2-24 侍女とお嬢様と休日(4)
神暦720年 王の月24日 森曜日
「痛ったいわねぇ。何するのよ、ユーリア。」
叩かれた頭をさすりながら、マリエルが言う。
その表情は、本気で何故叩かれたのか理解できていない様だった。
「『痛ったいわねぇ』じゃないわよ。何つまんない事やってるのよ!」
私が叱るとマリエルは口を尖らせて抗議する。
「だって私も氷血華が欲しかったし、失礼の代わりにちょっとくらいいい目を見たっていいじゃない!」
「だからって、氷血華は欲張りすぎよ!いくらするのか、あんたもよく分かってるでしょうに!」
マリエルの態度に、思わず声が大きくなる。
そんな私たちを見て、マリオンはオロオロするばかりだ。
まったく…情けないわね、年上の癖にこんな姿を見せるなんて。
「えーっとね、マリオン。こっちのマリエルは、こんな形でも一応私のひとつ上よ。」
「一応って何よー。完全に年上でしょう?」
「だったら年上らしい態度を見せなさいよ。」
不毛なやり取りに大きくため息を吐いていると、マリエルに向き直ったマリオンが頭を下げた。
「申し訳ありません、マリエル様。年上とは知らずに、可愛かったのでつい抱きしめてしまいましたわ。この非礼を深くお詫びします。」
そして謝罪後も尚も頭を下げ続ける。
ふと周りを見れば、大声を出しての言い争いの後に、いかにも上品な服を着た見慣れぬ娘が頭を下げ続けているといった状況に、周囲の視線を集めている事に気づいた。
慌ててマリエルを見れば、彼女もそれに気付いたのか、大きくため息をついて手のひらを上下に振る。
「分かったわ。もういいから、顔を上げていいわよ。」
そして顔を上げたマリオンは、おずおずとマリエルを見ると、
「マリエル様は年下ではありませんでしたが、ぜひ仲良くして下さいね。」
と微笑んだ。
「で、貴方は貴方で妙に静かじゃない。」
言い争いの間も、我関せずと食事を続けていたナターシャ。
私は半ば八つ当たり気味に話を振る。
「私?お嬢様はともかく、ジョゼさんには紹介もされなかったし、とりあえずは関らないほうがよさそうだったから。」
そうしれっとのたまった。
あれ?ナターシャは二人に面識が…って、ああっ!
「…そういえばジョゼとは布団越しでしか会ってなかったわね。」
同じ部屋に居たので、すっかり勘違いしていた。
「だったら改めて紹介するわ。こっちがマリオンのお付きのジョゼさん。んでこっちが同室のナターシャよ。」
「ジョゼです。よろしくお願いします、ナターシャ様。」
「ナターシャ・アーロンです。よろしくお願いします、ジョゼさん。」
二人は普通に挨拶を交わし、そのままナターシャの実家の事などの世間話に興じる。
それを横目で見ながら、私はマリエルにぼやいた。
「そうよねぇ。普通はこんな風にあっさり挨拶を済ませるものなのに、なんで貴方はできないのかしら?」
「さぁ、生まれの所為じゃないの?礼儀作法なんて最低限しか習ってないし、社交界なんて遠い世界の話だし~。」
そう言って、行儀悪くスープを掻き込むマリエル。
マリオンはそれを、妙にきらきらした眼差しで見ていた。
ちょっとやめてよ、マリオンが真似しちゃうじゃない。
そんなことを考えていると、私たちのほうにトレーを持ったテオとニコラスがやってきた。
ふと食堂を見回してみれば、ほとんどの席が埋まり、空いているのは私たちの隣ぐらいだ。
「お隣に座らせていただいてもよろしいいでしょうか、お嬢様方?」
ニコラスが気障ったらしく声をかけてくるが、空いていないのなら仕方がない。
一同を見回して、特に反対らしき反応も無いので、身振りで促す。
「ははっ、ありがとう。まずは自己紹介だね。僕はニコラス。このお屋敷で従者をやってるんだ。君達の名前を聞いてもいいかい?」
ニコラスがマリオン達に声をかける。
しかし、いつもながら手馴れているわね。
「私の妹分のマリオンとお付きのジョゼよ。今日は行儀見習いの下見…みたいなものね。あとそっちのがテオドール。騎士団の訓練にいたでしょ?」
私が紹介するとそれぞれが「マリオン・リースですの」「ジョゼです」「テオドール・ジャリエだ」とそっけなく名乗る。
「リース…って、あのリース家かい?これはこれは、また大きな家の娘が来るものだね。」
「ニコラス、先に言っておくけど、マリオンに変なちょっかいを出したら承知しないし、ジョゼはもう相手がいるからね?」
変にちょっかいを出されるとこじれそうなので、先に釘を刺しておく。
私の言葉にジョゼが澄ました表情でありながら軽く頬を染める…が、マリオンが嬉しそうに頬を染めるのは何でよ?
