2-41 侍女と配置換え
神暦721年 知恵の月08日 風曜日
誕生日会の翌々日の午後、奥様付きの侍女の中で昼食を最後に摂った私は旦那様の執務室の扉を叩いていた。
昨日はマリオンとニネット、そして女中達も含めていつもの川風亭で打ち上げを行い、大いに盛り上がった。
テンション高く騒ぐ従騎士達とマリエル。
改めて劇の感想を語り合うマリオンとニネット、そんな彼女達に舞台裏の苦労話を語るエミリーとポーレット…何故か彼女達の会話の行き着く先は、結局は私に関る話題であったが。
その横ではマリオンの世話を焼くジョゼに粉をかけようとして、ナターシャにけしかけられたアリアとアリスにまとわりつかれたニコラス。
そして舞台の上での痴態を何度も詫びるテオ。
その彼の視線からは普段の険しい物が取れ、以前は見られたような敵意やライバル心…といったような物は鳴りを潜めているように見えた。
そんな宴もお開きとなり一晩明けて今日、朝礼が終わった直後に家政婦のセリアさんに声をかけられた。
午後の手すきの時間に、旦那様の執務室に顔を出すようにとの事だった。
はて、何かやっただろうか?
お叱りを受けるような心当たりも無いし、昨日の外出も全員分の許可は取った。
もし舞台について改めてお褒めを頂くのであれば、全員が呼び出されるべきだろう。
そんな事を考えながら普段どおりに職務を続け、結局二泊したマリオンとニネットも無事に送り出したが、何故かその間も同僚の侍女達の間には居心地の悪い雰囲気が漂い、奥様も妙に不機嫌…というか不満気だった。
「失礼いたします。」
一礼して室内に目をやると、旦那様に家令のドミニクさん、そして昼食前には自室に居たはずの奥様と、セリアさんまでが揃っていた。
「お呼びとお聞きしましたが。」
私が用向きを尋ねると、旦那様が大きく息をつく。
そして執務机の上で両肘をつくと口を開いた。
「今日、呼びだてしたのは他でもない。そのー、何だ。うむ、単刀直入に言おう。ユーリア嬢、君の配置変更の話が出ている。」
旦那様の言葉に、私は表情を硬くする。
現在の奥様付きという役回りは、いわば侍女の花形だ。
それを外されるという事は…仕事上で何か至らぬ点があったのだろうか?
そんな事を考えていると、私の表情の変化に気付いたのか旦那様が慌てて口を開く。
「いや、ユーリア嬢の仕事ぶりには問題ない。実際、今回の配置変更に最後まで渋ったのはイザベルだった。」
そしてちらと奥様に目をやる旦那様。
視線を受けた奥様は相変わらずの不満げな表情で口を開いた。
「私がユーリアちゃんの事を望んで外す訳はないわ。お気に入りだし。」
そう言って頬を膨らませる奥様。
年甲斐のないその表情だが、ふくよかな奥様には意外と似合って見える。
「と、まぁそんな訳でな。イザベルは反対しているのだが…ミリアムの誕生日プレゼントとしてねだられては、無下に断る事もできん。」
「ユーリアちゃんは貸すだけよ?ミリアムが飽きたらすぐに私付きに戻してもらうんだから。」
相変わらず拗ねたように言う奥様に、「わかったわかった」と頷く旦那様。
というか、今朝から不機嫌だったのも実際拗ねていたからなのか?
