3-01 近侍とお嬢様の主従関係
新章突入です。
神暦721年 知恵の月09日 岩曜日
「本日よりミリアムお嬢様にお使え致します、ユーリアです。よろしくお願い致します。」
その日の午前に奥様付きとしての職務を行った後、午後になってようやく私はミリアムお嬢様の元を訪れた。
午前中は…奥様は普段にも増して上機嫌、カスティヘルミさんはお休み、パメラさんは普段と違う雰囲気をそれなりに楽しんでいた様で、エミリーは私の格好を見て苦笑い…といった感じであった。
ただ、ユニスさんだけは恨みがましい目でこちらを見て、「安心して奥様のお世話を託せると思ったのに…。」と呟いていた。
もっとも、奥様の前ではそんな態度はおくびにも出していなかったのだが、そういった文句なら旦那様とかお嬢様に言ってもらいたいものだ。
ノックをしてから部屋に入り、一礼と共にお嬢様に挨拶して顔を上げると、お茶の途中だったのか上気した顔でテーブルに付きこちらを見つめるお嬢様と、笑顔を浮かべたお仕着せ姿の女性…たしか子守りのイネスさんだったっけ?の姿があった。
「待ってたわ、ユーリス!さ、そっちに座ってちょうだい。今お茶を煎れるから!」
お嬢様の勧めに従い彼女の向かいの椅子に腰掛けると、お嬢様はイネスさんが用意していたポットを自ら取り、私の前に置いたカップに中身を注ぐ。
お嬢様自らが…って、完全にイネスさんの仕事を奪ってるじゃない。
イネスさんはと視線をやると、彼女は苦笑いで頷く。
これは…大人しく飲めって事か。
私は軽く会釈をした後、カップに口をつけた。
うん、お屋敷の住人が飲むだけあって、いつもながらに良いお茶だ。
「美味しいお茶ですね。」
私がそう言うと、お嬢様は満足そうに頷いて自分の席に着く。
だが私が正面から彼女を見つめると、彼女は俯いてちらちらとこちらを見ているだけで何もしゃべらない。
うーむ、間が持たない…とりあえず、職務内容の確認からはじめるか。
「お嬢様、私はお嬢様付きの近侍とはなりましたが、私が抜けることにより奥様付きの侍女が少々手薄となります。ですので、しばらくの間は兼任とさせていただきますのでご了承下さい。」
そこまで伝えてお嬢様の反応を見る…と、小声で「ええ、聞いているわ。」と返事を返す。
むー、なんか調子が狂うわね。
「仕事内容についてですが…近侍という事ですが、基本的に侍女と同じという事で宜しいでしょうか?」
私の言葉に、かすかに首を振るお嬢様。
「身の回りの世話は、イネスがいるから別にいいわ。」
そしてやはり小声で答える。
「しかしお嬢様、それでは私が居る意味がありません。近侍としての仕事がないようであれば、場合によっては解任されて家へ帰されてしまいますが。」
私がそう言うと、お嬢様ははっと顔を上げる。
だがすぐにその表情を微笑みに変えた。
「大丈夫よ。ユーリスは、私のそばに居てくれればそれでいいわ。」
私は彼女の言葉に面食らう。
それじゃ完全にお飾りじゃない。
近侍というよりも、ニコラスのような従者の仕事よ。
…そういえば彼女には侍女も付いていないって言ってたし、ひょっとして使用人を使うこと自体、あまり理解していないのかもしれない。
その点から教えていくとなると、ちょっと頭が痛いわね。
「わかりました。では、その点については追々詰めて行きましょう。次は…私のお休みに関してですが…ちなみにイネスさんたちのお休みはどうなっているんでしょうか?」
イネスさんのほうを向いて問う。
「そうですね…子守りに関しては、ミリアムお嬢様、ソフィーお嬢様、アルフレッド坊ちゃまのそれぞれの担当が1人ずつと、交代要員の合わせて4人で一巡りに2回ずつ…といった様に回しています。とりあえずは…好きな日に休んでいただいて構いませんが、曜日で決めていただければ、こちらの予定が立てやすいので助かります。」
彼女の言葉に、ふむと頷く。
だとすれば、奥様付きの件もあるし今と同じ方がいいか。
「そうですか。では、森曜日と闇曜日でお願いします。」
「ふーっ。」
女性使用人用の浴室、そこで湯に浸かりながら私は大きく息をつく。
結局あの後は、ミリアムお嬢様と席を共にし、お茶を飲んだだけで終わってしまった。
それ以外のお嬢様の御世話は全部イネスさんがこなしてしまったので、はっきり言って私が居る意味がない…どころか、かえって私への給仕で彼女の仕事が増えてしまっていた。
私は再度大きく息をつく。
「あら、あなたでもやっぱり新しい仕事は大変みたいね。」
一緒に入っていたナターシャが声をかけてくる。
「まぁねぇ。お嬢様ってまだ侍女が付いた事もないでしょう?だから彼女との関係がちょっとね…。」
説明が面倒だから言葉を濁しながらナターシャを見る。
上気した肌と頭上に軽くまとめ上げた髪。
歳相応のふくよかな身体をなぞるように、うなじから水滴が流れ落ちる。
彼女ももう18、直に年季が明けて御役御免だ。
そうしたら故郷に帰って、すぐにでも相手を見つけて結婚するのだろうか?
