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男装お嬢様の冒険適齢期  作者: ONION
第2章 侍女の生活
66/124

章外8 小間使いの新天地

 神暦720年 王の月24日 森曜日


 川と森の間の街道を西に進む馬車と騎馬の一行。

 ゴトゴトと進む馬車の御者席の上で、アンジェルは毛布に包まりその道の先を見つめていた。

 川と森の間、街道を挟むように前方へと続く麦畑の先、霞んだ景色の向こうにおぼろげに見えた点は、やがて影になり、建物の一群となる。


「やれやれ、やっと戻ってきたか。アンジェル、あれがデファンスだ。この国の北西の外れの街、そして君の新天地だ。」


 安心したように大きく息をつき、アンドレがアンジェルに伝えた。

 今日は旅程の最終日と言う事で普段よりも早く宿を出た。

 そのおかげで、太陽は未だ南天を過ぎたばかりだ。

 日差しを手のひらで遮りながら身を乗り出して前を見つめているアンジェルを彼は盗み見る。


(ブリーヴを出てからは寂しげな表情を見せる事もなくなったし、ブレイユで墓参りをした後はやる気に満ちた表情に変わった。両親の霊前に誓いでも立てたか…まぁ何かに縋るのも時には効果的だろう。それに比べてフェリクスの坊やは…悩み事の真っ最中か。)


 ちらと横を見れば、馬車に併走する騎上で心ここにあらずといった表情のフェリクス。

 それでも馬の扱いは問題なくこなすが、注意が散漫だとボーダンに叱責される回数は増えた。

 だがまぁ、悩むのも話者の特権か…とアンドレは視線を前に戻す。


「けどおっちゃん、この街って城壁は無いんだね。」


「ああ。まぁ田舎町だからな。西のリオタール公国との間には大山塊の峠道に小さな砦があるし、北のラヴォリ国との間には紅の森が広がっている…。両方とも軍隊が超えるのは一苦労だし、森の浅い場所であればモンスターも出ない。だが七百年前の『大戦』の時には、ラヴォリから押し寄せる魔軍への防衛線の中心として長い間その侵攻を防ぎきり、跳ね返した上で大攻勢の拠点となった街だ。もし盗賊団が町を襲ったとしても、彼らは自分達の見る目のなさを後悔しながら絞首台に登る羽目になるだろうさ。」


 自慢げに故郷の歴史を語るアンドレ。

 しかしアンジェルはイマイチピンと来ていない様で「へー、すごいね。」と気のない返事をするばかりだ。


「まぁ、それも私塾に通う事になれば習う事だな。」


 そう言って苦笑しながら視線を前方に戻す。

 街道をすれ違う馬車とすれ違い、そして川を下る船に視線を移す。

(小船の割に喫水が深いが、あまり荷物を積んでいるようには見えないな…だとすれば積荷はリオタールから来た鉱物か。)

