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男装お嬢様の冒険適齢期  作者: ONION
第2章 侍女の生活
74/124

章外10 小間使いの生活

 神暦720年 剣の月25日 水曜日


 カノヴァス国の北西の外れの小さな町、デファンス。

 その町の砦の聳える丘の麓、領主の館の離れの一室。

 お屋敷の住人達の朝食の後、質素ではあるが量だけは満足に足る食事を慌しく済ませ、アンジェルは出かけるための準備を整えていた。


 帆布で作られた肩掛けの鞄。

 それに石板(タブレット)と蝋石を入れて、肩から吊るす。

 この鞄は、裁縫の練習として女中のマリーと共に作ったアンジェルお手製の鞄である。

 もっとも、その工数の半分ぐらいはお手本としてマリーが行ったものであったが。


「身だしなみは大丈夫…と。」


 自分の体を見回し、乱れがないことを確かめる。

 たまの休日でもない限り、外出時も基本はお仕着せだ。

 それは彼女がお屋敷勤めであると言う身分の証明になり、そのことにより村人達に多少の便宜を図ってもらえるので何かと便利だ。


「じゃぁ、ミーア、行くよ?」


 飼い剣牙猫(ねこ)のミーアに声をかけると、ミーアは「ニャー」と返事をして身を起こし、背伸びをする。

 それを見届けてから、箪笥の上に並んだ人形に声をかけた。


「うん、アリア、アリス、行ってきます。」




 外に出た彼女達は時折道端に咲く花に足を止め、それを摘み取りながら並んで歩く。

 やがて1人と1匹がたどり着いたのは、小さな祠だった。

 その祠には、1体の石像が祀られている。

 2対の翼と、2対の腕を持つ女神。

 その瞳は閉じられ、1対の腕に赤子を抱き、残りの腕で剣を持つ。


 彼女が故郷の開拓村で暮らしていた時に、村のみんなが祀っていた像と同じものだ。

 この大陸で主に信仰されている5大神には含まれない、ごくごく狭い範囲でのみ信仰される小さき神。

 こういった故郷との繋がりを見つける度に、彼女は故郷とそこでの生活を思い出し、感傷に浸る。

 だが毎回、すぐに今の生活と来るべきユーリアとの生活を思い描き、気持ちを切り替えるのであった。


「ははがみさま、ははがみさま、今日もいいことがありますように。」


 摘んできた花を供えてから、故郷で両親と共にそうしていた様に声に出して祈る。

 そしてその後に、心の中で大好きな姉ちゃん(ユーリア)の無事を祈る。


(姉ちゃんの事だから、大人しく侍女だけをやっているはずがないからなぁ。)


 心の中で祈るのは、他人のために祈るのが少し恥ずかしいから。


(だけど大丈夫、神様だから、聞き止めてくれるよ。)


 そして祈ったあとに、膝を払って立ち上がった。


「さてと、じゃぁ賢者様のところに行ってくるよ。ミーアは…また森?」


 アンジェルが尋ねると、ミーアは「にゃー」と答える。


「わかった。夜までには帰って来るんだよ?」


 その言葉に一声鳴いて、森へ駆け出すミーア。

 それを見送ったあと、アンジェルはレイシェルの私塾へと足を向け、1人呟いた。


「ミーア…この町に来た頃は結構怪我とかして帰ってきたけど、最近はそれもないなー。」




 レイシェルの私塾に到着するのは、いつも他の生徒達がやってくる時間の1刻ほど前。

 まずは書き取りや計算など、この町の子供達であれば寺子屋で学ぶ内容の指導を受ける。

 その後、生徒達が来る頃になるとレイシェルが課題を出し、生徒達が授業を受ける間、それを横に聞きながら課題をこなすのだ。


「ふむ、文字は大体覚えたか…。」


 アンジェルの手により、手元の石版に書かれた文字を眺めながらレイシェルが呟く。


「ここに来ておよそ一月…まぁ寺子屋の子供達に比べるとずいぶん早いが、年長だからな。」


 そう言いつつ、アンジェルの書いた文字に訂正を加えていく。


「こことここは間違っているので次は注意しろ。あとは…ふむ、そろそろ単語に行くか。まずは自分の名前とあの猫…ミーアといったか?その名前の綴り。あとは…ほかに覚えたい言葉はあるか?」


