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男装お嬢様の冒険適齢期  作者: ONION
第2章 侍女の生活
54/124

2-20 侍女と夜会(5)

 神暦720年 王の月23日 水曜日


「ユーリアちゃん、大丈夫だった!?」


 クリストフが退席してからしばらくの後、控え室に奥様が現れた。


「カスティから話を聞いて、すぐに駆け付けたかったのだけれど、お客様の相手で手が離せなくって…遅くなってごめんなさいね。」


 慌ててソファから立ち上がる私に駆け寄り、そして両手で私の顔を包み覗き込む。

 その表情は必死であったが、トラブルの形跡が見当たらなかった所為だろう、次第にその表情は穏やかなものとなる。


「はい、カスティヘルミ様に治療していただいたため、怪我は特にありません。それに普段から鍛えているものですから、あのように叩かれる事など日常茶飯事です。」


 至近から奥様に見つめられてどぎまぎしながらも答えると、奥様はため息をついてから、「女の子なんだから…。」と呟いた。

 と、奥様の後から部屋に入ってきた伯爵夫人(ヴァネッサ)がそれに続くように口を開く。


「大事が無くてよかったわ。まったく、相手がどのような身分といえども、淑女に暴力を振るう殿方なんて、最低だわ。」


 手に持った扇で口元を隠しながらそういうが、口調からも怒りが透けて見える。

 その間に、落ち着きを取り戻した奥様が部屋の中を見回して、その視線がソファに座る二人で止まる。

 正確にはそのうちの1人に。


「まぁ、これは妃殿下!おいでとは気付かずにご挨拶が遅れ、申し訳ありません!!」


 と、ソファに座るニネットの足下で頭を垂れ、挨拶を述べる。


「ごきげんよう、ヴァレリー夫人。ブリーヴ夫人…は先程お会いいたしましたわね。本日はお忍びですので、礼は不要です。」


 ニネットはそう言って直るよう促す。


「お爺様の顔を見に来た兄のお供で、夜会に参加させていただきました。ですが、非常に有意義な時間を過ごせましたわ。」


 そう言って、並んで座るこちらに視線を向けて微笑む。

 侍女の分際で姫君や貴族令嬢と同じ椅子に腰掛けていた私は微妙に居心地を悪くするが、マリオンは何故か自慢げだった。

 変な所で肝が据わっている。

 流石大貴族の娘と言った所か。




「まぁ、そのような事が。」


 私たちは代わる代わる奥様たちにクリストフが退出した所まで一通り状況を説明した。

 奥様はその話に真剣に耳を傾けていたが、ブリーヴ伯夫人はマリオンが親しげにニネットと言葉を交わすのを微笑みながら眺めていた。

 社交デビュー初日から王族との伝を得るとは…マリオンでかしたとでも思っているのだろうか?

 ちなみに人数が増え席が狭くなったので私がソファを立とうとした所、マリオンがそれを押しとどめて、ニネットがマリオンの横に腰を移したのでそのまま座っている。

 まぁ、王女様に席を移動させるなどという不敬に周囲は青ざめたが、彼女はまったく気にしていないようだった

 その間にも幾人の侍女が入室しては、奥様に新しい情報を耳打ちする。

 どうやら、アンヴィー伯代行は本当に会合で席を蹴って飛び出したらしい。

 アンヴィー伯は国内に名を知られた長男(マティアス)を代行に指名したと思うのだが…完全な人選ミスではなっかただろうか。

 理知的なクリストフを指名していればすべてが丸く収まったような気もするが…でも、それだとクリストフを後継者として考えていると取られかねないか?