 このあたりは東風がよく吹くので、日和が合えば筵のような帆でも十分に小船を上流に押し進める。

 その足で穀物やワインをデファンスまで運び、ラバや牛に積み替えて大山塊を越えるのだ。

 そんな生業に精を出す商人達を眺めながら、一向は街へ進んでいった。



 街に入った馬車と3騎の一向は、そのまま領主の屋敷の前の広場まで進み、歩みを止める。

 そう、3騎だ。

 ヤンは領境を越えたところでボーダンの指示により先行し、副隊長(ラザール)領主(エルテース)に事前に報告書とユーリアからの手紙を届ける任に就いている。

 そして屋敷の前には、そのヤンと副隊長が立っていた。


「一同下馬、整列!」


 ボーダンの号令により、騎士達が馬を降り、ヤンも加わって副隊長の前で整列した。


「気をつけ、敬礼!ユーリアお嬢様護衛班、任務を遂行し只今帰着致しました!」


 一糸乱れぬ敬礼に、口端を歪めて満足そうにラザールは一同を見渡すと返礼をする。


「ご苦労、直れ。さて、これより隊長への報告に向かうが…」


 そう言ってラザールは騎士達の背後に視線を向ける。

 その先には、アンドレと共に御者台を降りたアンジェルが、騎士達が礼を交わす間にその馬の手綱を保持していた。


「その娘がユーリアが拾ったと言う小間使いか。おい!」


 声に振り返ったアンジェルに、ちょいちょいと手招きをするラザール。

 そしてとてとてと寄ってきたアンジェルに、腰を落として視線を合わせる。


「ワシは嬢ちゃん…ユーリアの伯父でここの騎士隊の副隊長をやっているラザールだ。おまえ、名前は?」


「―――アンジェル。」


 初対面の筋骨隆々の厳つい顔の大男に、流石に腰が引けたのか言葉少なに答えるアンジェル。

 だが彼はそれを聞くとニカッと笑う。


「おお、そうか、アンジェルか。よし、それでだな、これから領主へ報告に行くから、一緒について来い。」


岩鬼(オーガ)の笑い』―――。

 部下達にそう揶揄されるその笑顔だが、意外と子供達には受けがいい。

 アンジェルもその笑顔に恐怖心が薄れたのか、笑顔で頷く。


「うん、わかった。あっ、そうだ、ミーアも連れて行ったほうがいい?」


「ミーア?」


 突然出てきた名前に、視線で問われたボーダンが「アンジェルの飼い猫であります。」と答える。


「む、そうか。まぁ屋敷で世話になるのなら、連れて行ったほうがいいだろう。」


 ラザールの言葉に、大きく頷くアンジェル。

 そして馬車に走り寄ると扉を開け、暗がりからミーアを引っ張り出すのだが、流石に剣牙猫(サーベルキャット)は予想していなかったのか、ラザールは大きく驚きの声を上げた。




 屋敷の廊下を一行が進む。

 先頭はラザール、それに騎士が続き、最後にアンジェル、ミーアだ。

 一行は領主謁見用の広間の前で足を止めると、ラザールが扉の脇に控えた従者に用向きを伝え、そして従者が中に取り次ぐ。

 そして中からの入室の命に答えて、両開きの扉が大きく開かれた。


「お嬢様護衛班、帰着致しました。」


 室内の一段高くなった所にある椅子に座るエルテース。

 その左手にはレイアが、右手にはヴィエルニ家に仕える唯一の執事であるヨハンが控えている。

 その前で護衛班の4人が横に並び敬礼をし、一歩下がったところでアンジェルが腰を折る。


「うむ、ご苦労。報告は受けた。楽にせよ。」


 エルテースはそう言いつつ、手元にある報告書を示してみせる。

 一同が姿勢を緩める中、ため息をつきつつ話を続ける。


「行儀見習いの護衛…だけであったはずが、盗賊団の相手まで良く果たした。これで近隣領内の被害も落ち着こう。隊に復帰し、まずは休養を取れ。ボーダン、細君の経過も安定しているとの話だ。早く顔を見せて安心させてやるがよい。」


 デファンスの騎士隊は、他の大領に比べて規模が小さいだけあって、家族ぐるみに付き合いも多い。

 エルテースには微妙な時期に長期の任務を振った負い目もあり、家族の様子に気を配っていたのだ。

 そんな騎士隊長の心遣いに、ボーダンは頭を垂れる。


「さて、それでその娘がユーリアの小間使いか?」


 話題が自分の事に変わったのを見て、アンジェルが前に出た。


「アンジェル…です。」


 そして腰を折って一礼する。

 これだけはユーリアの指示で何度も訓練し、身に着けていた。


「デファンス領領主、エルテースだ。」


 自己紹介を交わした後に、エルテースは大きくため息をついた。


「まったく、犬猫ではあるまいし、簡単に拾いおって…。」


 そうぼやくと、ミーアが抗議を込めて「にゃー」と鳴く。


「む、そうか、猫も一緒だったか。まぁそれはよい。拾って小間使いにするとユーリアが言った以上、当家で面倒をみよう。それでよいな、レイア?」


 エルテースが視線を向けると、レイアは優雅に頷く。


「ええ。ユーリア付きの侍女はそのままアレリア付きにするつもりだったけど、ユーリアが戻ってきた時の事を考えれば何人か増やす必要があるから、彼女は丁度いいわね。それに年頃の侍女も何人か居るから、彼女達を何時までも仕事のみに縛り付ける事もできないし。」


