表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
男装お嬢様の冒険適齢期  作者: ONION
第2章 侍女の生活
75/124

章外11 小間使いと勧誘

神暦720年 技の月12日 森曜日


 デファンスにオデットが出現してからおよそ半月が過ぎた。

 当初はオデットの動向を警戒していたアンジェルであったが、何事もなく過ぎる日々にいつしかすっかりと警戒も緩んでいた。



「これくださーい。」


 デファンスの町大通りに店を構える道具商、ラクロワ商会。

 その店のカウンターで、アンジェルは店番をしていた店員にメモを見せる。

 普段であれば毎月、店主自身が領主の屋敷まで御用聞きに伺うものだが、今回はアンジェルの訓練も兼ねた臨時のおつかいである。



「ああ、貴女がユーリアのところの新しい小間使いね。」


 店員はそのメモとアンジェルの格好に視線を走らせ、彼女のお仕着せが領主の屋敷の物である事を確認すると、友人からの手紙の内容と結びつけて尋ねる。


「そうだけど…姉ちゃんと知り合い?」


 アンジェルの返事に、店員…エルザは笑みを浮かべた。


「ええ、そうよ。私はエルザ。つい最近まで私塾に通っていたのだけど、そこではいつもユーリアとつるんでいたのよ。」


 そう言いつつ、思い出したように襟元に止めたブローチを見せる。


「これも、ユーリアが出立する前に、誕生日祝いに貰った物よ。」


 それを聞いて、アンジェルが目を輝かせる。

 そしてまじまじとブローチを見つめて、「きれい…。」と漏らす。


「いいでしょー。でもあげないわよー?」


 エルザが冗談めかして口に出すと、アンジェルは笑みをうかべる。


「いいよ、わたしも姉ちゃんにいろいろもらったから。服とか、ご飯とか、家族とか。あと仕事と寝る所も。」


 自慢するように胸を張って言うアンジェルに、エルザは思わず憐憫の表情を浮かべそうになるが、それを笑顔の下に隠す。


(そういえば、孤児(みなしご)を拾ったって手紙に書いてあったわね。まったく、年下に甘いユーリアらしいわ。)


 今度は本心からの笑みを浮かべてアンジェルを眺める。

 よく手入れされたさらさらの金髪に、多少痩せ気味だが健康的で愛くるしいその笑顔。

 彼女が身元を引き受けて手元に置きたがるのも納得である。


(だったら、自分も彼女によくしてやるべきかしらね。)


「そう、それはよかったわね。でも、もらった物は大切にしなきゃだめよ?」


 老婆心からついそんな言葉が飛び出すが、アンジェルは「うん。」と満面の笑みで答える。


「お屋敷で仕事を覚えて、私塾で勉強して、立派な使用人になって姉ちゃんが帰ってきたらお傍に置いてもらうんだ!」


「そうなの。だったら頑張りなさい、わたしも応援するから。そうだ、今度お休みの日にでも隣の酒場にいらっしゃいな。お酒…は早いか。色々とご馳走するわ。」


「酒場?」


 アンジェルは首を傾げる。


「こっちは旦那様のお店。酒場はわたしのうちで、今は旦那が働いてるわ。この店の営業時間が終わったら、わたしもあっちで働いてるけどね。話は通しておくから、何時来ても大丈夫よ。」