「うん、知ってるよ。ポールが一瞬で玉砕したんでしょ?」
あ、相変わらず耳が早いわね。
いったいどんな情報網を持っているのやら。
「そういえば、この前はテオと一悶着あったんだって?」
この前?と一瞬思い当たる節が無かったが、すぐにこの前の休みの日の事だと思い当たる。
「そういえば貴方、よくも行き先をばらしてくれたわね?」
この男は口止めを頼んだのに、しっかりとテオにばらしてくれたのだ。
「ええっ?約束通り騎士団の面々には言ってないよ?…テオには言ったけど。まぁボディーガードするって言ってたから、それなら仕方がないかなって。」
そう言ってヘラヘラと笑う。
向かいの席のテオを盗み見れば、少し苦々しげな表情をしていた。
「で、今日はどうするの?水軍のイングリットから飲みに誘われてるんでしょ?流石にお嬢様のエスコートがあるんなら今日はパスかな?」
ニコラスが矢継ぎ早に質問してくる。
「貴方ねぇ…一体何処からそんな情報を仕入れてくるのよ?」
「え、これ?これは、テ、痛っ…騎士団の連中からだよ。」
妙に表情を歪めて、ニコラスが答える。
その直前に、テーブルの下からゴッと何か音がしたような気がしたが、はて?
テオが脛当てでもぶつけたか?
「ふーん。まぁ、買い物ついでにマリオンを連れて行く予定よ。こっちで行儀見習いするなら、付き合いはあると思うし。」
テオに答えてから、若い娘向けの店の事を思い出した。
丁度いい、ここで聞いておくか。
会話をしながらも食事が片付き、ジョゼがお茶を注いで回っていた。
流石ベテラン侍女、部外者のはずなのに、順応性が高いわね。
「若い娘向けのお洒落なお店?」
街中の店について訪ねると、ナターシャは訝しげな顔をした。
「貴女だったら、オーダーメイドの武器防具屋とか、魔導具屋とか聞いてくると思ったんだけど。」
これはまた、随分な言われ様だ。
心外にも程がある。
「私だってマリオンと買い物に行こうって時に、そんな店を選んだりしないわよ。まぁ、お洒落な店とかを知らないのは確かだけど、まだこっちに来て日が浅いだけだから。」
そう思われているのは心外だと反論しながら、さらにお洒落な店について話を聞く。
だが、少し…ほんの少しだけ気になるので、武器家などの情報も後学のために聞いておこう。
そう、さりげなく、話のついでに。
「私からもお願いしますわ。どうかお姉さまとお買い物をするのにぴったりな店をお教え下さい。」
マリオンもナターシャに情報を強請る。
流石に彼女の願いを無下にはできないのか、ナターシャは「そうねぇ…。」と口を開いた。
「服とか小物の店…で言えば、大店なら城通りか南通りね。」
「小さい店なら、新通りや北通り沿いの路地裏にもあるよ。流石に数が多いから、口では一度に説明できないけど。」
「あとは小物なら水軍通りから港通りの工房街にもあったりするけど…こっちはあんまり私ら向きじゃないわね。ユーリアは喜びそうだけど。」
ナターシャの説明に、ニコラスがフォローを入れてくる。
なるほど、その辺が私の趣味に合う店か。
そういえばアンジェルの櫛を買った店…結局は私の櫛になってるけど、あれを買ったのも水軍通り沿いの店だったか。
その後工房街に寄ってから北通りに行く途中で物盗りに会ったのだ。
それにしても、ニコラスはそっちの情報も詳しいのね。
まぁ、女の子と会話する際の話題には打ってつけだから、抜け目無いというべきかしら。
「工房街近くには魔導具屋があるんだけど、そこにはよくお使いに行くわね。『樫の古木商店』って店。」
マリエルが口を挟むと、ナターシャもうんうんと頷くと、意味深な笑みを浮かべた。
「ちなみに、興味がありそうだから言うけど、オーダーメイドの武器屋もその辺りにあったわね『樫盾商会』ってそこそこ大きな店が。」
うーむ、すっかりお見通しだったか?
