章外9 小間使いと主従関係
梳る
梳く
梳る
梳く
ニホンゴッテムツカシイネー
神暦720年 王の月24日 森曜日
「さて、これぐらいで十分でしょうか。」
スカートを膝上までたくし上げ、腕をまくったアリゼが満足げに呟く。
その横では同様の格好をしたアンジェルが腕で汗を拭っていた。
二人は部屋の埃を箒で掃き集めるだけではなく、そのまま床も含めての雑巾掛けまで終えていた。
この屋敷では人が少ない事もあり、大貴族の屋敷のように仕事毎に専属の使用人…といった様に分かれていない。
下級使用人として女中が居るが、そのほとんどが職務全般を行う雑役女中であり、主人の身の回りに関してはすべて上級使用人の仕事となっている。
なので掃除も小間使いの仕事のうちで、アンジェルの部屋の掃除はその心がけなどの指導も兼ねていた。
「部屋が埃まみれでは、どう誤魔化そうとしても衣服にそれが表れてしまいます。そのような事がないように定期的に自室の掃除を行い、清潔に保つようにしてください。猫を飼うのでしたら尚更です。」
ちなみに、ミーアは掃除開始時に窓から外に飛び出すと、そのまま窓の下の陽だまりで丸くなっている。
「うん、アリゼ姉ちゃん。」
「そこは『はい、アリゼさん』です。」
「はい、アリゼさん。」
「うん、よろしい。では…そうですね、次はお嬢様にご紹介致しましょう。身だしなみを整えたらお嬢様の部屋に向かいますよ。」
「それって、アレリア…お嬢様?」
「ええ、そうです。よく知ってるわね。」
「うん、姉ちゃ…ユーリアお嬢様から聞いたんだ。わかったよ、ちょっと待ってて。」
一足先に廊下に出るアリゼに、アンジェルはそう言って荷物を漁りだす。
そして目当ての櫛を見つけると、彼女はそれをお守り代わりにエプロンのポケットにしまった。
「失礼します。」
ノックの後に声をかけ、中からの返事を確認してアリゼは扉を開ける。
室内にはアレリアと子守のルネがおり、アレリアは椅子に座って何やら読んでいる。
アリゼは入室後にアンジェルを招くと、扉の内側で共に一礼した。
「奥様から聞き及びかと存じますが、新しい小間使いを紹介いたします。」
アリゼに促され、アンジェルが口を開く。
「アンジェルです。歳は9つです。よろしくおねがいします。」
部屋から移動する際に軽く説明された内容をそのまま述べて再度一礼するアンジェル。
アリゼはそれを横目で見て満足げに頷く。
「彼女はユーリア様付きの小間使いですが、ユーリア様のお戻りまではアレリア様付きとして扱うとの事です。」
アリゼの補足説明にアレリアが頷く。
だが、その視線は何処となく厳しい。
「あなたがアンジェルね。姉上からのお手紙にも、面倒を見てくれとありました。」
そう言いつつ手元の手紙を弄ぶ。
「はい、よろしくお願いします。」
緊張気味に話すアンジェルに、アレリアは無言で頷いた。
(姉上は、何でこんな子を小間使いに…。)
ユーリアからの手紙の文面は、自分を思いやる言葉は一握りのみで大半がアンジェルについて割かれていた。
小間使いとして使うのは構わないが、妹を見るように慈しみを持って見守ってやってくれと。
それが何故か腹立たしく、彼女の視線を尖らせる。
「しかし、丁度良いタイミングかも知れませんね。私は直にお役御免となりますが、アリゼさん1人では、何かと手が回らないこともありましょう。」
そう口を開いたのは、アレリアの後ろに控えていた子守のルネ。
彼女はくすんだ金髪をきっちりと結い上げた長身の女性で、この御屋敷に行儀見習いとしてやって来てそろそろ3年だ。
「私は別に大丈夫ですよ。ユーリアお嬢様の侍女としての経験がありますし。そりゃぁ、アンジェルがいれば確かに何かと楽ができるけど、しばらくは教える事のほうが多そうですし。」
そう反論するアリゼに、「どうだか。」と呟いて不安を表すルネ。
