3-06 近侍と侍女とお嬢様の仲違い
遅くなりました。
仕事が忙しくなった途端に風邪をうつされて執筆する余裕が無く…治ってからもそのままずるずると。
けど、布団に入って寝付く前が一番アイデアが浮かぶんですよね…書き留める前に眠りに落ちてしまうのが難点ですが。
神暦721年 玉座の月12日 水曜日
夕刻…と言うには少し早い時間、お嬢様のお傍を離れた私は家令室に顔を出した。
塵ひとつ無く整頓された室内…だが、かすかに部屋に残る臭いは…煙草か。
侍女が煙草の臭いをさせたまま仕事に就くのは御法度だが、執事や家令ではそのあたりは緩い。
だがドミニクさんから煙草の臭いがした事は記憶に無いので、おそらくは隣接する執事室から流れ込んだのだろう。
そんな事を考えながら、私はお嬢様が既に床に就かれた事を報告し終えた。
「そうですか、そのような事が…。」
経費のやりくりだろうか?
数字の並んだ紙が幾重にも積み重なる机の上、ドミニクさんがため息と共に肘をついた両手を合わせた。
「事情についてはこの後調べるつもりですが、まずは指示を仰ごうかと。」
私の報告に、ドミニクさんは頷きを返す。
「ミリアムお嬢様は一度寝付かれると後はぐっすりですからね…わかりました、それでしたらそれでは厨房に出向いてお嬢様の夕食が必要ない事と、念のためにお夜食に軽い物を用意するよう伝えて下さい。伝えた後は下がっていただいて構いませんし、特に何もなければ報告も不要です。奥様には私から報告を行いますので。」
私が頷くと、ドミニクさんは再び大きく息を付いた。
「しかし…困った物ですね。マリオンさんの態度は侍女としては責められるほどではありませんが、こちらとしては立場を弁えた上で良好な関係を築いていただき、行儀見習い終了後も親しくお付き合いいただければと考えていたのですが…。」
「はい。私としても彼女達の関係は見ていて微笑ましい物でありましたので…それが失われるとしたら、非常に残念です。」
流石に行儀見習い中の友達付き合いは認められた物ではないが、その後は仲良くしてもらいたい。
「でしたら、お手数ですが彼女達の仲違いの原因の調査と、仲直りの手助けをお願いできますか?無論、仕事に影響の出ない範囲で構いません。」
「はい、同様のご依頼を奥様からも頂いておりますので、その条件で最善を尽くさせていただきます。」
「ではユーリアさん、頼みましたよ。」
そろえられた髭の口元をほころばせ、好々爺様に笑みを浮かべるドミニクさん。
私は彼に一礼すると、そのまま部屋を退出した。
「鶏冠鶏、あと少しで仕上がります!」
「あいよ。そっちはまだかい!?スープが仕上がらなくちゃ旦那様たちの夕食は始まらないよ!」
「はい、あと2分刻!」
「忙しいからって手を抜くんじゃないよ!」
「芋の皮むき、おわったよー。」
「あ、それこっち!食堂で使うから!!」
迫りくる夕食の準備のために、いつもに増して慌しい厨房。
その状況を一言で表すとしたら、『戦場』であった。
私は入り口から顔を覗かせ、その中を覗き込む…と、丁度中にいたエミリーと視線が合ったので、彼女を手招きして呼び寄せた。
「エミリー、忙しいのに悪いわね。お嬢様の夕食の件だけど…。」
私はお嬢様の夕食と夜食の件について伝える。
「わかりました、調理長に伝えておきますね。じゃぁ、これで…。」
「あ、ごめんエミリー、もうひとつ!」
私の声で、厨房へと戻ろうとしたエミリーが振り返る。
「悪いんだけど、することがあるから今夜は部屋に来るのを遠慮してもらえないかしら?」
「はい、もちろん構いませんが…。」
私のお願いに、眉をひそめるエミリー。
おそらくは、自分達がいつも押しかけていることについてこちらの負担になっていないか心配しているのだろう。
「もちろん今日だけよ、今日だけ。明日からはいつもどおりだから。」
そう言って笑みを浮かべると、はいと彼女も笑顔になる。
っと、厨房の中から調理長が苛立たしげな視線をこっちに向けている。
あまり長居しても、エミリーに迷惑がかかるだけね。
「悪いけど、みんなにも伝えておいてね。じゃ、お仕事頑張ってね。」
私は軽く手を振って彼女と別れる。
とりあえずはこれで、今夜はマリオンと2人っきりだ。
厨房を出て、1人になった私はマリオンの今夜の予定を考える。
今日は初日…なので流石に常夜番にまでつき合わされる事は無いだろうが、かといって早めに上がる事もないだろう。
ユニスさんもしっかり教育するって言ってたし。
となれば、奥様のお世話を一通り教わってから上がるとして…うん、十分に時間はあるわね。
私はそれまでに寝支度を済ませる事にして、まだ配膳が始まっていない夕食の前に入浴を済ませる事にした。
こんなに早い時間に風呂に入るのは初めてではなかろうか。
ほとんどの使用人が仕事中の所為でまだ人の少ない湯船にゆったりと浸かる。
明かり取りの窓から差し込む日の光が、室内の女性達の肌を暗闇に浮かび上がらせていた。
その肌の色と影とのコントラストを眺めながら、この時間の入浴も偶にはいい物だと大きく息を吐いた。
そして入浴を済ませた後は夕食だ。
配膳が始まったたばかりの食堂で、マリエルを誘って夕食を取る。
魔術師見習というある意味時間に自由な彼女だけあって、いつもの通り誘えばすぐに乗ってきた。
もっとも、その所為で生活リズムは乱れに乱れているが。
「で、どうなのよ、新入りのお嬢様は?」
こっちに視線を向け手元を見ずにスプーンを口に運ぶマリエル。
咀嚼した際にその表情が歪んだ所からして、人参の欠片でも入っていたか?