内心を見透かされた動揺を誤魔化すために呟く。
「なんか樫の木づいてるわね。店の名前が。」
「なんでも、昔はその辺りに大きな樫の木があって、魔導具屋の店主がその枝を焦点具に仕上げては、結構いい値段で売りさばいていたって話よ。」
「ふーん、そうなの。けど、焦点具になるって事は、結構な古木よね。」
基本焦点具に加工できる木は、魔力を帯びやすい一部の木か、数百年以上かけて魔力を帯びた古木のみだ。
その木が普通の樫の木であれば、後者であるはずだ。
「かなり昔から生えてたって話だけど、10年ぐらい前に枯れたって聞いたわ。私も少し探してみたけど、今じゃ跡形もないわ。」
彼女の事だ、おそらく切株でも見つけて、触媒か何かに利用しようとでも企んだのだろう。
「それで、お嬢様は放っておいていいの?」
ニコラスの言葉に、今の状況を思い出す。
慌ててマリオンのほうを向けば、特に気分を害したような事もなくこちらを眺めていた。
「あー、えーっと、マリオンは行ってみたい店とかある?」
「お姉さまにお任せしますわ。」
マリオンはにっこりと微笑む。
しかし茶の間のちょっとした質問のつもりが、すっかり夢中になってしまっていた。
所々でお茶を飲んでいたはずだが、カップの中はいつの間に注ぎ足されたのか、今も十分な量の茶で満たされている。
私に気付かせずに継ぎ足すとは…流石ジョゼだ。
「だったら、そろそろ行きましょうか…買い物の前にひとつ用事があるけど。」
カップのお茶を飲み干すと、私はそう言いながら席を立った。
「ほう、お主がブリーヴ伯の?」
「はい、ブリーヴ伯が息女にして、ユーリア姉さまの妹分のマリオンと申します。以後お見知りおきを、カロン様。」
カロン殿からの魔術訓練についてもマリオンに見せようと、研究室へ来ていた。
といっても、私も訓練を受けるのは初めてなのだが。
尚、マリエルは別室で自分の仕事を行っている。
「ほっほ、歓迎いたしますぞ、マリオン様。」
「カロン殿、本日はマリオンが私の日常を見たいとの事で、案内しています。訓練の初日から何ですが彼女の見学を許可いただけますでしょうか?」
私の問いに、カロン殿の好々爺めいた笑みが一瞬思案顔になった後に、元に戻る。
む、何やら企んでいるのか?