「とりあえずお嬢様のお世話はアリゼさんにお任せしますので、アンジェルはじっくりと私が指導いたしましょう。勿論、アリゼさんに至らない点があれば、共に厳しく指摘しますのでそのつもりで。」
最年長のルネの言葉に、「はい」と返事をするアリゼとアンジェル。
その3人をアレリア黙って見つめていた。
夕食、入浴を済ませてアレリアは部屋に戻っていた。
無論、部屋で髪を乾かして櫛で梳るのは子守、侍女の役目である。
バスローブ姿のアレリアの髪をアリゼが梳る横で、ルネがアンジェルに細かな注意を与えていった。
「髪を梳る際には、優しく、細心の注意を払ってください。お嬢様の櫛は象牙刃製のとても高価なものですが、この材は髪に馴染むのに少々時間がかかります。」
そう注意している間にも、アレリアが小さく「痛っ!」と声を上げる。
「申し訳ありません、お嬢様。」
アリゼはそう謝罪するが特に慌てた雰囲気はなく、半ば諦めたようにそのまま髪を梳る。
「アリゼは相変わらず梳るのが下手ね。」
アレリアはため息混じりにそう呟くが、対するアリゼは困り顔だ。
「だって仕方がないじゃないですか。今まではユーリアお嬢様に梳ってもらってばっかりで、碌にご自分の櫛は使っていなかったんですから。」
アレリア付きとなって半月ばかり…彼女も気をつけてはいるのだがユーリアとアレリアの髪質の違いの所為もあり、未だに力加減がうまくいかない。
ユーリアが使っていた櫛は琥珀亀の甲羅製であり、象牙刃に比べて引っ掛かりが少なく、髪通りも滑らかだった。
それに比べてアレリアの櫛はほぼ未使用で、髪通りも滑らかとは言い難い。
だが櫛材として象牙刃が劣っているというわけではなく、象牙刃の櫛は使い込まれ、髪の油と馴染む事で琥珀亀製の物に劣らぬ程に髪通りもよくなり、その色は淡く黄金色に輝くと貴族の間では非常に人気が高い。
どちらかと言えば上級者向きの櫛ではあったが、あまりそのあたりの事情を知らぬエルテースが王都に出かけたついでに思いつきで買い与えてしまったため、このような状況を招いていた。
「と、このようになっていますので髪を梳る際には十分注意して下さい。」
「はい、ルネさん。」
ルネのアドバイスに素直に頷くアンジェル。
その間もアリゼがゆっくりとアレリアの髪を梳るが、時折恨めしげな声が上がる。
「アリゼさん、私もやってみていい?」
アンジェルの言葉に、アリゼの動きが止まる。
そして意見を問うようにルネの顔を伺う。
「駄目ですね。お嬢様を実験台にするわけには参りません。とりあえずは私たちの髪で練習をしてから…。」
「けど、ねえちゃ…ユーリアお嬢様の髪は、毎日梳いていたよ?」
アンジェルの提案を却下しようとするルネ。
だが、アンジェルの意見で動きを止める。
「それでしたら問題は…ですが象牙刃の櫛に慣れが…。」
「ルネさん、大丈夫ですよ。子供なら力も弱いし。」
そう言って、手招きしつつ横にずれるアリゼ。
そしてアレリアの背後に立ったアンジェルに櫛を渡そうとするが、アンジェルは首を振るとエプロンのポケットから櫛を取り出して、アレリアの髪を梳り出した。
「あら?」
最初は身構えていたアレリアだったが、滑らかに髪が梳られていくに従い、力を抜いて、アンジェルに任せて目を閉じた。しかしアリゼは真剣な表情でお嬢様の髪を梳るアンジェルを見て、大きくため息をついた。
「アンジェル、あなたの櫛ではなく、お嬢様の櫛を使わないと何時まで経っても髪通りがよくならないんだけど。…けどまぁ、その櫛は琥珀亀のですか?随分といい櫛を…って?」
アンジェルの櫛をまじまじと見て、その櫛に見覚えのある事に気付くアリゼ。
事情を問う彼女の表情に、アンジェルは頷いて言葉を続けた。
「ユーリアお嬢様に貰ったんだ。必要になるからって。」
その言葉に、苦笑を浮かべてため息をつくアリゼ。