「ユーリア!」


 レイシェルの言葉に、アンジェルが反射的に答える。

 それを見てレイシェルはニヤリと笑みを浮かべる。


「そうかそうか。そうだな、大切な主人だものな。」


 そうからかわれて、顔を赤くしたアンジェルを眺めながらレイシェルは頷く。


「よし、まずはそれからだ。」



「おはよーっす!」


 今日は午後からの授業であったが、いつもの癖でおはようと挨拶をしながら生徒達が教室に入ってくる。

 そして授業が始まるまでの間は、最年少で愛くるしいアンジェルは女子生徒の玩具となっていた。


「アンジェル、おはよう!ああ、この髪の手触り!」


「ああ、ぷにぷにほっぺ。食べちゃいたいわ~。」


「ひゃっ、ひゃめろ~。」


 ユーリアに拾われてから一月と少々。

 歳相応の細くさらさらの髪を撫でられつつ健康的に肉付き始めたほっぺたを揉まれ、それから逃れようとアンジェルはもがく。


「テッサもカーラも、程々にしてください。アンジェルは私の小間使いですのよ?」


 アレリアが抗議するが、2人ともそれに耳を貸さない。

 なぜなら、彼女達も私塾に入った頃にはユーリアに散々弄ばれたのだ。

 テッサは鍛冶屋の娘で14歳、カーラは薬師の娘でマリエルの妹である13歳だ。

 ちなみに、カーラがいじられている時に姉のマリエルは笑って見ているだけで庇いもしなかった。


 だが2人はアンジェルを構う途中で、顔を見合わせぴたりとそれをやめる。

 そして揃ってニヤリと笑うと、アンジェルから手を離して、アレリアに向き直った。


「ほらほら、アレリアが寂しいってさ。」


「だったら、平等に構ってあげないとね。いい物食べてる分、アレリアの方がぷにぷにだし!」


「いやっ、やめてください!」


 標的がアレリアに移ったことで解放されたほっぺたをさすりながら、ほっと息をつくアンジェル。

 だが身代わりとなったアレリアをこのまま見捨ててしまうと、後で臍を曲げられるので厄介だ。

 アンジェルは何かいい方法はないかと考えをめぐらすが、特に浮かばないので最後の手段に出る。


 目標を定めようとして2人を見比べる…テッサとカーラでは、年上だけあってテッサの方が大きい。

 なのでアンジェルはテッサに後ろから抱きつくと、そのまま胸に手を伸ばしてこねくり回した。


「うん、テッサ姉ちゃんのおっぱいもぷにぷにだ。マリオン姉ちゃんぐらいある!」


「えっ、何っ!?やめっ!」


 突然上がった嬌声に生徒達の視線が集まり、それに気付いたテッサが顔を赤くして身悶える。


「ちょっと、アンジェル、やめてよ!」


「そうよ、アンジェル、それは淑女のすることでは無いわ!」


 慌ててカーラも止めに入るが突然の事態に手を出しあぐねてしまう。

 すると、アンジェルの後ろから伸びてきた手が彼女の襟首を掴み、カーラから引き離した。


「あっ…。」


 名残惜しげにアンジェルは声を漏らすが、そのまま襟首を掴まれた子猫の様に宙に吊られ大人しくなる。

 と、彼女を吊った人物が顔を近づけて小声で声をかけた。


「アンジェル、あれはやめておけ。特に人前ではな。」


「フェル兄ちゃん?」


 アンジェルを吊り上げたのはフェリクスであった。

 フェリクスは声を潜めたまま、話を続ける。


「とりあえずは謝っとけ。大丈夫、アレリアの方もそろそろ時間切れだ。」


