3-08 近侍と侍女とお嬢様の逃走劇
神暦721年 玉座の月16日 地曜日
「マリオン、お前に行儀見習いは少々早かったようだ。今からでも遅くは無い、一度家に戻り心構えを学び直してから出直しなさい!」
「お父様、私だって今では少々やりすぎたと反省しておりますのよ?ですが、それとこれとは話が別ですわ。」
「ブリーヴ伯、少々落ち着かれたほうがよろしいのでは?」
「いえっ、これはリース家内部の問題です。ニネット殿下といえども、口出しはなりませんぞ!」
「ブリーヴ伯、マリオン様は悪く無いのです。すべては良かれと思って彼女を裏切ってしまった私の…。」
「ミリアム様、マリオンを庇っていただくお気持ちは大変ありがたい物ですが、それでは彼女のためになりません。そもそも彼女がこうなってしまったのも我々が甘やかし過ぎた事が原因。責任を持ってその性根を叩きなおして参りましょう。」
ソファーを前に言い争う4人。
他の客や使用人達はそれを遠巻きにして眺めている。
お嬢様との不仲を聞きつけてブリーヴ伯がマリオンを問い詰めた所に、それを見かねたお嬢様がカーテンの陰から現れた…といった所だろうか?
旦那様方にはドミニクさんからそれとなく報告を上げてもらっていたので、大事にはならないと安心していたのだけど…そうね、ブリーヴ伯がいたわね。
そりゃぁ夜会にも出席するし、そこで不仲を小耳にでも挟めば詳しく聞きだして叱責のひとつもするでしょう。
放任主義のうちとは大違いだ。
ともあれ、今更マリオンが実家に帰っても堪らないし、そうなっては誰の得にもならない。
私は内心ため息をつくと、修羅場の中心に歩み寄った。
「お久しゅうございます、ブリーヴ伯。」
今すぐにでもマリオンを連れて出て行きそうな伯爵に、落ち着き払って声をかける。
その声に視線を向けた伯爵は、私を視界に収めると舌打ち一つでマリオンに向き直る。
だが一瞬の間の後に驚きに目を見開くと、くるりと振り返ってその渋面をとたんに綻ばせた。
「これはユーリア嬢か!マリオンから劇については聞き及んでいたのだがね、そんな格好をしていたのですぐにはわからなかったよ。元気でやっているかね?」
さすが若い頃は社交界で浮名を流した男性だけあって、女性と見れば私のような小娘にも非常に物腰も柔らかだ。
私が頷くと、それは僥倖と笑みを深くする。
だが、伯爵も私の格好を見て驚いた所為で、多少は落ち着きを取り戻してきたようだ。
「はい、おかげさまで今はミリアムお嬢様付きとして職務に励んでおります。ところで、事情は聞き及びでしょうか?」
途端、彼の表情が苦渋に歪む。
「うむ、小耳に挟んだ程度だが、貴族の間で広まっていた話を聞いたのだ。マリオンを慕っていただいているミリアム様に対して、夫人付きの侍女になった途端に余所余所しい態度で接し、挙句不仲になったと。もちろん友人関係から主従関係へと変化した立場を弁えるのは当然としても、冷たくあしらうなどとは許されるものではない。タレイラン家の方々には迷惑をかける事になるが、一度実家に連れ戻すのが皆のためになる筈。私はすぐにでも侯爵に一旦の暇を願うつもりだ。」
あー、ミリアム様の近侍として冷たく…とまでは行かないにしても、必要以上に親密にならないようにしている私には耳に痛い話ではある。
「それに関してはまずはお詫びを、ブリーヴ伯。マリオンの面倒を見て欲しいとの事でしたが、私がお嬢様付きになった事もあり彼女をその場で諌める事もできませんでした。」
と頭を下げると、ブリーヴ伯は慌てて手を振る。
