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男装お嬢様の冒険適齢期  作者: ONION
第2章 侍女の生活
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章外13 小間使いの日常

神暦720年 聖者の月20日 闇曜日


 朝。

 まだ夜が開け切らぬうちに、デファンス領主館の使用人たちの一日が始まる。


 使用人宿舎の廊下に設置されている柱時計が5の刻を告げると、住人達はそれぞれが寝床で目を覚ます。

 だがその日もアンジェルは目を覚まさない。

 となると、彼女の目を覚まさせるのはミーアの役目だ。

 ミーアは壁や天井越しに響いてくる他の部屋の物音に反応し目を覚ますと、寝床である籠から抜け出して伸びをしてから大きなあくびを一つ。

 そして手を舐め、一通り顔を洗ったあとにアンジェルのベッドに跳び乗る。


「にゃー、にゃー。」


 そう鳴きながら前足で交互にアンジェルの顔を踏む。

 そしてそれがしばらく続くと、やっとアンジェルは目を開けた。


「うーっ、ミーア…あさ?」


「にゃー。」


 ミーアの返事に頷いて、身を起こすアンジェル。

 そしてあくびを一つしてから寒さでぶるりと身を震わせ、再び布団に包まる。


「なーお?」


 ミーアの咎める声に頷いてから、アンジェルはえいやと布団を蹴飛ばし、寝床から起き上がって着替えを始める。

 そしてミーアはそれを見届けると、自らの寝床に入って再び丸くなるのだ。



 この屋敷に住むようになって数日の間は、ミーアもアンジェルのベッドの上で寝ていた。

 だが、すぐにお仕着せにミーアの抜け毛が目立つようになり、またシーツを洗濯に出した際には洗濯女中達の困った表情を見てしまったため、アンジェルはアンドレ夫妻に相談して古い籠をひとつ手に入れた。