「ふむ、そうだな。では彼女の仕事は?」


「ええ、アレリア付きにして侍女の仕事を学ばせながら、下働きをさせようかと。後は…アンジェル、貴女読み書きはできなかったわよね?」


 レイアの質問に、アンジェルは頷く。

 ユーリアからの手紙には、寺子屋で学ばせて欲しいとも書いてあった。


「そう、だったら寺子屋で…。」


 そう話をしようとしていたところに、ノックの音が響く。

 執事が扉に歩み寄り、用向きを聞いてから、エルテースの元に戻りそれを伝える。


「何、レイシェル殿が?ふむ、丁度良い、通せ。」


 そして扉へ戻った執事と共に、赤髪の賢者が室内に入ってきた。


「面会中失礼する。先ほどうちにもユーリアからの文が届いてな。たまの休日でそろそろ出かけるつもりではあったが、気になったのでその前に寄らせてもらった。」


 そう言いつつ、堂々とエルテースの前に進み出るレイシェル。

 それには領主に対する遠慮も割り込みに対する気遣いも感じさせられないが、それでも誰もが納得するような威厳に満ちていた。


「賢者レイシェル、丁度良いところに。彼女はアンジェル、ユーリアの小間使いとして屋敷に置く事になり、丁度今、彼女を寺子屋に通わせようと話しておった所です。」


 エルテースが自らレイシェルに説明する。

 立場的には彼のほうが上ではある…が、幼い頃の学問の師であり、先妻の養母であり、元義理の母である彼女には頭が上がらない。

 彼の説明に、レイシェルは室内を見回し、それらしき人物に声をかける。


「ふむ、お前がアンジェルか?ユーリアからの文にはブレイユで拾ったとあったが…む?お前、何処の出だ?」


 最初は興味なさそうに眺めていたレイシェルであったが、アンジェルをまじまじと見ると、その目に真剣な光が宿る。

 その目に圧倒されて言葉に詰まるアンジェルに、ボーダンが助け舟を出した。


「彼女は…ブレイユの西にあった開拓村の出身だそうです。少し前に井戸が枯れて住民は離散、盗賊団の根城になっていたところを、ギルドと共に討伐いたしました。」


「ほう、そうか。おい、アンジェルとやら、親はなんと言う?祖父母は?その先祖は?孤児だと言う話だが、親はどうした?」


「えっ?えっと…。」


 矢継ぎ早にされる質問、だがアンジェルは戸惑うばかりだ。


「レイシェル殿、そのあたりで。彼女も知らぬ土地に来て戸惑っております。」


 見かねたエルテースの言葉に、我に返るレイシェル。

 そんな彼女に、アンジェルが多少戸惑い気味に答える。


「父ちゃんがジブリル、母ちゃんがミシェル。二人とも流行り病で死んじゃった。じいちゃんばとあちゃんの名前は知らないや。」


 それを聞いて、レイシェルは目を大きく見開き、その後で息をついた。


「何と…しばらく振りに訪れれば村はなく、ノエルの眷属も滅びたとばかり思っていたのだが…何たる僥倖。」


 そして彼女はエルテースに振り向いた。


「喜べエルテース。この者は昔々にこの街を旅立ったノエルの一族の末裔。暖かく迎えてやるがよい。」


 レイシェルの言葉に、記憶を漁るように顎に手を当てて考え込むエルテース。

 だが、すぐに思い当たったのか、その顔が驚きの表情に染まる。


「おお、ノエルの一族ですか。史書に記述があったことは憶えていますが…。」


 彼にとって、『ノエルの一族の離脱』は気の遠くなるような歴史上の出来事でしかなく、実感が沸くはずもなかった。


「村が滅んで以降は方々に手を尽くしたが手がかりもなく、もはや再会が適うとも思わなかったが…まったく、ユーリアめ。やってくれるわ。」


 そう言ってレイシェルはニヤリと笑う。


「この者を寺子屋に預けると言ったな?だが、寺子屋に通わせるにも、少々歳を取りすぎているな。いいだろう、かわいい弟子の頼みだ、私が教えよう。」






 謁見の間を退出した後は、侍女のアリゼに案内され、使用人用の離れに来ていた。

 アンジェルが案内されたのは、半ば倉庫として使用されていた小部屋だった。


「貴女には、こちらの部屋を使用していただきます。」


 窓を開けながら、アリゼが説明する。

 彼女はすみれ色の髪を結い上げた17歳、デファンスの南にある大山塊と霧の山脈に挟まれた、ヴローという小さな村の領主の娘であり、行儀見習いとしてデファンスに来ている。