「わかったよ、エルザ姉ちゃん。」


「けどそうねー、貴女みたいにかわいい子が私塾に入ってくるなら、もう少し残ってもよかったかなぁ…。」


 そう言いつつ、思い出したかのようにアンジェルが求める商品を店内から集めていく。

 そして品目を帳簿に書き込むと、アンジェルが持ってきた籠に入れた。


「支払いはいつもの通り、お屋敷への掛売りね。寄り道しないで、まっすぐ帰りなさいよ?」


 エルザの言葉に頷きながら、アンジェルは籠を両手で持つ。


「うん、わかった。じゃあね、エルザ姉ちゃん。」




 ラクロワ商会を出たアンジェルは、隣の酒場を表から覗いた後は、まっすぐと屋敷を目指す…つもりであった。

 だが、普段はお屋敷と私塾の間しか出歩かない彼女の事、好奇心に惹かれ、活気のある通りのあちこちを歩き回る。

 そしてそのうちに裏通りに入り込み、そろそろ帰らないといけないという頃になって、路地から飛び出してきた人物とぶつかった。


「うわっ!」


 体当たりに近い形でぶつけられ、道に転がるアンジェル。

 何とか頭はぶつけずに済んだものの、運悪く土がむき出しの路地に転がされたため全身砂まみれだ。


「あいたー。」


 アンジェル痛みに耐えながらも、何とか自力で起き上がる。


「ぺっ、ぺっ。うわ、砂まみれだ。」


 口の中に入った砂を吐きながら、今日はついてないと内心ぼやくが、もし転がったのが石畳であったとすればそれもかなわなかったかもしれないと思い直す。


「あらあら、ごめんなさいねー。大丈夫?」


 その声にアンジェルがぶつかった相手を見上げれば、相手はローブ姿の結い上げた銀髪の女性…いいとこのお嬢様だろうか?


(あれ?でも、どこかで見たことあるような…。)


「おやおや、大変。砂まみれね。荷物も散らばっちゃったわね。」


 その声に周囲を見回せば、手から離れた籠が地面に転がり、中身がこぼれ出ていた。

 壊れ物は特に無いとは言え、砂まみれでは家政婦のタイナに怒られてしまう。

 さーっと血の気が引くアンジェルを他所に、女性はお供に指示を出す。


「彼女をお店へ。荷物も拾って。」


「「へいっ」」


 彼女の後ろに居た男達が、アンジェルを抱え上げ、その荷物を拾い集める。


「わっ、わっ、大丈夫、自分で歩け…。」


「大丈夫よ、アンジェル。そのまま運んでもらいなさい。」


 女性がそう言うと、降りようとするアンジェルを抱えたまま、一同はすぐそばにあった店へと入っていった。



 男に抱きかかえられたアンジェルは、その店…酒場の個室に運び込まれた。

 そして床に下ろされると、男達が荷物を置いて部屋を出てゆき、女性はしゃがみ込んでアンジェルの服を払う。


「ごめんなさいね、ぶつかったりして。」


 目の前で服の汚れを確認する横顔を眺めているうちに、アンジェルは既視感に思い当たった。


「あー!!」


 そして自分が今おかれている状況に思い当たり、青ざめる。


(ギルドのブリジット!…ってことはここってギルドの酒場!?ヤバい、逃げなきゃ!!)


 そう考えるが、足がすくんで動けない。

 きっと扉の外には、さっきの男達が待ち構えているに違いない。

 こんな時に頼りになりそうなミーアは、いつものごとく朝から森に出かけている。

 そんなアンジェルに気付いたブリジットは、苦笑いを浮かべて優しくアンジェルの肩を叩く。


「んー、ちょっと強引過ぎたかな。まぁ、とって食うつもりは無いから、安心してよ。流石に私たちも命は惜しいし。」


「命?」


 ブリジットの言葉がつい気になり、アンジェルが問う。


「あー、ここの伯爵夫人は二つ名を持つ程の凄腕だから…彼女を怒らせたら、この建物の全員でかかっても皆殺しでしょうね。」


 そう言って、手の平で首を切るような仕草をする。


「ふーん、そうなんだ。」


 ユーリアから強いとは聞いていて、アレリアお嬢様や伯爵へのお仕置きから奥様が怖いというのは知っていたが、そこまで強いとは思わなかった。


(さすが姉ちゃんの母ちゃんだ。)


 思わず感心するアンジェル。

 そしてその安心感からかいつの間にか震えは止まっていた。


 とそこへ、扉を開けてオデットが入ってきた。

 その格好は、ローブにケープ、結い上げた髪…といった具合で、細部は違えども先日と同様に女商人風の出で立ちであり、彼女はアンジェルに視線を向けると微笑を浮かべた。


「お久しぶりね、アンジェル。この前は挨拶できなかったけど、また会えて嬉しいわ。」




「い、いったい何のつもりなんだ、オデット。」


 部屋に入ってきたオデットを気丈に睨みつけ、アンジェルが言う。

 だが、それが空威張りである事は誰の目にも明らかだ。

 オデットがブリジットに視線を移すと、ブリジットはため息をついて肩をすくめた。


(あーあ、久しぶりの再会の印象は最悪か。失敗したなぁ。)


 オデットは頭をかこうと後頭部に手を伸ばすが、結い上げた髪の所為でそれも難しい。


(これだからこの髪型は好きじゃないのよね。)