「仕事に関してはまだ判断できないけど、お嬢様との関係が…頭痛の種ね。」
周囲の耳を警戒しつつ事情を説明すると、マリエルは歪んだ表情のまま頷いた。
「普通の貴族だったら、立場を第一に考えて自分より上位の相手には媚びへつらうものかと思っていたけど…そうでもないのね。それとも弁えていないだけ?」
「まぁ確かに、一度行儀見習いに出ちゃえばお屋敷の住人には絶対服従なんだけどね。ただ、年長者という事もあってうちのお嬢様はマリオンを慕っていたし、マリオンはマリオンで服従しつつも慇懃な態度を崩さないのが問題で…もっとも、マリオンは慕われている事を知った上でよそよそしい態度を崩していないんだと思うけど。」
「けどユーリアの事だから、説教なり何なりでお嬢様…マリオン?の態度を改めさせるつもりなのよね?」
こっちの行動を見透かしたように意地の悪そうなニヤニヤ笑いを浮かべながら問うマリエルに、私はため息をついて返す。
「まぁそのつもりだけど…だけど、マリオンも何が原因で拗ねてるのやら…。」
食事を終えて部屋に帰った私は、さっさと寝支度を整える。
水差しに明朝用の水を汲み、寝巻きに着替えて髪を梳る。
それを済ませれば準備は万端。
後は寝るだけの状態でマリオンを待ち構えた。
とは言っても、場合によっては数刻もの間ただぼうっと待つのも苦痛なので、カロン殿の所から借りてきた本に目を通す。
最近はこうして暇な時間に読書をしては、魔術に関する事やその他の雑多な知識を仕入れている。
そうして時間を潰しているとやがて扉からガチャガチャと音がする。
鍵は閉めておいたので…マリオンが帰ってきたか。
私が慌てて姿勢を正し椅子に座りなおすと、扉が開いてマリオンが現れた。
「只今戻りました、お姉様!」
多少疲れが伺える物の、満面の笑みで報告するマリオン。
だが私はそれに何も答えずに、ただじっと彼女に視線を向ける。
「少し戸惑う事もありましたが、ジョゼに鍛えられたこの私に、不安など…って、お姉様?」
初日を経験して自分の仕事に自信を持ったのか、胸をそらして自慢げにのたまった所で私の態度に気付いたようだ。
私とは言えば決して睨むのではなく、ただ何でも無い風景を見るかのように動きの無い視線を向け続ける。
「お姉様、どうかされましたか?表情が優れないようですが…。」
心配そうにこちらを窺うマリオンに、「別に。」とだけ短く答える。
「そうですか…でしたら夕食に参りましょう。私、もうおなかがペコペコで…。」
「私はもう済ませたわ。入浴も。だから1人で行ってきてちょうだい。」
私言葉に、動きを止めるマリオン。
「そう…ですか。随分と遅くなってしまいましたもの、お待たせして申し訳ありませんでした。では、すぐに済ませてまいります。」
そう言ってから、すぐに回れ右をして部屋を出るマリオン。
扉が閉まり、彼女の足音が遠ざかっていくのを確認してから…私は表情を歪めて大きく息をついた。
「やられた方は遣る瀬無いでしょうけど、やる方も心が痛むわね。」
特に怒りに任せてやってしまうのでは無く、わざとそのような態度を取るのであれば尚更だ。
これは母上がおいたをした幼い私に良く取っていた方法で…母上に良く懐いていた私にとっては普通に叱られるよりも来るモノがあり、随分と堪えた物だったが…。
「まぁ、マリオンがしている事とまったく同じだし、彼女にも懲りてもらわないと。」
私はそう呟くと、明かりはそのままでベッドにもぐりこんだ。
「お姉様、戻りました…。」
食事から戻ってきた後、入浴の準備をして再び部屋を出ていったマリオン。