 彼女が窓を開けたことによりそこから風が入り込み、開けっ放しとなっている扉から抜けていく。

 その風が巻き上げた埃に軽く咳き込みながら、「マスクが必要でしたね。」と呟く。


「とりあえずはこの部屋の掃除からですが…お仕着せ代わりの服は用意していますが、仕立て直しに少々時間が掛かりそうです。何かご自分で適当な服を用意していますか?」


 彼女はそうといながら、孤児と言う割には妙に多かった荷物に視線を送る。


「うん、もらった服にいいのがあったよ。」


 アンジェルはそう言って鞄を漁りだす。

 そしてその中から引っ張り出したのは、丈夫そうなワンピースとエプロン。

 早速着ていたよそ行きのワンピースをベッドに脱ぎ散らかすアンジェルを横目に、アリゼはアンジェルのワンピースを検分する。


「まぁ、随分といい生地を使っていますのね。飾りは少ないですが縫製はしっかりしていますし…お嬢様が買い与えられたのでしょうか?」


 アリゼはこの御屋敷に来てからずっと、ユーリア付きとして働いてきた。

 なのでユーリアの気性をよく知っており、彼女であればその庇護下にある者には気前よく与えるであろうと予想する。


「違うよ。奥様から貰ったんだ。」


 アリゼから受け取ったワンピースを頭から被るアンジェル。

 しかし、ボタンを外していないので頭を出す事ができない。

 アリゼは微笑みと共にため息をついてから、アンジェルに待つよう声をかけて、ボタンを外す。


「奥様?レイア様ではありませんわね?」


「ありがとう、アリゼ姉ちゃん。んーと、奥様…ブリーヴのはくしゃくふじん…って言ってたよ。」


 ブリーヴ伯。

 この国で多少は学のある市民であれば、誰もが知っている大貴族である。


「まぁ。貴女は孤児と聞いていましたが…何故ブリーヴ伯夫人とお知り合いに?」


 普段はこのお屋敷から出ることすら少ないアリゼは、興味深げに問いかける。


「えっとね、姉ちゃん…お嬢様と馬に乗って出かけた時に、伯爵のお嬢様を助けたんだ。それで、お礼にお呼ばれした。」


「まぁ、それで。で、お屋敷はどうでしたの?」


 身を乗り出して続きを促すアリゼ。


「えっとねぇ、すごく大きかったよ。街の中のね…。」


 自分の見てきたものを、少ない語彙で説明するアンジェルと、矢継ぎ早に質問を飛ばすアリゼ。

 こうして話に花を咲かせつつ、アンジェルの部屋の掃除が進んで行くのであった…。






「さて、これぐらいで十分でしょうか。」


 スカートを膝上までたくし上げ、腕をまくったアリゼが満足げに呟く。

 その横では同様の格好をしたアンジェルが腕で汗を拭っている。

 二人は部屋の埃を箒で掃き集めるだけではなく、そのまま軽く雑巾掛けまで終えていた。


 この屋敷では人が少ない事もあり、大貴族の屋敷のように仕事毎に専属の使用人…といったように分かれていない。

 下級使用人として女中も居るが、そのほとんどが職務全般行う雑役女中であり、主人の身の回りに関してはすべて上級使用人の仕事となっている。

 なので掃除も小間使いの仕事のうちであり、アンジェルの部屋の掃除は掃除をする際の心がけなどの指導も兼ねていた。


「部屋が埃まみれでは、どうつくろっても服装にもそれが表れてしまいます。そのような事がないように定期的に掃除を行い、清潔を保つようにしてください。猫を飼うのでしたら尚更です。」


「うん、アリゼ姉ちゃん。」


「そこは『はい、アリゼさん。』です。」


「はい、アリゼさん。」


「はい、よろしい。では…そうですね、次はお嬢様にご紹介致しましょう。身だしなみを整えたら、お嬢様の部屋に向かいます。」


「それって、アレリア…お嬢様?」


「ええ、そうです。よくご存知ですね。」


「うん、姉ちゃ…ユーリアお嬢様から聞いたんだ。」


 そう答えてにっこりと笑うアンジェル。

 なおミーアは掃除が始まると窓から外に飛び出して、窓の下の陽だまりで丸くなって居眠りをしていた。


読んでいただき、ありがとうございました。

次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。


ご意見、ご感想などありましたらお気軽にお寄せください。

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