2-29 侍女と女中と大掃除(2)
神暦720年 王の月26日 岩曜日
いつもの時間に目が覚めて、いつものように身支度を整え、いつものように朝礼の列に並び、いつものように連絡事項に耳を傾ける。
いつもと違うのはナターシャと二人して多少寝不足な事と、身を包む緊張と高揚感。
そして時折感じるエミリーからの視線だ。
客間女中の列はいつもの通り、筆頭のエリアさんしかいない。
あれ?あの二人以外にもう1人客間女中が居るはずだけど…二人の悪い影響でも受けてサボっているのかしら?
そんな事を考えている間にも、連絡事項は進んでいく。
来客予定なし、住人の外出予定なし、酒貯蔵庫の大掃除は予定通り実施、掃除の際には瓶や樽に気をつけて…云々。
朝礼が終わると、部署ごとに集まって打ち合わせ…なのだが、特に打ち合わせる内容も無かったので、少しだけ抜けさせてもらう。
カスティヘルミさんは常夜番だったのでここには居ないのだが、ユニスさんには伝わっていた様ですぐに許可が下りた。
「ユーリアさん。」
女中の集団から出てきたエミリーと落ち合い、壁際に移動する。
「おはよう、エミリー。よく眠れた?」
私の問いに、彼女は苦笑いで答える。
どうやらあまり眠れなかったようね。
今夜…は無理でも、明日の晩はよく眠れると良いわね。
時間が無いので、手短に説明をする。
大掃除はいつもどおりで、酒貯蔵庫を出るときに布をかぶせた桶を持ち出す事。
酒は私が用意したものを渡す、追求は明日…情報を渡し過ぎてあの娘たちに感付かれても不味いので、とりあえずはこれくらいだ。
エミリーは、とりあえずは犯罪に手を染めないで済む事になってほっとしている様だった。
「彼女達から念押しは有った?」
「はい、部屋に帰ってすぐに、ジゼルさんから…。」
彼女の言葉に、私は小さく頷く。
彼女達が諦めていたら、問題が長引く所だった。
「そう…それは残念ね…彼女達は改心する最後のチャンスを逃したわ。だったら、こっちも大掃除を決行よ。」
私の言葉に多少緊張しながらエミリーは頷き、私達はそれぞれの仕事に戻った。
夕方、大掃除が終わった後にエミリーと合流して、隠し持っておいた酒瓶を渡した。
メニルの蜂蜜酒…奮発して高いのを買っていたが、自分で飲めないのであれば安物を1本買っておいて、空き瓶にでも詰め替えれたらよかったのに。
まぁ後悔先に立たずである。
「後は、彼女達と約束した時間に、リネン室でそれを渡しなさい。」
念押しで、これからの予定を伝える。
「でも、何でリネン室なんですか?」
「あまり人が居なくて、酒瓶を桶ごと隠しておけるからよ。あと、一応渡すときに、まだ間に合うから辞めるよう伝えなさい。でも、あまりしつこくしないようにね。あくまでも最後の慈悲だから。」
本当の理由を伏せて、彼女に表向きの理由を伝える。
私の言葉に、エミリーが緊張の面持ちで頷く。
よし、後はもう動くだけだ。
「じゃぁ後は任せたわよ?しっかりおやりなさい。」
そう言って私は自分の持ち場へ戻る。
奥様に持ち場を離れる許可を頂いていても、あまり余裕は無いのだ。
リネン室。
エミリーが待つその部屋に、少し遅れて到着したのは掃除女中のジゼルだった。
そういえば、今日はデボネアは休暇だと言っていたわね…それでも当人が来ないのだから、人使いが荒い娘ね。
「来たわよ。…まったく、こんな所に呼び出して。」
多少不機嫌そうに、彼女はエミリーを睨む。
「すいません。瓶を隠しておくのに、都合がよかったので…。」
「ふーん、まぁ良いわ。で、お酒は?」
声を潜めずにそう尋ねるジゼルに、エミリーは慌てて周囲をうかがう。
だが、彼女の周囲に他の人間は見当たらなかったようだった。
「こ、これです。」
エミリーは桶に掛かった布をめくって瓶を見せる。
「ふーん、蜂蜜酒ね…って、何よ!なんで掃除用の桶に入れてるのよ!?」
瓶の入っている桶を見て、声を上げるジゼル。
エミリーは再び周囲をうかがいながら、泣きそうな声を出す。
「こうでもしなきゃ、持ち出せないじゃないですか。」
ナターシャの言葉に、鼻を鳴らすジゼル。
まったく、躾がなっていない…女中として採用されているのであれば、それなりに身に付いているはずなのに…。
化けの皮をはがせばこんなものなのだろうか?