 それに古布を敷いてミーアの寝床とし、それ以来ミーアはベッドの上に跳び乗ることは有っても、横になる事はなくなった。

 それでも気を抜けばお仕着せに抜け毛が付いてしまうため、毎日のブラッシングと部屋の掃除が欠かせない。

 だがそれも朝の勤めを済ませてからだ。


 アンジェルは前日のうちに洗面器に張っておいた水で顔を洗うと、手ぬぐいで水滴をふき取る。

 そしてボンネットを頭にかぶせると、部屋備え付けの姿見の前でくるりと回った。


「じゃぁ、行ってきます。」


 アンジェルの声に尻尾を振って答えると、ミーアは再び夢の中に落ちていった。




 アレリア付きの小間使いとなっているアンジェルではあるが、その仕事は多岐に渡る。

 そのほとんどが他の使用人の補佐であるが、そのように決めたのはレイアの「いろんな仕事を知っておいた方が、後々役に立つ。」という意見からだった。


「ペリーヌさん、水汲み終わったよ。」


 厨房外の井戸から厨房内の大瓶に水を汲み終え、アンジェルが報告する。

 ペリーヌは領主館の料理長を務める女性だ。

 彼女は火にかけていた鍋からアンジェルに視線を向けた。


「あいよ。だったら次は芋の皮むきだね…しっかし、来た頃は水汲み一つにも時間がかかってたのに、随分と早くなったもんだねぇ。」


 そうしみじみと呟く。


「うん、バケツいっぱいに汲んでも、持ち上げれるようになったよ?」


「そうかい。まぁ、来た頃には碌に肉もついていなかったからしかたないが、あのやせっぽちがすっかりと丸くなってまぁ。」


 そう言ってペリーヌはアンジェルの顔を見つめ…眉をひそめる。


「ん?眠そうだね。そんなんで皮むきなんてできるのかい?」


「んー、ちょっと夜更かししすぎたかも。」


 アンジェルは目をこすって答える。

 昨晩は、ユーリアからの手紙を読み直していたら止まらなくなってしまい、使い差しの蝋燭が尽きるまで読んでしまったのだ。


「遅くまでお勉強かい?感心だねぇ。だったらこれでも飲んで目を覚ましな。」


 コンロにかけられた鍋、ペリーヌはその味見用に持っていた椀の中に陶器の水差しからミルクを注いで渡す。


「一昨日届いた牛乳だからご家族の食事には出せないけど、うちらのスープに使うにしてもちょっと多すぎてね。まぁお前さんは牛乳大好きだろ?」


「うん、大好き。」


 アンジェルは受け取った椀に口をつけ、その中身を飲み干す。


「夜の間に冷えちまってるから、一杯だけな。さぁ、それを飲んだら仕事仕事!」


「うん、ごちそうさま!」


 手を叩いて発破をかけるペリーヌに椀を返すと、アンジェルは芋を洗うために流しに向かった。





「お嬢様、おはようございます。」


「おはようございま~す。」


 アリゼと共にアレリアの部屋を訪れたアンジェルは、窓を開けて部屋に風を入れる。

 そして窓から差し込むの光のまぶしさにより深く毛布に包まるアレリアに、アリゼは再び声をかける。


「アレリアお嬢様、朝でございます。本日もいい天気ですよ。」


 彼女をまどろみの狭間から引き剥がそうとするアリゼの声に、アレリアは唸る事で返事をする。


「アレリアお嬢様、朝ですよ。今日は剣術の稽古の日ですよ。奥様がお待ちですよ。」


「う~っ、いい。ねむい~。今日は休む~。」


 アンジェルの声かけにも、ぐずるように返事をするアレリア。

 だがアンジェルは、その返事に素直に頷いた。


「わかりました、お嬢様。だったら、奥様に伝えてきます。」


 それだけ伝えると、アンジェルはそのまま部屋から出て行く。

 それを見送ったアリゼは、扉が閉まって少し時間を置いてから口を開く。


「お嬢様、良かったのですか?アンジェル、行っちゃいましたよ?」


 アリゼの言葉に返事すらしないアレリア。

 しかしその言葉が脳裏に染み渡ると、彼女は口の端によだれを光らせながらがばと起き出した。


「アンジェル、待って!待ちなさい!!」


 そして寝巻きのまま駆け出し、部屋を飛び出す。

 レイアは剣術の稽古については非常に厳しい。

 その上アレリアが言い出して稽古をつけてもらっているのだ。

 もしそれを眠気程度でサボろうものなら母の怒りは如何ほどになろうか。

 以前にも一度だけ、眠くて仮病を装った事があった。

 その結果は…思い出すのも恐ろしい物であった。



 強い口調でベッドを出て着替えるように言いつけられ、庭に出た彼女を待ち受けていた物…。

 もしそれが訓練のメニューの上乗せであれば、死ぬ気になれば耐えられたであろう。

 死なないように手加減をしたレイアに打ち据えられたとしても、死ぬよりましだと諦められたであろう。

 だがレイアの前に立たされ、剣を向けられたその時、アレリアは生まれて初めて自らの死を意識した。

 レイアのその視線は真剣…どころか、必死、決死を軽く通り過ぎ、正に必殺の視線であった。

 未だ年端も行かぬアレリアはそのレイアの視線の前に1分刻と持たずに気を失い、失禁。

 次に気が付いた時はベッドの上であった。

 図らずもその日の午前中をベッドの上で過ごす事になったアレリアであったが、その日以来しばらくの間、眠ろうと目を閉じる度にレイアのその視線が脳裏に浮かび上がり、碌に眠る事ができなかった。



 このままではあの悲劇の二の舞だ。

 そう考えたアレリアは必死にアンジェルを追いかけ、母親の部屋のすぐ近くでアンジェルに追いついた。


「アンジェル、待ちなさい!着替えるわよ、早く準備して!!」


 アレリアの言葉に、アンジェルはにまにまと笑みを浮かべる。


「ええ~っ、今日はお休みじゃぁ…。」


「起きた、起きたわ!さっさと着替えて稽古に行くわよ。さぁ、早く。」


 そう言ってアンジェルの手を引いて部屋に戻るアレリア。

 そんな彼女を他所に、アンジェルは内心ため息をついた。


(まったく、部屋の前の廊下で足踏みをしなきゃ、間に合わなかったよ。)




