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男装お嬢様の冒険適齢期  作者: ONION
第3章 近侍のお仕事
89/124

3-07 近侍と侍女とお嬢様の夜会

この話で仲直りまで持っていくつもりがまとまらず…書き直してたりしてたら遅くなりました。

次の話は数日中に…書き終えたいな。

 神暦721年 玉座の月16日 地曜日


 マリオンが行儀見習いを始めてから数日が経過した。

 二日目は早速の休みであったので彼女は午前中を私の剣術の訓練を眺めることで過ごし、午後は私と共に街に繰り出した。

 いつかのように2人で商店を冷やかしてまわり、マリオンはあれこれと物珍しげに商品を手にとっては、楽しげにそれを私に見せていた。


 尚、マリオンの行儀見習いにあたって、彼女は奥様から私へ宛てた手紙と共に妙に重い小袋、そして氷血華(アイスブラッド)の蕾がついた小枝を5本持ってきていた。

 手紙の内容は大きく分けて二つ。

 一つ目は氷血華について書かれており、私が送った氷血華の色合を非常に気に入った事、新たに送った枝を同じ環境で育てて花が咲いたら送り返して欲しい事、また枝のうち1本は報酬として受け取って欲しいとの事だった。


 そしてもうひとつはマリオンの事。

 しばらくの間は私にマリオンの小遣いを管理して欲しいとの事であり、小袋には大金貨がぎっしり詰まっていた。

 その数30枚…ちなみに、私が故郷を出たときの所持金は小金貨30枚ほどであった。

 10倍だぞ10倍。

 しかしこの手紙からすると…どうやら行儀見習いまでにマリオンにまともな金銭感覚を身につけさせるのは無理だったみたいね。

 ジョゼ…苦労したでしょうに…。

 もちろんこんな大金、私としても預かるのは可能であれば避けたいのだが、これも年長者の務めと考え当座の小遣いとして大金貨一枚をマリオンに渡した上で、残りはさっさとセリアさんに預けることにした。


 これは女性使用人を統括する家政婦において、使用人間の余計なトラブルを防ぐための仕事のひとつ。

 だが彼女も金額が金額だけあって、流石に受け取る時にはこめかみが引きつっていた。

 そうしてやっと安心して部屋に戻ったが私であったが、部屋の中には計7本の氷血華…市場価値にしておよそ大金貨130枚相当がある事に今更ながらに気付いて頭を抱えたのは余談である。

 これは流石に預けられないわよねぇ。


 買い物を楽しんだ後は、いつもの『川風亭』でいつものメンバーでの歓迎会である。

 だが以前と違い酔っ払い共の盾となるジョゼがいなかったため、マリオンは彼らの勢いに若干引き気味だったけど…それもそのうち馴れるでしょ。



 そうして休暇も過ぎ去り本格的な業務へ。

 ユニスさんが侍女生活の総仕上げとばかりに付きっ切りでマリオンを指導するのを横目で眺めつつ、私はいつものようにお嬢様のお世話。

 だがお嬢様も思う事があるのか、マリオンを避けるように行動し奥様とのお茶の機会も控えめで…だけどマリオンの様子について私に詳しく聞いてきたり、物陰から奥様たちを覗いたりと意識しているのは一目瞭然である。


