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男装お嬢様の冒険適齢期  作者: ONION
第2章 侍女の生活
53/124

2-19 侍女と夜会(4)

遅くなりました。

 神暦720年 王の月23日 水曜日


「ナターシャ様、少々よろしいでしょうか?」


 部屋を出たナターシャを、後を追いかけたマリオンが呼び止める。


 ナターシャは他の侍女達に視線を向け、カスティヘルミが小さく頷いたのを確認すると、マリオンに向き直った。


「はい。ですが手短にお願いいたしますね、職務中ですので。」


 そんな彼女を置いて、他の女中達はその場を離れる。

 トラブルの後始末で仕事が滞っており、招待客の意向とはいえ全員が関っている余裕などない。


「ええ、ありがとうございます。実は少々お尋ねしたい事がありまして…ナターシャ様は何時頃迄このお屋敷にいらっしゃるのでしょうか?」


 マリオンはにっこり微笑んで口を開く。

 その態度は貴族の子女らしくとても礼儀正しいものだった。

 そんな彼女を見つめながら、ナターシャは質問に考えを巡らす。

 質問の意味は…領地間の付き合いのためにも、帰り道でブリーヴに立ち寄れとでも言うのだろうか?

 それであればこちらとしても断る理由は無い。

 なんだかんだ言って実家の領地運営には、隣の大領であるブリーヴに左右される部分が多い。

 相手の意図は不明ながらも、理由もなく機嫌を損ねる事も無いと包み隠さず答える事にした。


「予定では、あと1年弱…となっておりますが。」


 その答えを聞いて、マリオンは笑顔で手を合わせる。


「まぁ、それは好都合ですわ。でしたら、少々不躾ではありますが、ナターシャ様にお願いがありまして。」


「はい、なんでしょう?」


 ナターシャは少々こわばった笑顔で問いかける。

 あまり無茶なお願いはしないで欲しいなと考えながら。

 マリオンの態度は相変わらず礼儀正しいが、だがそれはお願いになれた貴族令嬢のものらしく、その可否を伺うような気配は無い。


「そう身構えないで頂けますか?とても簡単なことです。行儀見習いを終える日がわかったら、それを知らせていただきたいのです。できれば一月ぐらい前に。」


「理由をお聞きしても?」


 ナターシャの言葉に今までの取り繕ったような態度から一転し、マリオンが頬を染めて俯く。


「はい。私もこのお屋敷に行儀見習いに参りたいのですが、できればお姉さまと同じ部屋になれればと。貴女が上がる日よりも早ければ、別の部屋になってしまいますし、遅すぎても他の人が割り当てられてしまうでしょう?」


 そう言いつつももじもじと言った感じで視線をそらすマリオン。


「成程、左様ですか…。」


 ナターシャは表面上は理由に納得し、それを口に出す。

 確かに、普段は怖いもの知らずの大貴族の令嬢といえども、流石に親元を離れて暮らすとなると心細かろう。

 そんな時に身近に自分の良く知っている人物がいれば、安心できると言うものだ。

 だがしかし…彼女はそれ以外の妙な居心地の悪さも感じていた。

 どことなく背筋に怖気が走るような…。


(けどまぁ、この程度の事なら断る理由は無いわね。まぁ困るとしてもユーリアだし、その時に私はもうお屋敷には居ないし。)


「その程度でしたら、構いませんよ。まぁ憶えていたらの話ですけど。」


「ええ、その件については杞憂ですわ。こちらも、度々思い出していただけるよう動きますから。」


 そう言って、マリオンはにっこりと微笑んだ。


 その日以降、何かにつけて付け届け紛いの贈り物が度々リース家からナターシャの元に届くようになり、その度に彼女は安請け合いしたかと少しだけ後悔することになる。




 夜会が一段落した所で行われた穂首派の会合…それはアンヴィーの領主代行、マティアスへの質疑から始まった。


「アンヴィー伯代行、マティアス殿。夜会において当家の女給がしでかした不始末については、大変申し訳なく思う。だがしかし、始末へ駆け付けた者に手を上げるのは、紳士の態度としていささか乱暴過ぎはしないかね?」


 議場である円卓を囲む貴族達の中、議長役のガスパールの言葉に苛立ちを隠さずにマティアスが答える。


「その件については詫びさせていただく。些か酒に酔っていた所為で不始末に腹を立て、手を上げたことは確かだ。だがしかし、我は貴族である故、他家の者とはいえ下女に勝手に触れられるのは我慢なない。本来であれば、侍女なり客間女中なりの上級使用人が対処するべき状況ではないか?」


「ふむ、そうかね。だが、貴殿が手を上げたのは当家の侍女。それも、伯爵家出身の令嬢でね。行儀見習い中の出来事とはいえ、状況説明や先方への釈明を考えると、些か頭が痛い問題だ。」


