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男装お嬢様の冒険適齢期  作者: ONION
第2章 侍女の生活
78/124

2-40 侍女と舞台

遅くなりました…ってもう木曜日か!!

神暦721年 知恵の月06日 水曜日


「故郷を滅ぼされた1人の青年と貴族の娘。これはその2人の愛の物語のその一幕。」


 語り手であるニコラスが滔々と前口上を読み上げる。

 私はそれを舞台の袖、暗幕の隙間から覗き見る。

 うん、ちょくちょくその美声を生かした仕事をしているだけあって、堂々とした物ね。


「青年はとある国の領主の息子だった。幼少のみぎり、修学の為に故郷を旅立つ。だが旅の間に知ったのは、両親が殺され故郷の領地が焼き払われたという事実。故郷を滅ぼしたのは隣領の大貴族。大貴族と父親は長年の友人の筈であった。そして少年は決意する。例えこの身が滅しようとも、両親の、そして領民達の無念は晴らさねばならないと。そうして学び舎を飛び出し行方をくらませた少年は、数年の歳月を経た頃には立派な青年となり、いよいよの復讐のために大貴族の領地で仇の情報を探っていた。」


 ちなみにこの前口上は、マリエルを中心に皆で意見を出し合って作り上げた。

 長くしすぎず、要点を逃さず…と結構苦労したものだ。

 主にマリエルが。


「そんな折に2人は出会う。片や憂いの中に決意を秘めた瞳を持つ精悍な青年。片や利発であるも慈悲深く見目麗しき娘。2人は互いに惹かれていった。だが運命とは残酷なもの。やがて青年は娘が仇の子であることを知り、苦悩の後にその前から姿を消した。自らの境遇と、そして娘が仇の子である事を告げて。だが娘はその事実を知っても尚、青年への想いを諦める事ができなかった。我が父を仇と狙うならば、まだこの町のどこかに居るはず。そう考えた娘は、今日も青年の姿を捜し求め、町を彷徨う。その足取りが、いつしか悪所へ向いている事に気づかないまま…。」


 さて、そろそろ幕が上がる。

 袖から客席を伺う私達の一番前、そこに立つテオの肩をたたく。

 彼はこちらに振り返り、ニヤニヤと笑みを浮かべる私を見て毒づいた。


「畜生…。」


「ふふん、さぁ幕が上がるわ。覚悟を決めて、行ってらっしゃい。」


 私が肩を軽く押すと、テオは舌打ちをしてから舞台へと進み出た。




 幕が上がった舞台。

 その背景は書き割りとなっており、そこには些か乱雑な町の通りが描かれていた。

 そして舞台の手前には通りに転がるようなあれやこれやが、やはり書き割りとなって並んでいる。

 町の裏通りといった所だ。

 観客達が舞台上を目にし、その状況を飲み込んだ位のタイミングで舞台に役者が現れた。


 ドレス姿に一本の三つ編みにされた銀髪。

 そして歩きながらも何かを探すかのように右へ左へと身体の向きを変えるが、持っている扇子で覆っているためにその顔を伺うことはできない。

 だがこの物語を知っている観客は、すぐにこの人物が物語のヒロイン、大貴族の娘のシルヴェールだと気づく。


「あれから数日…ああ、ユーリス様、ユーリス様。貴方は今何処にいらっしゃるの?」


 そう言って、悲嘆の表現として大きく俯く。

 だがそれに多くの観客は違和感を覚える。

 服装からして若い女性?