「ごちそうさま~。」


「気をつけて帰るんだよ。」


「うん、姉ちゃん、ばいばい~。」


 ラクロワ商会へのお使いの後、いつものように古き盾亭にお邪魔してケーキをご馳走になったアンジェルは、エルザやその他の女給たちに見送られ帰路に就いた。

 だがいつものように寄り道をしながら歩いていると、街中の建物の前に見知った顔を見つけた。


「あれ?フェル兄ちゃんじゃん。どうしたの?」


 声をかけられてアンジェルに気付いたフェリクスは、大きくため息をついた。


「仕事だよ、仕事。まったく、騎士服着てるんだから普通は仕事中だってわかるだろうに。」


 そう答えるフェリクスに、アンジェルは苦笑いを返す。


「あ、そうか。でも、鎧を着ていたから分からなかったよ。」


 そう、フェリクスは街中であるにも関らず、鎧姿…といっても、鎧下の鎖帷子姿だが…で腰には剣、そして手には槍を地面に突き立てて屯所の入り口横に立っていた。


「けど、こんな所で何してるの?」


「ここは騎士隊の屯所だからな。仕事内容は…あれを警戒しながらの立哨中だよ。」


 そう言って指差す先をアンジェルが視線で追うと、通りをはさんだ向かいの敷地に石の扉がついた土山があり、ご丁寧にその扉は鉄格子で覆われていた。


「そういえばあんなのもあったね。けどあれってなんなの?」


 アンジェルは首を傾げて問う。


「なんだ、知らなかったのか?あれが、この町の遺跡の入り口のうちの一つだ。」


「へー、そうなんだ。話には聞いてたけど、ちっとも気付かなかった。」


 アンジェルはそう答えながら、記憶を漁る。

 私塾での学友との会話や『農場』での盗賊達の会話で話に聞いてはいたが、その内容とこの入り口が結びついていなかったのだ。


「だったら、あの中にお宝とかがあるの?」


 アンジェルの問いに、答えようとするフェリクス。

 だが彼が口を開くよりも先に、横から声が割り込んでくる。


「ああ、あるぞ。あれはかなり古い遺跡だが、今でも新たな区画が見つかると、学者や冒険者がこぞって押し寄せるぞ。」


 聞き覚えのある声に2人が振り向けば、そこにはいつもと同じローブ姿のレイシェルが立っていた。


「あっ、お師匠様。お師匠様は…買い物?」


「お師匠を街中で見かけるなんて…珍しいな。」


 2人の反応に苦笑を浮かべるレイシェル。


「何、私だって出歩くし、買い物位するさ。そうしたらよく知った顔が気になる話をしているじゃないか。そこで、師匠であるのならここで薀蓄を垂れないでどうするのかと意気込んで声をかけたという具合だ。」


 そう言ってニヤリと口元を歪める。


「それでだな…この町にある遺跡だが、発掘されるようなって長い。だが、まだその全貌は少しも明らかになっていない。それどころか、時には調査済みの領域が後退する事すらある。それはなぜかと言うと…実はこの町の遺跡は、未だに『生きている』のだ。」


「『生きている』?」


 オウム返しに問うアンジェル。

 レイシェルにとってそれは期待した反応どおりだったのだろう、満足げに頷くと、話を続ける。


「遺跡というだけあってこの大陸で見つかるものは、ほぼすべてが過去の遺物だ。現代とは比べ物にならないほどの魔法・工学技術の上に成り立ち、それらをあわせて魔導工学とも呼ばれているが、その技術で造られた遺跡も長い年月を経たおかげで機能を停止し、その多くが失われてしまった。今日遺跡を発掘する学者や冒険者は、その年月の影響を免れた僅かなおこぼれを追い求めるに過ぎないが、それですらも時として莫大な利益をもたらす。」


