2-30 侍女と女中と大掃除(3)
前回投稿後に風邪をひいてまだ治らない…
普段は喉を痛めてそこから…というパターンが多いのですが、
今回はなんか肺から来ましたわ。
皆さんもお気をつけて。
神暦720年 王の月27日 地曜日
「非常に申し上げ難い事なのですが…再確認の結果、帳簿と在庫の差異が解消されました。」
その言葉で食堂内は一瞬静まり返り、その後に先程よりも大きくざわめいた。
「えっ、何で?」
「あの酒瓶は?」
「じゃぁ犯人は…って何が盗まれたんだっけ?」
それぞれが自分の思った事を口に出す使用人達。
例外は私とエミリー、ナターシャ、そしてバートン夫人と執事達…あと、当のデボネアたちも唖然として言葉を発せないでいる。
「そんな!何かの…確認違いでは?それに、その酒瓶は酒貯蔵庫から盗まれたもの…。」
デボネアが列を抜け出し、ドミニクさんに詰め寄る。
そしてそれに気付いた侍女・女中から、波が引くように喧騒が静まっていく。
「漏れていた増減の記入が修正されたため、差異がなくなりました。在庫に関しては、既に数度確認され、帳簿と一致しております。」
そう応えるドミニクさん。
だが、実際には数え直しなどされてはいない…いや、そもそも差異など無かった事を、私は知っている。
そう、すべてはデボネアを貶める為…いや、それだと人聞きが悪いわね。
彼女の企みを白日の下に晒すために、家令以下も巻き込んで今回の騒動を引き起こしたのだ。
「それに…この銘柄の昨年産の物は近年稀に見る素晴らしい出来でして、方々に手を尽くして大量に確保したまではよかったもののそれも些か度を過ぎてしまいました。おかげで酒貯蔵庫には未だにその在庫が潤沢にあり、今年はまだ新酒は仕入れていないのですよ。ああ、味見用に数本仕入れましたが、それはすべて執事と従者達で消費しました。」
そう言って、腹をぽんと叩くドミニクさん。
無駄な肉のない、歳の割に鍛えられた体型の所為で動作としては似合わないが、家令の厳つい表情とその動作の組み合わせは妙に微笑ましい。
ちなみに、味見は執事達の職務であり役得であるので問題は無い。
「ただ…まだ解決していない問題があります。」
バートン夫人もドミニクさんに歩み寄る。
その後ろにはエミリー。
「エミリーへの指示の件です。こればかりは見過ごす訳には参りません。」
そしてデボネアを一睨みする。
「すべてこの女の戯言です!高貴な私が盗みを指示するなど…」
「お黙りなさい!」
バートン夫人はデボネアの言い訳を一蹴する。
…そろそろ出番かな?
私も彼女達のほうに歩み寄った。
「エミリーさん、先程は「盗んでくるようデボネアさんに指示を受けた」と「酒瓶を渡した」と言っていましたが、その酒瓶は何処から手に入れたのですか?」
バートン夫人の質問に、エミリーはこちらに視線を向け…私が頷くと、口を開いた。
「指示の件についてユーリアさんに相談した所、彼女が用意して下さいました。」
皆の視線が集まる中、軽く黙礼して前に出る。
「エミリーさんにはとりあえずは私の私物を使って頂きました。ああ、そうそう。奥様の御用などと申しましたが、その節は申し訳ありませんでした、デボネアさん。」
私の言葉に、やっと階段での出来事を思い出したのか、デボネアが目を見開く。
あんまり他の侍女の事は気にかけていなかったのかしらね。
「貴女は…あの時の女中!」
「はい。貴女達が彼女を取り囲み、盗みを指示していた時の…女中の振りをしていた侍女です。」
私はうっすらと笑みを浮かべてから、ドミニクさんに向き直る。
「エミリーの発言については私が証言いたしましょう。私も、デボネアさんたちがエミリーに指示する所を目撃しました。」
そう発言する私をデボネアが睨む…が、それが怖いとはちっとも思わない。
剣術の訓練中の母上の視線のほうが何万倍も怖いわ。
「成程…わかりました。ではデボネアさん、何か申し開きがありますか?」
ドミニクさんの言葉に、デボネアはふんと鼻を鳴らす
「まったく…下賤の輩が寄ってたかって高貴な私に意見するなど…片腹痛いわ。あなた達の処遇など、私がお父様にお願いすればどうとでも出来るものを…哀れなものね。」
彼女の言葉に、周囲の皆の顔が引きつる。
…あんまりやりたくないんだけどなぁ。
まぁ仕方ないか。
私は一歩前に出ると彼女に顔を近づけ睨む。
そしてたじろぐ彼女を鼻で笑うと、高飛車に言い放つ。
「下賤?笑わせないで。この伯爵令嬢、ユーリア・ヴィエルニを下賤と言い切るなんて、さぞや高貴な家の出身なんでしょうね。もしよければ、ご家名をお聞かせ願えますかしら?」
そう言って、彼女を見下すように胸を張る。
対する彼女は言い返す事もできずに…って、言い返せないって事は伯爵令嬢である私が居た事にも気づいてなかったの?