 侯爵の言葉に、会場がざわめく。

 年頃の伯爵令嬢ともあれば、多少なりとも顔を知られていているものだが、参加している貴族のほとんどが彼女を知らなかった。


「侍女?粗相をした女中と同じ服を着ていたので、てっきり下級使用人と思って反射的に手を出してしまったのだが…。しかし、伯爵家の出身といっても穂首派の一員であるならば、その親がこの場にいるのではないか?であれば我が直接詫びればいい話ではないか。」


 伯爵令嬢とはいえ小娘相手に詫びるのは些か抵抗があるが、貴族が相手であれば流石にそれもいたしかたない。


「いや、現状穂首派に属していない…彼女はデファンス伯の娘だ。」


「デファンス伯の!?」


「ぼっちの…うぉっほん! ヴィエルニが…動くのか?」


「もしこの件でへそを曲げられて楠葡派に付かれでもしたら、少々厄介だぞ?」


 侯爵の言葉に、会合の場がざわめく。

 冷静に場を見回しているのは、ブリーヴ伯ぐらいの物だった。


「今回の議題の中に、ヴィエルニ家への引き込み工作の如何を問う物もあったのだが…その前にこの件から片付ける必要がある。」


 侯爵の議案に貴族達から言葉が漏れる。


「今回の件は、令嬢が女給の粗相のとばっちりを食らった形か…。」


「アンヴィー伯代行の謝罪で、すんなり収まるとよいのですが…。」


「確かヴァレリー騎士団長のアルノルス殿はデファンス伯の遠縁にあたった筈。彼に取成しを願えば、心象も…。」


 会合に参加している貴族達が、それぞれに意見を述べるが、それは、マティアスが直接ユーリアへ謝罪を行うという方向で一致していた。

 それを聞いてマティアスは自分の責任を回避するために必死に頭を回す。


(糞ッ、この程度の事は(クリストフ)が対応すればいいのだ。我に押し付けるな!)

 この時点で、状況を知ったクリストフがユーリアに自ら謝罪すべく動いている事を彼は知らない。


「だがしかし、上級使用人の侍女が、何故粗末なお仕着せを着ていたのだ?我に付いた客間女中…ペルト子爵の娘だったか?彼女は、それなりの格好をしていたぞ?」


 もっとも、上級使用人のオーダーメイドのお仕着せに比べれば粗末なだけで、一般市民から見れば彼らの一張羅よりもよほど良い仕立てをされている。


「それに関しては少々情けない話だが、彼女はまだ行儀見習いについてから日が浅くてね。つい先日寸法を取って、仕立てている最中との事だ。なお、侍女としての礼儀作法は及第点、安心して給仕程度なら任せられる…との家政婦の弁だったので、現状彼女自身にとくに瑕疵は認められない。」


 彼が必死に考えた逃げ道も、侯爵にあっさりと塞がれてしまった。

 もはや逃げ場は無いか…思わず心情が口から漏れる。


「くっ、我が小娘に頭を下げるなど…。」


 それを聞きとめた貴族達が、それぞれに口を開く。


「代行はまだ若いから抵抗があるかも知れませんが、目的のために頭を下げられるようになって初めて一人前というものですぞ。」


「その点、『アンヴィーの荒牛』などと持ち上げられていてもまだまだ青いですなぁ。」


「後継者がこれでは、伯爵もおちおち伏せっておられますまい。」


「弟君の方は、多少は道理を弁えた御仁に見受けられましたが?」


「それでしたら…おっと、これ以上は口が過ぎますかな?」


 年配の貴族達はマティアスに配慮を見せる事であてつけるが、人一倍短気な彼の堪忍袋の尾は既に限界を越えていた。


「くっ、言わせておけばっ…貴様等はいつもそうだ!我が領地がラヴォリの不届き者共に攻められた時も、口を出すばかりで碌に援軍すら出さず、我が軍がそれを撃退しても相手国に攻め入る事は許さんと!これではすぐに体勢を立て直されていたちごっこにしかならぬではないか!!」