 だとすると今回の件はマティアスへの手綱が甘かったクリストフの失態…まぁ何にせよ後の祭である。


「アンヴィー伯代行は本来であればこの屋敷に宿泊する予定だったのだけど、既に供方と街を出て領地へ向かったみたいよ。」


 奥様が侍女達から入ってきた情報を明かす。

 この街を出たとすれば、次の大きな街はブリーヴか…野宿するのでもなければ、夜通し走る事になる。

 クリストフも大変だ。


「ほんとうに、アンヴィー伯にとっては頭の痛い問題ね。その分、私たちにとっては譲歩を引き出すチャンスだけど。」


「ええ、サミュエルの楽しそうな顔が浮かぶわ。あの人悪巧みが大好きだから。」


 ブリーヴ伯夫人(ヴァネッサ)の言葉に、奥様(イザベル)笑顔で相槌を打つ。

 この二人はかなり仲が良いようだ。

 まぁ旦那同士が同じ派閥な事もあり、領地も近いので親しく付き合っているのだろう。

 ちなみにその旦那達は、会合を終え、そのまま宴会になだれ込んでいるらしい。

 おかげで侍女も女中も大忙しだ。


「ところで奥様、私達は宴会のお手伝いに出なくてよろしいのでしょうか?」


 きまり悪そうなエミリーを見かねて、私が尋ねる。


「大丈夫よ。セリアもカスティもしっかりやってくれているし、人手に関しては『泉の園』にお願いしているし。」


 奥様はそう答えて、「だからこの部屋にいてもいいのよ?」と続けた。


 ちなみに『泉の園』とは、侍女や女中専門の相互扶助組織である。

 良家子女の行儀見習いならともかく、職として侍女や女中として働く娘が、伴侶に恵まれることなく歳を取ると老後の生活に困窮する事が多い。

 そんな彼女達を保護し、また身寄りの無い子供を引き取って教育を施し、侍女や女中として良家に送り出し、また職を失った彼女達に職を斡旋する。

 数百年の昔、仕えた老齢の主を失いその屋敷を相続した1人の侍女が、彼女の元に身を寄せた女中達と作り上げた組織は、今では大陸中にその拠点を持つ『侍女ギルド』とも呼ぶべき一大組織となっている。

 この屋敷にも、普段から侍女はともかく女中や女中見習として、『泉の園』から紹介された者が10人程働いているので、その伝で応援を頼んだのだろう。

 そういえば、今朝の朝礼でもそんな事を言っていた。


「けどまぁみんな忙しいから、エミリーがこの部屋にいてくれて助かるわ。」


 そう言って、奥様は部屋備え付けの茶器で給仕をするエミリーに微笑む。

 ふーむ、一介の女中でありながら奥様に名前を憶えられているとは…彼女も意外と評価されているのか。


「ところで、お姉様はこの後、どうなさるのですか?」


 マリオンの問いに、私たちの関係を知らない奥様が「まぁ」と相好を崩す。


「あらあら、二人は仲がいいのね。ユーリアちゃん、今日は色々あったしこのまま早めに切り上げてもらってもいいわよ?それに確か、明日はお休みよねぇ?」


 奥様の言葉にマリオンが一瞬の驚きの後破顔する。


「まぁ、何たる僥倖。でしたら、明日はお姉さまと遊べますのね!」


 そう言ってこちらに身を乗り出すマリオンの勢いに思わずのけぞる。

 だがそんな彼女を伯爵夫人が窘める。


「駄目よ、マリオン。ユーリアちゃんにも予定というものがあるのですから。」


 伯爵夫人はそう言いはするが、私達を微笑ましげに眺めている所からして、淑女の嗜みとして相手の都合を配慮するよう注意しているだけで、私が断るとは思っていないのだろう。