まったく、行儀見習いなんて人脈を育てるのも目的のひとつでしょうに。
女中までとは言わないけど、上級使用人の名前と出身くらい確認しておきなさいよ。
「くっ、キアラ、ジゼル!何とかしなさいよ!」
って、腰巾着に丸投げか。
いよいよ万策尽きたか?
「ええっ!?キアラさん、どうしましょう?」
「だから私はやめとけって言ったのよ。…まぁ、こうなった以上はどうしようもないわね。さっさと謝って、沙汰を待ちなさい。」
ジゼルは無策、そしてキアラは多少は道理がわかっているようだが、流石にこの状況はいかんともしがたいのだろう。
無条件降伏を勧めてはいるものの、彼女もそれは望み薄だと思っているようだ。
デボネアのちっぽけなプライドが彼女にそれを許すはずもない。
「くっ…まったく、使えないわね。そう、そうよ、奥様に取り入れば…。」
「奥様へは既に報告済みであり、この件に関しては私に一任されております。無論、片が付き次第私自身の処遇も伺うつもりです。」
最後の望みも断ち切られ、呆然とするデボネア。
本当、腰巾着や使い走りがいなきゃ何にもできないお嬢様ね。
…そんな彼女の前に進み出たのは、今までずっと黙っていたエミリーだった
彼女は力なく微笑むと、胸の前で手を握って、祈るような格好でデボネアに優しく語り掛ける。
「デボネアさん、これ以上は貴女の立場が不利になるばかりです。もうやめて、皆さんに謝りましょう。大丈夫ですよ、皆さんに心から謝って、真面目にお仕事に取り組めば、いつかきっと許してもらえる日が来ます。辛いでしょうけど、私も一緒に頑張りますから、だから…」
そう辛抱強く説得するエミリーを、デボネアはキッと睨む。
「そもそも、あなたが悪いのよ!あなたが素直に言う事を聞いていれば!貴女がバレずに酒貯蔵庫から盗んでくれば!貴女があの女に相談しなければ!そう!貴女が…!」
エミリーの忠告を聞き届けるばかりか、彼女に対しての恨み言を吐き続けるデボネア。
だがエミリーは反論もせずにそれをじっと聞いていた。
「そう…ですか。仕方有りませんね。」
エミリーはそう呟いて寂しげに笑うと、俯き、握ったその手をほどいてだらりと垂らす。
そしてその数瞬の後、彼女はキッと顔を上げると素早くその手を振り抜いた。
乾いた音が響く。
頬を張られたデボネアは呆然とエミリーを見つめる。
…ただの女中だと思ってたけど、腰の入った中々の平手打ち―――いや、そうじゃない。
数秒刻の後、怒りに我を取り戻したデボネアは、すぐさまエミリーの頬を張り返し、数回の平手の応酬のあと、互いに掴みかかった。
「ちょっと、エミリーさん?デボネアさん!?皆さん、止めなさい!」
バートン夫人の命令に、あまりの事に口を開いていた侍女や女中達が我を取り戻し、わっと二人に押し寄せる。
その中でナターシャを見かけた私は、彼女にエミリーの方に行くよう合図して自分はデボネアの方に向かう。
彼女の肩に腕を掛けて、力任せに引き剥がす…って、執事はともかく、なんで従者達が来るのよ!
特にニコラス、楽しそうな顔をして近づいて来てるんじゃないわよ!!
