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男装お嬢様の冒険適齢期  作者: ONION
第2章 侍女の生活
68/124

2-32 侍女と初夏の過ごし方

話のペースが遅いなら、文字数を倍にすれば良いじゃない!(錯乱中)

 神暦720年 官の月08日 岩曜日


 瞬く間に日は過ぎて季節は夏。

 このお屋敷でいくつもの月を暮らすうちに、いつの間にか時折催される夜会や会合、客の出入りすらも代わり映えのない日常の一部となっていった。

 その合間に、夜会に訪れたマリオンを正座させて腕輪について問い詰めたり、今度はお忍びではなく堂々と夜会に押しかけてきたニネットが、飲み口はいいがかなり酒精の強い酒に手を出して目を回したりしたのは些細な事か。


 私も順調に経験を積み、侍女として一人前に見てもらえるようになり、1人で仕事を任されるようにもなった。

 奥様にも可愛がって頂き、よく相手をするのでアルフレッド様(ぼっちゃん)にも懐かれている。

 だが奥様がお出かけになる際など、お付きの侍女のうちから数人を選ぶ時には、まだその中には入らない。

 まぁそれも序列の低い今のうちだと思う。

 そう考えれば、留守番も体を休めるのにはいい機会か。


 そうして選抜から漏れた事は結果として粛々と受け止めたのだが、「貴女が付いていればいざというときも安心なのですが、今回はそういった可能性が少ないので経験により選ばせていただきました。」とセリアさんからフォローされる始末。

 それはあれだろうか?

 使用人向けに行われた剣術訓練で、並んで型の練習する使用人たちを横目に凍える大河(フローズンリバー)と腕輪装備でテオ相手に圧倒していたからだろうか。


 それ以来、テオは以前にも増して真剣に稽古に打ち込む様になったが…彼にとっては非常に悔しい結果だったのだろう。

 まぁ、あれだけハンデが付けば圧倒されても仕方がないとは思うが。



 私はその日も仕事を終え、遅めの夕食を摂る為に食堂へやってきた。

 食事の順番が後になってしまったため、時間が遅れた分だけ仕事は早めに上がらせてもらったのだが、胃の中はとっくにからっぽだった。

 おかげで奥様たちに配膳された食事を見るだけで、腹の虫が騒ぎ出し、赤面しそうな顔を平静に保つ事に多大な労力を費やした。


 流石にこんな時間ではナターシャ達も食事を済ませているだろうと、私は1人で食事を受け取り、適当な席に座る。

 その席の後ろには…夜警担当だろうか、4人の騎士と、それに囲まれるようにキアラが座っていた。

 あの事件の後、彼女は真面目にやっているようだが、最近は騎士団や若い男の使用人と絡んでいる事が多い。

 いよいよもって、こっちで伴侶を探し始めたのか?

 他には、時折彼女が出所と思われるペルト領関連の話を耳にすることもある。


 さて、とっとと食事を摂って部屋に戻ろう。

 この後には約束もあるのだ。


第4騎士隊(よんたい)の連中が見たって言うんだ。二月ほど前の夜に、城砦の廊下を飛び回る、女の生首を―――。」


 このお屋敷では平穏な数ヶ月が過ぎたが、お屋敷の外ではかなり大きく動いたらしい。

 まずはアンヴィーのビゾン家。

 私を殴った『アンヴィーの荒牛(マティアス)』は、領地に戻ると穂首派から遣わされた領主本人への弁明を求める書状を携えた使者を追い返し、領主代行として正式に穂首派の脱退を宣言した。

 私としては、あの理知的に見えた(クリストフ)がそのような行為を許すとは思えないが、頭に血が上った荒牛に押し切られでもしたのだろうか。

 その後は時折クリストフから旦那様へとビゾン家の内情を記した手紙が届いているという話だ。

 それによると領主本人は未だに療養中とのことで、屋敷を出るどころか寝台から起き上がる事もままならないらしい。


「まぁ、怖い。それは本当なのですか?」


「まぁ、確かに見間違いは否定できない。しかし、何かがいたのは確かなようだ。それで、その生首を見て情けなくも腰を抜かした連中は、巡回中の第1騎士隊(うちら)に発見されたんだが―――。」