「勿論じゃよ、ユーリア。心行くまで見ていってくだされ、マリオン様。じゃが、ひとつ困った事があってのう。」
話の途中でカロン殿の顔が急に曇る。
「どうかされましたの、カロン様?」
そしてマリオンが首を傾げ尋ねると、カロン殿は大きくため息を吐いた。
「実はのう、魔術実験で触媒として使う氷血華をちと切らしておってのう。できれば格安で…。」
マリオンに打ち明け、氷血華を強請るカロン殿の後ろで、私は右手を振り上げた。
「まったく、殴る事は無かろうに。年寄りに手を上げるとは、何とも困った娘じゃ。」
叩かれた頭をさすりながら、カロン殿が涙目で愚痴る。
ちなみに振り下ろしたのは平手。
彼の禿頭に振り下ろされたそれは、ぴしゃりと非常に良い音がした。
「まったく?それはこちらの台詞です。あなた方師弟は、揃いも揃って…。」
頭痛を感じて、思わず頭に手を当てていると、マリオンが首を傾げて私に尋ねる。
「お姉様、氷血華はやはり貴重なのでしょうか?」
「…えっ?」
その台詞に絶句している間に、彼女は言葉を続ける。
「部屋の花瓶によく活けてありましたし、身近なものなのであまり価値を感じなかったのですが…。」
そう告げたマリオンに、私だけではなくカロン殿も絶句していた。
花瓶に活ける…おそらくは高価くて大きな花瓶に、これまた沢山の氷血華が活けてあるんだろうな…。
「お金持ちだとは思っていたけど、これ程とは…。」
「ユーリア、今じゃ、今しかないのじゃ。彼女が氷血華の価値に気付く前に1本でも多く毟り取るのじゃ。」
私はカロン殿の囁きを無視すると、ジョゼに向き直り、小声で話しかけた。
「リース家のお嬢様の教育って、どうなってるのよ?経済観とか、金銭感覚とか。」
私の問いに、ジョゼはしれっと答える。
「基本、金銭の受け渡しはお付きの者が行っています。また、お嬢様がお一人で外出の際には、幾許かの宝石と大金貨を用意してお渡ししておりますが、宝石や大金貨の数が減る事はあっても、それ以外が増えることはありませんでした。」
うわー、つまり買い物をするときは宝石か大金貨で支払い、釣りなどといった物は受け取らないのか。
自分もそれなりに裕福な家に生まれているので、庶民から見れば大概かもしれないが、彼女は桁が違い過ぎる。
こんなので、行儀見習いとか務まるのかしら。
今から非常に不安で…それを想像するととてつもなく恐ろしい。
「ジョゼ、お願いだから…行儀見習いまでに、マリオンに常識的な金銭感覚を身につけさせておいて頂戴。他所の家の教育内容に口を出す事が不躾なのは重々承知しているけど。」
私はジョゼに縋り付くと、そのまま崩れ落ちた。
なんだか、ホントに気が遠くなって来たわ。
「あー、戦闘時における戦闘魔術師の心がけについてじゃが、常に気にかけておく点がいくつかあるのじゃが…ユーリア、分かるかのう?」
研究室の中の一室、1パーチ(2.96m)程度の黒板の前でカロン殿が教鞭を取る。
生徒は勿論私のみ。
マリオンとジョゼが見学中だ。
けどこんな施設があるということは、5人程度まで弟子に取れそうだけど、見かけるのはマリエルだけだな。
「囲まれないための立ち回りと、魔力の確保…でしょうか?」
私の答えにカロン殿は満足気に頷くと、話を続けた。
「うむ、そうじゃな。戦場の習いとして、周囲を敵に囲まれぬよう周囲に気を配り、動かねばならん。如何に有能な戦士といえども、雑兵相手だとしても1対10では勝利は覚束ないが、1対1が10回であれば十分に勝算はあるものじゃ。」
そうしてカロン殿は部屋を見回す。
私もマリオンたちのほうを伺ってみると、ジョゼはまっすぐにカロン殿のほうを向いて講義を聞いているが、マリオンは視線をこちらに向けたままで、こっちの視線に気付くと軽く手を振っていた。
「そして魔力の確保。魔力が尽きれば意識を手放す事になり、それは戦場では死と同然じゃ。あとは首を刈ろうとする敵兵に見つからぬうちに、味方に回収してもらえるよう祈る事しかできん。気絶まで行かずとも、軽装で杖しか持たぬ魔術師など、魔力が尽きれば雑兵以下の戦力にしかならん。」
カロン殿が一息つきながらこちらを見る。
こちらだけではなく、マリオンも理解しているか伺っているのだろうか?
「このような点の以外にも、今日は戦闘魔術師としての心がけなどの座学を行い、次回からは座学と杖を使用した戦闘訓練、新たな呪文の習得などを平行して進めていくのでそのつもりでいるように。」
そうして、カロン殿の訓練は過ぎて行ったが、結局マリオンは最後までこちらを見てばかりで、講義の内容に興味は無いようだった。
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マリ…オン、マリ…エル。
お嬢様…マリオン、ちびっ子…マリエル。
ガンバードはマリオンでログホラがマリエール。
げ、ゲシュタルト崩壊…げしょ。
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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