神暦720年 王の月28日 闇曜日
結局、昨日の朝礼は大騒ぎのうちに幕を閉じた。
エミリーの暴力沙汰の所為で、酒瓶問題は有耶無耶となりそのまま奥様預かりとなった。
流石にバートン夫人もつかみ合いの大喧嘩になる事までは予測していなかったか。
エミリーとデボネア一派は共に謹慎、他の侍女女中は大急ぎで日常の業務に戻り、屋敷の平穏な日常を演じたが、屋敷の住人が居ない所では朝礼の話で持ちきりだった。
そして私が自分の仕事と、初めての常夜番もこなして早朝に部屋に戻る時に、女子寮の廊下でデボネアとジゼルを見かけた。
両手に鞄を提げて動きやすそうな私服を着たデボネアは、私と目が会うとぷいと視線をそらし、そのまま足音を立てて階段を下りていく。
そして「待ってくださいよ~!」と同じく私服を着たジゼルが、両手どころか背中にも荷物を背負って続く。
昨日の今日で故郷から迎えが来るはずもないし、お嬢様が駅馬車で旅…というのも物騒だから、迎えが来るまで適当な宿か伝のある屋敷にでも転がり込むのだろうか?
そんな彼女達とすれ違い部屋の方に進むと、彼女達を見送るようにキアラが立っていた。
「貴女は行かなくていいの?」
私が問うと、彼女は微笑んで応える。
「私はこれからもお屋敷の内情を故郷の本家へ伝えるために残る事になったの。」
「ふーん。って、それを言っちゃって良いの?」
彼女は苦笑する。
「まぁそれは表向きの理由で、本心を言えば、そろそろ見切り時かな…って。アレと一緒に故郷に帰っても、アレに散々振り回された挙句に、本家の意向に従って嫁がされて一生本家の顔色伺って生きていく事になるのが目に見えてるしね。それに、アレが本家に帰って大きな顔をするようになれば、没落もそう先の話ではなさそうだし、いっそのことこのまま行儀見習いを勤め上げて、家を出て外で玉の輿狙った方がまだいい暮らしが出来るかな…と。」
…ぶっちゃけるわね。
けど、家の外に出て自分の力で生きていく…って生き方には少し憧れるわね。
自分には望むべくも無い事だから。
「けど、こっちも大変じゃないの?アレと同一視されれば針の筵じゃない。」
私の問いに、ため息ひとつ。
「まぁそれは耐えるしかないわね。けど、何とかなるわよ。今回の騒動は、私はずっと消極的反対を貫いていたし、アレが抜けていま客間女中は人手不足だし、それに…アレが抜けたから私が客間女中の次席よ?」
胸を張って応える彼女に、私は苦笑を返す。
「まぁ頑張んなさい。こっちにちょっかいを出してこなければ、こっちも関らないし。」
「ええ、それは勿論よ。今じゃあなた達が最大派閥だし、だれもそんな事はしないわよ。」
彼女に言われて、少し考え込む。
むぅ、確かに女中の中では厨房派とか洗濯派とか別れているらしいけど、上級使用人はただでさえ人数が少ないからなぁ。
私とナターシャが奥様付とジャンヌ様付きを動かせるようになれば怖いものなしだ。
勿論奥様とバートン夫人という絶対権力者には敵いはしないが。
「そういうのはあんまり好きじゃないわね。私はただ仲のいい娘とつるむだけよ。」
私の答えに、「どうだか」とキアラは苦笑する。
さて、いい加減眠いし、今日は休日だから部屋に帰って訓練まで仮眠を…とその前に。
「あ、そうだ、エミリーの部屋ってわかる?」
少しの仮眠を取ったあと、そろそろ朝食か…という時間に起き出して、シャツとズボンに着替え、鎧下を着込む。
オーダーした鎧ができ上がるまでは、まだ一月弱の時間がある。
出来上がりが待ち遠しい。
汗拭き用の手ぬぐい、そして訓練用の長剣を引っさげて、練兵場へ向かう…前に、1階のエミリーの部屋に向かった。
扉をノックすると、お仕着せ姿のエミリーが顔を出す。
「ちょっと話、いい?」
まだ謹慎中なのにお仕着せとは…律儀な事だ。
「デボネア達、出ていったみたいよ。」
部屋に入って、勧められた椅子に座りながら部屋を見回す。
中には2段ベッドが二つと文机が2つ。
片付いている…というより少し寂しい部屋だが、4人部屋に2人しか居なければこんなものか。
「はい、ジゼルさんはこの部屋でしたから。」
ああ、そういえばそうか。
だったら彼女達に起こされたのだろうか。
「そうするとこの部屋はあなた1人ね。ふふ、好き放題できるじゃない。」
「いえ、多分すぐに別の部屋に移動になるとおもいます。3人しか居ない部屋もいくつかありますし。」