「ふん、悪知恵だけは達者なんだから…さぁ、さっさと渡しなさい。」
エミリーに向けて手を差し出すジゼル。
しかし、エミリーは桶を体で庇う。
「ジゼルさん、やっぱりやめましょうよ。こんな事をしたら、みんなお屋敷から追い出されてしまいます。」
半ば彼女の本心なのだろう。
エミリーの最後の懇願を、ジゼルは鼻で笑う。
「ここまでやっておいて、今更何を言っているのよ?もう手遅れ、貴女も共犯…いえ、主犯かしらねぇ。いいこと?まだ女中を続けたいのなら、大人しくデボネアさんの言う事を聞くことよ。ほら、さっさと渡しなさいよ!」
そう言ってエミリーの持った桶をひったくる。
そして呆然とするエミリーを放って、そのままリネン室を出ていった。
残されたエミリーはしばらくジゼルの出ていった出口を見つめていたが、やがてお仕着せの袖で目元を拭うと、そのまま外へ出ていった。
何だ、泣いてたのね。
けど、その涙はきっと相手には届かない…ホント、優しい子ね。
エミリーが出て行ってしばらくたった後。
「バートン夫人、このような事態となっております。」
リネン室の入り口横に並んだ洗濯物を入れた大袋。
その中で洗濯物に埋もれた私は、隣の大袋の洗濯物の下に声をかけた。
「まったく…嘆かわしいばかりです。しかも酒貯蔵室から盗もうと画策するとは…奥様旦那様はもとより、家令執事達にも面目が立ちません。」
大きなため息と共に、バートン夫人の声がする。
この袋に入って約半刻…私の報告を受けてからも、何かの間違いであれば…と一縷の望みに縋っていたのだろう。
それも先程あっけなく潰えてしまった。
「今までに彼女達が問題になったことは?」
私の問いに、やはりため息交じりの声が答える。
「何回かありました。新入りに対するイジメ、他の使用人への私的指示、部屋割りへの介入、職務態度の不良…。すべてとぼけられた後に、濡れ着を着せられたといった内容の子爵から旦那様への苦情を仄めかされたために、追及の手を引かざるおえなかったのですが…その事なかれ主義が招いた結果です。弁解の言葉もありません。」
淡々と告げられるその言葉だが、その強弱や震え具合から、嘆き、悲しみ、怒りといった感情が透けてみる。
「では今回はどのように?」
「はい。可及的速やかに旦那様、奥様に報告し、家令とも連携して事に当たる所存です。この対応により穂首派内にも波風が立つ事になりましょうが、彼女を追い出すためには致し方ありません。どのような結果になろうとも責任は取るつもりです。」
バートン夫人の言葉を、ふむと一考する。
彼女達を内々に処罰し追い出せば、あちらの言い分を信じて侯爵と対立する派閥貴族もいよう。
バートン夫人はそれも考慮したうえで、処罰し責任を取ろうと言っている。
それに対し、いっそのこと大々的に罪を追求し、彼女がこの屋敷に居られなくなるまで追い込み、追い出すのが私たちの元々の計画だ。
この方法であれば、屋敷に勤めている貴族子女から彼女の所業が外部にも漏れ伝わるので、あちら側につく貴族もずっと少なくなるはずだ。
「バートン夫人、それについて少し考えが有るのですが…うまくいけば、派閥内の波風もぐっと小さくできるかもしれません。」
「ユーリアさん、何か考えが?…貴女については騎士団関連の話も耳にしますが、荒事は御法度ですよ?こちらが暴力に訴えた時点で、あちら側に大義名分を与える事になり、よほどの事がない限りそれは覆せません。」
「いえ、私も元より暴力に訴えるつもりはありません。それよりも…。」
私は昨日立てた計画をバートン夫人に説明し、説得の結果、彼女の了解と協力を取り付ける事に成功した。
その間二人ともずっと洗濯物袋の中に居り、仕事でリネン室に入って来た女中が袋の中から漏れ聞こえる声に驚いて、慌てて立ち去っていった事が数度あった…邪魔しちゃったかしらね。
そして私は職務に戻る。
明日に備えるために、今日の日常を演出しなくてはいけない。
いつものように職務をこなし、いつものように仕事を上がる。
ただ、普段と違うのは、エミリーの相談について色々と探りを入れてくる奥様のあしらいと、屋敷の使用人たちの職務終了前に流れた、明日の朝礼への全員参加の連絡。