 そしてペルトのベルレアン家。

 デボネアが実家に帰り、その原因をおそらくは自らの都合のよいように歪めて父親に伝えたのだろう。

 ペルト子爵はデボネアへの不当な扱いを旦那様へ抗議し、派閥の会合にてそれを諸侯に訴えた。

 だが、旦那様からの事情説明と、私を含めた証人の証言により、諸侯は大方が旦那様の説明に納得したようだ。

 これにより立つ瀬をなくした子爵は派閥内で孤立するや否や、ビゾン家と接触。

 こちらもあっさりと穂首派を脱退し、共に楠葡派へと走った。


「屋内訓練場を確認したとき、何を見たと思う?…それがな、部屋一面が真っ白に凍り付いていたんだよ。山間出身のやつは雪女(スノーメイデン)が出たとか言って騒いでいたが、それにしちゃぁ時期が遅い―――。」


 ちなみに、ビゾン家の内情はクリストフからの書状、ペルト家の内情はキアラの話を又聞きしたものだ。


「しかもその後も、度々同じように訓練場が雪に覆われる事が起きているんだ。だから悪い事は言わない。夜中にあの辺には近づかないほうが良い。」


 そして背後で「任務中に起きた怖い話」をネタに盛り上がる一同を他所に、食事を終えた私は立ち上がる。

 そうか、雪女か…私もあの部屋はよく使うから、気をつけなきゃね。




 寮の私たちの部屋の前まで来ると、室内から話し声が聞こえた。

 ある意味、私たちにとってこれが一番の変化かもしれない。

 そう考えながら、扉を開く。


「あー、ゆーりあ、おかえりー。」

「おかえりー。」

「おかえりーっす。」

「お邪魔してます。」

「お帰りなさい、遅かったわね。」


 たちどころにかけられる声、声、声。

 そして部屋の手前に増やされた丸テーブルの椅子から、小さな影が飛び出して、私の腰に飛びついてきた。


「ねー、ゆーりあ、あれやって。」


 彼女はアリス。

 エミリーが移った部屋、その先の住人の1人だ。

 歳は8つ。

 アンジェルとよく似た蜂蜜のような金髪をしているが、彼女よりも少し小さい。


 彼女の指差す先には、『凍える大河』が鞘から抜かれて窓辺に吊るされている。

 夏になって気温が上がり過ごしにくい日が続くようになってからは、『凍える大河』に魔力を込めて部屋を冷しているが、彼女達はいたくそれが気に入っているらしい。

 私は彼女の頭に手を置いてくしゃくしゃと髪を撫でる。


「今日はちゃんと触らなかったみたいね。」


 壁に吊るされてるとはいえ、魔剣は魔剣だ。

 下手に触れば指くらい落ちるし、長く刃を触れば凍結の危険もある。

 危険だから触らないように口をすっぱくして注意していたが、やっとその成果が出てきたようだ。


「うん。でも、アリアが触ろうとしたから、めってしたんだよ。」


「あっ、アリス、それないしょ!」


 慌てて上がる声のほうに視線を向ければ、そこにはアリスにそっくりの少女。

 アリア8歳。

 同じくエミリーの部屋の住人だ。

 姉のアリアと妹のアリス、彼女達は双子で『泉の園』からこの御屋敷に小間使いとして派遣されて来ている。

 ちなみにアリアは1本の三つ編みお下げ、アリスは2本のお下げで、アリアは主に台所中心、アリスは洗濯場中心で働いている。

 尚、口さがのない女中からは『1号』『2号』と呼ばれる事もあるようだ…もちろん私はそんなことしないわよ?