「いや、貴女が悪いのではない。悪いのはマリオンであって…。」
「いえ。マリオンは悪く…無いとは言い切れませんが、彼女ばっかりに責任がある訳でもありません。私はその時には何も出来ませんでしたが、その後は2人の仲直りに向けて手を尽くしてきたつもりです。仲違いの原因を調べ、二人の意見を聞き、相手の考えを理解させた上で仲直りの場を用意する…つもりでしたが、些か時間をかけすぎたようです。」
そう弁明してから、周囲を見回す。
相変わらずこちらの騒ぎは周囲の注目を一身に集めている。
さっさと会合の時間が来てしまえばいいものを。
そうすれば貴族達の注目を浴びずに済む…と言っても、おしゃべり好きな奥方や、姦しい娘達は残るのか。
と、そんな事を考えていると…。
「失礼いたします。お客様方のご歓談のためにお部屋を用意致しました。ここでは周囲の目もありましょう。そちらに移られてはいかがでしょうか。」
周囲の人垣から進み出たドミニクさんが一礼する。
伯爵は…と見ると、どうやらやっと耳目を集めている事に気づいたようだ。
「うむ、そうだな…では、そうさせて貰おう。ミリアム様もユーリア嬢も構わないかね?ニネット殿下は…同行するかはご随意になさってください。」
「はい、同行させて頂きますわ。」
伯爵は私達が頷くのを確認するとドミニクさんに向き直った。
「では、案内を頼む。」
ドミニクさんが用意された部屋へと案内する廊下で、私は内心何度目かのため息をつく。
原因は伯爵への状況説明など、今回の件に対しての根回しを失念していた事だ。
これが無ければ、当てにしていたニネットの取り成しで今頃円満に解決していたのかもしれないのに…。
ちらりと横を見れば、最低でもこれから身に降りかかるであろうお説教と、最悪の場合として考えられる実家への召還を考えているのか、気落ちしつつ…だがすべては自分が起こした事だとでも言うように自嘲気味に小さくため息をつくマリオンと、心配げに彼女を盗み見るお嬢様。
ふたりの気持ちはこんなにも通じ合って、あと僅か一押しで仲直りまでたどり着けそうだというのに…。
これもすべて私の不手際…いや、すべて伯爵が悪い。
逆切れ気味に結論付けると、やり場の無い怒りが伯爵へと向いた形で湧き上がってくる。
やれ女心には敏いつもりでも、自分の娘が絡むとまったくね…とか、やれもうちょっと冷静になって私達の話を聞け…とか、やれ旦那様はすべてを私に任せてくれているんだから、余計な口を出すな…とか。
そもそも、親に叱られて仲直り…なんて本人達が渋々仲直りしても本心から納得できるわけ無いじゃない。
これだから喧嘩もまともに出来ない貴族は…と問題解決への障害となってしまった伯爵へ、恨みつらみを募らせていると、ふとある事に思いついた。
「敵の敵は味方―――と。」
そして私は考えを巡らせる。
会合までの時間…おそらくは1刻程度。
相手の動かせる人数…この屋敷の使用人達は夜会の仕事で手一杯だ。
動かせるとしても精々10人。
だったら十分に勝算はある。
丁度案内する部屋の前に付いたのか、ドミニクさんの足が扉の前で止まる。
私は伯爵の意識がドミニクさんに向いている事をちらと窺って確認すると、両手でマリオンとお嬢様の手を取る。
「お姉様?」
「ユーリア?」
そしてふたりにニコリと笑顔を向けると、
「お嬢様、マリオン、逃げるわよ!」
そのまま伯爵の横を駆け抜けるように走り出した。
とっさに伸ばされた伯爵の手からするりと逃れて、廊下の先へと走る。