 まぁ彼女の用事以上に優先する予定があるでもなし。


「まぁ、予定では午前は剣術の鍛錬、午後は魔術の訓練、夕方からは買い物も兼ねて街に繰り出そうかと思ってはいましたが…。」


 本来の予定を告げると、それぞれがそれぞれに反応を見せる。


「あらあら、やっぱりユーリアちゃんは行動的なのね。」


 と奥様が言えば、


「ええ、本当に。暴れ馬の件があったから、乗馬が上手なのは知っていたけど。」


 伯爵夫人が奥様に同意する。


「まぁ、剣術ですの?」


 とニネットが素直に驚きを浮かべ、


「では明日は訓練に参加しないんですか!?」


 とエミリーが悲しげに呟く。

 当のマリオンはこちらを見つめたまま首をかしげて、


「普段のお姉さまの休日もとても興味深いですわ…。」


 と呟いている。

 そして、「そうですわね…。」などと1人で呟いた後、奥様に向き直った。


「侯爵夫人、不躾ながら、お願いがありますの。」


「あら、何かしら?」


 マリオンの問いに、奥様は微笑みながらも首を傾げる。


「私、行儀見習いにはぜひともこのお屋敷をと考えております。つきましては、その下見として、明日はお屋敷の中を出入りさせていただけませんでしょうか?」


 そうして頭を下げるマリオン。

 あー、下見にかこつけて、明日は私にべったり貼り付こうかといった魂胆か。

 そんなマリオンに、奥様は微笑を浮かべて答える。


「具体的には、どのような所かしら?場所によっては、当家の人間以外が立ち入っては拙い場所もあるわ。」


 奥様の問いに、マリオンが詰まる。


「えっと、その…どこかというと…何と言いますか…そう、お姉さまが出入りする場所…ですわ!」


 詰まりながらも途中で開き直ったのか、マリオンが胸を張って断言する。

 それを聞いた伯爵夫人は眉をゆがめてから手で顔を覆い、奥様は「あらあら…」と呟いている。


「うふふ、そうなの。だったら、ユーリアちゃん、お休みの日に申し訳ないんだけど、屋敷内の案内は貴女に任せるわね。普段の貴女の休日を見せて差し上げて。」


 そう言ってにっこりと微笑む。

 これはお目付け役代わり…ということになるのだろうか、お目付け役の予定に対象があわせるのが普通とは違うが。


「はい、畏まりました奥様。」


 私がそう返事をすると、マリオンはぱっと表情を明るくする。


「ごめんなさいね、ユーリアちゃん。悪いけど、マリオンの面倒をお願いね。何なら、ジョゼを使ってもいいから。」


 そう謝る奥様に、「お気にせずに。」と答える。

 というか、ジョゼも来てたのか。

 まぁマリオン付きの侍女だから当然か。


 と、そこで部屋にノックの音が響き、若い男が姿を現す。

 騎士服風の上品な服に身を包んだ若い男は、部屋の中にニネットを認めると、そのまま「失礼」とだけ断り、ずかずかと部屋に入ってきた。


「ニノ、こんな所にいたのか。方々を探したぞ。」


 その声に振り向いたニネットは、「あら、お兄様。」と呟く。

 お兄様…というとこの国の王子か!

 皆が立ち上がったのに一瞬遅れて、私も立ち上がる。


「供回りだけでさっさとじじいの顔を見て帰るつもりが、お前が付いてきた所為でもうこんな時間だ。これでは、王都に付くのが夜明けになってしまうではないか。」


「あら、でもとても楽しい時間が過ごせましたのよ?」


 王子はニネットに文句を言うが、それも何処となく冗談めいていて、ニネットもどこ吹く風といった雰囲気だ。

 おそらくは昔から王子にはわがままを言って甘えてきたのだろう。


「殿下、もしよろしければ、屋敷内にお部屋を用意いたしましょう。」


 奥様がそう提案する。

 確かに今から宿を取るのも手間だし、夜通し走って何かあっては貴族としての面目が丸つぶれだ。


「む、そうか。それは助かるぞ、侯爵夫人。だが良いのか?夜会の客で屋敷の客間が埋まって、街の宿にまであふれ出しているのではないか?」


 奥様の提案に、王族らしからぬ配慮を見せる王子。

 だが奥様はそれににっこりと微笑む。


「殿下と妃殿下をお迎えできるのでしたら、私たちの部屋を空けてでも用意いたしますわ。ただ、幸いと言いますか、部屋の空きがありますので、早速用意いたします。」


 そう答えた奥様が、視線をこちらに向けて意味深に笑う。

 そうか、アンヴィー伯一行が泊まる予定だった部屋か。

 奥様が二人とお付きの分の部屋を用意するよう指示を出そうとした時に、私の前に立ったエミリーが奥様の視線を遮った。


「お、奥様、ご用件でしたらわたくしひゃ。」


 あ、噛んだ。

 まぁそうか、ニネットだけでも一杯一杯だったのに、さらに殿下と同じ部屋にいるのは流石に気が気ではないか。


「そう。じゃぁお願いね。」


 奥様からセリア様とカスティヘルミ様宛の言伝を預かって、一礼したエミリーが部屋から出て行く。

 となると、給仕は私の役目か。

 私がソファからその脇に移動すると、マリオンもそれに追随するように動き、王子の前で腰を屈めて一礼する。


「ブリーヴ伯が娘、マリオンと申します。お目にかかれて光栄ですわ。」


「エルネストだ。そういえば夜会の場でもニネットと共にいるのを見かけたな。まぁあれだ、多少わがままな所もあるが、贔屓目を差っ引いてもまぁ素直で良い娘だ。仲良くしてやってくれるとうれしい。」