「まぁその辺はこっちでも見ているから、多分大丈夫っすよ。もっとも、子供っていうのは目を離したときが一番怖いんすけどね。」


 そう話すのは台所女中のポーレット。

 明るくカールのかかった赤毛に、そばかすの少女。

 エミリーが移った部屋の最年長で、私とは同い年のはずだがエミリーに紹介された時には既に(あね)さん認定されていた。

 彼女も子沢山家族の最年長らしく、甲斐甲斐しくアリアとアリスの面倒を見ていたため、同じような境遇のナターシャと意気投合したようで今では非常に仲が良い。


 そして残るはエミリーとナターシャ。

 ナターシャは自分のベッドに腰掛け、椅子に腰かけたエミリーは部屋の空気を回すために、団扇を持ってゆっくりと扇いでいた。

 騒動直後のエミリーは多少表情に陰があったが、それもポーレットと共に年少組の面倒を見ている間にいつの間にか消えていた。


 私は自分のベッドに上がると、吊るされた『凍える大河』を取ってベッドに腰掛ける。

 そしてキラキラとした視線を向けてくるアリアとアリスの前で、『氷河のグレイシャーブレード』を発動させると、二人は歓声を上げる。


「ふわー、すごいね!」


「うん、すごいね!」


 きゃっきゃとはしゃぐ二人を尻目に、私は再び剣を窓辺に吊るす。

 そのうちに効果が切れて大剣から元の長さに戻るが、その時に周りの熱を奪うようで、しばらくの間、部屋はかなり過ごしやすくなる。

 冷気もまとまって下にある私のベッドに落ちそうなものだが、ここ最近はいい風が吹くのでうまい具合に部屋の中に散っている。


「いやー、いつも押しかけてすみませんね。うちらの部屋は1階だけあって風通しが悪いんで、普段なら寝付くのに苦労するんですけど、この部屋で涼めるおかげで十分に体を休める事ができますよ。」


 そう一見申し訳なさそうに言うポーレットだが、彼女がそんなずうずうしくもあるお願いをするのは訳がある。

 女中はもちろんだが、下働きのアリスたちの職務もかなりの激務だ。

 仕事の時間中は、食事も碌に取れないほど忙しい。

 そんな仕事を毎日こなしている状況で寝不足が積み重なれば、簡単に体調を崩すだろう。

 そのためポーレットは、こちらへの迷惑を承知で、涼みに訪れる事の許可を求め、ナターシャと私は快くそれを受け入れた。

 まぁ、その頃には既に彼女達とは仲良くなっていたし、体調を崩して『泉の園』へ戻されるのを見るのも忍びないしね。


 私は再びベッドに腰掛けると、近寄ってきたアリアを膝に座らせて抱きしめる。

 そしてそのままベッドに倒れて、ゴロゴロと転がった。


「きゃー、いやー。」


 嬌声を上げて笑うアリアと共に、そのまま転がり続け、十分に転がってから身を起こす。


「めがまわるー。」


 私の膝から立ち上がったアリアは、ふらふらとテーブルのほうに歩いて、ポーレットの膝に倒れ込み、うんうんと唸る。


「ユーリア、窓が開いてるから程々にね。」


 微笑ましげに私たちを見つめていたナターシャではあったが、必要な諫言は忘れない。


 だが、その頃には「次は私」とばかりにアリスが私の膝に座っていた。

 私はため息をつくと「じゃぁ抱っこだけね。」とその耳元で囁いて、ベッドに倒れ込んだ。



「さて、そろそろ行かないと。」


 エミリー達が部屋に戻っていった後、私はそう呟いてベッドから起き上がった。

 そろそろ浴場の火が落ちる時間ではあるのだが…まぁこの季節なら残り湯で十分か。


「何か約束事?まさか…男?」


「違うわよ。カスティヘルミさんから呼び出されてるの。彼女が休暇の日だから、精霊術についてレクチャーしてくれるんだって。」


「ふーん、そう。けど、精霊術ってこんな時間から学んですぐに習得できるものなの?」


「さぁ?コツを掴めば、後は早いって聞いてはいるけどね。」


 そう言いつつ、起き上がって身だしなみを整える。

 お仕着せで部屋の外に出る以上、乱れは許されない。


「遅くなるかもしれないから、先に休んでて。」


 私はそう言って、燭台を片手に部屋を出る。

 そんな私を見送るように、ナターシャは無言で手を振っていた。



 女子寮の1階から外に出て、そのまま庭へと向かう。

 待ち合わせの場所は庭園の噴水…まぁ逢引に使うには丁度いい場所なので、ナターシャの予想も意外といい線行っていたのでは無いだろうか。

 庭に入って少し進んだところで、風で蝋燭の火が消えかけて慌てて立ち止まる。

 小さくなった火は何とか燃え続け、辛うじて消えずに元の大きさに戻ったが、ほっと一息ついて前に進もうとしたところで、すぐ目の前の暗がりに人が立っていることに気付いた。