 だが少し声が低い…そう、男の裏声のように。

 そして役者の体格。

 若い女性としては…そう、些か大き過ぎ、明らかに体格が発達しすぎている。


「ですが私は諦めません。例え父と共に仇として討たれることになっても、もう一度貴方にお目にかかるまでは!」


 そう言って役者は手にした扇子を下げる。

 そして一瞬のタイミングの後、客席の大部分からは戸惑いのざわめき、そして一部からはけたたましい笑い声が上がる。


「ぶっ!アレって…て、テオか?」


「ハハッ、ま、間違いない。テオだテオだ。」


「フヒッ、あの堅物が…女装?ヒヒッ、お嬢様の差し金か?」


 だが真面目に劇を見ている周囲からの冷たい視線、そして壇上の侯爵の一睨みを受け、それも立ち消える。

 当のテオはといえば、客席の反応に顔を赤くしそれに耐えていた。

 ちなみにこの衣装、劇に参加する侍女達により仕立て直されたのだが、テオの体格に合わせて引き伸ばすのは困難を極め、非常に手間がかかっている。

 そうしているうちに、舞台に動きが生まれる。

 舞台の袖から新たに現れたのは三つの影…比較的背の高い影と、背の低い二つの影…そのすべてが、着崩し、薄汚れた男物の衣装を纏っていた。

 そして3人が彼女(テオ)を取り囲んだ。


「何だぁ?薄汚れた路地裏に花でも咲いたかと思えば、随分と美しいお嬢様じゃねぇか。だがいけねぇな。こんな貧民窟に咲いちまったら、小銭欲しさに摘まれて売り払われるか、八つ当たりで踏みにじられるのがオチだぜ?」