「では、新たな職務は…ミリアムお嬢様付きの侍女ということでよろしいでしょうか?」
私の確認に、旦那様は再び大きく息をついて、疲れたように口を開く。
「それなのだが…君にはミリアム付きの近侍をしてもらいたいのだよ。」
近侍。
侍女が女主人の身の回りの世話をする女性使用人であるならば、近侍は男主人の身の回りの世話をする男性使用人である。
その職務範囲は侍女と比べてほとんど変わらない。
精々が、職務において護衛としての比重が上がるくらいだろうか。
後は奥様直属か旦那様直属かといった位なのだが・・・。
「近侍…ですか?」
自分でも聞いた内容が理解できずに問うと、旦那様は重々しく頷いた。
「イザベルの影響でミリアムもあの物語に熱を上げていることは知っていると思うが…若い分だけ重症でな。しかも恋に恋するあの年頃の暴走故か、自分付きの近侍が欲しい等と言い出す始末。無論、何かの間違いがあっては困るので厳しく言い聞かせて諦めさせたのだが…先日の劇でユーリアを見てそれが再燃してしまってな。早速昨日、それをねだって来おったのだ。「ユーリアならば間違いが起きる筈も無い、だからいいでしょう?」とな。まぁ、こちらとしてもそろそろ子守りから専属の侍女をつけようかと考えていた所で、ならば仕方が無いと、渋々であるが了承したのだが…。」
そして旦那様はこちらの表情を伺うように視線を向ける。
近侍…嫁入り前の行儀見習いとして近侍となる…などとは聞いた事も無い。
この場合、勤め上げた後の評価はどうなるのだろうか?
ひょっとして、婿として引く手あまた…とか?
…ないわね。
こちらの戸惑いを逡巡ととったのか、旦那様は微笑を浮かべる。
「無論、嫁入り前のユーリア嬢の事だ。近侍が相応しい…などといった評価は心外だと思うのも理解できる。よってこれはこちらの希望ではあるが、当然拒否されても仕方が無いと考えている。その場合の職務は今までどおりだが…どうだろう?」
旦那様の言葉に、私は頭を悩ませる。
面白そうではある…それにお嬢様専属という事であれば、多少は気楽に仕事ができるのではないだろうか?
まぁ、奥様も気さくな方だし、お嬢様付きとはいえ手を抜いた仕事をするつもりは毛頭ないが。
「いくつか確認したい事がございますが…よろしいでしょうか?」
「何だね?」
私の質問に、旦那様は笑顔で答える。
「一般的に近侍はお仕着せではなく、旦那様の衣服を下賜されると聞いておりますが、私の場合はどうなるのでしょうか?」
私の問いに、「ふむ」と旦那様は考えを巡らす。
「その件に関しては私が。」
だが旦那様がその問いに答える前に、家令のドミニクさんが前に出た。
そして視線で伺いを立てると、旦那様は任せるといったように鷹揚に頷いた。
「はい。旦那様の衣服を下賜されたとしても、ユーリアさんでは体格や肉付きなどの差異が大きすぎ、仕立て直すのも手間がかかりましょう。ですので、新たに仕立てるのが宜しいかと。」
「うむ、そうか。ではそのように取り計らえ。出来上がるまでは侍女としてミリアムに付いてもらいたい。これでよいかな?他には?」
旦那様の回答に頷くと、私は次の質問を行う。
「近侍となれば護衛も仕事の内かと考えますが、その場合、武器などは如何致しましょう?」
旦那様は大きく頷く。
「執事達には外出時及び各人が必要と判断した場合において、武器の携帯を許可しておる。それと同様で構わない。もっとも、嫁入り前のユーリアの事、腕が立つとは聞いてはいるが命に代えても守れとは言わんよ。また必要とあらば…。」
旦那様の催促を受けて、ドミニクさんが引き継ぐ。
「はい、短剣や小剣であれば予備として幾らか用意がありますが…精々が波紋鋼製の物となります。剣術訓練で見かけたユーリアさんの小剣、あれほどの業物は流石に。」