「こんな時間に、こんな場所に、何用じゃ?」


 その人影が一歩進み出たことにより、蝋燭の明かりでその人相が明らかになる。

 シャツに膝に接ぎのあたったズボン、手には火の消えたカンテラを携えた…小柄な老人だ。

 その生え際は随分と後退しているが、真っ白になった立派な髭を蓄えている。


「噴水の所で待ち合わせを。…逢引じゃないわよ?」


 待ち合わせと言った所で、相手が口を開きかけたので先んじて否定すると、これはやられたと老人はぴしゃりとおでこを叩く。


「あなたは何を?」


 私の質問に、老人は大きく目を見開く。

 そして何か思いついたかのようにほくそ笑むと、口を開いた。


「ワシは見ての通りの庭師じゃよ。しかし、丁度良いところに来た。」


「庭師?こんな時間に、火も付けずに?」


 私が相手を怪しむと、ほっほと庭師は笑う。


「この時間に咲く花を見に来たのじゃが、ふと思いついて月明かりで花を見ようとカンテラの火を消してな。十分堪能した後にいざ帰ろうとしたら、今度は足下が暗くてよう歩けん始末よ。何とかここまで来たのじゃが、すまんが火をもらえんか?」


 そう言ってカンテラを差し出す庭師。

 私は頷いてからそれを受け取り、燭台から火を移しつつ口を開く。


「明かりのない道を歩く時は、身を低くすると道がよく分かりまよ。」


 そう言いつつカンテラを返すと、庭師は「まことか?」と口を開いてその場でしゃがみこむ。

 そして「ほう。」と一声上げて周囲を見回してから立ち上がった。


「確かに、しゃがんだほうが道の先がわかりやすいのう。これはいい事を聞いた。礼を言うぞ、娘。」


 まるで子供のような雰囲気でニコニコと笑う庭師。

 しかし、庭師がこのような事も知らないのだろうか?


「じゃが、もう遅い時間じゃ。程々で切り上げて、早く寝るがよかろう。ではの、よい夜を。」


 そう言って歩き出すが、見送る私の前少し先で立ち止まる。


「そういえば名前を聞いていなかったの。わしはロワ・ジャルディニエ。流しの庭師じゃ。」


「ユーリア・ヴィエルニです。奥様付きの侍女をしています。」


「ヴィエルニ?ほうほう。ではな、おやすみ、ユーリア嬢。」


 そして、こちらを見ずに歩き出す庭師。

 私は彼を見送ってから、噴水に向けて歩き出した。




 噴水にたどり着くと、既にカスティヘルミさんがその縁に腰掛けて待っていた。

 その頭上には光が浮かび、ふわふわと漂っている。

 精霊術に光の精霊を呼び出す術があると聞いてはいるが、それだろうか?

 彼女は自らの膝に肘を突いて目を閉じている。

 だが眠っているわけでは無さそうだ。



「お待たせして申し訳ありません、カスティヘルミさん。」


 私がそう声をかけると、彼女はぱちっと目を開く。

 やはり起きていたか。


「庭師殿にお会いしたのですね。」


 カスティヘルミさんが問いかけ…というか、事実を確認しているようにも聞こえる。


「はい。聞こえてらしたのですか?」


 私の問いかけに彼女は頷く。

 先ほど庭師と会った場所から、1アルパン(35.5m)以上離れていたはずだ。

 森妖精(エルフ)は耳がいいと聞いているが、この距離でも聞こえるのか。


「ええ、人の言葉はなかなかに木々に紛れません。特に人族の言葉は。」


 そう言いつつ、噴水の周囲の木々を眺める。

 精霊光に照らされて闇に浮かび上がるのは、よく剪定された灌木、きれいにまとめられた蔓草、そして一角に咲き誇る白い薔薇。


「あの御方は人族にしては木々の気持ちのわかる、非常に優れた庭師です。我々から見ればいささか手を加えすぎる点も目につきますが…。さて、いつまでもおしゃべりをしていては始まりません。私は今日一日、ゆっくりと休ませていただきましたがあなたは疲れもありましょう。とりあえずは精霊術のさわりだけでもお教えしましょう。」


 御方?