 そして私はお嬢様からマリオンについての話を聞く。

 誕生日会の劇、それを熱心にマリオンとニネット、それにお嬢様が見ていた事。

 その後も3人は興奮冷めやらすといった風に劇について語り合い、私の男装が劇の中だけという事を非常に残念がったそうだ。

 そしてその日の夜、寝付けないベッドの中で私を近侍にすることを思いついた。

 そうすれば、ずっと私に男装をさせられる上に、夢中だったユーリス…にそっくりな近侍を傍に置ける…。

 翌日、彼女はそれを旦那様に願い出て、後日私の同意の元にそれは叶えられた。

 彼女は大喜びだった。

 やがて行儀見習いに来るマリオンもそれを喜んでもらえるものとばかり思っていたから。

 だが、再会したマリオンは何故か余所余所しく、慇懃な態度を崩さない。

 主人と使用人の関係とはいえ彼女にとってそれはあんまりな事で、ショックを受けた彼女は悲しみのあまり寝込んでしまった…といったところだった。


 これでマリオンが拗ねる原因が分かれば2人が和解する糸口もつかめると思ったのだが…「お姉さまだけには言えませんわ」と彼女は頑として話さない。



 仕方がないので、私は数日後に迫った夜会の席で2人の関係を前進させるために工作を始める。

 会場を下見し、丁度いい場所を見つけるとお嬢様に打ち明けた。

 お嬢様といえば最初は乗り気ではなかったが、だったら今の関係のままで良いのかと尋ねると渋々と私の案に乗ってきた。

 後は、ニネットに渡りをつけて事情を説明し、協力を仰ぐ番か…。

 これが一番の難問よね。

 さすがに私の伝だけじゃどうしようもないから、ドミニクさんにお願いして旦那様を頼るしかないけど。



 そうしている間に数日が過ぎ、穂首派の会合を兼ねた夜会の夜がやってきた。

 侍女となりまだ数日の経験しかないマリオンは今日もユニスさんに付き従い夜会での給仕について学んでいるので、やはり今回もしれっと紛れ込んでいるニネットの相手は私の役目であった。


「成程、そのような事があったのですか。そういえばミリアム様をお見かけしませんものね。」


 私がここ最近のマリオンとミリアムお嬢様の仲違いについて伝えると、いつもの壁際のソファー…ではなく窓際のソファーに案内されたニネットがグラス片手にしみじみと呟いた。


「私としましてはマリオン様の気持ちも理解できますので、お怒りが収まらないのも納得できます。」


「ニネット様、マリオンがへそを曲げている原因がお分かりなのですか?」


 私が問いかけると、ニネットはまるで微笑ましい物を見るかのように笑みを浮かべる。


「はい、おそらく原因は、ユーリア様に対するやきもちとミリアム様に対する嫉妬ですね。」


 彼女はそういった後にグラスに優雅に口をつけ…中身を飲み干すとにっこりと微笑んでお代わりを要求してきた。

 私は持っていた銀盆から代わりのグラスを取り上げ続きを促す。


「大好きなお姉さまを追いかける同志だったはずのミリアム様が、いつの間にかお姉さまの主となり、お姉さまも満更でもなく仕えている…。これではマリオン様にとってユーリア様を横取りされたように感じられ、しかも近侍にして男装させるといった彼女にとって思いも寄らなかった妙案に、余計に嫉妬の炎が燃え上がっているのでしょう。」


 そしてこちらを見て「相変わらず良くお似合いですわね。」と微笑む。

 今日の格好はいつもの近侍の格好…ただし、足首にはミスリルの腕輪を着けている。

 今日はブーツを履いているので、見つかって咎められる事も無いだろう。


「となると…ねえニネット、私は少ししたら席を外すから、そうしたらマリオンからそこのところの詳細を聞き出してもらえるかしら?私が居ると、彼女は話したがらないから…。」


 私が砕けた口調でお願いすると、彼女は嬉しそうに微笑む。


「ええ、構いませんが…でしたら後で内容をお伝えすればよろしいでしょうか?」


「ええ、そうしてもらえるとありがたいけど、そっちよりも重要なのはアレだから…。」


 そう言って、私は窓際のカーテンへと視線を向ける。

 それに釣られて視線を向けたニネットは、カーテンの下から靴と足首が覗いている事に気付くと、驚きに目を見開いた。


「まぁ!…ひょっとしてアレは…?」


「ええ、そうよ。ホント、お嬢様ったら夜会にも出ずにどこ行っちゃったのかしらねー。」


 私が棒読みで呟くと、カーテンの下から覗いた足がもぞもぞと動く。


「成程…分かりました。そうですね…ミリアム様がマリオン様の事情を知れば、ミリアム様から歩み寄れるかも知れませんわね。ですが、今はこんな事になっていますがマリオン様も理知的な方です。ですので、少し時間を置いて冷静になればきっとマリオン様も歩み寄る事が出来ると信じておりますわ。それに…私からも意固地にならないようお話いたしますので。」