おしとやかというには多少大雑把な彼女ではあるが、必要とあれば猫も被るし、それなりに引く手もあるんだろうなぁ。
そんな事を考えているうちに、ふと視線を感じてその方向に目を向ける。
湯船の向こうには女中…だろうか?
名前は知らないが偶に見かける二人組が、慌ててこちらに向けていた視線を他所にそらしていた。
このお屋敷に来て以来、私は何度も浴場で騒ぎを起こしてしまっているので、それを他の使用人たちが警戒し、私の行動を注意深く、そしてさり気無さを装いつつ伺っていることには自分でも気付いていた。
だがしかし、ここ数日は視線の質が少々変わってきているような気がする。
私は湯気で重くなった前髪を片手でかき上げて、そのまま石造りの天井を眺める。
再び女中達に目をやれば、こちらを横目で眺めながら何やらきゃーきゃー言って眼前で互いの手を合わせている。
「まったく、何なのかしらね?」
私の独り言に、私の視線を追ったナターシャが口を開く。
「ん?あー、あれね。何て言うか…ユーリアって肉付きが薄いじゃない?だから肩から上だけを水面に出してると、まるで殿方が入ってるように見えるのよ。ユーリスのようなね。だから、劇で貴女に目を着けた女中達がそれを見て盛り上がってるみたいね。」
それはあれか?
胸とかが男並と言う事か?
否定はできないが…代わりに泣いていい?
「ああ、そういった視線なのね。逞しい妄想力ね。あっはっは。」
私は乾いた笑いを上げる。
「それだったら、こうすれば…。」
そう言いつつ私は湯船の中を移動し、ナターシャの後ろに回りこむ。
そしてナターシャに抱きつくと、頤をに指をかけることでその顔を振り向かせ、さらに私の顔を近づけて至近距離から見詰め合った。
「何よ?」
私の突然の行動に、ナターシャが眉をひそめる。
「いや、もっと興奮してもらえるかな…と。」
そして彼女の胸に手を伸ばす。
「ちょっと、ユーリア、また?」
「ああ、この胸も直に揉み納め…由々しき事ね。」
「だから、またそうやって!」
私の手を払い除けようとするナターシャの手をすり抜け、胸をもみはじめた私に、彼女は身をよじる事で抵抗する。
そしてそれに対し、さらに手を伸ばさし追いすがろうとした所に、大きな水音と共に娘の悲鳴が届いた。
「何よ?」
音の聞こえた方に視線を向けると、どうやらさっきの2人組の片割れがお湯の中に沈んでいるようだった。
「ちょっと、アン!」
残った片方が必死に引き上げようとしているが、ふくらみを帯びた若い身体はその見た目以上に重く、水の抵抗も相まって顔を水面から出すのがやっとのようだった。
うーむ、ちょっと刺激が強すぎたかしら?