すぐにマリオンは理解したのか、空いた手でスカート持ち上げ自分で走り出すが、お嬢様はまだ理解できないのか引きずられたままで上手く足も回っていない。
仕方がない…私はマリオンと繋いだ手を離し、お嬢様を引っ張り上げて横抱きに抱え上げる。
「えっ、ユーリア!?」
「ああっ、お嬢様、それずるいですわっ!」
2人から声が上がるが、とりあえずは無視だ。
「ユーリア嬢、待ちたまえ!どこに行くのかね!!」
「お待ち下さい、ユーリア様!仲間はずれなんて酷いですわ!!」
背後から残された2人の声と、ドミニクさんのため息が聞こえる。
「ごめんなさいね。だってニネットは怒られなくて済むじゃない!」
振り向かずに叫んで、その先の階段を目指す。
「マリオン、下へ行くわよ!」
「はいっ、お姉様!」
私の指示に、マリオンの声は嬉しさに弾んでいる。
乗り気なのはいい事だ。
そうして私達は、踊り場へと角を曲がった。
残された3人のうち、最初に行動を起こしたのは伯爵であった。
「何をしている、追わんか!」
苛立ち紛れに命じる伯爵…だが、ドミニクはその場から動かずに慇懃に一礼する。
「申し訳ございません、ブリーヴ伯。私はご一行を部屋へ案内するよう主人より命じられておりますが、それ以上の指示は受けておりません。屋敷内の捜索に当家の人手が必要とあらば、お手数ですが主人へ直接ご相談下さいませ。」
ドミニクの返事に言葉を詰まらせる伯爵。
彼も使用人を引き連れてこの屋敷に訪れてはいるが、それを使って屋敷の内部を勝手に捜索する訳にも行かない。
伯爵は小さく悪態をつくと、身を翻して広間の侯爵の元へと向かった。
「侯爵、こちらに居られましたか。」
広間の入り口付近で伯爵は侯爵を見つけ、声をかけた。
「おお、ブリーヴ伯。どうやらマリオン嬢の件で一悶着あったようですが、そちらは落ち着きましたかな?」
侯爵の返事に興味をそそられたのか、すぐそばで井戸端会議の体で話に花を咲かせて居た奥様方が振り返り、その中からイザベルが進み出る。
「あら伯爵、何かありまして?」
侯爵夫人が伯爵に問いかけると、彼は不機嫌そうな表情を慌てて取り繕う。
「これは侯爵夫人。…お恥ずかしながらうちのマリオンとミリアム様が不仲だと小耳に挟みましてな。それが真実であれば家へ連れ戻す事も致し方ないと考えて事情を聞こうと思ったのですが、その場に居たユーリア嬢がミリアム様とマリオンの手を引いて逃げ出してしまいまして…。」
それを聞いたイザベルは笑顔を浮かべて呟く。
「まぁ、ミリアムはユーリアちゃんとマリオンちゃんと一緒に鬼ごっこね。」
その呟きに伯爵が思わず強い視線を向けると、侯爵夫人は扇子で口を覆って気まずそうに目をそらす。
「となると…伯爵?」
「はい、彼女達を捕まえるために、人手をお借りしたく…。」
侯爵の問いかけに、要望を伝える伯爵。
侯爵はそれを受けて大きく頷いた。
「うむ、そうか…良かろう、人手を出そう。だが、給仕や会合の準備でこちらの使用人も手一杯でな。代わりになりそうなのは…そうだな…ドミニク、城砦のアルノルス殿へ使いを。」
そう伯爵が命じると、ドミニクは無言で一礼し、近くに居た従者を呼び止めた。
(それで呼び出されたのが俺達かよ。)
一巡りに2度の休日、給料日前で懐も寂しかったため夜勤明けの一日を宿舎でのんびりと過ごし、翌日に備えていた従騎士達は、騎士団長に命じられて礼服姿で伯爵の前に整列していた。
(まぁそうぼやくな。残り物にはなるだろうが、色々と美味い物や上等な酒にありつけるかもしれんぞ?)