 随分と持ち上げるわね。

 しかしそんな事を考えている場合ではない。


「はい、よろしくお願いします。」


 私は真剣な表情で頷いた。




「ではまずこちらを使いましょう。」


 私が彼女に並んで噴水の縁に腰かけた後、彼女がそう言って取り出したのは…手のひらサイズの木のお皿。

 シチュー皿か?


「あなたからは水、氷、雪…といったような、水気の力を強く感じます。であれば、まず水の精霊(ウンディーネ)の力を借りるのがいいでしょう。」


 そう言って、皿に噴水の水を汲んで、膝の上に両手で持つ。


「まずは一つの精霊と契約し、それに力を借りて、その力を使いこなす事が精霊術の基本です。やがて精霊との結びつきが強まれば、いくつもの精霊、そして達人ともなれば上位の精霊である大精霊の力を借りることも可能になります。まずは手本を見せますので、魔力の動きをよく確かめてください。」


 彼女はそうこちらに伝えて反応を見てから、視線を皿に落とし、口を開く。


『―――我が盟友、『早瀬の宮(ラピッドストリーム)』よ、現れ出でよ。』


 そう呟くとともに、彼女の周囲に魔力が漂い、それが皿を中心に集まりだして渦を巻く。

 早瀬の宮?

 精霊の名前だろうか…しかし随分と古風で大仰な。

 けどこれ、魔術師である私なら魔力の流れがわかるけど、魔術の使えない森妖精の子供に教えるときはどうするのだろうか?

 森妖精であれば、誰もが魔力の流れが感じ取れるのだろうか?


 そんな事を考えているうちに魔力はやがて水面へと降りて、水が魔力を帯びる。

 そして私が見守る中、水が盛り上がって、やがてそれは人形(ヒトガタ)となる。

 いや、どちらかというと人というよりも妖精か。

 大きな目、尖った耳、髪は長く流れるままに垂れて足元の水面に消えている。

 胸のふくらみは…ボリュームとしては私よりもあるな。

 …畜生。


「こんばんは、『早瀬の宮』。ご機嫌いかが?」


 ―――ツメタイミズ。ワルクナイ。


 呼びかけるカスティヘルミさんに答える様に、脳裏に声が響く。

 これは精霊の声なのか?

 そう考えながらカスティヘルミの方を見ると、彼女と視線がぶつかる。


「精霊の声が聞こえるのであれば、素質は十分ですね。ねぇ『早瀬の宮』、この娘は精霊術者の見習なの。この娘にもお仲間の力を貸してもらいたいのだけど、祝福をお願いできるかしら?」


 カスティヘルミさんが語りかけると、水の精は初めてこちらに視線を向ける。

 しかし、随分とカスティヘルミさんの口調が砕けている。

 普段の口調は仕事向きで、これが友人への口調なのだろうか?


 ―――シュクフクヲ。ダガ、コノムスメ、ワレラトチギルニ、チカラタリナイ。


「あら、そう?」


 カスティヘルミさんそう問いかけるが、それには答えずに水の精は右手を持ち上げてこちらに突き出す。

 そしてその瞬間、わずかに視界が明るくなった。


 ―――シュクフクヲ、トオキハラカラニ。


 そう言った後に、精霊はカスティヘルミさん向けて頷くと、形を崩し、一瞬で皿の中の水は元の平坦な水面に戻った。


「『遠き同胞』?妖精族がそう呼ばれる事はあっても、人族には使われる事はないのに…。」


 それを見つめながら、カスティヘルミさんは首をひねる。

 しかし、力が足りないのか。

 だったら、習得までかなり時間がかかりそうね。


「まぁ、構いません。祝福はもらえたので、これで多少は水の精霊を呼び出しやすくなった筈です。とりあえずは、今の様に行ってみてください。呼びかけは適当に。呼びかけに精霊が応えれば、その時点で契約は完了となります。その時には、精霊に名前をつけてあげてください。それが唯一の識別手段になりますから。」


