2-21 侍女とお嬢様と休日(1)
遅くなりました…申し訳ない。
次回はいつもどおりです。
たぶん。
神暦720年 王の月24日 森曜日
朝。
扉を軽くノックをした後に部屋に入り、お嬢様に声をかける。
「お嬢様、お目覚めのお時間です。」
私が声をかけ、布団を剥ぎ取ろうとする間に相方がカーテンを開け、窓から風を通す。
お嬢様は窓からの光を避けて布団の下に隠れようとベッドの中でもぞもぞと動いて、まだ眠りにしがみ付こうとしていた。
「お嬢様、お目覚めのお時間ですよ。」
また声をかけつつ、軽くゆする。
相変わらずもぞもぞ動いているが、眠りは浅くなってきているようだ。
「んー、ジョゼー、もう少し……。」
「ほら、お嬢様、起きてくださいまし。お目覚めのお時間ですよ。」
ふと視線を感じてそちらを向くと、相方が微笑ましげな表情でこちらを眺めていた。
彼女に微笑を返し、今度はお嬢様の布団を剥ぐ。
暖かな布団の下から外気にさらされたお嬢様は、ベッドの上で身を縮こませて丸くなる。
「んんー、ジョゼ、寒いー。」
「ほら、お嬢様、朝ですよ。さっさと起きてくださいまし。」
私の言葉を無視して、そのまま二度寝に入ろうとするお嬢様。
しかし彼女は違和感に気付いたのか、その動きが止まる。
「んー、ジョゼ?」
目をこすりながら、顔を起こすお嬢様。
その視線が布団を彼女の足下にたたむ私を捉えると、その眠たげな目がぱっちりと開かれた。
「お、お姉様!な、な、何を!?」
「私の仕事ぶりが見たかったんでしょう?だからこうして、働いて見せに来たのよ。」
そう言って微笑むと、慌てるマリオンは足下に折りたたまれた布団を引っつかみ、顔だけ残してその身を隠した。
「い、一緒に閨を共にするならともかく、私だけ寝巻きだなんて…卑怯ですわ!」
顔を赤くしてそう捲くし立てるが、彼女は自分が何を言っているのかわかっているのだろうか?
「ジョゼ、着替えの用意を、早く!お姉様はお母様の所でお茶でも飲んでいらして下さい!」
彼女の指示を受けて笑顔のジョゼが着替えを用意し、私はそれを眺めながら大きく息をつく。
「何なら着替えも手伝うけど…。」
ええ、すごい剣幕で追い出されました。
ふと目を覚ます。
この屋敷での生活に慣れて来た所為か、普段目覚める時間にひとりでに目が覚めてしまった。
(今日は休みだし、ナターシャが夜番から戻ってくる時に起きれば…。)
夢うつつのままにそう考え、再び眠りに着こうと目を閉じるが、部屋の外から感じられる人の気配や窓の外の水音などが否応無しに覚醒を促す。
「休みの日に限って、無駄に寝起きがいいのよねー。」
昨晩は色々あったが、その疲れがいい方向に働いたのかすっきりとした目覚めだった。
しかし、これはどうしたものか。
このまま早めに鍛錬に出て、少し長めに走るか…。
マリオンに伝えれば、彼女もそれを見に来るだろうか?
と、そういえば彼女にこの屋敷での生活を見せると約束はしたが、詳細は話していなかった。
丁度いい、朝一番に押しかけると約束したし、このまま行こうか。
そう考えると私はベッドを出て、お仕着せに袖を通した。
どうせなら、ついでに仕事も見てもらおう。
宿泊客用の客室は主に屋敷の3階にある。
その中のひとつ、事前に聞いていた部屋…に隣接する部屋の扉を私は軽くノックした。
マリオンが目覚めるには少々早いかもしれないが、彼女なら…と考えていたら、中から返事があった。
「ジョゼ、ユーリアよ。中に入ってもいいかしら?」
私の声に、すぐに中から開錠の音がして扉が開かれる。
そして扉から、一分の隙もなく身支度を整えたジョゼが顔を出す。
「ごめんなさいね、ジョゼ。マリオンを起こしに来たんだけど、その前に少し中でお話、いいかしら?」
部屋の中に入った私は勧められた椅子に座り、ジョゼはベッドに腰掛けた。
そのベッドも、シーツ自体に使用した感はあるが、ぴっちりと整えられていた。
うーん、室内に椅子が1脚しかないから仕方がないとはいえ、一度整えられたベッドに座らせるのは悪い事したかしら?