調子者のポールの小声のぼやきに、横に並んだ従騎士達の中でも一際長身のユーリがやはり小声で返す。
「では、ユーリアとマリオン嬢共々、ミリアムお嬢様をこちらへお連れすればよろしいのですね?」
伯爵の説明を聞いていた最年長でリーダー格のテオドールが任務を再確認する。
その横では、副リーダー格のリリアンも真剣に話を聞いていた。
「ああ、その通りだ。無論、手荒な真似は避けるように。ミリアム様は勿論、ユーリア嬢やマリオンにもだ。まぁ、男手相手だ。逃げ場が無くなれば大人しく投降するだろう。」
伯爵の言葉に、従騎士達が顔を見合わせる。
そしてその全員の顔に「ユーリアがそんな玉かよ。」と書いてあった。
「ですが、我々は執政館内部についてはあまり詳しくありませんが…。」
リリアンの言葉に、伯爵の横に居たドミニクが頷く。
「ええ、それについてはニコラスをつけましょう。彼なら内部の構造にも詳しいので問題ないはずです」
そう言いながらドミニクが視線を向けると、先だって声がかかっていたニコラスが歩み寄ってきた。
「何だ、結局このメンバーか。」
見慣れた面々に、テオは軽くため息をつく。
そして一通り指示を出し終えた伯爵は、ニヤリと笑う。
「さぁ諸君、ウサギ狩りの時間だ。手柄を立てた者には褒美も出そう。しっかりやりたまえ。」
伯爵の言葉に、従騎士達が再び顔を見合わせる。
そしてその全員の顔には、やはり「ユーリア相手に、ウサギ狩り程度で済む訳があるか!」と書いてあった。
執政館3階のマリオンお嬢様の部屋。
そこで私達は、お嬢様を動きやすい服へ着替えさせていた。
ある意味仕事着であるお仕着せ姿のマリオンはともかく、夜会用のドレス姿のお嬢様では逃げるのも難しそうだったからだ。
私はお嬢様用の乗馬服一式を用意すると、マリオンに手伝わせて着付けを行う。
「ユーリア、逃げている最中なのに、こんなにゆっくりしていていいの?」
お嬢様が不安気に尋ねると、私はにこりと笑顔を返す。
「ええ、大丈夫です。伯爵がどこからか人手を調達して捜索を開始するにしても、それまでに約15分刻…ぐらいは必要でしょう。その後は急ぎ足で1階から探す筈ですし、着替える時間は十分にあります。」
「1階から?手分けして探すんじゃないの?」
「夜会や会合の準備などもありますし、旦那様の力添え度合いにもよりますが、集まったとしてもいいところ10人でしょう。それを屋敷中に分散しては、もし見つけたとしてもそのまま逃げられてしまいます。そうならないようにするとなれば、1階ずつしか探せない物です。」
「お姉様、1階から探すという事に根拠はありますの?最初に3階から探す事も…。」
お嬢様に比べてマリオンの表情は明るい。
まぁ、開き直っているという見方もあるのかしら?