 そう言って広間の中央に向いた彼女の視線の先を辿れば、ユニスさんから一通りの注意を教わったのか、銀盆に飲み物を並べたマリオンが1人でこちらに向かってくる。


「そう、じゃぁお願いね。」


 私はそう答えると、ニネットと二人マリオンが来るのを待ち構えた。




「ニネット殿下、ようこそお越し下さいました。」


 マリオンが近づいてきた際、勢いのまま以前のようになぁなぁで挨拶しそうな雰囲気を感じ取った私は視線で注意を促がしたのだが…どうやらちゃんと伝わったようだ。

 私はうんうんと頷くが、以前のように親しく対応されないニネットは少し悲しげに表情を歪める。


「ニネット様、こればかりはご容赦を。」


 私が詫びると、彼女も気を取り直したのかため息をついて微笑を浮かべた。


「この身は行儀見習いなどできぬ身分ではありますが、ええ、ちゃんと理解しているつもりです。ただ…お2人の年季明けが少しだけ待ち遠しくなりましたわ。」


 とりあえず納得はしてもらえたようだ。

 聞き分けられずに呼び捨てを命じられでもしたら、余計な苦労を背負う破目になっただろう。

 私は内心ほっと胸をなでおろす。


「さて、では仕事がありますので私はこれで…。」


「ええっ、おね…ユーリアさんもご一緒されませんの?」


「そうです。3人でもう少しお話を…。」


 早速引き止める二人に、私は苦笑を返す。


「マリオンさん、以前はお客様2人に給仕役1人で何も問題はなかったのですが、今は貴女も給仕役です。お客様1人に給仕2人ではニネット様といえども過剰と言わざるおえません。ですのでニネット様、申し訳ありませんが私は失礼させていただきます。」


 そう理由を述べてから軽く一礼のあと、ニネットに向けて軽くウインクすると彼女は心得たとばかりに僅かに頷く。

 そして私は窓際にまとめられたカーテンの下から覗く足に一瞬だけ視線を向けるとその場を離れた。




 さて、とりあえずはニネットが空けた杯を下げるかと、私は道すがら給仕をしつつ配膳室に向かう。

 飲み物をご希望のお客様は・・・と会場を見渡せば、以前に比べて若い男女が増えているような気がする。

 これは…ニネットが出没するようになって、あわよくば彼女と自分の子女との縁を結びたいと思う貴族達が連れてきているのだろうか?

 けど生憎とニネットはマリオンにべったりだから、当の子女達は皆仲の良い数人で集まって遠巻きに眺めるだけだ。


「あのっ、あのっ、お酒をください!」


 と、かけられた声に振り向けばそこには3人の少女…そのうちの最年少と見られる子がこちらに空いたグラスを差し出し、その後ろでは年長と見られる2人が先の少女を見守っている

 年の頃は…13ぐらいだろうか?

 栗色の髪を1本の三つ編みにまとめ、肩から前に降ろしている。

 後ろの2人のうちの1人とは顔つきが良く似ているので、姉妹だろうか?


「はい、何にいたしましょうか?」


 私は笑顔で対応しつつ、さっと銀盆の上に目を走らせる。


「シードルにペリー(洋梨酒)、ワイン各種…あまり酒精が強い物はよろしくないので、この中から選ばれるのがよろしいかと思われますが、いかがいたしますか?」


 私の問いかけに、彼女の達は困惑気味に顔を見合わせる。

 尚、地方によっては生水が飲めない場所も多いので、そういった場所では未成年でも貴族は酒精の弱いワイン、市民はエールが水代わりだ。


「あ、その…私、お酒の事はまだ良く知らないのですが…。」


 彼女は不安気に後ろの2人に振り向くが、2人は「頑張れミレーユ!」と背中を押すだけだ。

 ここは…助け舟が必要かしらね。


「それでしたら、アイスワインの早詰めの物など如何でしょうか?通常のワインよりも甘口で、熟成もそれほど進んでいない為酒精も弱く非常に飲み易くなっております。」


「は、はいっ、ではそれを!」


 私のオススメにぱあっと表情を明るくして勢い込んで頷く彼女を微笑ましく見つめながら、グラスを渡す。

 その後ろでは、2人の年長者がやったとばかりに空いた手を打ち合わせていた。




「ではミリアム様の?」


「はい、お嬢様付きの近侍をしております。」


 ミレーユと呼ばれた少女にグラスを渡してから少し後、彼女達に付いて近くのソファーに移動した私は、給仕をしつつ彼女達の相手をしていた。

 ちなみに今は3人とも、同じ早詰めワインを手にしている。


「まぁ、お嬢様付きの近侍だなんて…非常に信頼されてますのね。」


 カリーネと名乗った少女が感心したように頷く。

 彼女はやはりミレーユの姉妹だとの事で、妹とは違って結い上げられてはいるもののその髪の色は非常に似通っている。


「それか余程将来を嘱望されているかですわね。」


 彼女達とはやや色が薄い髪の少女、コゼットが続ける。

 彼女は2人とは従兄妹同士との事だ。


「いえ、そのような事は。ですが、奥様付きの侍女として1年ほど可愛がって頂きましたのと、お嬢様のたってのご希望でお仕えさせていただく事になりました。」


 私の説明に頷く姉妹(ふたり)