 そう言いながら嘗め回すようにシルヴェールに視線を向けるのはナターシャ。

 配役としてはゴロツキその1である。


「な、何をするつもりですか。」


 おびえる彼女を他所に、小さな影が背後から迫る。


「ひひっ、さっさとうりはらおうぜ。ひさしぶりにじょうとうなさけがのみてぇ!」


「うりはらうよりもたのしむのがさきだ!こんなじょうたま、めったにおがめねえよ!」


 舌足らずな声を上げるのは片目を眼帯で覆ったアリアと海賊風にバンダナを頭に被ったアリスだ。

 二人の役はゴロツキその2とその3である。

 もちろん2人とも台詞の内容は理解しておらず、丸暗記である。

 2人は台詞の練習中に幾度も年長者達に意味を尋ねたりもしたが、毎回はぐらされてしまった為だ。

 もっとも、一度などはニコラスが懇切丁寧に説明しようとして、すかさずナターシャに突っ込まれ、そのまま従騎士たちに連行されてしまった。


「きゃー、アリア~、アリス~っ!!」


 客席から黄色い声援が上がる。

 彼女達をよく知る掃除女中や厨房女中達だろうか。

 それに対して二人が笑顔で手を振ると、客席からは暖かな笑い声が生まれた。


「さて、そういった訳だ。まぁ、ついていなかったな。だが自分の迂闊さを悔やむ事は悪くねぇぞ?もっとも、それを生かす機会があるかは俺にはわからねぇがな。」


 そう言いつつ、シルヴェールの手首を掴み、力ずくで引き寄せようとするゴロツキその1。


「いやっ、やめてっ、離しなさい!誰かっ、誰かっ!!」


 大声を上げて必死に抵抗するシルヴェール。

 それに対して、客席の騎士達からは「本気を出せ!」「そんなゴロツキ、引きずり倒しちまえ!」と茶々が飛ぶ。


「へっ、だれもたすけになんかこねえよ。」


「おこぼれをねらっててつだうやつならいくらでもいそうだがな。」


「ちげぇねぇ。」


 笑いあう二人。

 そしてついにシルヴェールがゴロツキに抱きすくめられ、その頤を無理矢理掴まれる。

 いつしか物語に引き込まれた女中達は息を呑み舞台を見つめる。

 それは物語を知っているお嬢様方でも同じ事。

 だが一部の騎士達は職業柄シルヴェールとゴロツキの体格差が気になってしまい、我に返ると共に苦笑を浮かべているのはご愛嬌か。


「そこまでだ!」


 そんな折、舞台の袖から上がった声と共に1人の青年が現れた。

 飾りのついた乗馬服…騎士服にも似た衣装の上からマントを纏い、後ろで縛っただけの長髪は丁寧に撫で付けられている。

 男装したユーリア…そして物語の主人公、ユーリスことユリシーズである。


「きゃー、お姉様!」


 客席から上がる声に一瞬だけ軽く笑みを浮かべつつ、ユーリスはゴロツキを睨む。


「その手を離せ、悪党共。その方は…貴様達が触れて良い方ではない!」


「ユーリス様!」


 自らの危機を救うために現れたユーリスに、歓喜の表情を浮かべるシルヴェール。

 だが、彼女は未だゴロツキに拘束されたままだ。


「なんだぁ、このかっこつけは?」


「にいちゃん、いたいめをみたくなけりゃひっこんでな。」


 シルヴェールとユーリスの間に入り、短剣を抜いて威嚇するゴロツキその2とその3。

 だが、それを見てユーリスは不敵に笑みを浮かべた。


「言葉で分からぬとあれば仕方が無い。では力ずくで助け出すついでに成敗してくれる。覚悟せよ!!」


 ユーリスもその剣を抜くと、ゴロツキ2人の元へ駆け出した。





 さて、ここで剣劇である。

 劇の練習中に、アリアとアリスの2人にはある程度の動きを教え込ませた。

 なのでその動きに合わせて、適当に斬り合いに見えるように演技し、終わらせる。

 まぁ、先のおチビさんは前座で、本番は対ナターシャ戦。

 前者はウケ狙いだ。


「たーっ!」


 小道具の短剣を片手にアリアが迫る。

 そしてぶんぶんと振り回す剣を躱し、受け流す。

 そして大きく振りぬいたところでゆっくりと斬り付け、丁度胴体に軽く当たる軌跡で振り抜いた。


「うわっ、やられた!」


 断末魔の叫びと共にアリアが倒れ…膝と手の平を床に突いて勢いを殺してから、その場に寝転がる。

 観客から上がる笑い声を聞きながら、私は小声で囁いた。


(アリア、もう少しそっちに避けて。)


(うん、わかった。)


 後の演技で邪魔にならないように寝転がる位置を修正するように指示すると、アリアは小声で答えた後にもぞもぞと移動した。

 む、客席の一部から忍び笑いが聞こえる。

 どうやら一部には指示が聞こえていたようだ。


「てりゃー。」


 次に向かってくるアリスを見て気持ちを切り替える。

 今度はこちらからの攻撃も交え、気持ち長めに斬り結ぶ。

 うん、比べてみるとやっぱりアリアよりもアリスのほうが動きが良い。

 まぁ物覚えはアリアの方がいいんだけどね。


 アリスの攻撃を大きく躱し、そしてそのカウンターで剣を振り下ろす。

 しかし、寸止めにするつもりだったその剣が、勢いあまってアリスのおでこに当たってしまった。

 あ。

 時間が止まったかのように動きが絶えた舞台の上、涙目でおでこを押さえるアリス。

 泣く?泣いちゃう?


 内心冷や汗をかきながら様子を伺っていると、アリスは涙目のまま再び剣を振り回し始めた。

 うん、泣かなかったか。

 偉い偉い。


 すぐにでも褒めてやりたいが、生憎と劇の最中だ。

 私はアリスの剣を打ち据えて大きく跳ね上げると、がら空きのおでこの目の前で剣を止めた。


「うわーっ!」


 くるりと1回転してからアリスが倒れる。

 うん、倒れた場所は問題ないわね。


 そしてゴロツキその1…ナターシャに向き直ると、彼女は笑みを浮かべた。


「ふん、多少はできるようじゃねぇか。」


 そう言いながら、テオを盾にするようにこちらに見せ付ける。

 デカイし硬いしで、使いでのありそうな盾ね。


「だったら本気を出してやらぁ!」


 そう叫びながらこちらに向けてテオを突き飛ばし、すかさず剣を抜いて駆け寄って来るナターシャ。

 私はテオを受け止めるとさっと脇に避けさせ、ナターシャの方に駆け出す。

 さぁ、最後の盛り上がり、行くわよ?



 こちらに駆け寄り、大きく剣を振るナターシャ。

 私はそれを下がって躱しつつ、彼女が防げるように牽制の攻撃を放つ。

 彼女はそれを往なした後にカウンター気味に攻撃を放ち…ここだ!