「ほう、それ程の物が?」
ドミニクさんの言葉に旦那様が身を乗り出す。
鑑定に出した際に、カロン殿から報告が上がっているかとも思ったが…まぁ、私物だからね。
「はい。私も訓練中に遠くから眺めただけでしたが、白銀鋼製の中々の業物と見受けられました。その上、教官役の従騎士を圧倒する程の腕前でしたので、余程の事がない限りは嬢様の身の安全は守られましょう。」
「そうかそうか。ならば安心して任せられるな。ふむ、他には?」
他に疑問点を探す…手当ての金額や休暇などが不明点といえば不明点だが、これらについては、実際に仕事についてから、聞けばいいだろう。
と、既に近侍となる事を前提として考えている自分に気付く。
そんなに魅力を感じているのだろうか…まぁ、普段から動きやすい服で仕事ができるのは魅力かしらねぇ。
「うむ、無い様であれば以上だ。この件の返事は、数日中にセリアにでも…。」
「いえ、旦那様。ここでお受けしようと思います。」
私の言葉に、旦那様が驚きの表情を浮かべ、奥様が涙目になる。
ああ、そういう表情をされると弱いな。
「奥様にも非常によくしていただきお傍を離れるのは非常に心苦しくはありますが、お嬢様のご指名で代わりがいないとあれば致し方ありません。ただ…。」
「ただ?」
「奥様付きの侍女ですが、私が抜けてユニスさんも近いうちに抜けるとなると、いくらカスティヘルミさんやパメラさんがベテランとはいえ人手が足りません。ですので、新しい侍女が落ち着くまでは奥様とお嬢様の掛け持ちができればと。」
「ふむ、そうか。新たな」
「まぁ!それは素晴らしいわ!!」
私の意見に頷き、何かを伝えようとしていた旦那様の言葉を奥様が遮る。
「ミリアムにだけ近侍のユーリアちゃんが付くなんて、ずるいと思ってたのよ!私だって、近侍のユーリアちゃんに付いてもらいたいもの!!」
奥様が歓喜の表情を浮かべて叫ぶ。
さっきまでの不機嫌な表情など今ではどこにも見当たらない。
「こうなったら善は急げね。セリア!仕立て屋を呼んでちょうだい。早くユーリアちゃんの服を仕立て上げないと勿体無いわ!…あ、とりあえずの間は、劇の衣装で仕事してもらうのがいいかしら?あれだったら…お仕着せのブラウスを使えばそのままいけるわよね?ユーリアちゃん、あの衣装は?」
「はい、手入れをしてから道具部屋にしまおうと、私達の部屋に持ってきていますが…。」
勢いに些か気後れして私が答えると、奥様は大きく頷く。
「だったら丁度いいわね。まぁ今日は仕方がないけど、明日からはそっちの衣装に着替えて来て頂戴。多少身嗜みが乱れていても気にしないから。あと、足りない物があったらドミニクに聞いて。ああ、本当に素敵!どうしましょう!!」
「うおっほん、うおっほん!!」
興奮して捲くし立て続ける奥様に、旦那様が咳払いで割り込む。
それに気付いた奥様はやっと旦那様に視線を向ける。
「あー、代わりの人員については、今手配している。そのうちに新たな行儀見習いの娘が入る予定ではあるし、何なら手の空いてる客間女中から応援を呼んでもいいだろう。済まないがそれまでは掛け持ちでお願いしたい。尚、近侍となったあとは一応ドミニクの下に着いてもらう事になるが、何かあった場合にはセリアに相談してもらっても構わない。…とりあえずはこんな所か?」
旦那様がこの部屋に居いる人たちに視線を向けると、全員から頷きが返る。
こうして、私の新たな配置が決定した。
「あら、また貴女なのね。」
その日の夕方、緊急の依頼という事で屋敷を訪れたお針子の女性…確かエステルって言ったっけ?は、仕立て部屋で私の顔を見るなりそうつぶやいた。
が、直にその表情を驚きから照れ笑いに変える。