さぁ、明日はいよいよ仕上げよ。
神暦720年 王の月27日 地曜日
その日の朝礼前…食堂は普段と違い不穏な雰囲気に包まれていた。
慌しく出入りする執事と従者、その中でニコラスが意味ありげにこちらに視線を送ってくる。
そんないつもと違う雰囲気を感じ取り何処となく不安気な侍女と女中たち、そして妙にそわそわとしている一部の使用人。
そしていつもの通りに朝礼が始まるが、列の前に並ぶ執事や従者の人数は明らかに普段より少なかった。
「おはようございます。女中の皆さんは昨日の酒貯蔵庫の大掃除のお手伝い、お疲れ様でした。」
いつもの執事の人ではなく、家令のドミニクさんが皆の前で挨拶をする。
彼は家令だけあって、その背筋はピンと伸び、所作にも衰えは見られない。
その歳を感じさせるのは顔の皺と白髪混じりの金髪だけだ…旦那様よりも年上のはずなのに。
「ですが…残念なことに、大掃除後に在庫を確認した際に帳簿との差異が確認されました。これが記帳上の間違いであれば問題はないのですが、先日の夜会のあとに一度確認を行っておりますので、現在もその後の増減の記入漏れがないか確認している所です。」
彼の言葉に、侍女達が小さくざわめく。
「こちらの記入漏れが確認されれば、お騒がせした事はお詫びするとしても一件落着となりますが…もしそうならないのであれば皆様にもお手伝い頂く必要が出てまいります。もし心当たりがありましたら、お早めにお知らせください。」
彼の言葉をまとめれば、「見つからなければみんなの部屋も確認するよ。」と言っているのだ。
おそらく手伝いに参加した女中なのだろう。「何か知ってる?」「そっちは?」といったささやきが周囲から聞こえる。
勿論私の前に居る侍女達はそんなはしたない事はしていない。
ちらりとエミリーを伺うと、彼女はまっすぐに前を見つめている。
当然だ、彼女にもやましい事は無い。
あのお酒も、自前だと伝えてある。
さて…。
「よろしいでしょうか?」
ざわめく周囲の中、声を上げたのは…デボネアだ。
ドミニクさんは彼女を一瞥すると、話を促す。
「実は昨日、一本の酒瓶を渡されましたの。その酒瓶についてはよく存じ上げないのですが、関係が有れば…と思いまして。」
「ほう?渡されたという事でしたが…どなたからでしょうか?」
「はい、エミリーさんですわ。」
彼女の言葉に、周囲が大きくざわめき、視線がエミリーに集まる。
それに対してエミリーは、多少緊張しているようだがまだ冷静なようだった。
「エミリーさん…確か配膳担当の厨房女中…貴女ですね。何かご存知ですかな?」
ドミニクさんはエミリーの職務を思い出し、周囲の視線の先の彼女に声をかける。
「は、はい。…私は昨日、デボネアさんに酒瓶を渡しました。もっとも、ジゼルさんを通してですが、ちゃんと届いていた様で安心しました。」
エミリーが淡々と応える…が、彼女には珍しく、多少皮肉気な言葉も混じる。
そりゃぁ、命令しておいてあっさりと尻尾切りされるようなら腹も立つわよね。
「ほう、その酒瓶はどうしたものですか?」
「はい、デボネアさんより酒貯蔵庫の大掃除の際に、…拝借して来る様言われていたものです。」
「言いがかりよ!」
「そうよそうよ!」
エミリーの言葉に女中達がざわめく中、デボネアが叫び、ジゼルが追従する。
「エミリーさん、貴女何のつもりでそのような濡れ衣を…ああ、貴女、アレを本気にしたのね。ドミニク様、以前彼女とは『冗談で』酒貯蔵庫より酒瓶を拝借してくるよう話をした事がありますので、おそらくそれを本気に取ったのでしょう」
どうやら彼女は誤魔化しにかかっているようだ。
これで明確な証拠がなければ、すべての罪をエミリーにかぶせ、彼女は知らぬ存ぜぬで通すだろう。
「ですが、まさかこんなに簡単に屋敷の物に手をつけるなんて…所詮は下賤の出。手癖が悪くて嫌になりますわ。」
さらに、さも呆れたようにのたまうデボネア。
だがエミリーの周囲、女中連中のデボネアに向けられた視線が厳しくなっただけではなく、侍女達が眉をひそめた事にも気づいてないようだ。