「お久しぶりです、ユーリア様。お元気そうで何よりです。」
軽く微笑んではいるが、堅苦しい挨拶をするジョゼ。
「はい、ジョゼさんもお変わりなく。それにしてもこの時間での身支度といい、使用したベッドの整頓といい、いつもながら侍女の鑑たる仕事ぶり…感服いたします。」
私も表情を引き締めてそう言うが、やがて見詰め合った私たちは、どちらともなく噴き出した。
「ふふ、一応お客様のお付きだし、堅っ苦しく挨拶しようかと思ったけど…やっぱり馴れない事はするもんじゃないわね。」
「そうですね。ですがお仕着せ姿も様になっていて、お似…すごく新鮮ですね。」
彼女は言葉を選んで、私の格好を褒める。
まぁ、貴族の娘相手にお仕着せがお似合いというのは色々と問題があると感じたのだろうか?
私は気にしないけど。
ふと気付けば、彼女の態度にあった堅苦しさは、いつの間にか影を潜めていた。
まぁ、言葉遣いは仕方ないわよね。
仕事中だし、他所の家だし。
「それよりも、アンジェルたちが帰りにブリーヴに寄った時の事、ちらっと聞いたんだけど、詳しく聞かせてもらえないかしら?」
私の言葉に、ジョゼは顔を赤くして俯く。
あら、かわいい。
「その様子じゃ、本気みたいね。まったく、薦めておいてなんだけど、あんなのの何処が気に入ったんだか。さぁ、時間もないしさっさと吐いてしまいなさいな。」
そう言って、私は椅子をジョゼの座るベッドに引き寄せた。
「成程ねぇ。一番乗り気なのは、フェルでもジョゼでもなくって伯爵なんだ。」
ジョゼから一通りの話を聞き、私は1人ごちる。
ちなみにジョゼは、色々と根掘り葉掘り聞かれた結果、今は取り繕って冷静な振りをしているが、その顔は完全に上気している。
「旦那様からは『お前の好きなようにしなさい。』とお言葉を頂いておりますし、それにこの件についてはお断りを…。」
表情からして彼女も満更でもなさそうだが、私の言葉を否定するジョゼ。
顔を赤くして押さえきれない笑みをこぼしながら、それを言うか?
「本気で断るなら、含みを持たせるんじゃなくってきっぱりと断らないと駄目よ?貴方の返事じゃ縁談の条件付きの受諾にしか聞こえないわよ。それに、その程度でフェリクスが諦めるわけ無いわ。1年程度なら、平気で待つわよ。」
私の言葉に、身を縮こませるジョゼ。
私はその身体を視線で嘗め回すように眺める。
「それになんだかんだ言ってジョゼも満更でもなさそうだし…あーあ、ジョゼがフェルのお嫁さんになっちゃうのかー。初夜権って手に入らないかしら?」
「お、お嫁…って、しょ!?淑女がなんて事をおっしゃるのですか、ユーリア様!!」
私の言葉に羞恥で頬を染めたり、驚きで顔を赤くしたりと忙しいジョゼ。
勿論、この国の今の法律では初夜権云々といった制度は無い。
昔はそんな風習もあったらしいけどね。
「けどジョゼ、そんなに大声出すと、マリオンに聞こえるわよ。」
ジョゼは私の言葉に、慌てて口を押さえる。
まぁこの屋敷は声が筒抜けるような安い普請じゃないけど。
「私としてはジョゼがフェルの元に嫁いでもらえるのは色々とありがたいんだけどね。仲がいい人がアンジェルの身近にいたほうが心強いし。」
彼女にとっても、マリオンの近くに私がいるのは望ましい事だろう。
もっとも、彼女がデファンスに行くであろう1年後には、アンジェルもそれなりの交友関係を築いているだろうが。
私の言葉に、こほんと咳払いひとつで落ち着きを取り戻すジョゼ。
「勿論、貴方と縁続きにもなれる事も含めてね。まぁ色々と思う事もあるけど。」
この身体がフェルの物になると言うのは…非常にうらや…けしからん。
「さて、そろそろお嬢様のお目覚めの時間ですが…。」
ジョゼがお仕着せの隠しから鎖に繋がれた金属塊を取り出し、それを眺めてから言う。
それは手のひらに乗るサイズの時計だった。
「時計…それも魔道式ね。」
岩妖精の職人の中には精巧なばね仕掛けの時計を作るものも居るが、その大きさは一抱え以上あるものしかない。
なので持ち運べる大きさの時計となると、殆どは遺跡から出土した魔導時計となる。
例外といえば、携帯式の蝋燭時計や日時計だろうか?
