3-05 近侍の悩みの種
神暦721年 玉座の月12日 水曜日
「どう、マリオン?仕事の方は。」
昼食に寄った食堂にユニスさんとマリオンを見つけ、その並びに腰掛けた私はマリオンに尋ねた。
「はい、お姉様。いつもは世話をされる立場でしたが、お世話をする立場というのも新鮮ですわね。緊張続きで少し気疲れしてしまいましたが。」
多少弱音を吐きつつも、心からの笑顔で答えるマリオン。
そんなマリオンに、ユニスさんは咳払いをひとつ。
「マリオンさん、休憩中とはいえいまは職務時間中です。職務時間中は同僚に対しては例え仲が良くても『さん』付けで名前を呼ぶようにして下さい。」
「はい、申し訳ありません、ユニスさん…。」
厳しい口調で注意され、しゅんとうな垂れるマリオン。
どうやら午前中にもユニスさんから色々と注意を受けていたようだ。
そういえば、ユニスさんは朝礼の席で時間が無いから厳しくすると言っていたわね…大変だろうけど、その分身につくのも早いはず…。
そう考えながらがんばれがんばれと応援を送り、私は微笑む。
「ですので、そういった呼びかけは自室のみにしておきなさい。いいですね?」
そう続けるユニスさんの声は、あくまでも優しい。
ふぅん、さすがはユニスさん。
叱るだけではなくその後のフォローもばっちりね。
その姿はまるで家政婦のセリアさんにそっくりで…彼女がセリアさんを手本に侍女として研修を積んできたのが一目でわかる。
…カスティヘルミさんは、仕事は出来るんだけど私生活があれだからねぇ。
この屋敷で3年間を過ごした今の彼女であれば、故郷に帰ってもお屋敷で学んだ事を存分に発揮できるだろうし、嫁いだ先で立派な女主人としてやっていけるだろう。
成程、行儀見習いとはこういう事か。
私は行儀見習いの意義を改めて実感する。
そんな事を考えていた私に、ユニスさんがくるりと向き直った
「ユーリアさんもです。親しい年少の者だからと言って、同僚を呼び捨てにするのは…。」
…はい、申し訳ありませんでした。
「そういえばマリオン…さん、カスティヘルミさんについてはどう感じましたか?」
私の急な問いに、マリオンはきょとんとした表情を浮かべ、ユニスさんは一瞬だけ眉を歪める。
「カスティヘルミさんですの?はい、流石に年季が長いだけあって仕事の知識も豊富ですし、さすが侍女長だと感心いたしましたわ。」
嬉しそうに笑みを浮かべるマリオン。
「そう、それに…カスティヘルミさんもおね…ユーリアさんが大好きだとか。繕い物の時には、奥様も交えておね…ユーリアさんの話題で持ちきりでしたわ。」
無垢な笑みを浮かべる彼女に、私はどうした物かと苦悩の表情を浮かべ…横を見ればユニスさんも首を振りながら悩ましげにため息をついていた。
マリオンのカスティヘルミさんへの第一印象は悪くないようだ。
であれば、彼女に対する警戒心はどうしても薄くなってしまうだろう。
私は忠告する時期を逃した昨日の自分を叱り付けたい気持ちを抑え、今更だがカスティヘルミさんに対する忠告を与えようとして…言葉に詰まる。
うーむ、直接的な表現は誹謗ともとられかねないから憚られるし…かといって婉曲な表現ではそういった知識に疎いであろうマリオンには通じないかもしれない。
おそらくは…1年前のユニスさんも同じような悩みを得たのではないかと想像する。
「マリオンさん、カスティヘルミさんは…仕事面で言えば非常に優秀な方です。ですが私生活においては…何と言いますか…非常に奔放な方ですので、必要以上に親しくならないように留意して下さい。このお屋敷内での男女の恋愛は禁止されていますが、あくまでも男女間のみですので…。」
どうしても歯切れの悪くなってしまう忠告に、きょとんとした表情を浮かべるマリオン。
「ユーリアさんの言うとおりです。カスティヘルミさんには十分に注意して下さい。また、この件に関しては彼女にはくれぐれも内密に…。」
ユニスさんも苦々しげに私の忠告を同意する。
そんな私達を見て、「はい、気をつけますわ。」と頷くマリオン…だがその表情は、私達の忠告を理解した…とは言いがたい愛想笑いに近い物だった。
駄目ね、これは…繰り返し言い聞かせるしかなさそうね。
「お久しぶりです、マリオン様!」
午後、お茶の時間に私と共に奥様の部屋を訪れたミリアムお嬢様は、奥様付きの侍女の中にマリオンを見つけると満面の笑顔で彼女に駆け寄り、親しげに声をかける。
だがマリオンは目を伏せて慇懃に一礼すると、淡々と挨拶を述べた。
