2-23 侍女とお嬢様と休日(3)
神暦720年 王の月24日 森曜日
マリオンとジョゼと供に城砦に向かい、いつも使う扉から練兵場に出た。
視界に入るのは、数人で集まって話をしたり、軽く体をほぐしたりしている騎士や衛士達…どうやらまだ鍛錬は始まっていないようだ。
「今日は走っていなかったから休むかとも思ったが、ちゃんと来たか。」
こちらを見つけたテオドールが声をかけてくる。
「ちょっと用事があって走る余裕がなかったのよ。みんなおはよう。」
私が挨拶すると、顔見知りたちから挨拶が返る。
テオも軽く手を上げて応える。
「ちょっと、お嬢様!あの子達は知り合い?」
従騎士の1人、ポールが声を潜めて尋ねてきた。
彼の指差す方向には…少し離れた所からこちらを見ているマリオンとジョゼがいた。
「私の妹分とそのお付きね。鍛錬を見学したいんだって。」
私が答えるとポールは声を潜めたまま興奮して話す。
「お付きの人、すっげー美人!しかもなんか、滲み出る気品って言うの?無茶苦茶好みだわ!!なぁなぁ、あの人なんて名前!?」
そして興奮を隠さずに詰め寄ってくる。
そんな彼を他所に、周りの従騎士たちは口々に「胸だな。」「ああ、胸だ。」などと呟きあっている。
「ジョゼって言うんだけど…。」
「そうか、ジョゼさんって言うのか…それで彼女、歳は?出身は?ひょっとして彼女も貴族だったりするの?」
そしてそのまま矢継ぎ早に畳み掛けてくる。
ポールは性格的に人懐っこく、誰にでもフレンドリーではあるが、あまりこういう事にがっつきそうなタイプには見えなかったんだけどなぁ。
だがしかしこれは…このまま放っておけば、すぐにでもお付き合いでも申し込みそうな勢いだ。
一応は阻止しておくか…。
「けど彼女、婚約者居るわよ?」
多少気が早いかもしれないが、親公認だし当人達も満更じゃなさそうだし、嘘にはならないだろう。
そしてそのポールはと言うと、私の言葉にまるでこの世の終わりでも見たような表情を浮かべ、一歩後ずさり、なにやら呟く。
「ち、ち…。」
「ち?」
「畜生――――――っ!!」
そして一声叫ぶと、そのまま練兵場のむこう側へと走り去った。
訓練用とはいえ、金属鎧一式をつけているとは思えない程の走りだ。
そしてそのまま練兵場の壁際まで行くと、そのままぐるぐるとコースを走り出す。
「おーおー、今回は早いなぁ。」
「一目惚れから失恋までの最速記録じゃね?」
「過去最速は一目ぼれ相手にそのまま打ち明けてからの玉砕だったからなぁ。今回は言葉すら交わしてないし。」
「また残念会やるのか?今月は厳しいって言うのに…。」
そして周りのメンバーは、そんな彼を生暖かい目で見つめていた。
え、何?
これって日常茶飯事なの?
練兵場を思いのたけのまま走り回るポールを他所に、軽く柔軟をしているうちに副隊長を筆頭に指導役の騎士たちが現れた。
慌てて整列する騎士達に習い、私も従騎士の最後尾に並ぶ。
その横には練兵場の反対側近くから慌てて駆けつけて整列に加わったポールの姿が。
我を忘れてはいても騎士の習慣は本能に刻み込まれているようだった。
「お姉様ーっ!頑張ってーっ!!」
練兵場の隅から黄色い声援が飛ぶ。
既に鍛錬が始まってから数人と立会っているのだが、その度にマリオンから声援が飛んでいた。
「これは…少々やりにくいですね。」
今の相手はデニス、従騎士連中の中では一番の体格を誇る男だ。
だがその顔つきは厳つくはあるが表情はいつも穏やか。
素性を知らずに修道士とでも紹介されれば、そのまま信じてしまいそうな男だ。
「もう少し静かに見ておくように注意すべきだったかし、らっ!!」
上段に構えた剣で切り降ろす。
剣を合わせたところでさらに剣を押し込んで相手の顔を狙おうと考えていたが、彼は剣が合った瞬間にその剣先で私の剣を巻いて弾いたと思うと、するりと剣先を突き入れてくる。
「くっ!?」
私は慌てて剣の鍔付近で剣先を受けそらし、距離を取る。
彼の体格からして力任せの剣かと思いきや、非常に繊細な剣捌きを得意としている。
さっきから何度も切りかかっているが、そのすべてが受け流されていた。
「やりにくいわね…。」
思わず内心が口から漏れるが、彼は申し訳なさそうに苦笑する。
「色々直そうとは思っているのですがね、幼い頃から身に着けた剣がなかなか抜けてくれなくて。けど一応これでも、テオとだっていい勝負するんですよ?決め手に欠けるんで、大抵が引き分けですが。」