私達は顔を見合すと、慌てて湯船の中を女中達の方に向かって駆け出した。
神暦721年 知恵の月10日 地曜日
翌日、朝礼の後にセリアさん、ドミニクさんも交え、イネスさんと今後のお嬢様のお世話について話し合った。
その席でお嬢様の私に対する態度を説明すると、ドミニクさんはふむと頷いた。
「成程、状況はよく分かりました。これは…あれですね、セリアさん。」
ドミニクさんの無茶振りとも思える問いかけを、セリアさんは何事もなく引き継ぐ。
「はい。貴族と使用人との距離感については、ほとんどの貴族の子女は両親とその使用人との関係を見て育つ間に自ずと学んでいく物です。ですが子守りにべったりと甘えて育った子女の場合、専属の使用人を付けた後も同じように接し、正常な関係が構築できない事がままあります。」
「そのような場合であっても、大抵は使用人が正しい関係に修復していく物なのですが…今回の件ですと、お嬢様にはまだイネスさんという逃げ場があり、ユーリアさんの世話自体を必要と考えていないのが問題ですな。」
とドミニクさんが説明を締める中、それを聞きながら自分はどうだったかなと思い起こす。
子守りとの仲は悪くなかったと記憶にある。
しかし、お転婆な所為で彼女の手の届かない所に飛び出してばかりで、いつも手を焼かせていたような記憶が…。
「ですが子守りも何時までも居る訳ではありません。ですので、今回はお嬢様に使用人との正しい関係について学んでいただく良い機会ではないかと考えております。」
ドミニクさんの問いかけに、それぞれが頷いて同意を表す。
それを見渡し、ドミニクさんも満足そうに頷いた。
「では今回のお嬢様の教育については、ユーリアさんに一任するという事で。よろしくお願いしますね、ユーリアさん。」
「はい。…って、何ですって?」
私は慌ててドミニクさんに自分の経験不足を訴える。
だがドミニクさんの説得により、そのまま押し切られてしまった。
曰く、イネスさんではこれまで築いた二人の関係を再構築する必要があり、お嬢様からのこれまでの信用を失う恐れがある上に多大な労力を必要とする。
曰く、お嬢様付きの家庭教師では教師と生徒の関係があるので不向きである。
曰く、自分達管理職は、旦那様や奥様の直属のため、お嬢様と特別親密な関係を築くのは好ましくなく、またお嬢様の傍に長時間侍る事も難しい。
曰く、新任の使用人であれば些細な不手際でお嬢様付きを解任される恐れがあるが、私であればその可能性は低い上、そうなった場合でも奥様付きに戻る以外に影響は無い。
以上の事を鑑みると、私がお嬢様との間に正常な主従関係を築く事が、一番の近道との事だ。
だがなおも言い縋ろうとする私ではあったが、ドミニクさんの目に剣呑な光が浮かぶのを見て、慌てて言葉を引っ込め、了解した旨を伝えた。
危ない危ない、そういえば私の直属の上司はドミニクさんになったんだった。
「さて、まずは逃げ場を塞ぐべきでしょうか…。」というドミニクさんの言葉で、突然降って沸いた臨時休暇を手にいれたイネスさんに満面の笑みで見送られ、私はお嬢様の部屋の前まで来ていた。
「まずは今日一日、お嬢様をお世話して正常な主従関係を構築する事。」
それがとりあえずの私の使命である。
まぁ、お世話に関しては奥様付きでの経験があるので特に問題とはならないだろう。
奥様とお嬢様のお世話の違いも、昨日イネスさんの仕事振りを眺める際にある程度は把握できた。
あとはまぁ、出たとこ勝負ね。
私はお嬢様への給仕の為にお茶の用意をしてきた厨房女中と顔を見合わせると、軽く頷き、部屋への扉をノックした。
「お嬢様、お目覚めのお時間でございます。」
そう声をかけながら窓を開け、部屋に風を入れる。
部屋に舞い込む一陣の風…と共に『科戸風の命』が部屋を一回りして外に出て行くのを横目で見ながら、お嬢様の枕元に立つ。
「お嬢様、お目覚めのお時間です。」
窓から差し込む光を避けるように、布団に潜り込むお嬢様。
だがやがて声に違和感を得たのか、目をこすりながら顔を出す。
「んーっ、イネスぅ?」
そして眩しさからか薄目を開けるお嬢様に、私は幾度目かの声をかける。
「イネスさんは都合により本日はお休みを頂くとの事です。」
「えっ……えぇーっ!?」
そしてこちらに視線を向けて数秒刻、お嬢様が目を見開いて動きを止める。
「なんで、なんで、なんで!何でユーリスが!!」
あわてて布団の中に潜り込みながら叫ぶお嬢様。
私はため息をひとつついて、布団を引き剥がそうと手を伸ばした。
「イネスさんがお休みのため、本日は私がお嬢様のお世話をさせていただきます。」
布団をめくって、赤い顔でこちらを見つめるお嬢様と視線を合わせ、にっこりと微笑む。
「そして私の名前はユーリアです。以後、お間違い無き様お願いします。」
だが、その時の私は…、こめかみに少しだけ青筋が浮いていたかもしれない。
そう、少しだけである。