 オデットはため息をついて気分を切り替える。

 嘆いていても何も始まらない。


「アンジェル、とりあえずは座ってちょうだい。ブリジット、アンジェルに何か飲み物を。暖かいのをね。」


 まずは部下に指示を出す。

 指示を受けたブリジットはアンジェルを椅子に座らせると、一礼して部屋を出た。


「まずは、再会を祝いたいのは本心よ。わたしもこっちの支部を任されることになったけど、人脈を築くのはこれからだし、ここのお屋敷はお堅いから中の人に伝を得るのも苦労しそうだしね。」


 そう言いつつ微笑むが、アンジェルは険しい表情を崩さない。


「何をたくらんでも無駄だ。殺されても姉ちゃんをうらぎらないぞ。」


 自分の言葉で余計に怯えたのか、身を硬くしながらアンジェルが言うと、オデットは再び盛大にため息をついて頭を抱えた。


「その歳で、どこでそんな言葉覚えるのよ…アンジェル、何か変な本でも読んだ?」


 オデットの意外な言葉に、きょとんとしてから首を傾げるアンジェル。


「え?まだ本は読めないよ。でもね、アリゼがアレリアお嬢様に読んでた本に出てきた。」


 領主の屋敷の人物情報を思い出し、再度ため息をつく。


(12歳と9歳に読み聞かせる内容じゃないわね。どういう趣味をしているのよ、その使用人。)




 ブリジットが持ってきたカップを置くと、アンジェルはオデットの顔をうかがう。

 薄く湯気の立つそのカップは、蜂蜜入りの縞山羊(ゼブラゴート)の乳で満たされていた。


「とりあえずは、それを飲んで落ち着きなさい。こっちの話だけ聞いてくれればいいから。」


 オデットがそういうと、最初は用心深くちびちびと舐め、そして味を確かめると、こくこくと飲みだした。


(やっぱり食べ物で釣るのが正解だったかしら?とりあえずは話を聞いてもらえそうで一安心ね。)


「こっちの生活はどう?」


 オデットの質問に、アンジェルは口の中の物を嚥下すると、おずおずと口を開く。


「たのしいよ。いろいろと覚えることは多いけど、みんな優しいし。姉ちゃんがいないのは寂しいけど…わがままは言ってられないし。」


 多少身構えながらも答えるアンジェルに、オデットは満足気に頷く。


「そう。それで、賢者の私塾に通っているんですって?」


「うん。今は読み書きとか、計算とか習ってる。早く文字を書けるようになって、姉ちゃんに手紙を送るんだ。」


「そう。それで将来はどうするの?」


その質問に、アンジェルは少し考えを巡らす。だが、すぐに答えを得るとそれに答える。


「メリーやアリゼにお仕事を習って立派な使用人になって、こんどは私が姉ちゃんのお世話をするんだ。」


 満面の笑みを浮かべてそう語るアンジェルに、オデットも笑みを返す。


(だけど、それはただの子供の夢。)


 オデットは内心呟きながらも、言葉を続ける。


「そう。でもユーリアの事だから最低でも貴族、場合によっては伯爵以上の大貴族に嫁ぐわよ?」


 オデットの言葉に、きょとんとしながらも、頷くアンジェル。


「そうなると、女性使用人の大半の主人となるわけだから、最低でも十数人、大貴族なら、数十人の使用人が仕えることになる…そう、それがユーリアの立ち居地。」


 話の流れに、何か不穏なものを感じながらも、アンジェルは再び頷く。


「そんな状況だと、ユーリアの傍に仕えるというのは大半の女中はもちろん、上級使用人でも羨む立場ね。そんな場所に、ただ可愛がられているだけのあなたが居ても大丈夫なのかしら?」


 オデットの質問に、アンジェルは眉を歪める。


「貴女は可愛いからそれは利点だけど、ユーリアの親族でもなんでもない。多少仕事ができるとしても長年の経験を積んだ職業女中には敵わないし、箔が付く出自も無い。そんな年端もいかない女中を、幼い頃から面倒を見ているというだけでそばに置き続けるものかしら?もちろん彼女に人事権があるのだから彼女次第なのだけれど、それが彼女への恩返しになるのかしら?」