そう言いつつ、こちらに剣先を向けた構えから、正眼に構えなおす。
「ですが、このままでは埒が明かないので、こっちから行きますかね。」
そして力強く一歩踏み込むと、そのまま素早く剣を振り下ろしてきた。
「お姉様、お疲れ様でした!」
あえて防御に徹せずに積極的に斬りかかってきたデニスを下してから、練兵場の隅に下がって一息ついたところにマリオンが駆け寄って来る。
そしてその手には、私が預けておいたタオルが捧げ持たれていた。
「ありがと、マリオン。」
そしてそれを受け取り、汗を拭く。
試合を終えた時点ですぐに次の対戦相手を探そうともしたのだが、生憎と手の空いている者が居なかった。
「でも本当にお姉様はお強いのですね。あんな大男を下してしまうなんて!」
身を乗り出して、興奮冷めやらぬように感想を述べるマリオン。
「そうでもないわよ。前半はほとんど往なされてたし。けどマリオン、応援は控えめにね。みんな真剣に訓練してるんだから。」
私がそういうと、マリオンは「はい、申し訳ありませんでした…。」とうなだれた。
流石にそれだけでは可愛そうなので、「でも、嬉しかったわ。」と付け加えると、マリオンの表情がぱぁっと輝く。
本当に、表情がころころ変わる忙しい子ね。
「男勝りとは聞いてはいたが、中々大した腕だな。」
かけられた声に振り向けば、そこにはエルネストとニネット、そして供回りと思われる豪華な装飾の施された鎧に身を包む一団がいた。
「おはようございます、ユーリア様、マリオン様。」
「ご機嫌麗しゅうエルネスト殿下。おはよう、ニネット。」
はっきりと対応に差をつけ、二人に挨拶をする。
まぁニネットとはお友達関係だし、問題ないわよね。
当の彼女も嬉しそうに微笑んでいる。
「うむ。そろそろ出立しようかという段になって、ニノが挨拶をしたいと言い出してな。まったく、早めに済ませておけば良い物を。で、ブリーヴ伯が言うにはここに居るとの事だったので、寄ってみたのだ。」
「だって、お兄様も私が朝に弱いのはご存知でしょう?食後のお茶を飲む頃になって、やっと目が覚めましたのよ。」
殿下の言葉に、ニネットが抗議する。
しかし、殿下の言葉は所々に小言が混じるが、その中にも優しさが垣間見られ、ニネットの言葉には甘えが透けて見える。
歳は離れているが、仲の良い兄妹なのだな。
私が微笑ましげに二人を眺めていると、ニネットはここに来た理由を思い出したようだ。
「そうそう、昨夜はとても楽しい時間を過ごせましたわ。また近いうちにお会いできると良いですわね、ユーリア様、マリオン様。」
「はい、楽しみにしていますわ、ニネット。」
「ええ、私もよ。けど、生憎と私は行儀見習い中だから、王都に招待されても、行くことはできないから残念ね。」
私が余り彼女の期待に添えない旨を伝えると、ニネットの表情が曇る。
が、
「それでしたら、こちらのお屋敷での夜会に押しかけるか、侯爵夫人を招待する際にそれとなくお姉さまのお名前を告げておけば問題ありませんわ。」
マリオンの意見を聞き、その表情は直に晴れ晴れとしたものになった。
そして彼女は振り返り、期待をこめた目で殿下のほうを見る。
「まったく、仕方がない奴だな。まぁ、ガスパールには夜会の際には招待状を届けるよう話を通しておこう。但し、そう毎回毎回連れては来れんからな?」
ため息を吐きつつも、彼女のおねだりを飲む殿下。
何故だろう…親近感が沸いてくる。
「ではユーリア様、マリオン様、またお会いできる日を楽しみにしておりますわ。」
そう別れを告げ、ニネットと殿下は王都へと帰って行った。
彼女達をその場で見送り、ふと周囲を見回すと、練兵場の団員や衛兵は皆、手を止めて直立不動で立っており、ニネットたちが見えなくなって初めて息をついて姿勢を崩した。
「い、今の御方は…エルネスト王太子殿下か?」
いつの間にか、すぐ傍に来ていたボリスさんが尋ねる。
名前がわかっているのなら問う必要もないんじゃないかとも思うが、どうやら現状が信じられず、それを確かめたいようだった。
「はい、殿下とニネット妃殿下です。昨日のお屋敷の夜会にお忍びで来られた際に知己を得まして、出立の挨拶にと。」
「そ、そうか。だがどうせだったら、訓練風景を見ていってもらいたかったな。」
そんな事を言いながら、大きく息を吐く。
「副隊長、礼装も無しで訓練用の武具で受閲するんですか?」
そんな彼に、周囲の騎士達や教官から野次が飛ぶが、流石に従騎士たちにはそんな度胸は無いようだった。