 舞台の客席側、書き割りの影に置いてある踏み台を使用し、彼女の攻撃を躱しつつその上を飛び越える。

 もちろん、踏み切る側の足首には腕輪を装着済みだ。


 客席から大きく驚きの声が上がる中、振り向きざまに再び彼女と斬り結び、その後の大振りを後ろにトンボを切る事で躱す。

 再び上がる歓声。

 そのまま数合切り結ぶと、私達は距離を取って睨み合った。


 客席から大きな拍手が沸き起こる。

 どうやら気に入ってもらえたようだ。

 一瞬満足げに笑った事から察すると、ナターシャも満更ではなさそうだ。

 そもそも、ナターシャの追い出しのために行われる事となったこの劇。

 普通であれば、ナターシャにヒロインなり主役なりを演じてもらうのが妥当だ。

 だが、現在の配役になったのは、このチャンバラがあったため。

 彼女の動きも侍女としては悪くない物であったが、どうしても私の動きには劣り、それは素人でも気づく位の差が有った。

 主人公よりも敵役の方が動きがいいのにすんなり勝たせては、脚本に十分な説得力は得られない。

 なので、元々はゴロツキその1を演じるはずだった私と交代し、今の配役となった。

 まぁ、私もその配役はどうかとは思ったが、実際に手合わせしたあとに、涙目の彼女にお願いされては仕方がない。


 多少息を整えたところでナターシャと頷きあい、剣戟を再開する。

 切り結び、私の一撃は彼女に防がれ、彼女のこれはという一撃は私が大きく跳ぶ事で避ける。

 それを数回繰り返したあと、彼女が大きく剣を振りかぶり、それを振り下ろす所で私も大きく跳ぶ。


「もらった!」


 だがそれは彼女のフェイント。

 すかさず剣を切り返して、跳び上がった私を狙う…が、そこに私の姿は無い。


「甘い!」


 飛び上がると見せかけ、碌に力を入れずに踏み切りを行い、わざとバランスを崩す私。

 そして身体が地面に倒れこむ寸前で足を踏み切り、身を低くしたままナターシャに迫る。

 私はそのまま彼女の横を駆け抜ける際に剣を振り抜き、間合いをとった所で彼女に背を向けたまま動きを止める。

 くるりと振り返ると、そこには地面に倒れ伏したナターシャの姿があった。


 わあっと上がる拍手。

 だがそれは舞台の動きですぐに収まる。


 テオ…シルヴェールが私に駆け寄ってきたのだ。


「ユーリス様!!」


 両手を広げ、一直線に迫り来るテオドール。

 その迫力から、私は剣をそれに向けたくなる気持ちを必死に抑え、鞘に収めた。


「貴女は、何故このような所をうろつきまわっているのですか!!」


 私は彼を責めるために声を荒げる。

 勢いをなくして立ち止まる彼に、再び叱責の声を上げる。


「貴女がそのような事をすれば、良くない者を呼び寄せる…自明の理でしょう。」


「ですが…私はどうしても、もう一度だけでも貴方にお会いしたかったのです。それに、結局は貴方が助けて下さいました。仇の娘にも関らずに!」


 感激するように声を上げる彼に、私は忌々しげに表情を歪める。


「そうです、その通りです。貴女は父母の仇の娘です!なのに何故、私は貴女を無視する事ができないのか!自ら危険に歩み寄る貴女を、何故放って置く事ができないのか!そして復讐を完遂する事でようやく我が父母と領民の魂は安らげるというのに…何故あなたを忘れ…それを全うする事ができないのか…。」


 最初は勢いのよかった台詞も、段々と我が身を切るかのような悲痛さが混じり、最後には身から搾り出すかのような物となって私は片手で顔を覆って地に膝を着く。

 そんな私に、シルヴェールは寄り添い、やさしく声をかける。


「そう、貴方はやはり優しい人なのですね。貴方の人生はすべて他人のための復讐に捧げられ、自らを省みる事さえしなかった。だからこそ、貴方は初めての自らの心の痛みに苦しんでいるのです。」


「心の…痛み?そのような物、父母を失った時に、とっくに…。」


「その時の痛みは、理性と感情が同じ方向を向いている物。たとえ心の痛みがあっても、理性に後押しされた激しい怒りがすべてを塗り潰してしまいましょう。ですが今回の痛みは、貴方の理性と感情の齟齬から生まれた物。それ故貴方の心は、理性と感情の狭間で嵐の海に浮かぶ小船のように揺れ動いているのです。」


「では私は、いったいどうすれば良いと言うのですか。今まで生きてきたこの人生は、すべて復讐のために捧げられた。今更それを諦める事も、復讐を忘れ生きる事も、到底できる物ではありません。」


「私も…貴方の話を聞いてから、少しだけですが貴方の故郷の事を調べておりました。その結果分かったのは、貴方の話が事実だという事。ですが、私には優しい父が、正義感の強い父が、そのような事を望んで行うとは到底思えないのです。何か、何か理由があるはずです。それを調べてからでも、復讐には遅くないはずです。」


「だが何故だ、何故貴女がそこまでするのだ。貴女が父親に私の事を打ち明ければ、すぐにでも衛士達が動き、狩り立てられた私は捕縛され、最後には処刑されるだろう。そうなれば、貴方にも平穏な生活が戻って来るものを。」


「それは…私が、貴方を…ユーリス様をお慕いしているからです。お願いですユーリス様、どうか、私を貴方のそばに居させてください。そして、貴方の故郷で何故悲劇が起こったのかを共に調べさせて下さい。」