(まったく、旦那様から頂いた愛用の櫛をぽんぽん与えるだなんて…本当にお嬢様は年下に甘いわね。)
そんなこんなをしているうちに、髪を梳き終えたアンジェルにアレリアは向き直る。
「あなたは小さいのに髪を梳くのが上手なのね。」
「うん、ねえちゃ…ユーリアお嬢様に教えてもらったんだ。」
アレリアの言葉に、アンジェルは照れたように笑みを浮かべる。
「これからはあなたが髪を梳いてちょうだい…って、その櫛が姉上に貰った櫛?」
首をかしげて問うアレリアに、アンジェルは櫛を差し出す。
それを受け取ったアレリアは、まじまじとそれを見た。
「姉上の櫛と同じ琥珀亀の甲羅の櫛で、姉上のと同じ夜百合の彫刻が入っているわね。それに、よく手入れされている…。」
アレリアの呟きに、アンジェルは無邪気に笑みを浮かべて答える。
「うん、姉ちゃんのを貰ったんだ。」
アンジェルの言葉に、アレリアは動きを止めた。
強くて、優しくて、かっこよくて、大好きな姉。
そんな姉が愛用していた櫛を、この小間使いに下げ渡したというのだ。
彼女はそれを素直に信じる事ができなかった。
そんな事、許されるはずがない。
なぜなら、私の姉上の大切な櫛なのだから。
「嘘よ!そんなはずがないわ。あなたは盗んだのよ!」
「違うよ!本当に姉ちゃんがくれたんだよ!」
アレリアから櫛を取り戻そうと、彼女が手にする櫛へアンジェルが手を伸ばす。
しかしアレリアはそれを振り払うと、とっさの事にどうしていいか分からずに動きを止めるアンジェルを尻目に、椅子を飛び降りて部屋の外へと駆け出した。
「大変よ!アンジェルが、アンジェルがお姉さまの…。」
廊下から聞こえるアレリアの声に、我を取り戻すアンジェル。
そしてアレリアを追って、彼女も廊下に飛び出した。
「アンジェルが、アンジェルが!」
廊下に出たアンジェルだったが、既に見える範囲にアレリアの姿は無かった。
だが彼女は聞こえてくるアレリアの声を頼りに走り出す。
(絶対に、絶対に取り返さないと…姉ちゃんの、姉ちゃんからもらった櫛なのに…。)
「待てっ、待てよっ!返せよ!」
涙目で叫びながら、声を頼りに廊下を曲がり、階段を駆け上り、まろびつつも追いかけるその先に、アレリアの姿を見つける。
彼女は廊下でレイアを捕まえて、慌てつつも事情を説明しているようだ。
「母上、大変です!アンジェルが、姉上の櫛を!!」
「違うよ!オレが姉ちゃんから貰ったんだ、返せよ!!」
アレリアに駆け寄り、櫛に手を伸ばす。
だが彼女は櫛を頭上に掲げて、アンジェルの手を届かせない。
「返せよ、返せよ!」
「あなたこそ、さっさと白状しなさい!」
揉みあう二人に、レイアはため息をひとつつくと、アレリアの手から櫛を取り上げた。
そして二人の視線を集めてから、口を開く。
「まったく、二人してはしたない。まずは事情を説明してもらえるかしら?アレリアから。」
「アンジェルが姉上の櫛を盗ったのよ。だっておかしいわ。姉上が父上からもらった櫛なのに!」
「オレが姉ちゃんから貰ったんだよ!早く返せよぉ。」
アレリアの説明に、アンジェルが涙目で反論する。
また大きくため息をついたレイアは、アレリアに問う。
「アンジェルはこう言ってるわよ?」
「嘘よ!お姉さまから隠れて盗ったのよ。そうに違いないわ!」
「姉ちゃんからそんなことするわけ無いよ!」
もはや涙目どころか、瞳から雫をこぼしているアンジェル。
そして「返せよぉ。」と繰り返し呟く。
「それでアレリアはどうするべきだと思うの?」
レイアの言葉に、アレリアは顔に笑みを浮かべ、アンジェルは絶望に顔をさらに歪め、床にへたり込んだ。
「もちろん、姉上に返すのよ!姉上が戻るまでは、私が大切にとって置くわ。」
「それで、アンジェルは?」
「素直に認めるなら置いてやってもよかったけれど、認めないなら追い出したほうがいいわ。」