「これはミリアムお嬢様、お久しぶりですわ。私はこの度、奥様付きの侍女として配属されました。どうぞよろしくお願いいたします。」
そしてそれだけ伝えると、何事もなかったかのように奥様の後ろに控える。
一方、再会を共に喜んでもらえる物とばかり思っていたお嬢様は、マリオンの態度に衝撃を受けたようで、彼女の手を取ろうと伸ばしかけた手を止めると、行き場の無いそれを胸に抱いて立ちつくす。
だが数秒刻の逡巡の後、気丈にも無理矢理笑みを浮かべると、再び口を開いた。
「それよりもマリオン様、マリオン様、聞いてくださいまし。私、ユーリアの演技がとても気に入ってしまいまして、お父様にお願いして彼女を私専属の近侍にいたしましたのよ?」
嬉しそうに語るお嬢様。
だがマリオンは一瞬表情を歪めると、どこからどう見てもそうとわかる愛想笑いを浮かべる。
「はい、ユーリアさんとは宿舎が同室となりましたので、良く存じております。」
そしてまたそれだけ伝えると、口を閉じ、澄ました表情で姿勢を正す。
お嬢様はその後も話題を変えて話を続けようとするが、マリオンはそれをにべも無く打ち切り続ける。
…と、彼女達の横、奥様が椅子に座ったまま部屋の扉の前に控えた私をちょいちょいと招く。
私は周囲を見回し、私以外に奥様の指示を受けた者が居ない事を確認すると、小走りで彼女に近寄った。
「ユーリアちゃん、ユーリアちゃん、マリオンちゃんって…ひょっとして機嫌が悪いのかしら?」
声を潜めて奥様が尋ねる。
私は思わずマリオンに視線をやり…澄ました表情の中、こめかみがぴくぴくと痙攣している事に気付いた。
「どうやら、そのようです。」
「困ったわねぇ。まったく、ミリアムは何をやらかしたのかしら…って、ユーリアちゃん大好きのマリオンちゃんだもの、原因はひとつしかないわよね。」
奥様は小さくため息をつく。
原因?
はて、何かあったかしら?
その間にもお嬢様はマリオンに話を続けるが、マリオンの態度は相変わらずで…お嬢様は段々と涙目になってくる。
「原因に思い当たる節はありませんが…おそらくは誕生日会以降の何かが、マリオンがへそを曲げる原因となっているのではないかと思います。ですが…お二人の間には特に手紙のやりとりも無かった筈ですし、マリオンがお屋敷に着いた後に何かがあったのではないでしょうか。」
私の答えに、奥様は小さくため息をつく。
(まったく、モテるのも大変ね。)
「そうね。この調子じゃ、ミリアムがすねるのも時間の問題だと思うから、後のフォローをお願いね。私は、マリオンちゃんに色々と聞いておくから。」
「はい、奥様。お任せ下さい。」
そうしている間にもいたたまれなくなったお嬢様がくるりと振り返り、こちらに走り寄る。
「ユーリア、部屋に戻るわよ。」
そういった彼女の顔から、ぽたりぽたりと雫が床に落ちる。
…まったく、使用人との線引きを教え込んでる最中だって言うのに…今回ばかりは仕方がないわね。
「はい、お嬢様。少々お待ちを。」
私はお嬢様の前にしゃがみ込みハンカチを取り出すと、それでお顔を拭う。
そしてそれが終わると、後何事も無かったかの様に立ち上がった。
「では、参りましょう。」
私は先導して部屋の扉を開けると、嬢様に従い彼女の部屋に向かった。
私がお嬢様の部屋の扉を開けると、お嬢様はそのままずんずんと奥へ向かった。
その先には寝室へと続く扉。
小走りで先回りしてその扉を開けると彼女はそのままベッドに飛び込み、枕を抱いて顔を伏せた。
…ああ、お嬢様ともなると兄弟喧嘩はともかく、お友達との喧嘩なんて経験ないわよね…。
しかも彼女の兄妹は比較的歳が離れているから、多少の言い争いがあっても大抵は年下が年上の言う事を聞いてそれでおしまい。
その上、寺子屋や私塾に通う私のような田舎貴族はともかく、彼女のような上級貴族では歳の近い友人は伯爵子飼いの貴族か親戚程度。
子供とはいえ、身分の上下については最低限親により教育されているから、言い争いすら起きるものではない。
マリオンとは最近仲良くなったばっかりだったから、余計に堪えてるんでしょうね。
耳を澄ませば、室内にかすかに嗚咽が響く。
まったく、マリオンも何を拗ねているのやら。
思わずため息をつきそうになるが、それを堪えて自分の仕事を果たすことにする。
私は静かに寝室を出ると、そのまま廊下へ。
すると、お茶の用意をしたお嬢様付きの台所女中…エデさんが少し速足でワゴンを押してくる所だった。
お嬢さまが奥様と一緒にお茶をすると聞いてゆっくりしていたのだろう。
それなのに、お嬢様がお茶を飲まずに奥様の部屋を退出した事を聞きつけて、慌てて準備した後に駆けつけて来たに違いない。