 そう言いつつ、彼女は一度噴水に皿の水を戻してから、新たに水を掬って私に渡す。

 ふむ、となるとあの名前はカスティヘルミさんのセンスの賜物か…以外と面白い趣味をしている。

 さて、力が足りないと言われた以上成功するのは望み薄だが、やるだけやってみますか。


『―――水の精霊よ、現れ出でよ。』


 呼びかけは適当に。

 まぁまだ名前のない精霊相手だし、こんなものでしょう。


 そして呼び掛けを行いつつ、魔力を練って皿に収束させようとする。

 しかし私の周囲に集まった魔力は、収束する途中で大気に溶けて散ってしまった。

 後にはそよ風が吹いて私の髪を揺らす程度だ。


「あれ?」


「どうやら上手くいかなかったようですね。途中までは上手く行ってるように思えたのですが。まだ魔力が持つようでしたら、もう一度やってみますか?」


「はい。この程度ならまだまだいけます。」


 私が自信たっぷりに力瘤を見せる真似をして応えると、カスティヘルミさんは困ったように笑う。


「そうですか?ですが明日もお仕事ですから、ほどほどで切り上げますよ?」


 ああ、呆れられているな。

 そう考えながら再び皿に意識を集中し、魔力を練る。


『―――水の精霊よ、現れ出でよ。』


 先ほどと同じ呼びかけを行い、魔力を皿の中の水に収束させ―――ようとした所で、やはり魔力が掻き消えた。

 後には胸元のリボンがひらと揺れるだけだ。

 おかしいわね。

 魔力を漂わせて、回転しながら水の上に収束させた後で、魔力を水面に下ろす…カスティヘルミさんの手順を思い出しつつ、失敗の原因を考える。

 …収束させる前に周囲に魔力を漂わせていなかった?

 あとは…純粋な魔力不足?

 とりあえずこの点を改善してみよう。


「どうしますか?疲れているようでしたら、今日はゆっくりと休んで、又の…。」


「いえ、大丈夫です。いくつか原因が思い当たるので、それだけ試させてください。」


 こちらを思いやるカスティヘルミさんの声を遮り、続行を宣言する。

 こちらを心配してくれるのは有難いが、どうやら私の探究心と負けん気に火がついてしまったようだ。


 体内の魔力を、自分の周囲に漂わせる。

 周囲に風が渦を巻き出すのを感じながら、一旦散らせた魔力を収束しようとするが…明らかに散らせた魔力量と釣り合わない。

 駄目か。

 思わず表情が歪む…と、カスティヘルミさんが噴き出した。

 む、そんなに情けない表情をしていただろうか?

 ちょっとショックなので、努めて彼女の方を見ないようにしながら、次の手を確かめる。



 純粋に練り上げる魔力量を、今までの2倍程度に増やす。

 そしてその魔力を皿の上に収束させる。

 おお、魔力量は減っているが、ある程度は収束させる事に成功した!

 最後にその魔力を、ゆっくりと水面に下ろす。

 ゆっくりと、ゆっくりと…そして水面に触れるかどうかという所で、突然皿の上の水が残らず飛び散った。




 飛び散った水をモロに顔面に食らい、顔どころか前髪からも雫を垂らしながら木皿を見つめる。

 …えーっと、何が起こった?


 ふと気付けば、いつの間にかカスティヘルミさんが噴水の縁から足元へ倒れ伏していた。

 そしてその肩は痛みに耐えるように細かく震えて…いや、違う。

 彼女は、腹を押えて笑いを堪えているのだ。

 だが笑いの波は引かない様で、その努力も空しく声が漏れ出してくる。


「ふふっ、くっ、ふふふ、申し訳ありません、ユーリアさ…ふふふっ。」


 私は無言でお仕着せの隠しからハンカチを取り出し、顔を拭う。

 そして前髪を払って水滴を飛ばし、お仕着せの濡れた部分をハンカチで叩き終わった頃に、やっとカスティヘルミさんが起き上がった。


「も、申し訳ありません、ユーリアさん。私は考え違いをしておりました。」


 考え違い?

 まずは笑った事の謝罪ではなくて?