その間も私はベッドに潜り、彼女に背を向けたまままんじりともせずに過ごしていた。
もっとも、布団の下の私の腹の辺りには開いたままの本があり、マリオンが部屋を出たのを確認後、それを読んで時間を潰していた。
目を瞑ったままじっとして、居眠りをしてしまっては元も子もないしね。
そうしてしばらくの後、入浴を済ませたマリオンが戻ってきたのだが…出る時に比べて背中越しにも分かるくらいに意気消沈していた。
風呂の中で色々と考えて、私の態度の理由もわかったようね。
「あ、あの、お姉様…私、私…。」
マリオンはしどろもどろに私の背中に向けて声をかけるが、私の相変わらずの態度にやがてその声は先細る。
そしてしばらくの沈黙の後、「おやすみなさい、お姉様。」とだけ呟いて、部屋の明かりが消えた。
…聞こえてくる物音からして、どうやら今夜は自分のベッドにもぐりこんだみたいね。
だがやがて彼女のベッドの方から、噛み殺した嗚咽と鼻をすする水音が漏れ聞こえてきた。
だが、それはマリオンがお嬢様に与えた心の痛みと同じ物だ。
それを彼女は、身を持って知った。
だったら、どうすべきか…心根は優しい彼女なら、その答えはすぐに見つかる筈だ。
あるいは、もう既に見つけているのかも。
漏れ聞こえ続ける嗚咽に思わずため息をつくと、それを聞きとめたのか彼女の嗚咽も止まる。
ああ、そろそろ私の方が限界ね。
「マリオン。」
私が声をかけると、彼女のベッドのほうから「ひゃい!」と返事が聞こえる。
それ以上の動きがないことから察すると、どうやら息を呑んでこちらの動きを注視しているようだ。
私は寝返りを打って彼女の方に向くと、布団の端を持ち上げる。
「何をしているのよ、さっさとこっちにいらっしゃい。」
布団に包まって、こちらに向けて顔だけ出していた彼女の泣き顔が歪む。
「お゛、お゛ね゛え゛ざま~。」
そして泣き声を上げると共に、彼女がこちらのベッドに飛び込んできた。
「ううっ、お姉様、ごめんなさい…。」
しばしの間泣きじゃくるマリオンをあやし、やっと落ち着いた彼女は改めて詫びた。
「マリオン、謝るのなら私にじゃないでしょう?」
「ですが、お姉さまの仕える主人にあのような態度を取ってしまい…まずはお姉様に謝らねばと。」
「そう。そもそも、何で仲違いなんかしたのよ?」
私の質問に、だがマリオンは視線をそらす。
「う、あの…その・・・お姉さまには言えませんわ。」
「そう、まぁいいわ。なら明日…はお休みだから、休み明けの明後日にでも仲直りなさいな。」
だがマリオンは返事をせずに、無言で俯き、首を横に振った。
「お姉様、申し訳ありません。私の仕出かしたことでお嬢様を傷つけ、悲しませた事は重々理解しておりますわ。ですが、私もまだ気持ちの整理がつかず…お嬢様と対面しても感情的になってしまいどのような事をしてしまうか、自分でもわからないのです。ですので、お嬢様との仲直りにもいま少しお時間を頂きたいのです…。」
そう懇願するマリオン。
私はそのマリオンの瞳を、じっと見つめる。
彼女の瞳にはまだ薄く涙が浮かんでいるが、力強くこちらを見つめ返していた。
…どうやらその場凌ぎでこの件を有耶無耶にするために言っている訳でもなさそうだ。
「わかったわ。お嬢様は私が何とかするから、貴女も早めに仲直りするのよ?」
「はい、お姉様。約束しますわ。」
そう言って彼女は肩の荷を降ろしたかのように大きく息をついて目を瞑る。
私もそろそろ寝ようと、布団を掛けなおしてふと気付いた。
窓に厚いカーテンが引かれ、光すらほとんど差し込まない室内であったが、以前よりも夜目が効いていることに。