ち鳴らす。
「そう、とてもとても楽しかったのに、捕まってしまうなんて本当に残念だわ!」
「み、ミリアム様?」
お嬢様の突然の発言に、面食らう伯爵。
だが、お嬢様はそれを気にせずに話を続ける。
「だったら次はこちらが追いかける番ね!どちらが多く捕まえるか競争よ、マリオン!」
お嬢様の言葉に、伯爵同様話について行けていないマリオンはただ戸惑いを浮かべるばかり。
そこで私はマリオンの横に移動すると、そっと肘でつつく。
(お姉様?)
小声で尋ねる彼女に、笑みを浮かべて無言で頷くと、彼女もようやく理解したようだ。
「はい、お嬢様。負けませんわよ!」
笑顔で答えるマリオン。
とそこへ、招待客の奥方達と立ち話をしていた奥様がやってくる。
お嬢様はそれに駆け寄ると、私達との追いかけっこが如何に楽しかったか熱弁を始める。
その頃になって面食らうばかりであった伯爵は、ようやく彼女達の関係の改善を感じ取ったのか、じっとまだうっすらと涙の跡の残るお嬢様の横顔を見つめる。
やがて苦笑と共に一息付くと、その表情を緩めた。
「まったく…仕方がない。申し訳ありませんミリアム様、そろそろ会合の時間が迫っておりますれば、鬼ごっこの続きは又の機会にしていただきたく。」
「あらそう?残念だわ。」
お嬢様が心底残念そうに呟くと、伯爵は無言で一礼する。
「それでは…マリオン!」
「…はい、お父様。」
伯爵の呼びかけにおっかなびっくり進み出るマリオン。
伯爵はため息をつくと、その握りこぶしをマリオンの頭へと落とした。
「あ、あいたぁ~。」
思わず涙目になるマリオン。
だが、あくまでも拳が落ちるに任せた、優しい一撃であった。
「今回の処遇は侯爵…夫人にお任せする。以降、このような事がないようにな。」
「はい、お父様。」
伯爵の視線に奥様は分かっているといった様ににっこりと笑って頷き、マリオンは涙を浮かべたまま返事をする。
「うむ、しっかりとやりなさい。さて、ユーリア嬢。」
「はい、伯爵。」
「ヴァネッサから手紙が行っていると思うが、これからもマリオンの事をくれぐれもよろしく頼む。今回のような事がまた繰り返された時は、ガツンとやってもらって構わない。何、私の言う事を聞かなくても、君の言う事には素直に従うはずだよ。」
「そんな事はありませんわ、お父様。」
伯爵の言葉にマリオンは反論するが、彼はマリオンに視線を向けてから、「ほらこれだ。」と視線で伝えてくる。
私は軽く微笑むと伯爵に頷いた。
「はい、そのように致します。」
「さて、私もいい加減に会合に出なくてはならないので、これで失礼する。会合が終わった後に時間があれば、色々と話したい事があるのだがね。では。」
そう言って、議場へと身を翻す伯爵。
私達はそれを見送ったあと、顔を見合わせて大きく息をついた。
肉体的にも、精神的にも疲れた夜会だった。
だがまだやり残した事がある。
「さぁて…お嬢様にマリオン、仲間はずれにされたニネット殿下がいい加減におかんむりよ?」
ソファーの方に目を向ければ、こちらを睨んだままのニネットが、エミリーの給仕でグラスを空け続けている。
その数は…ここから見えるだけでも、エミリーのお盆の上のグラスの内半分は空になっているようだ。
変に絡まれなきゃいいけど…それも望み薄ね。
私達は顔を見合わせると、ニネットの機嫌を取るために揃ってソファーに歩み寄ったのであった。