 だが、コゼットだけは顔を引きつらせていた。


「侍女…とおっしゃいましたの?」


 彼女の質問に、あっと表情を変える姉妹。

 まぁ、こんな反応もいい加減に慣れっこよね。


「はい。申し遅れましたが、ユーリアと申します。以後お見知りおきを。」


 私の自己紹介(カミングアウト)に驚きで目を見開く3人。

 皆口元を覆うこともせずにぽかんと口を開けて…まったく、若い娘がはしたないわね。



 ミレーユたちとの会話も程々で切り上げた私は、再び配膳室へと向かう。

 その途中でも、貴族達の子女であろう若い男女にばかり声をかけられた。

 決まって令嬢達は頬を染め…子息達はむっとしたような表情で飲み物を要求してくる。

 だが流石にこっちは無愛想に対応するわけに行かず、にっこりと微笑んで給仕すると、決まって令嬢は頬を染めて微笑み、子息は驚いたように目を見開いた後にやはり頬を染めて目をそらしていた。

 …みんな熱でもあるのかしら?

 仕事があるからうつされない様にしないと。



 続けて若い子女達に弱めのお酒を中心に給仕し、いい加減にそれらも品切れで残るは強い蒸留酒と果汁、水ぐらいとなった頃、見知った顔に出くわした。

 ソファーに深く腰掛けた彼だが、珍しくもその普段の理知的な振る舞いとは違いしたたかに酔っている様だ。


「おお、そこの給仕、蒸留酒はあるかね?」


 軽く会釈をして通り過ぎようとした所、目があった途端に呼び止められた。


「申し訳ありません、生憎と些か温んだ物しかなく…。」


「いや、それで構わない。寄越したまえ。」


 据わりかけた視線で要求され、仕方なく適当なグラスを渡すと彼はそれを一気に飲み干す。

 そして大きく息をついた後、俯いて空になったグラスを眺め自嘲気味に一人笑う。

 …何があったか知らないけど、少々悪い酒になっているようね。


「もう一杯頼む。」


 彼はやがて伏せていた顔を上げ、空のグラスを上げてお代わりを要求するが、彼のそんな姿を見て私は内心ため息をついた。


「クリストフ様、何があったか存じませぬが、程々にしておいた方がよろしいかと。」


 彼を諌めた私の顔を訝しげに見つめ、眉が思案気に歪む。

 おそらくは知った顔か記憶を漁っていたのだろうが、しばらくして彼の眼は驚愕に押し開かれた。


「こ、これは…ユーリア嬢!何故そのようなお姿を?」


 知的な普段の彼に似合わぬお約束な反応に、私は思わず笑みをこぼす。


「色々ありまして、今はミリアムお嬢様の近侍として仕えさせていただいております。それよりもクリストフ様、随分と悪い酒をお召しのようですが?」


 私の問いかけに、彼は手に持った空のグラスへと視線を落とす。

 そして大きくため息をついた。


「兄上の華燭の典…で色々とありまして。」


 そう苦笑気味に答える彼に、私はじっとその貌を見つめて続きを促がす。

 いっそのこと、全部吐いて楽になっちゃいなさいよ…と。


「当家と過去に縁のあった穂首派内の貴族にも招待状をお送りしていたのですが、返事の集まりが悪く…。そこで丁度よい機会だとこの夜会で直接返事を伺っていたのですが、誰も彼も答えを濁すばかりで。」


 そして再びため息をこぼす。

 あー、これはあれか。

 直前まで欠席の返事を遅らせることで、揃って参列者に穴を開けるつもりか。

 しかも誰もかれもと言う事は、派閥内で示し合わせて…。

 汚いな、さすが貴族きたない。


「それでつい不貞腐れて、酒に逃げていた…といったところです。いやぁ、お恥ずかしい。」


 クリストフはみっともない所を見られたと苦笑いだ。

 …まぁ苦労してるんだろうな。

 あんな兄の補佐をしなきゃいけないなんて。


「失礼ですが、伯爵のお加減は?」


「ええ、体調の方はほぼ回復しまして、今は失った体力を取り戻している所です。もっとも、起きられるようになってから兄の所行を聞き及ぶと、再び心労で数日間寝込んでおりましたが…今は開き直って新たな派閥工作について考えを巡らせているようです。」