 祈るように手を合わせ、私に迫るテオドール。

 私は演技半分、本気半分で身を引いて距離を取る。


「何を馬鹿な事を。私は…貴女の父への復讐を諦める事などできません。なればこそ、せめて貴女にはすべてを忘れて平穏に暮らしてもらいたいというのが偽らざる心なのです。もっとも、親を殺すと言っておきながら、都合が良すぎる話ではありますが。」


「いいえ、すべては遅すぎます。もう私は、何も知らなかった頃に戻る事などできません。痛みに耐えながらも前に進むか、後悔に苛まれながらも耳を塞いで生きる事しかできないのです。それでしたら、私は貴方と共に前に進む事を選択します。例えその結果が新たな悲劇を生んだとしても…私はそれすらも受け入れる覚悟です。」


 シルヴェールの必死の訴え。

 それを聞いた私は、自嘲気味に笑った後に言葉を続ける。


「この先、例え私に血塗られ呪われた道しか残ってなかったとしても、貴女と一緒であればそれはこの上もなく甘美な選択に思える…いいでしょう、覚悟はしておいてください。ですが、私は貴方をその道に進ませないために、最後まで足掻く事を誓いましょう。」


「ユーリス様!」


「シルヴェール!!」


 二人の視線が絡み合った後、私の胸に飛び込んでくるテオ。

 しかしそれは、私に身を任せんとするたおやかな乙女…ではなく、タックルで相手を押しつぶさんとするような勢いを持つ、筋肉の塊であった。

 私は腰を落とし、それを受け止め…僅かに足が下がる。

 足に腕輪をつけていてもこれか…流石に体重差は如何ともしがたい。

 そしてそんな私を次なる悲劇が襲う。

 硬い地面に寝床を掘り下げようとする土掘り熊(ディガーベア)のように、両手を広げたテオが、全力で抱きついてきたのだ。


「「「キャーッ!」」」


「ギャーッ!お姉様ーっ!!」


 客席から上がる黄色い嬌声…と悲鳴。


(ちょ、ギブギブギブ!)


 締め付けられる身体…私に客席の反応を気にする余裕も無く、客席から見えない位置でテオの腕をタップする…がその力は緩まない。

 畜生、この男、役に入りこんでるわね!


 そして雰囲気に呑まれたままのテオの顔が私に迫る。

 ちょっと、ここでキスシーンなんて台本にないわよ!

 というか、ここで新たな人物が現れて『続く』で終了じゃないの!?

 迫り来るテオから顔を背けながら、舞台の袖に視線をやると、そこではニヤニヤと笑みを浮かべたマリエルがこちらに手を振り、そしてその後ろではここで出てくるはずだった残りの役者達が困惑の表情を浮かべてただ立ち尽くしている。


(ちょっと、幕を下ろしなさい、早く!)


 私の必死の表情に気が付いたのか、デニスがロープに飛びつき、幕を下ろす。

 ゆっくりと降りていく緞帳に、客席からは惜しみない拍手が上がる。

 私は一秒刻でも早く幕が降り切るのを祈りつつ必死に顔を背け、そして幕が私達の姿を隠したところでテオのベアハッグのような抱擁から腕を引き抜き、その顔を力ずくで引き離す。