私の向かいに座ったエミリーが顔をほころばせる。
デボネアに張られた頬がまだすこし腫れているようだが、笑顔は戻ってきているようだ。
「今回は色々とありがとうございました。もし助けていただけなければ、あのまま盗みを迫られて、今日出て行ったのが私になっていたのかもしれません。」
そう言って、エミリーは頭を下げる。
「お礼なんていいわよ。私も腹に据えかねてたし。」
私が答えると、彼女は顔を上げた。
「ありがとうございます。それで、お話というのは?」
彼女の問いに、私は顔を近づけて、声を潜めた。
「あの時、貴女が手を出したのって…わざとでしょう?」
驚きで目を見開いたエミリーに、私は言葉を続ける。
「だって、あの状況になっても相手を諭そうとする貴女が、怒りで手を出すなんてありえないもの。あのままだったら盗み教唆で問題なく彼女を追い出せたのに、あれで有耶無耶になっちゃったし…。」
私は「何で?」と無言で問いかける。
最初は俯いて答えるのを躊躇っていたエミリーも、やがて観念したのか苦笑気味に微笑む。
「そう…ですね。あれは…彼女達に対する最後の挨拶…餞別のようなものです。」
そう言って大きく息を吐く。
「私がこのお屋敷に来てから…しばらくの間はずっと1人でした。」
そしてぽつぽつと語り出す。
「領主様の伝でこのお屋敷で働く事になりましたが、勿論知り合いなど1人も居らず、女中たちとも仲良くなれませんでした。そんな私に声をかけてくれたのが同室のジゼルさんで、デボネアさんたちは快く仲間に迎え入れてくれたんです。貴族のお嬢様達とお友達になるなんて、夢のよう。私はそう思って、デボネアさんに仕事を言い付かるジゼルさんを手伝うようになり、やがて彼女達の要求はエスカレートしていきました。」
彼女は「はは」と自嘲気味に笑う
「結局はこんなことになってしまいましたが、私は彼女達に感謝もしているんです。ですが、あのまま屋敷をクビになって故郷に帰ってしまえば、それが彼女達の汚点として知れ渡ってしまい、まともな縁談も来なくなってしまいます。ですが私が暴力沙汰で有耶無耶にしてしまえば、彼女達が故郷に帰る正当な理由になります。結果、奥様や旦那様にご迷惑をお掛けする事になってしまいましたが、この詫びは奥様たちに誠心誠意仕える事でお返しできればと思っています。もし、暴力沙汰の責任を取らされてお屋敷を追い出される事になれば、素直に従うつもりです。」
そう言ってから彼女は居住まいを正す。
「ユーリアさん、勝手な事をして申し訳有りませんでした。」
先程よりも深く頭を下げる彼女。
まったく、ぼっちになったのもデボネア達の差し金だっていうのに。
本当に、お人よしで心の優しい、いい娘ね。
私は目を閉じてため息をつく。
「奥様がね…。」
私の言葉に、彼女は顔上げる。
「奥様が、ぶうぶう五月蝿いのよ。朝のお茶はエミリーじゃないと駄目だって。カスティヘルミさんが煎れてもそうなのよ?私たちじゃ適う訳ないじゃない。」
私は微笑む。
「だから、すぐにお呼びがかかるわよ。それまでゆっくり休みを取って、その頬の腫れを何とかしなさいな。」
彼女は赤面しつつ頬に手を当てて、痛みからか顔をゆがめ慌ててその手を引っ込める。
何だかんだ言って、痛みを忘れるくらい思い悩んでたのね。
「私自身は冷やす事ぐらいしか出来ないけど、カスティヘルミさんに頼んだり、城砦の従軍司祭にお願いしたりは出来るから必要なら言って頂戴。」
そう言いつつ私は席を立つ。
「あと、今日は鍛錬を見れないわよ。これを計画をぶち壊した罰だと思って、反省しておきなさい。」
踵を返し、部屋の扉を開けて外へ出る。
「じゃぁまた後で。お昼にでも誘いに来るわ。」
私はそう言って、扉を閉めた。
あんなにいい娘なら、誘わない手は無いじゃない。
下手に自由にさせとくと、ニコラスあたりが近づいて来そうだし、しっかり手の届くあたりに置いておかないと。
さて、とりあえずは鍛錬…走り込みと剣術ね。
そんな事を考えながら、城砦へ向かう。
湧き上がる笑みを噛み殺しながら。
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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