彼女にとってもいい迷惑だ
「エデさん、ちょっとごめん。」
私は手を軽く挙げてエデさんを呼び止める。
「お茶を用意してもらったところ申し訳ないんだけど、そのお茶、煎れなおすわよ。」
「沈静作用のある月夜草を3匙に、悲しみを和らげる涙葉を2匙、あとは…夢見を良くする枕草…って分量はどれくらいでしたっけ、ロアナさん?」
エデさんを一旦厨房へ返した後、私は急いで蒸留室へ向かった。
その部屋で私は、ナターシャが時々振舞ってくれたレシピを思い出しつつ必要な薬草を調達する。
「その量だと…2つまみでしょうか。あと、香り付けに岩薄荷を少々入れるのがよろしいかと。」
狐色の三つ編みを揺らし、蒸留室女中のロアナさんがこちらの注文したハーブを用意しながら答える。
ハーブティーを入れるのはナターシャに任せっぱなしだったから、私の記憶にあるレシピは怪しい事この上ない。
なので専門家の意見は非常にありがたかった。
「ユーリアさん、お湯の用意が出来ました!」
厨房から新しいポットとお湯を持って来るように頼んでおいたエデさんが、扉を開けて顔を出す。
よし、ナイスタイミング。
私はロアナさんから煮出し用の布袋に入ったハーブを受け取ると、エデさんと共に蒸留室を飛び出した。
「お嬢様、失礼致します。」
お嬢様の部屋がある3階までの階段を駆け上り、ワゴンを押すエデさんを先導しつつ上がった息を整える。
そして頃合を見て、ハーブをポットに投入。
これでお茶を提供する頃にいい感じに抽出される筈だ。
そしてノックをしてから寝室に入る。
「……何よ。」
お嬢様は相変わらず枕に顔を押し付けたまま応える。
耳を澄ましても嗚咽は漏れてこない…どうやら一応は泣き止んでいるようだ。
だが流石に悲しみを受け流してしまうにはまだ早い。
「お嬢様、お茶の用意ができました。」
「…いらないわ。」
「ですがお嬢様、涙を流すにも水分が必要です。また悲しみから逃れるための解決策を探すにも空腹では頭が働きませんし、悲劇に酔うにしても空腹でお腹が鳴るようでは雰囲気もでませんよ?」
お嬢様の反応を窺うと、こちらの話を聞いてはいるのだろうが反応が無い。
もう一押しかな?
「それに、何かを口にする事は悲しみを紛らわせるための近道です。ですので、気分転換に如何でしょう?」
ベッドから出てきたお嬢様は、前髪が乱れた上に目も赤く目元も腫れていた。
どうやら、私がお傍を離れているうちに本格的に泣きはらしていたようだ。
だが椅子に腰掛けた彼女は、エデの給仕した湯気の立つカップに口を付けると、ほうっとため息をついた。
「甘い…それに暖かい。」
「はい、悲しい時には甘い物が一番です。ですので、本日はお嬢様のお好みには合わない事を承知で、気分を落ち着けるハーブティーにたっぷりと砂糖を効かせてあります。」
もちろん、お嬢様が本心では甘いお茶を好む事は知っている。
だが、こんな日ぐらいは体重を気にせずに、甘いお茶で気分を落ち着かせて欲しい。
そのお嬢様は時折カップに口をつけつつ、揺れる中身を見つめている。
室内にはお嬢様がお茶をすする音と、時折鼻をすする音だけが響く。
「お茶を召し上がられた後は、本日はもうお休みになられますか?」
私が尋ねると、お嬢様はカップを見つめたまま答える。
「…そうね、それもいいかもしれないわね。」
「では、寝巻きのご用意を致しましょう。」
「ねぇ、ユーリア…。」
寝巻きに着替え、支度を済ませてベッドに横になったお嬢様が声をかける
まだ明るい外の光を遮るために、カーテンに手をかけたところで私は振り向いた。
「はい、なんでしょう?」
「ユーリアは…マリオン様と仲が良いのよね?なんでマリオン様はこんな意地悪をするのかしら…。」
カーテンを閉めて、燭台の明かりでお嬢様の傍に寄る。
「私にもわかりかねます…が、何かしら彼女がへそを曲げる理由があったのではないかと思われます。であれば、お嬢様がお休みの間にお調べいたしましょう。もっとも、答えが出るかの確約は出来かねますが。」
「うん、構わないわ。じゃぁよろしくね、ユーリア。」
「はい、お任せ下さい、お嬢様。」
私が答えると、彼女は安心したように微笑む。
一晩泣き明かすかとも思ったが、どうやら多少は落ち着きを取り戻しつつあるようだ。
「ふふ、じゃぁお休みなさい。」
彼女はそう言って、目を閉じる、
「はい、お休みなさいませ、お嬢様。良い夢を。」
私は一礼し、静かに部屋を出た。
さぁて、マリオンを問い詰めるとしますか。