もし彼女の言葉を誤解してエミリーが罪を犯したのだとしても、責任を感じるならば自らエミリーの罪を弁明し、自らも罪を償うのが貴族の取るべき行動だろう。
貴族の言葉には、そうしなければならないだけの重みがある。
だが彼女の様に罪をすべてなするつけるようでは、人は付いてこない。
誰だって、いざと言う時にあっさり切り捨てられるような相手を、上に持ちたくは無い。
デボネアの言葉を聞き届けると、ドミニクさんは少々考え込む。
彼女達への処罰について考えてでもいたのだろうか。
だかふと思いついたように顔を上げると、自らは一切弁明しないエミリーに向き直った。
「エミリーさん、彼女の言葉に、何か反論はありますか?」
「はい。私は彼女から大掃除の際に酒瓶を拝借して来る様、前日に明確な指示を受けました。」
「出鱈目よ!」
「今はエミリーさんの言葉を聞いています。弁明は後にしてください。それで?」
ドミニクさんはぴしゃりとデボネアたちの言葉を遮ると、エミリーに続きを促す。
その言葉は何処となく優しげだ。
「はい。彼女たちは渋る私に、私の仕事を盾に罪を犯すことを迫りました。『指示に従わなければ、親から圧力をかけてクビにする』と。」
「他には?」
「酒瓶を渡す時に、ジゼルさんに思い止まる様お願いしました。でもそれも聞き入れてもらえませんでした。」
「成程…他には?」
ドミニクさんの言葉に、エミリーはちらりとこちらに視線を向ける。
私は驚きを持って彼女達の話を聞いている振り…のなか、周囲にバレない様に黙っているよう指示をする。
彼女には、事前に私から酒瓶を渡された事は話さないように伝えてある。
「有りません。」
「そうですか…その酒瓶は今はどちらに?デボネアさんの部屋ですか。結構。誰かにそれを持ってきていただきたいのですが…バートン夫人?」
流石に女子寮の侍女の部屋に執事達を立ち入らせる訳には行かないので、ドミニクさんがバートン夫人に声をかける。
「はい、私が持って来ましょう。デボネアさん、案内をお願いします。室内に入ったら、瓶のある場所を教えて下さい。貴女は入り口から奥には進まず、決して室内の物に手を触れないように…。」
デボネアとバートン夫人が連れ立って女子寮へ向かう。
そしてその間にも、従者が何度か入ってきて、ドミニクさんに耳打ちを行う。
そしてその度に、ドミニクさんの視線がこちらに向けられるが、私は務めてそれに気付かない振りをして、姿勢を正して立っている。
ざわめく女中達とは違い、侍女達は隙を見せることを許されないのだ。
そんな中、従者の動きをよく観察していれば、報告に来た従者と交代して壁際で待機していた別の従者が部屋を出て行くことに気付くだろう。
おそらく、酒貯蔵庫ではここに居ない執事達がその従者からの報告を今か今かと待ち構えているはずだ。
そしてそんな私にじっと視線を向けてくるのがキアラ…デボネアの腰巾着の赤毛だ。
だが彼女はやがてため息をつくと視線をそらす。
彼女は今回の件を仕組んだのが私だと気付いているのだろうか?
「こちらがその酒瓶です。」
少しして戻ってきたバートン夫人がドミニクさんに瓶を渡す。
ドミニクさんがそれを受け取り、ラベルを確認する。
「ありがとうございます、バートン夫人。…ふむ、蜂蜜酒『黄金の葡萄畑』の新酒ですか。」
そう銘柄を呟くドミニクさん。
この銘柄はお屋敷でも購入され、この前の夜会でも提供されていた。
「そうですわ、その瓶がエミリーが盗んで来た瓶ですわ!」
そうわめくデボネア…それを聞いてため息をつきつつこちらを見回すドミニクさん。
その視線と合ったとき、私は大きく頷いた。
「ふむ…実は皆様にお伝えしなければならない事があります。」
ドミニクさんが渋々といった雰囲気で口を開く。
「非常に申し上げ難い事なのですが…再確認の結果、帳簿と在庫の差異が解消されました。」
その言葉で食堂内は一瞬静まり返り、その後に先程よりも大きくざわめいた。
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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