 そう囁いた後、吊り上げたままのアンジェルをテッサの方に向けて、頭を下げた。


「大丈夫か、テッサ。悪い、アンジェルにもしっかり言い聞かせておくから。」


 謝罪しつつ揺さ振ってアンジェルに促すと、彼女も口を開く。


「ごめんな、テッサ姉ちゃん。」


 一方のテッサは、顔を赤らめて自らの胸を庇いつつ、視線を逸らして口を開く。


「わ、私達も…ちょっとふざけすぎたから…。」


 そう言いつつ乱れた髪に手櫛を通すテッサ。

 尚、カーラは2人を見ながらニヤニヤと笑みを浮かべている。


「そうか。だったらそろそろ授業だ。席に着こうぜ。」


 話はこれで終わりとばかりに、アンジェルを立たせて席の方に押しやり、自分の席に戻ろうとするフェリクス。

 テッサは何か言いた気に声を漏らし、フェリクスの背に向かってその手を伸ばしかけるが、すぐにそれを諦めて手を下ろした。




「さっきのフェル兄、かっこよかったな。」


 私塾からの帰り道、レオルが授業を思い出して呟く。

 少し前まではユーリアを含めた4人でいつも帰った道であるが、今はユーリアの代わりにアンジェルがその一団に加わっていた。


「まぁ、晒し物になるのは誰だって嫌だからな。」


 そう言いつつ、空を見上げるフェル。

 まだ夕暮れには時間があるが、今頃ジョゼは何をしているだろうかと思いを馳せる。


 ユーリア護送の任務から帰還後、フェリクスは今までとは見違えるほど真剣に私塾の授業を受けていた。

 それだけではなく、騎士隊の訓練にも今まで以上に熱心に取り組み、どんな任務も率先して受ける。

 何が彼をそう変えたのか…人々は推測を巡らし、いくつかの答えに至るが、彼に直接尋ねても苦笑いと共に言葉を濁すばかりだった。


「だけどアンジェル、あれはやめとけよ。人前…特に男の前ではな。」


「そうよアンジェル、あれは淑女のする事では無いわ。」


「うん、わかったよフェル兄ちゃん。アレリアお嬢様も。」


 フェリクス達の言葉に素直に頷くアンジェル。


(だけど、だったらアレが大好きな姉ちゃんは淑女じゃないのかな?)


 そんな事を考えていると、アレリアが小声で口を開く。


「でも…さっきのは助かったわ。ありがとう、アンジェル。」


 アレリアの礼に、アンジェルは満面の笑みで頷いた。




 屋敷に戻ると、アンジェルには様々な仕事が待ち構えている。

 アレリアの身の回りの世話の補助だけではなく、厨房の下働きや掃除の手伝いもだ。

 その日も女中のメリーと共に客間の片付けを言いつけられ、その移動時に屋敷の玄関付近で執事のヨハンと彼が案内する客人に出くわした。


(ちょっと片付けに出るのが早すぎたかしら?)


 そう考えながら慌てて廊下の脇で頭を下げるメリーを見て、アンジェルもそれに習う。


「お見送りありがとうございます、執事殿。それでは、失礼いたします。」


 下げた視線の外から聞こえる客人の声に聞き覚えのあるような気がして、アンジェルはそっと視線を上げ、客人の顔をうかがう。

 カートル…裾丈の長いチュニックの上からサーコートを羽織り、長く赤い髪を結い上げてその上には円形の帽子を被っている。

 商会の女主人といった風に見えるその客人に、やはり見覚えがあるような気がして、アンジェルは思わず凝視する。

 そしてその瞬間、目が合った彼女は一瞬だけ微笑んだ。


(盗賊ギルドのオデット!)