 そこまで口に出してから、レイシェルはアンジェルの表情を伺う。

 そこに話の続きを促すような目の輝きを見て、口元を綻ばせる。


「だがこの町の遺跡は…機能を停止していない。おそらくは遺跡の奥深くにあるであろう魔力炉、もしくはそれに類する何らかが今も動作を続けており、それ中心に遺跡の深部に張り巡らされた魔力回路には現代では考えられないほどの潤沢な魔力が流れ、それを利用し遺跡自体を維持している。そして、それは遺跡の防衛機能も同様だ。『大戦』期に使用されていた遺跡だけあって、軍事的側面を強く持つこの町の遺跡には数多くの『守護者』が配置されている。それは動石像(ゴーレム)であったり、魔法生命体(ホムンクルス)」であったり、機械人形(オートマトン)であったりな。」


「ちなみに、機械人形はそうでもないが、動石像はでかくて強いぞ?魔法生命体も色々と種類があって厄介だけどな。」


 フェリクスが口を挟むと、レイシェルうんうんと頷く。


「まぁ、強くないと守護者として役目は果たせんからな。そしてそれらの役目には侵入者の排除も含まれる。どうも奴らは侵入者を深手を負わせずに排除しようとするそぶりを見せるが、やはり事故は起きる物で犠牲者がまったくでないというわけでもない。そして排除された者たちが再び遺跡に潜ると、遺跡自体の様相が変わっていることがままある。新たな守護者が配置され、あったはずの部屋や通路がなくなり、既知の区画の代わりに新たな区画が現れることもある。そういった遺跡の調査と排除、再構築が繰り返され、今日に至っている・・・というわけだ。」


「まぁ、そういった『守護者』が現れるのは大抵が深層で、偶に表層で見かけることがあっても遺跡の外にでることはないんだが、そういった得体の知れないのが居る事自体、市民にとっては怖いもんだよな。だから騎士隊の屯所を遺跡の入り口に作って、常日頃からこうして警戒しているんだ。」


「へぇ、そうなんだ。ねぇねぇ、じゃぁ私も遺跡に入ってお宝探せるかな?」


 アンジェルの質問に、フェリクスは片手でその顔を覆いため息をつく。


「お前は人の話を聞いていたのか?だから、危険だから俺たちがここに居るんじゃないか。素人が入っても碌な事にならないだろうし、遺跡漁りよりもお前にはお屋敷での仕事があるだろうが。」


「そうだな。下手に怪我をして仕事に差し支えて、馘になっても知らんぞ?」


「ちぇーっ、駄目か。めずらしい物見つけたら、お嬢様が喜ぶかと思ったんだけどな。」


 アンジェルが残念そうに呟くと、それを見た年長者達は微笑を浮かべる。


「まぁ、少なくとも子供の内は我慢するしかないな。」


「ああ。だが『農場』に出入りしているんだろう?ユーリアの事だから、戻ってきたらお前を連れて遺跡に繰り出すかも知れんぞ?」


 レイシェルの言葉に、フェリクスとアンジェルが顔を見合わせる。


「お師匠様、知ってたの?」


「ああ、エルテースから話は聞いていてな。まぁ色々と学ぶ事は無駄にはならんだろう。だが、友人は選べよ?」


「うん、大丈夫。姉ちゃんとお屋敷が一番だから。」


 アンジェルは満面の笑みで答えた。




 日の暮れかけた道をアンジェルが歩く。

 屯所の前で2人と別れ、1人歩く道…マフラーの隙間から漏れ出す息は白く、見上げる紫の空には星が瞬き始めている。


「姉ちゃん、元気にしてるかな…。」


 一巡りにも満たぬ間の旅。

 その短い期間の割には、ユーリアの面影はしっかりと彼女の記憶の中に残っていた。


(廊下にある姉ちゃんの肖像画のおかげだよね。)


 15歳の誕生日を記念して描かれたその絵は、完成を前に本人が旅立ってしまったため、未だ本人の目に触れることは適わない。

 だが、お屋敷の住人はそれを目にするたびに彼女の事を思い出していた。



「にゃー。」


 と、足音を忍ばせたミーアが横に立ち、こちらと並び歩く。


「あ、ミーア、おかえり。今日はどうだった?」


「みゃー。」


「ふーん、そうなんだ。何か獲れた?」


「るにゃー。」


「え~、野ネズミ?ネズミはいいよ。それよりも…。」


 そうして夜の帳が降りる中、アンジェルは通いなれた道をミーアと共に歩いていった。


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