勝ち誇ったようにそうのたまうアレリアに、アンジェルは眉を歪め、憎悪の視線を向ける。
その視線に危険なものを感じ取ったレイアは、三度大きくため息をつくと「もういいわ」と呟いた。
「あなたの言い分は分かったわ。まったく、困った子ね。」
そう言って彼女は、アレリアの頬を平手で叩いた。
叩かれた衝撃で、大きくよろけ、床にへたり込むアレリア。
無論、手加減はされている。
レイアほどの者が本気を出せば、ゴブリン程度であれば文字通り首が跳んでも不思議では無い。
アレリアは何故そうなったのか理解できない表情で、母親を見上げる。
「ごめんなさいね、アンジェル。甘やかされてばっかりの駄目な子で。」
そう言いつつアンジェルに手を差し伸べて、彼女を引き起こす。
そして彼女の涙を指で拭うと、やさしくその手に櫛を握らせた
「母上、なんで?」
叩かれた頬を押えて、アレリアが問う。
「ユーリアからの手紙には、ちゃんとアンジェルの持ち物一覧が書かれていたわ。そしてその中には、あの子が使っていた櫛もあった。使用人のやり取りの際には、その持ち物も伝えるのは基本だけど、その事をちゃんと知っていた様で安心したわ。もしこれを怠っているようだったら、もう一度儀礼について教えなおす必要があったから。」
と、そこへ二人を追ってきたであろうルネとアリゼが駆け寄ってきた。
おそらく方々を探したのだろう。
二人の肩は大きく上下している。
「奥様、申し訳っ…。」
「あら、貴方達、丁度いいところに。アンジェルを落ち着かせてあげて。彼女は悪くないわ。」
「は、はいっ…。それで、…お嬢様は如何致しましょう?」
まだ息の整わない二人に、レイアは妖艶な笑みを浮かべると、途端に二人の背筋が伸びる。
「それは別にいいわ。あ、そうそう、冷えた水の入ったたらいと、打ち身用の軟膏を用意しておいてちょうだい。あと、タイナに地下室の鍵を開けるように伝えておいて。」
「は、はいっ。」
レイアの指示に、冷や汗をかきつつも早速行動を始める二人。
この屋敷に勤める者は誰もが知っている。
この屋敷でもっとも怒らせてはいけない者が誰なのか。
二人はアンジェルの手を引くと、揃って1階へ向けて速歩で歩き出した。
1人は家政婦室のタイナの下へ、1人はたらいと軟膏を用意するために。
そして、その指示により自分への罰を悟ったアレリアはがたがたと震え出す。
「母上、ごめんなさい。」
「そうね、でもそれを最初に言うべきなのは、私にじゃないわね。あと、それで済ますにはちょっと遅かったわね。」
そう笑顔で言いつつ、アレリアの服の襟首を掴んでひょいと持ち上げるレイア。
「母上、ごめんなさい。アレリアは悪い子でした。だから、だから…。」
レイアはアレリアの言葉を無視して彼女を腰に抱えると、地下室へと廊下を歩き出した。
深夜、アレリアの部屋のベッドの上では、部屋の住人がうんうんとうなっていた。
レイアからの折檻で尻をしこたま叩かれ、それが腫れ上がってしまっているので、彼女はうつぶせたまま起き上がることすらできない。
折檻の後、ルネとアリゼの手によりたらいの水で臀部を冷やされ、軟膏を塗られはしたものの、数刻程度で痛みが引く物ではない。
そんな状況で彼女は痛みに悶え、惨めな自分を恥じ、自らの行いを後悔しつつアンジェルの事を思う。
彼女はどうしているだろうか…こんな事があって、彼女はお屋敷を出て行ったりしないだろうか…それとも役目を外されて別の住人に付くのだろうか…あの櫛を持ったまま。
そんなことを考えていると、部屋の扉が控えめにノックされる。
小さなお屋敷だ。
両親ならともかく、自分には侍女が夜通し控えていたりなどしない。
何度も繰り返されるノックの音に返事をすると、遠慮がちに扉が開き、扉の隙間からアンジェルが顔を出す。