 そう言うエルネスト。

 流石に王族と言うだけあってニネットとの交友を願いつつも頭を下げたりはしない。

 それに「喜んで」と答えるマリオン。


「さて、ニネットを探し回った所為で喉が渇いた。すまんが茶を所望する。」


 そう言いいつつ、ソファの開いたスペースにどっかと腰をかけるエルネスト。

 私は無言で茶を煎れる。

 茶葉は赤茶。

 それもこのお屋敷で賓客用に出す最上のものだ。

 しかし、残ったのがエミリーだったら最上のお茶を煎れられたのかも知れないが、生憎と茶の煎れ方については一通りの手順しか習っていない私だ。

 まぁここは基本に忠実に…と。


「失礼いたします。」


 そう一声かけてから、茶をエルネストの前に置く。

「うむ」と軽く返事をした彼がカップを取り、そして香りを楽しんでから茶を口に含むのを伏せた顔から横目で眺める。

 一口、二口とそれを飲み干してから、彼は大きく息をついた。


「うむ、さすが侯爵家、いい葉を使っているな。ブレンツ帝国はアルピルスの紅葉赤茶(クリムゾンリーフ)か。だが湯の温度が少々高く、それなのに抽出時間は一般的な時間…おかげで渋みが強く出てしまっている。もう少し湯を冷やすか、抽出時間を短くするべきであったな。」


 そんな事を言いつつも、茶を飲み干して「もう一杯」とカップを差し出してくる。

 今度は忠告どおりに、少々低めの温度で入れると、彼は一口付けてから満足したかのように大きく頷いた。

 この王子の趣味を耳にした事はなかったが…どうやら茶道楽であるようだ。



 ソファに座った方々の話を横で聞きながら給仕をしていると、やがて部屋が用意できたとカスティヘルミさんが部屋に現れた。

 彼女に案内されて二人が部屋を出ていくと、私はそこで大きく息をついた。

 あの男は…一見こちらには視線を向けず興味がないような振りをしていたが、私が茶を煎れる度に、「む」とか「ふむ」とか1人ごちるのだ。

 おかげで茶を煎れるごとに緊張を強いられ、精神が磨り減ってしまった。


「うふふ、疲れた?ユーリアちゃん。」


 奥様はそんな私をながめて微笑む。

 どうやら王子の趣味については知っていたようだ。


「エルネスト殿下はお茶には五月蝿いのよ。でも、満足していただいた様だから、ユーリアちゃんに任せて正解だったわぁ。」


 そう言って、「座って座って」と席を勧めてきたので、ありがたく座らせてもらう…前に、言われたように自分でもお茶を煎れてみた。

 そして席に着き、カップに口をつける。

 …確かに美味しい。

 芳醇な香りと、すっきりとした後味…殆どが茶葉のおかげだろうが普段飲むお茶とは大違いだった。

 だが、疲れた身体には甘みが足りない。

 砂糖を2杯、3杯と溶かしてそれをぐいとあおる。


「ふふっ、豪快ね。でも疲れたときには甘いお茶よね。」


 奥様は特に咎める事もなく、それを眺めていた。


「お姉さまのお茶、とても美味でしたわ。ジョゼの煎れるお茶とも甲乙つけがたい位ですわ。」


 マリオンはそう言うが、流石にお世辞だろう。

 もしくは茶葉の所為か。


「じゃぁユーリアちゃん、お疲れの様だし、そろそろ上がっちゃいなさい。後はだいじょうぶよ。殿下たちを案内したら、カスティが戻ってくるから。」


 そう奥様が退席を促す。

 うーん、そうよね

 流石に疲れたわ。

 特に最後で。


「でしたらお姉様、この後は私の部屋で…。」


「これ、マリオン、ユーリアちゃんはお疲れなのよ。それはまた明日にしなさい。」


 早速誘いをかけてきたマリオンを、伯爵夫人がたしなめる。

 うん、これはありがたいな。

 流石に今日は色々ありすぎた…。


「ごめんなさいね、マリオン。流石に疲れたから、このまま休ませてもらうわ。でもね、明日は朝一番でそっちにお邪魔するから、楽しみにしていてね。」


 そうマリオンをなだめてから、「必ずですわよ、お姉様。」と渋るマリオンと奥様方の下を辞して、自分の部屋に向かった。

 とっとと寝る…の前に、汗を流さないと…それよりもすきっ腹にお茶だけで胃が痛い。

 そんな事を考えながら、私は使用人棟へと足を向けたのだった。


読んでいただき、ありがとうございました。

次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。


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