 だが、テオは尚もその顔を近づけようと…。


「こんの…っ、正気に戻りなさい!!」


 私は身をひねってテオの力を受け流すと、後頭部を後ろから押さえ込んで舞台の床にキスさせた。




「うむ、中々の舞台であった。いやぁ、楽しんだ楽しんだ。」


 中途半端な幕切れをニコラスがなんとか納め口上で方を着けた後、劇に関ったメンバー全員で挨拶のために舞台に上がった。

 惜しみない拍手の中、それぞれが役柄を紹介し、そのうちの幾人かが「出番はありませんでした」といった紹介で笑いを取る。

 ちなみにテオの顔に擦り傷や打撲があるのは気にしない。

 旦那様は上機嫌で、奥様はいつものように温和な笑みを浮かべ、お嬢様は未だに熱に浮かされたような顔で舞台上を眺めている。

 ニネットも笑顔で拍手を行い…マリオンは何か言いたげな表情でテオを睨んでいた。


「ミリアム、そなたからも感想を述べてはどうだ?」


 旦那様の言葉に、お嬢様は我に返って慌てて言葉を探す。


「えっと、ユーリス様の演技が素晴らしかったわ。それに剣技も素早くて、身のこなしも軽やかで、まるで物語の中から本物のユーリス様が出てきたかのよう。」


「うふふ、さすがユーリアちゃんね。本当にハマり役だったわ。そういえば、名前もよく似てるわね。」


 奥様の感想に、なぜか驚くお嬢様。

 そしてまじまじと私を見ると、「本当だわ、お母様の侍女だわ…。」と呟く。


「彼女がこの屋敷に来た時に、男役がハマリそうだと言った記憶があるが…うむ、ワシの目に狂いはなかったな。」


 そう言って旦那様は自慢げに笑う。


「さて、劇の感想ならいくらでも語り合いたいが、出し物も後がつかえておる。最後に素晴らしい劇を披露してくれた一同にもう一度拍手を。」


 客席からの拍手を背に、私達は舞台を降りる。

 そして舞台を降りた後、メンバーそれぞれと手を打ち合わす。

 うん、色々あったけど、大成功と言っていい劇だった。

 ナターシャにとっても、いい思い出になっただろう。

 私は満足げに大きく息をつくと、着替えるために舞台の裏に回った。




「あら、着替えちゃったのね。折角似合っていたのに、勿体ないわね。」


 お仕着せに着替えてから奥様の給仕のために壇上の席に戻ると、いの一番にそう言われた。


「給仕の際で汚れる事もありますし、それに劇用の衣装ですので。」


 壇上の反対側、お嬢様達のテーブルからは「お姉様はどんな衣装でもよくお似合いですわ。」と聞こえてくるが、とりあえずは無視だ。


「そうかしら?気にする事無いのに…。それに、折角の誕生会なのだから、私は男装したユーリアちゃんに給仕して欲しいわ~。」


 奥様が朗らかにそうのたまう。

 しかし、私も一年近く奥様付きの侍女をしていて、奥様の性格についてはだいぶ詳しくなった。

 そう、こういった言い方の時の奥様は、決して折れない。

 あるいは、この朗らかさはわがままの裏返しなのかもしれない。

 私は内心ため息をつく。

 私が侍女である以上、泣く子と奥様には逆らえない。


「わかりました。着替えてきますので、今しばらくお待ちを。」


 私はそれだけ告げると、舞台裏に取って返す。

 結局その後は、男装どころか近侍の真似事をしながら、奥様の傍に仕えた。

 それにより奥様はいつもより上機嫌で、マリオンも普段以上にテンションが高く、ニネットにも喜んでもらえたと思う。

 だが、お嬢様だけはこちらをちらちらと伺うだけで、結局は話しかけてくることはなかった。




 神暦721年 知恵の月07日 森曜日


 誕生日会の翌日の執政館。

 使用人の大部分に短いながらも十分に寝坊可能な時間が与えられ、そしてそれが明けた昼食の折。

 住人用の食堂に、侯爵をはじめとした皆の姿があった。

 だがその部屋の席の内、一つだけは空席となっている。


「ふむ、ミリアムは寝坊か?」


 食事を終え、食後のお茶を楽しむ侯爵は空席を横目に見ながら呟く。


「お嬢様は…些か寝つきが遅かったようです。ですが間もなく参りましょう。」


 家政婦のセリアが、お嬢様付きの子守から上がってきた情報を報告する。


「ふむ、そうか。」


(だがミリアムも無事12の誕生日を迎えた。そろそろ子守りではなく、侍女の1人でも付ける頃か。)


 報告に鷹揚に頷きを返しながらも、そう考える侯爵。

 結局昨日は、ニネットもマリオンもこの屋敷に泊まっていっている。

 であれば、娘達だけで遅くまで話でもしていたのだろうと納得した。

 それから少し経った頃、勢いよく扉が開かれてミリアムが部屋に入ってきた。


「おはようございます、お父様、お母様。」


 そしてそのまま自分の席に駆け寄り、配膳担当の女中が慌てて椅子を引くとそれに腰掛けた。


「ミリアム、はしたないわよ。」


「これミリアム、誕生日を迎えてまた一つ歳を取ったというのに、礼儀作法は相変わらずかね?」


 侯爵夫妻がそう注意するも、ミリアムは口で詫びるだけで反省の色を見せない。


「それよりもお父様、私、誕生日プレゼントを決めましたのよ?」

読んでいただき、ありがとうございました。

次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。


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