「左様ですか。体調が落ち着かれた様で何よりです。」


 そしてしっかりとマティアスの手綱を握っていて欲しい。


「となりますと、今回の夜会への出席も父君の指示によるものですか?」


「はい、だからこそ投げ出す訳にも行かず、気が重くてつい…。」


 そう言ってグラスを示してみせるクリストフ。

 それを聞いて、ふむと私は大きく息をつく。


「でしたら、あまり時間に余裕もありませんね。会合が始まれば派閥に属する貴族は皆そちらに移動しますので…やはり会合には?」


「ええ、参加したいのは山々なのですが、私が会場に行ったとしても入り口で追い返されるのが関の山ですね。」


 苦笑気味にため息をつくクリストフ。


「であれば、会合前とその後の僅かな時間しかありませんね…酒に逃げている暇などありませんよ?」


 そう言って私はクリストフの空のグラスを受け取り、それに果汁を注いでから水で割る。


「まずはそれを飲んで酔いを醒ましてください。そして1人でも多くの方とお会いして返事をもらえるよう努力して下さい。これ以上醜態を晒している暇はありませんよ?それにこの会場にいるのは陰湿な貴族連中です。おそらくは貴方の様子を影から覗いて、物笑いの種にしている筈でしょう。」


 私がそう伝えると、彼は会場内をゆっくりと見渡す。

 すると視線が合った幾人かは慌てて目をそらし、気の据わった大物は他の貴族と歓談しつつもニヤリと笑みを浮かべる。


「ああ、周囲に気を配る余裕すらも失っているとは…つくづく情けない限りですね。」


 そう呟いてから、グラスを干すクリストフ。

 私は空になったそれを受け取ると、さらに同じものを作って手渡す。


「老獪な大物貴族から青二才と見られているのであれば、たとえ無駄でも最後まで足掻いてそれらしく終わりましょう。それでも早々に諦めて尻尾を丸め逃げ帰る負け犬と笑われるよりは、周りの評価も随分とましな物となる筈です。」


 少々荒い言葉で私がのたまうと、クリストフはあっけに取られたような表情を浮かべた後、苦笑気味に頷く。


「そうですね、やるだけやってみましょう。それに、貴女に負け犬とさげすまされるのはちょっと我慢なりませんからね。」


「はい、御武運を。」


 私の返事に苦笑いで答える彼の顔からは諦めたようなものは消えて、決意のようなものが窺える。

 どうやら少しはやる気を取りもどせたようね。



 クリストフと別れ、やっと配膳室にたどり着いた私は空いたグラスを洗い場へ、温んだグラスをその手前の台においてそのうちの果汁を拝借する。

 そして部屋の隅に座り込むと大きく息をついて、グラスの中身を一口含んで周囲を見渡す。

 エミリーとポーレットは配膳に給仕にと忙しく動き回り、アリアとアリスは洗い場の手伝いで泡にまみれている。

 みんな頑張ってるわね…さてと、いつまでも休んでいられないし、さっさと自分の仕事を果たしますか。

 私は空の銀盆を持ち会場内に戻る。

 そして会場の入り口付近にいるドミニクさんを見つけると、彼にゆっくりと歩み寄り横に並んだ。


「ドミニク様、アンヴィー伯のご様子ですが、崩していた体調も随分と良くなったようで、復帰もそう遠くないものと推測いたします。」


 周囲に目を配り盗み聞きされる心配の無い事を確認すると、私は「周囲に気を配って控えていますよ」といった風を装いつつ小声で囁き、知り得た情報を報告する。

 これは別にどうという事は無い、どこでもやっている使用人の仕事のひとつである。

 報告した情報の価値によっては結構な額の報奨金が出ることもあるため、下級使用人の中には積極的に情報を集める者もいるくらいだ。


「ふむ…クリストフ様からの情報ですね。他の筋からもその情報は得ていますが、家中からの裏付けが取れたことは重畳。他には?」


「はい、そのクリストフ様ですが、マティアス様の婚礼の出欠席が思うように集まらず、気が急いているようです。旦那様から派閥内へ口添えを行う事で、恩を売る良い機会となりましょう。」


 情報の報告のついでに、軽くクリストフの助けになりそうな事を提案してみる。

 まぁ、私に出来る事といったらこれが精一杯だ。


「ええ、それも取りうる手段の一つとして既に選択肢に入っています。ですが…思いのほかその効果は大きそうですね。わかりました、旦那様にお伝えしましょう。他には?」


「いえ、以上です。」


「そうですか、ご苦労様です。では役目にお戻りなさい。」


 私は軽く会釈すると、配膳室に戻る。

 さて、ニネットへお代わりでも持っていこうかしら---。




「マリオン、お前に行儀見習いは少々早かったようだ。今からでも遅くは無い、一度家に戻り、心構えを学び直してから出直しなさい!」


 ソファーに戻ってみると、その周囲は修羅場の様相を呈していた。


 …どうしろと。


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