魔道式となると物が物だけにかなり高価だ。
尚、デファンスでは領主のほかはお師匠様の私室にも据え付け式の魔道時計があったが、その時計は妙に精度が悪く、日に半刻程度のズレがあった。
昔、こんな時計では使いにくいのではないかと尋ねた事があったが、お師匠様はそういうものだと笑っていた。
ジョゼの手元の時計を覗き込むと、それは表面の目盛りの書かれた円盤が一日をかけて一周するもののようだった。
「それって貸与品?さすがリース家ね。」
確かに、主人に時間を知らせ、そのスケジュールを管理する近侍や侍女が持てば、非常に便利であろう。
だが一般的な貴族の屋敷では、執事どころか家令でも時計を所持していない事も珍しい事では無い。
まぁ、リース家の財力と、貸与されるに足る信頼を得ているジョゼの仕事ぶりからすればそれも納得である。
「いえ、これは旦那様より頂いたものです。15歳を期に私が子守りから侍女に、ジャックが小間使いから近侍になったときに、記念にと。」
おおう、彼女の私物…というか、ジャックにも同じものを贈っていたのか。
リース家恐るべし…まぁ氷血華という文字通りの金の生る木を持っているんだから、それも当然か。
相場的には私が貰った氷血華数本で買える程度だしね。
っと、そういえばマリオンを起こすんだった。
「だったら私も行かなきゃね。私が起こすから、ジョゼはその他の仕事をお願いできる?」
私の提案に、ジョゼは素直に頷く。
寝起きのマリオンはどんな反応をするか…興味深いわね。
「それで、マリオンのところを追い出されたのね。」
マリオンの言葉に従い伯爵夫妻の部屋を訪れた所、伯爵はまだ夢の中で夫人だけが既に置き出していてベッドの上でお茶を飲んでいた。
彼女は小声で侍女に部屋に移る旨を伝えると私と共に移動し、隣の応接間のソファで向き合って軽く事情を説明した所だ。
ちなみに夫人の格好は寝巻きの上に軽くショールを羽織ったもので、おそらくはそれが自宅と同じ格好なのだろう。
夫人付きとして連れて来た、ブリーヴの屋敷で見たお仕着せに身を包んだ侍女がお茶を入れて、私たちの前に置く。
そのカップを手に取り、香りを楽しみながら私は頷いた。
「はい。この前、彼女達と泊まった時にはほとんど羞恥する素振りは見せる事がなかったのですが…。」
ふむ、いい香りだ。
…香りからすると、この茶葉はブリーヴのお屋敷から持って来た物か。
やはり飲みなれたものが一番なのだろう。
「そうねぇ、貴族は何処かしらそういった事があるけど、あの娘も使用人や同性の相手には羞恥する事は無かったわ…。どういった心境の変化かしら、ねぇ?」
そう言って意味深に微笑む夫人。
心境の変化…社交デビューもしたし、それの所為かしらね?
あ、あとはジョゼの婚約の所為かしら?
まぁ他には特に思い当たる事も無いし、それは別にいいか。
「それで聞いたかしら?ユーリアちゃん。ジョゼの事なんだけど!」
夫人が身を乗り出して話を振ってくる。
その内容がフェリクスとの事だとは想像がつくので、「婚約の事でしょうか?」と答えると、夫人は大きく頷いてうれしそうに「そうなのよー。」と微笑む。
まぁ実の娘のように接してきたとは聞いていたので、誰彼構わず話したい内容なのだろう。
私としても当事者間だけではなく、第三者から見た印象を広く知っておきたいので、これは渡りに船だ。
私は椅子に浅く腰掛けて夫人に近づくと、顔を寄せて詳しく教えて欲しいと囁いた。
彼女からの話は、ジョセ本人からの話とほとんど変わらなかった。
だが話の節々から、彼女がジョゼを愛し、今回の件を心から喜んでいる事はとてもよく感じられた。
その話が終わった後に続くのは泊まりに来たアンジェルについての話題であり、また彼女についても大いに好意を寄せている事がよくわかった。
ただ、何かにつけて「アンジェルちゃんをちょうだい!」と強請られるのには参った。
まぁ、彼女もそれが通るとは思っていないのは分かるので、適当にはぐらかすために提案してみた。
「それでしたら、伯爵に二人目をお願いしてみるのは如何でしょう?」
私がそういうと、彼女は目をそらして顔を赤くする。
そして先程までより小さな声で呟く。
「それだったら…もうお願いしてるのよ。だけど主人もあまり若くないし、できたとしてもしばらく先になりそうだし、それにアンジェルちゃんはアンジェルちゃんで別腹よ!」
途中から熱を帯びたのか、最後には宣言するように大声で訴える夫人。
まぁ、確かに他所の子なら別腹ではあるが。
「ともあれ、アンジェルは私の小間使いですので、差し上げる訳には参りません。」
そうきっぱりと断ると、「ユーリアちゃんのケチ…」と恨みがましそうな目で見られはしたが何とか引き下がってくれた。
夫人には色々と恩もあるが、これだけは譲れないのでこれ以上は勘弁して欲しい。
と、そんな事を話していると、ノックの音とともにジョゼを連れたマリオンが現れた。
「お姉様、お待たせいたしました。お母様、おはようございます。」
そう元気よく挨拶する彼女は、寝巻き姿…ではなく、乗馬服様の動きやすそうな服に着替え、髪の毛も結い上げて、薄くではあるが今まではほとんどしていなかった化粧もしているようだ。
この格好は…最初に私達が出会ったときの格好によく似ているが、随分と気合が入っているようだった。
今日は色々と動き回るつもりなのだろうか?