「別に悪い意味じゃないのよ。ぱっと見でそう体型も変わっていないし、一年も経たない内に修正が必要な程雑な仕事だったかしら…と思ってね。」
彼女の一言に面食らった私は、まじまじと彼女の顔を見る。
結い上げられた長い赤毛に無表情…というか眠たげな目つき。
そしてその顔にかけられた眼鏡。
そうだった。
もう一年ほど前になるが、確かこんな物言いの女性だった。
「仕立ててもらったお仕着せに不満は無いわね。今でも問題なく使えているわ…残念ながら。」
そう、そろそろ胸がきつくなってきてもいい頃だと思うのだが…未だにその兆候は見られない。
「だったら何、追加のお仕着せ?それとも仕事でヘマでもして駄目にしちゃった?」
彼女の問いに、私は首を振る。
「今回は新しく仕立てて欲しいのよ。それも近侍用の衣装を3着ばかり。」
私の説明を聞いてエステルが唸る。
女性の寸法で、男性用の服。
彼女でもあまり手がけた事のないような仕立てなのだろう。
「基本、近侍って主人のお古を着ている事が多いのよ。だから最初っから近侍の服を注文される事は少ないのよね。」
そう言いながら、彼女は的確に私の寸法を計り、手元の板に貼り付けた紙に記録していく。
「しかも、そういった服はわざと流行を外した古いのを仕立てる事が多いから、そのあたりをどうするかが…悩みどころね」
そして計り終えた値を見て、彼女は呟く。
「身長が少し伸びて、腕周りも太く…けど胸周りは変わらずね。」
うるさいわね。
「そういえば、『青き剣と白き百合の物語』って読んだ事ある?」
私の突然の問いに、彼女はきょとんとした顔を向ける。
「ええ、あるけど…それが?」
「お嬢様がそれにハマっててね。主人公のユーリスっぽい服だと、多分喜ぶわ。」
私の意見に、彼女は腕を組んで考え出す。
だがやがて考えがまとまったのか、何やら寸法を記入していた紙に書き込んでいく。
「わかったわ。3着のうちの1着はそれっぽく。後は1着目と違和感が無いようなデザインしてみるわね。デザインが決まったら持ってくるから、その時に最終調整しましょう。仕立てはそれからだけど…まぁ1巡りって所ね。」
彼女はそれだけ言うと、早速デザインに入るといって店に戻っていった。
神暦721年 知恵の月09日 岩曜日
朝礼の時間、劇での衣装とほぼ同じ格好の私が渡り廊下から食堂に入ると、それに気付いた使用人達が驚いたような表情でまじまじと見つめてくる。
そしてその視線は他の使用人達の注意を惹き、それに釣られて私に視線を向けた使用人たちもまた同様に驚きの表情を浮かべる。
だが、それに続く表情は様々だ。
うっとりとした表情でこちらを見つめる女性使用人、仕事の場に仮装で現れるとは…と表情を歪める従者、薄く笑みを浮かべて現在の状況を眺める事情通…といったところか。
私はそれらの視線を気にしないようにして、自分の位置へと足を進める。
だがそれはいつもの奥様付きの侍女の列ではなく、旦那様付きの近侍達が並ぶ列の最後尾だ。
隣の列では、従者のニコラスがニコニコと笑顔を浮かべ手を振ってくる。
うん、普段から耳が早いだけあって、彼は事情通の部類か。
そして周囲の視線を浴びながら待つことしばし。
普段と変わらない朝礼が始まり、普段と同じように伝達事項が伝えられ、そしてその最後に名前が呼ばれ、前に出る。
「奥様付き侍女のユーリアさんですが、本日より配置変更となります。新たな配属はミリアムお嬢様付きの近侍。ですがしばらくの間は奥様付きとの掛け持ちとなります。」
司会役の執事の紹介に、軽く礼をして答える。
こうして、私の侍女としての役目は終了し、代わって前代未聞の近侍としての行儀見習いが幕を開けた。
以上でこの章は終了、次回より第三章 近侍の生活 となります。
その前にアンジェルの1年が入る予定…ですがもうちょっと後にずらすかもしれません。