「で、でも…姉ちゃんは傍に置いてくれるって…。」


 質問には答えるが、アンジェルは徐々に涙目となる。


「ええ、そうでしょうね。ユーリアは優しいから。」


「でも、だったらどうすれば…。」


 自分の存在意義…それがぐらつき始め、戸惑うアンジェルがつい漏らす言葉。

 それを導くために今までの言葉を紡いだとはいえ、そのことに多少の良心の呵責を感じながらオデットは続ける。


「だったら、ただの使用人以上の価値を持てばいいのよ。剣の腕が立てば、護衛も兼ねて傍に置いてもらえる。金勘定が得意で信用されていれば、金庫番として傍に置いてもらえる。人を使うのが上手ければ、統率役として重要な位置に就く事もできる。お茶を煎れるのが人並以上に上手ければ、それだけで専属の使用人になれるかもしれない。」


「そ、そうか。でも…。」


 一瞬だけ光明を見出した様に表情を明るくするアンジェル。だが、すぐに自分の今の能力ではどれも望みが薄いことに気づき、言葉を詰まらせる。


「そうね。今の貴女じゃ、どれも望み薄でしょうね。でもねアンジェル、ひとつだけ、いい方法があるわ。」


「えっ、どんな?」


 思わず食いつくアンジェルに、思惑通りとオデットは内心ほくそ笑む。


「盗賊の技を身につけること。もちろんそれで、ユーリアのために金品を盗むんじゃないわよ。あなたが彼女のために手に入れるのは情報。」


 そこでオデットは薄く笑みを浮かべて、アンジェルを見つめる。

 彼女は、オデットの話に真摯に耳を傾けていた。


「貴族としてやっていくにも情報が大切よ。他の派閥の貴族の情報や、同じ派閥内のライバル貴族の動向はもちろん、場合によっては身内や親類の情報が、命運を分けることもある。私達は盗賊ギルドと呼ばれているけど、いつも盗みだけをしているわけじゃないわ。もちろんスリやコソ泥を統括して上納金を納めさせたり、盗品の故売でも儲けたりはしているけど、情報の売買や、技術者のあてがいも生業の柱だし、娼館や酒場の経営も、それに関連するものよ。特にこの町ではね。」


 この街に存在するいくつもの古代遺跡。

 そこでは、ギルドに所属する盗賊が冒険者としてその腕を振るっている。

 そして冒険者は酒場に集まり情報を交換し、娼婦を抱いて寝物語に有益な情報を漏らす事も少なくない。


「ユーリアが貴族に嫁げば、それが『ぼっちのヴィエルニ』のような権力とは無縁の家でない限り、望む望まぬに関らず権力闘争に巻き込まれていくわ。そうなれば、有益な情報の有無は死活問題。自前の密偵を持たない貴族はギルドに高い金を払って情報を手に入れるしかないけど、情報を精査する事ができなければ、足元を見られた上にクズみたいな情報を掴まされるのがオチね。」


 そう言ってからオデットは一息つく。

 そしてアンジェルの表情を伺うと・・・ちゃんと話についてきているようで軽く頷いた。


「だけど雇い主の信頼を得ようと考える使用人は、まともな倫理観を持っているならそんな後ろめたい事に手を出さないし、良家出身の上級使用人だと、そういった事には尚の事疎いものよ。でも、孤児出身の貴女なら、彼女達に優位に立てる。もし貴女がそれを望むのならば、私達が手ほどきをしてもいいわ。」


「でも、それじゃぁギルドに利益にならないんじゃないかな?」


「そんなことは無いわ。ギルドとしては、ヴィエルニ家とは友好的な関係でいたいのよ。下手に敵対してこの町を追い出されてもたまらないし。それに、貴女という繋ぎが居ればユーリアの周囲の情報なんかも高く売れるでしょうしね。あと、手ほどきの件はボスからは貴女に便宜を図るよう言われているから問題ないわ。」


「でも、盗賊の技を学ぶ事がいい事かわからないし、すぐには決められないよ。」


「別に今返事をする必要は無いわ。必要だと思ったら学べばいい。それに、別にこの件について伯爵達と相談してもいいのよ?こっちの情報はすべて報告するように言われてるんでしょう?」