「そう、そうですね。『早瀬の宮』の言っていた事が腑に落ちました。確かに、確かにあなたの力量では精霊との契約はできないかもしれません。それが、2体目の契約であれば。」



「2体目?」


 私は彼女の話の中から気になった単語を聞き返す。

 彼女はそれに応えようとして、「失礼。」と顔をそらして肩を震わせた。

 私は大きくため息をつくと、彼女の発作がおさまるのを待つ。


「ユーリアさんが契約を試みるごとに、かすかではありますがその周囲で風が生まれていました。最初は周囲に放出された魔力の作用かと思ったのですが、よく見れば、うっすらとですが実体化の不十分な風の精霊(シルフ)が、ユーリアさんが収束した魔力を横取りして風を起こしているのに気付きまして…。」


 そう言いつつ、彼女は私の周囲に視線をめぐらす。


「ユーリアさんの魔力を横取りしては、ちょっかいをかける風の精霊が可愛くって…つい吹き出してしまいました。」


 そしてまたその時を思い出したのだろう。

 彼女の口角がひくりと震える。


「駆け出しの精霊術師では、2体の精霊と契約を結ぶのは困難です。魔力の分配に慣れが必要ですので、臨む結果通りにならないのです。ですので、今のユーリアさんが水の精霊と契約を結ぶには、まず付きまとう風の精霊を散らす…率直に言って、退治して精霊世界へ帰す必要があります。ですが…これだけ気に入られているのでしたら、呼びかければまず失敗はありえませんので、先に風の精霊と契約するのをお勧めしますが…どうしますか?」


 そうか、最近妙にいい風が吹くと思ったら…私に風の精霊が付いていたのか。

 一体、何処で目を付けられたのやら…。

 そんな事を考えている間も、カスティヘルミさんはこちらの返答を待つように首を傾げている。

 だが、満面の笑顔を浮かべていることから察するに、彼女には私の答えがわかっているようだった。



 神暦720年 官の月09日 地曜日


「ういーっす、涼みに来ました~。」


「「きました~っ。」」


「お邪魔します。」


 仕事を終えて部屋に戻り、ベッドで本を読んでいると、いつものメンバーが顔を出す。

 ちなみに、最近はマリエルは滅多に来ない…カロン殿の部屋は魔道具で冷暖房完備なので、絶賛引篭もり中だ。

 この前、無理矢理引きずり出して食事に誘った時は「ローブはね、この時期は地獄なのよ。」と言ってこちらを殺しそうな目で睨んでいた。

 涼しい服へ着替える事も薦めてみたが、去年着替えた時に、トレードマークのローブが無かった所為で「何処の子供が紛れ込んだのだ。」と衛士達に摘み出されそうになってからは着替えていないそうだ。

 来ればアリアが喜ぶのになぁ。


「ひゅー、涼しい~っ!」


「「すずしーっ!」」


 ポーレットが騒ぐと、それを真似してアリスとアリアも騒ぐ。

 そしてそれをナターシャが一睨みで黙らせるまでが、このごろの流れだ。


「けど、今日はいい風が吹いてますね。…って、えっ?あれっ?」


 エミリーは異常に気付いたようだ。

 室内の空気が絶えず動き、冷気が循環しているが…窓は両方とも閉まっている。

 何故このような現象が起きているか、思い悩むエミリーを他所に、アリアが天井を指差す。


「ねぇ、なにかいるよ?」


 ほう、アリアは以前から魔術関連の物に興味を示していたが、精霊にまで気付くか。

 マリエルの肩書きから『見習い』が取れたら、カロン殿に推挙してみようかしら。

 反対にアリスは魔術とかにはあまり興味を示さないのよね。

 もっともその代わりに、剣などの武器、防具を見せると、目の輝きが変わる。

『凍える大河』はもちろんの事、クローゼットにしまってある鎧もだ。

 こっちは素質があれば、小父上に推挙してみるのも良いかもしれない。


 まぁ、それも今日明日の事じゃない。

 ゆっくりと考えればいいわよね。


 そんな事を考えながら、視線を天井に向ける。

 そこには、『凍える大河』から漏れる魔力を受けてゆったりと飛び回る、風の精霊『科戸風の命(ブレスウインド)』の姿があった。


読んでいただき、ありがとうございました。

次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。


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