「ええ、その可能性はあるわね。でも、さっき伯爵から逃げる時に『下に行くわよ』って言っておいたから、うまくいけばそれに引っかかってくれると思うわ。」
私の答えに、マリオンたちはあっと驚く。
しかし、2人の間に険悪な雰囲気が流れる事はなくなってきたものの、それぞれが私としか会話をしていない。
あと一押しなんだけどねぇ…。
「さて、準備はよろしいですか、ミリアムお嬢様。直に追っ手たちがやってきますから、その時はまた走る必要がありますよ?」
「ええ、大丈夫よ。」
乗馬服に着替え終わったお嬢様が、姿見の前でくるりと身を翻す。
既に髪も結え終わっており、動き回るための準備は完璧だ。
「さて、部屋を飛び出す前に作戦会議をしておきましょうか。この部屋を出たら、手薄な階段を使ってまずは1階に…。」
こうして、私達は鬼ごっこの準備を着実に進めていった…。
廊下へと続く扉の外で人の気配がしたかと思うと、ノブが音を立てる。
ここはお嬢様の部屋に隣接する侍女控え室。
お嬢様付きの侍女の仕事にはまだ常夜番が含まれていないため、普段はイネスさんと私の休憩室になっている部屋だ。
私達は薄暗いその部屋で思い思いに座っていたのだが、鍵がかかっているため開く事の無いノブの音に無言で顔を見合わせ、私が頷いて立ち上がると皆もそれに倣った。
「おい、こっちの扉は鍵が開いてるぞ?」
半開きのお嬢様の部屋へと続く扉の向こうから声がする。
隣室内に立ち入る数人の物音…部屋に入って、奥に進む…そう侵入者の動きに耳を澄ませつつ、静かに扉を開錠して私のすぐそばに寄ってきたお嬢様たちに目配せをする。
「おい、こっちの扉…」
そしてこの部屋へと続く扉から光が差し込むのを合図に、扉を開いて廊下へと飛び出した。
「いたぞ!」
「廊下だ!」
部屋へ入ってきた男と、お嬢様の部屋の扉の前に居た男が叫ぶ。
…部屋に入ったのはニコラスで、廊下のはユーリか。
てことは、いつもの従騎士達が追っ手かしら?
私達はその声を無視し、ユーリと反対側の廊下の先へと駆け出す。
「打ち合わせた通りよ!」
「はい、お姉様。ミリアム様は先頭に!」
「…うん、マリオン!」
マリオンに声をかけられ、一瞬戸惑いつつも嬉しそうに返事をするお嬢様。
うん、いい傾向ね。
私はうっすらと笑みを浮かべると、先行した2人を追いかけて廊下を走った。
階段を1階まで駆け下り、さらに走る。
廊下の所々には夜会の招待客を勝手にうろつかせない為の案内の者が立っていたが、彼らは特に何も指示を受けていない様でその横を駆け抜けても笑顔で手を振るか、精々が「廊下を走るな。」と呼びかける位だ。
しかし邪魔をされないのはありがたいけど、その代わりに追っ手には私達の逃げた先が筒抜けね。
まぁそれも致し方なし。
追いつかれるのが多少早まるだけだ。
そんな事を考えながら私達は屋敷を出て、使用人棟へ駆け込んでいった。
「はぁ、はぁ、はぁ…。」
それほど広くない室内に、お嬢様とマリオンの吐息が響く。
リネン室の洗濯物の入った籠の後ろ、壁との僅かな隙間に入り込み洗濯物の大きなテーブルクロスの下に身を潜めていた。
「とりあえずは、ここで時間稼ぎね。」
ついでにここでテーブルクロスを1枚拝借。
その後の洗濯とアイロンの手間を考えて、籠に入っていた洗濯前のものだ。
部屋の奥の洗濯室からは、洗濯女中達の声が漏れ聞こえてくる。
「ふふっ、いつものお屋敷の中と違って、すごくドキドキしたわ。」
声を潜めて、お嬢様が楽しげに呟く。
「ええ、普段は廊下を走ったりしては怒られてしまいますものね。」
そしてマリオンと顔を見合わせて微笑みあう。
「次に逃げる時もお嬢様が先頭で、マリオンは私と歩調をしっかり合わせて頂戴ね。あとは…。」
私は次の作戦と、テーブルクロスの使い方について2人に説明すると、2人は薄暗いシーツの下でうんうんと頷き、悪戯っぽく微笑んだ。