 前回すれ違った後の会話を見透かすようなオデットの物言いに、アンジェルは言葉に詰まる。

 それに微笑みながらオデットは「さて」、と声を上げる。


「ずいぶんと長く捕まえちゃったわね。そろそろ帰らないといけないんじゃないの?」


「あ、やばい!」


 オデットに言われて、お使いの途中であったことを思い出すアンジェル。

 屋敷に戻ったあとも、仕事が山積みだ。


「さぁブリジット!アンジェルをお屋敷まで送ってあげて。あと、適当に屋敷の人間に遅れた件の言い訳を。」


「はい、わかりました。」


「アンジェル、伯爵達へはしっかりと報告するのよ?下手に誤魔化したら、後々困るのはあなた自身よ?」


「うん、わかったよオデット。それじゃぁ、またね。」


「ええ。気をつけて帰りなさい。じゃぁまたね。」


 軽く手を振りつつ、アンジェルがブリジットを伴って部屋を出て行く。

 それを見送りながら、とりあえずはやるだけやったとオデットは大きく息をついた。


(「またね」か。彼女自身はそれなりに乗り気みたいだけど、さてね。)





 領主の館の執務室。

 アンジェルは屋敷の戻った後、オデットとの会話を伯爵に報告し、山積みの仕事に戻るために慌てて退出した。

 そしてそれを見送ると、執事のヨハンが口を開いた。


「しかし、ギルドの訓練ですか…妥当な提案とは思えますが、如何なさいますか旦那様?」


 問われたエルテースは、椅子に深く腰掛けて大きく息をつく。


「うむ、あちらの言い分もそれなりに理にかなっている。一度ユーリアが嫁に出てしまえば、それ以降はこちらから必要以上に手を出す事もできないからな。情報収集と分析という点でアンジェルが支えになるようであれば、心強い。」


「ええ、確かに。それに、訓練の成果は彼女の糧になり、身を守ることにも役立ちましょう。」


 ヨハンの言葉に、エルテースは頷きを返す。


「こちらの内情が多少は漏れる事になるだろうが、アンジェルが関る程度の情報であれば問題は無い。逆にあちらの内情も漏れ聞こえるようになるとすれば、差し引きで考えれば悪くない。ああ、ユーリアの周囲の情報については、多少色をつけてでも買っておけ。何、アンジェルの訓練に対する謝礼代わりだ。但し、あちらの手の者が入り込まないよう、これまで以上に用心しろ。」


「はい、畏まりました。」


「しかし、ユーリアについてはビゾン家との一件もある。近いうちに、ヴァレリーまで出張るべきか…。」


「はい。穂首派の会合にあわせた招待状がヴァレリー候からだけではなく、ブリーヴ伯からも届いております。今はまだ先延ばしにしても問題ありませんが、近いうちに応じるのがよろしいかと。」


「うむ、そうだな。しかしユーリアめ、ここまで引っ掻き回してくれるとは思わなかったぞ。」


 ため息と共に呟かれる伯爵の言葉。

 だが、その口元は楽しげに歪んでいた。




 ダマーズ商会の商館長室。

 重厚な執務机に座り書類に目を通すオデットに対し、部屋に入ったブリジットがアンジェルの見送りからの帰還報告をする。

 それに対して頷きを返したオデットは、椅子に深くもたれかかった。


「それにしても、前任者からの申し送りの中に…丘の砦の内部に関する情報は無いのよね。」


「はい、幾度も手の者を差し向けたとの事ですが、誰一人として戻らず内部は窺い知れないとの事です。」


「手も足も出ない…ギルドの面目丸つぶれね。」


 やれやれと呟くと、ブリジットが僅かに身を乗り出す。


「ご命令いただければ、私が…。」


「だめよ!」


 ブリジットの提案を遮り、オデットは強く否定する。


「貴女に何かあったら、私が立ち直れないわ。不可侵というのなら、別に放っておけばいいのよ。それに関連する情報も、アンジェルから入ってくるかもしれないし。」


「はい、わかりました。」


 提案を否定されたブリジットであったが、その表情は嬉しげだ。


「さて、今日の仕事、おーわりっと。今夜の当直は誰だっけ?」


「はい、今夜はアドルです。」


「そう、だったら任せっぱなしで大丈夫ね。さっさとお風呂に入って寝るわよ。夜は長いんだし。」


「はい、オデット。」



 襟元を緩めたオデットが、室内の照明を消して回ったブリジットの腰を抱く。

 そして軽く口付けを交わすと、2人は寄り添って部屋を出ていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