「お嬢様、大丈夫?」
アレリアのベッドに歩み寄ると、小声で声をかける。
「何よ、仕返しに来たの?」
アレリアは羞恥からアンジェルに目を合わせず、涙目でそっぽを向く。
彼女はベッドにうつぶせの状態であり、寝巻きは着ているものの痛みのため上に布団を掛ける事もできない。
「違うよ、心配だから見に来たんだ。アリゼさんが、多分眠れてないから見て来いって。大丈夫?お水とか飲む?」
アンジェルの問いに、アレリアは無言で首を振る。
「何かあったら言ってね。わたしじゃできない事でも、アリゼさんとか呼ぶし。」
アレリアは再び首を振る。
「あなた、怒ってないの?」
アレリアが問うと、アンジェルは少し考え込んで宙に視線を向ける。
そして考えをまとめると笑顔で答えた。
「怒ったよ。怒ったけど、お嬢様も姉ちゃんの事が好きなんだと判ったら、あんまり怒れなくなった。だっておいらも姉ちゃんの事が大好きだもん。」
「わ、私のほうが姉上の事が大好きなんだから。」
「うーん、そうだね。だから、もし姉ちゃんの櫛があったら、すっごく欲しがると思う。だから、仕方がないかなって。」
アンジェルの言葉に、アレリアは安心したようにため息をつく。
しかし、彼女はすぐに表情をこわばらせると、恐る恐る質問する。
「あなたは…どこかに行っちゃうの?」
「ううん、行かないよ。この場所は姉ちゃんが用意してくれた場所だから。」
アンジェルが笑顔で答えると、アレリアは再び口を開く。
「あなたは、私付きをやめちゃうの?」
「やめないよ。姉ちゃんが、よろしくやれって言ってたから。」
アンジェルの返事に、アレリアは今度こそ安心して大きく息をつく。
「そう。だったら、あなたを私のそばに置いてあげるわ。その代わり、髪を梳かす時は、あなたの櫛を使ってね。」
「うん、いいよ。」
アンジェルは笑顔で頷くと、アレリアは顔を隠すように枕に顔をうずめた。
「そう。だったら早く寝なさい。明日も仕事よ。」
「うん、わかった。じゃぁおやすみなさい、お嬢様。」
「おやすみ、アンジェル。」
挨拶を交わして、アンジェルがベッドの脇を離れる。
それを見て、アレリアが躊躇いがちに口を開いた。
「あ、あと、あのね?さっきは…その…。」
「あ、そうだ。」
アレリアが口ごもる中、何かを思い出したアンジェルがくるりと引き返してベッドに戻ってきた。
「奥様が、これぐらいはしておけって言ってたんだけど…。」
そう言って、小さな手を持ち上げる。
「これでおあいこ!」
アンジェルがアレリアの尻にその手を振り下ろす。
あくまでも振り下ろすだけの、重力に任せただけの優しい一撃ではあったが、アレリアは痛みのあまりベッドの上で大きく跳ねる。
「痛いっ!もうっ、アンジェル!!」
「あははっ、これで恨みっこなしだよ、お嬢様。じゃぁ、おやすみなさい。」
アレリアの声を無視して、アンジェルはそそくさと部屋を出ていった。
「もうっ、だったら謝るのは無しよ!」
そう閉じられた扉に言い捨てるも、それを聞く者も無く、後に残るのは熱を持った尻の鈍い痛みのみ。
アレリアは枕に顔を押し付けてそれに耐える。
やがて痛みが引いてくると、彼女はそのまま息を整えて目を閉じる。
とりあえずは寝よう。
寝ている間は痛くないはすだ。
目を閉じたままそう考えて、静かな呼吸を繰り返しているうちに、やがて彼女は眠りに落ちていく。
アンジェルの櫛から彼女の髪に移った、ユーリアのかすかな匂いに包まれながら。
次回からはユーリア編。
そろそろ男装させないと。
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
ご意見、ご感想などありましたらお気軽にお寄せください。
評価を付けていただければ今後の励みになります。
誤字脱字など指摘いただければ助かります。