ギッ、ギッ、ギッ…と床がきしみ、等間隔でゆっくりと足音が近づいてくる。
まるで何かを探すように、そして足音を抑えたその歩みに、私は追っ手の1人とあたりを付ける。
そろそろこの潜伏場所も変え時か…私は2人に合図を送ってから、追っ手が近づくのを待つ。
このリネン室と廊下の間には扉が無い。
部屋の入り口付近で一旦止まった足音が、再び近づいてくる。
足音はひとつだけ。
どうやら、追っ手達は手分けして探しているようだ。
やがて籠の間から追っ手の靴が覗くと、私達は大声を上げて立ち上がった。
「「「わーっ!」」」
「うわぁぁぁ!」
突然上がった声に驚いて尻餅をつく追っ手。
その顔をよく見れば、従騎士のポールであった。
…お調子者の癖に、気が小さいのね。
だがそれも一瞬、洗濯待ちの籠の中身を彼の頭にぶちまけてその視界を覆ってから、大声で叫ぶ。
「ああっ、ポールが侍女の洗濯物をかぶって遊んでるわ!!」
そしてそのまま廊下へと駆け出す私達。
背後からは、洗濯室への扉が開く音と、慌てるポールの悲鳴が聞こえる。
「何だい、騒がしいね…?って、何てことしてくれるんだい、この坊やは!」
「うわっ、最低。何やってるのよ、この変態!」
洗濯室から出てきた女中達が、ポールと部屋の散らかり具合を見て、口々に彼を罵る。
ポールには悪いけど、逃げ延びるためだ。
後でフォローはしとくとしても、今は甘んじて変態のそしりを受けておいてもらおう。
尊い犠牲だ、うん。
渡り廊下を駆け抜け、お屋敷へと駆け戻る。
だがお屋敷に入った廊下の先には、テオドールが待ち構えていた。
使用人棟を手分けして捜索するなら、やっぱりここは抑えておくわよね!
「ユーリア、伯爵のご命令だ!大人しく捕まって説教を受けろ!!」
私は投降を勧めるテオの言葉に皮肉気に笑みを返すと叫ぶ。
「お嬢様、マリオン、行くわよ?」
「ええ!」
「はい!」
私の言葉に、お嬢様はテオに向けて走り出し、マリオンは私に駆け寄って手を伸ばす。
そして持ってきたシーツの両端を2人で掴むと、そのまま前方に走り出した。
「何をするつもりだっ!?無駄な足掻きを!」
駆け寄って来るこちらを逃さぬよう、腰を落として手を広げるテオ。
そしてお嬢様はテオに駆け寄ると、その1パッスス(1.48m)程手前で立ち止まった。
「んん?大人しく…」
戸惑いつつも手を広げたまま歩み寄ろうとするテオ。
だたお嬢様はそれを見てにっこりと微笑むと、事前に合わせておいたタイミングでその場でしゃがみ込む。
そしてそのお嬢様の頭上を、私とマリオンにより広げられたシーツが通り過ぎた。
「げっ!」
それを見てこちらの目論見に気付いたのだろう。
とっさに避けようと身を引くが、最早逃げるには遅すぎる。
私達はシーツを広げたままテオの両脇を通り抜け、そのままテオを中心に回り込むようにマリオンは床に滑り込み、私は彼女を飛び越える。
「がっ!」
そして私達に引かれた衝撃のままに引き倒されたテオは、逃げ出そうともがく暇もなく簀巻きとなっていた。
すかさずテオに馬乗りとなって手早くシーツの端を結び終えた私は、一仕事を終えて息をついた。
「やったわね、ユーリア!」
「ええ、流石ですわ、お姉様!」
「ふふ、うまく行ってよかったわ。」
立ち上がった私は、マリオン、お嬢様の順で両手を打ち合わせる。
勿論、その後にはお嬢様とマリオンの間でもだ。
「ごめんなさいねぇ、テオ。恨みは無いけど、大人しく捕まる訳にも行かないから。」
「畜生、何がウサギ狩りだ…狼狩りの方がまだマシじゃないか。」
何やら呟いて簀巻きから抜け出そうとしていたテオも、やがてそれを諦めたのか動かなくなる。
簀巻きにされた時の体勢から両手とも頭上で固定されているので、腰のナイフなどを取って脱出するのも困難だ。
大人しく仲間が来るのを待つつもりだろう。
「さぁ、2人とも次に行きましょう。」
私が促がすと二人はそれに頷いた。
そしてそのままテオを置いて廊下を駆け出した。