私は再び周囲を見回して、手の空いていたテオに相手を願う。
彼は多少身構えるような表情を見せたが、ため息ひとつで引き受けた。
「まぁそろそろ隠し玉も尽きてくるわよ。」
私の言い訳っぽい言葉にも、「それもどうだか。」とまったく信用していなさそうに返すテオ。
前回からはまったく練習をしていなかったけど、どこまでやれるか…私はテオと向き合い、剣を構えた。
「まぁ、人が一杯…こんなに使用人が居るのですね。」
昼休み、鍛錬を終えて食堂へ来た私たち。
城砦からの通路を抜け、食堂の混雑を目の当たりにしてマリオンが感嘆する。
結局テオとの勝負は5本行い、3対2で私の負けだった。
マリオンは残念がったが、こんなものだろう。
ちなみに、最後の一本の時点で勝敗は確定していたが、つい熱くなってテオを投げてしまった。
「寸止め試合で投げるなよ!」と抗議はされたが、何故か彼が諦めたように笑っていたのが印象的だった。
そして試合の後には、やはり屋敷の屋上付近に人影が見えたので、手を振ってみた。
おそらくエミリーだろう。
彼女は今日もそこで見ていたのだと思う。
それよりも鍛錬についてだ。
騎士団の鍛錬以外にも、鍛錬の時間を作ったほうがよさそうだ。
そういえば凍える大河も、碌に試していない。
ここの所忙しくて碌に時間が作れて居なかったが、暇を見つけて鍛錬に励もうと決めた。
「まぁ、屋敷の使用人と城砦の騎士や衛士がみんな集まるからね。」
そう言いながら、トレーを取って列に並ぶ。
横目でマリオンとジョゼを見れば、彼女達も見様見まねで同じように並んでいた。
「でも良かったの?伯爵のところに行けば、もっといいものを食べれるでしょうに。」
「お姉さまが普段どのような食事をしているかが大切ですのよ。それに、行儀見習いが始まれば、私も同じ物を食べる事になりますわ。」
私の呆れ交じりの質問に、彼女は鼻息も荒く、胸を張って答える。
まぁ、物好きな事だ。
だが決して、ここの食堂の料理は不味くは無い。
素材もいい物を使っているし、味付けも確かだ。
ただ、すべてが大雑把なのだ。
大量の食事を、如何に手間なくまとめて作るか。
これに心血を注いでいる。
それによって出来上がるものが、全体に火を通すために一部が煮崩れたシチュー、よく火が通った肉、あとはピクルスか野菜の一夜漬けだ。
おそらく献立の作成者が考える優先順位は、栄養バランスが最優先、次が手間、最後にコストだろう。
まぁ、利用者の半分以上は騎士団だし仕方がないといえば仕方がないが…やっぱり身体は動かすに越した事は無いわね。
そんな事を考えながらマリオンに頷く。
「まぁ、ここに来るなら、遅いか早いかの違いでしかないか。」
そう言っている間にも列は進み、私たちは食事を受け取って、座席へ向かう。
座席では、ナターシャとマリエルが向かい合わせて座っていたので、ナターシャの隣に腰掛ける。
マリオンはマリエルの横、ジョゼはさらにその横だ。
「まぁ、かわいい。お姉様、この子はどなたですの?」
トレーをテーブルに下ろすのも早々に、マリオンはマリエルの頭を抱き寄せる。
んー、アンジェルにはいいかもしれないけど、初対面の相手にそれはやんないほうがいいわよ?
「お嬢様、初対面の方にそのような事はしてはいけません。」
と思っていたら、流石にこれはジョゼもたしなめるか。
「んで、ユーリア、この失礼な娘は何処の誰よ?」
マリエルは半目でこちらを見ながら言う。
まずは自己紹介の時間か?
「えっと、こちらがブリーヴ伯令嬢のマリオンとお付きのジョゼ、んでこっちが、同郷の魔術師見習のマリエルよ。」
「まぁ、マリエルと言うのですね。私はマリオン、よろしくお願いしますね。それにしても魔術師見習ですの。小さいのに偉いのね。」
マリオンがマリエルをかわいいかわいいと褒めるたびに、マリエルのこめかみに青筋が浮かぶ…と、マリエルは何かに気づいたのか、ニヤリと笑った。
「私マリエル。マリオンお姉ちゃん、仲良くしてね!それでね、私ね、氷血華が欲しいの!!」
子供のような声を作り、口の前で握った両手をそろえて無茶な要求を行うマリエル。
私は椅子から立ち上がると、そのまま無言でテーブル越しにマリエルの頭を叩いた。
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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