 思い当たった記憶に思わず硬直しているうちに、客人はヨハンと共に玄関から外へ出た。

 そしてメリーが顔を上げて客間に向かう段になっても、アンジェルはその場を動けずに居た。


「アンジェル、どうかしました?」


 不審がったマリーがしゃがみ込み、アンジェルと目線を合わせる。

 そうしているうちに客人を見送ったヨハンが戻ってくる。


「マリー、どうかしましたか?」


「ヨハン様、アンジェルの様子が…。」


 二人の視線を受けて、アンジェルが顔を上げる。

 そして、かすれる声で呟いた。


「今のおきゃくさま…盗賊ギルドの奴だ。」




 デファンス領主、エルテース・ヴィエルニの執務室。

 アンジェルはヨハンにその部屋へと連れてこられていた。

 執務机の後ろで椅子に深く腰をかけ、両肘を突いてこちらを見つめるエルテース。

 その彼の後ろの壁には、何故かクッションがいくつも貼り付けられている。


「アンジェル、旦那様に説明を。」


 エルテースの後ろに壁に妙に気を惹かれて居たアンジェルは、ヨハンの言葉にあわててはいと返事する。


「ブレイユでユーリアお嬢様とはじめて会った時に、ギルドのオデットという盗賊にも会いました。あのお客様はオデットにそっくりで、こっちを見て笑ったからたぶんオデットです。たぶん何かするために、この街に来たんだと思います。」


 孤児であった時のギルドへの恐怖からか、体を震わせながらも報告したアンジェルに、エルテースはふむと頷く。


「報告にあったギルドの女盗賊か…。どうだろうか、ヨハン。本人だと思うか?」


 領主の言葉に、執事は頷く。


「はい。本日の来訪の名目がダマーズ商会の新商館長、オデット様の着任の挨拶ともなれば、それ以外はありえません。ダマーズ商会と盗賊ギルドの繋がりは公然の秘密とはいえ、まったく、隠すつもりすらないようですな。」


 ヨハンの意見に、であろうなと頷くエルテース。

 あっさりとギルドの関与を認めた二人に、アンジェルは拍子抜けして2人の顔に代わる代わる視線をめぐらせる。


「私としましては、アンジェルこそがギルドの送り込んだ密偵…といった僅かな可能性も考慮していたのですが、このお屋敷での生活でも怪しい点が見られないことと、先ほどの報告の態度からして、やはり思い過ごしであったようですな。」


 そう言って笑うヨハンに、アンジェルはショックを受ける。

 自分がそんな風に思われていたとはつゆにも思わず、やがて彼女は目に涙を浮かべだす。


「わ、わたしは、そんな事しないよぉ。姉ちゃんに拾われて、姉ちゃんがずっと一緒に居てくれるって…。」


 嗚咽混じりの言葉を漏らすアンジェルに、しまったとばかりに表情を変えるエルテースとヨハン。

 エルテースが慌てて視線で指示すると、ヨハンは一礼した後にアンジェルに寄り添い、視線を合わせるためにしゃがみ込む。


「ええ、ええ、もちろんです。もう貴女はこの館の仲間です。信頼していますとも。」


 そう言って取り出したハンカチでアンジェルの涙をそっと拭うのを見て、エルテースは安心したかのように頷く。


「ああ、その通りだとも。あー、それでだなアンジェル、もし今後ギルドが接触してきた時には、速やかに我々に報告するように。これは命令ではあるが、君の立場を悪くしないためにも必要な事だ。悪意がなくとも、意思のすれ違いはそれだけで悲劇を生むものだ。」


 エルテースの言葉に、肩を震わせながらも頷きを返すアンジェル。

 と、その時扉がノックされ、開いた隙間からレイアが顔を出した。


「貴方、アンジェルの姿が見えないのだけど、マリーに聞いたらこっちに居るって…。」


 彼女は部屋を見渡し、肩を震わせるアンジェルと、それを抱きとめるヨハン、そしてそれを眺めながら執務机でふんぞり返る夫を見つける。

 途端に眉尻を吊り上げる妻の表情に、傍から見た自分達の状況に気付いたエルテースは慌てて妻を止める。


「ま、まて、早まるな!悪意がなくとも、意思のすれ違いはそれだけで悲劇を―――!!」



 数分刻の後、アンジェルを抱き上げて部屋を出て行くレイア。

 その後ろでは、頬を腫らしたエルテースが椅子から弾き飛ばされたままクッションの貼られた壁に力なくもたれかかっていた。


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