 マティアスは怒鳴り散らすが、他の貴族達は気にした様子も見せない。


「戦線の拡大は慎むべき。国軍の主力がブレンツ帝国に向いている以上、二正面作戦は避けるのが定石。」


「ラヴォリとの小競り合いはいつもの事。それを防ぐために、ビゾン家は国王陛下からアンヴィーを拝領しているのではないのかね?」


「ええい、黙れ黙れ!そもそも貴様ら腰抜け共に組する事で助力を得ようなどと言う考え自体が間違っているのだ!もういい、これまでだ!金輪際、貴様らの力など借りん!!」


 そうわめき散らして席を立つマティアス。

 だが狡猾な貴族連中はわずかに眉をひそめるだけだ。


「代行殿。貴殿にそのような権限がおありかな?」


「五月蝿い!アンヴィー領次期領主たる我の決めた事だ!貴様らに言われる筋合いは無い!!」


 そう言い放つと、彼は振り向き、足音も荒く部屋から出ていった。

 後に残るは年配の貴族達。


「いやはや、若い者は血気盛んですなぁ。」


「ですが些か短気過ぎるかと。あれでは、戦場でも簡単に敵の策にはまりましょう。」


「案外、勝利を重ねているのもラヴォリ国の烏合の衆を相手取っているからこそかも知れませぬなぁ。」


「聞いたところでは、智に敏い弟君が参謀役に徹しているとか。」


「この時間も、一足先にデファンス伯令嬢へ詫びに出向いているようですな。」


 侯爵の言葉に、他の貴族達は大きく頷く。


「不出来な兄の尻拭いか…代行殿が次期領主でいられるのも、それほど長くないかもしれませぬな。」


「まぁ、なんにせよ、アンヴィー伯が快癒したのちには、今回の件で詫びに顔を見せる事になりましょう。」


「うむ、多少の若者の癇癪程度、笑って水に流すのも先達の務め。」


「まことまこと。」


「ではデファンス伯令嬢に対しては、弟君が謝罪する事で収まればそれでよし、そうでなければ私が詫びる事でよろしいかな?何、多少跳ねっ返りな所もあるが、素直な娘だよ。」


 侯爵の言葉に、他の貴族達は口々に「異議なし」と意見を表明する。


「よろしい。では次の議題だが…。」


 そうして、マティアスの退席などなかったかのように、そのまま会合は進んでいった。




 ひたすらに頭を下げるクリストフの謝罪を受け入れた私であったが、その後マリオンも戻ってきた事もあり、そのままお茶に…という流れになった。

 ちなみにカスティヘルミさんは仕事に戻っている。

 お茶の給仕については同じ使用人という事で私が行おうとしたらエミリーに是非にと懇願され、その役目を譲り渡した。

 何でも、貴族の子女やら王女やらに囲まれたこの場では、給仕でもしていないととてもではないが気が持たないらしい。


「成程、ではアンヴィー伯は?」


「はい、長年の不摂生がたたったのか、冬に風邪をこじらせてしまいまして。快癒には向かっているのですが、歳も歳ですし今しばらくは治療に専念する必要があるため、兄が代行、私が補佐という形で会合に参りました。」


 私の質問に、私の正面の席に座りカップ片手のクリストフが答える。

 騎士風の兄とは違い、伸ばした髪は肩口で切り揃えられ、貴族風というより文官風の身形をしている。

 ちなみに、体型は一見細身だが鍛えているのかそれなりに筋肉質だ。


「この度の事があったので止むを得ず兄1人で会合に参加させたのですが、お嬢様方とお茶を楽しむ事ができたのはそれはそれで幸運だったかも知れませんね。」


 そう言ってさわやかに笑う。


「しかし、デファンス伯のお嬢様がこのように活動的な方とは…しかも剣術の心得もあるように見受けられますが?」


 そう言ってこちらに視線を向けるが、その視線は美術品でも観察するような感じで、視線で嘗め回すようないやらしさは感じられない…まぁ見るべき所が無いとも言うがな。


「ええ、母の影響です。」


 私の短い返事に。彼は大きく頷く。

 アンヴィーにも母の勇名は届いているのだろう。


「お姉様は乗馬もお上手ですのよ?そもそも私との出会いは…」


 私の隣に座ったマリオンが何時ものごとく馴れ初めを説明し出すと、それを何度も聞いて居るはずのニネットがクリストフの横で真剣に話に耳を傾けている。

 そんな中、カップのお茶を飲み終えた私がエミリーに視線を向けると、彼女までマリオンの話に聞き入っていた。

 うーん、お屋敷の住人は娯楽に飢えているのだろうか?


 と、ドアからノックの音が響き、こちらの返事を待ってから騎士服を着た長身の女性が姿を現した。

 あ、黒髪だ、珍しい。

 けど、自分とは違いどちらかといえば童顔…しかし騎士服は伊達じゃない様で、それなりに鍛えているのか動作は機敏だ。

 と、扉前で一礼した女性が、クリストフの後ろに歩み寄り、耳打ちする。

 そしてそれを聞いたクリストフは、顔をしかめた。


「兄上が…会合中に穂首派に決別を告げて席を蹴っただと?それで兄上は今どこに?…既に馬車か!」


 そしてクリストフは立ち上がり、こちらに一礼した。


「どうやらここまでのようです。お恥ずかしながら、急用ができてしまいましたので、これにて失礼させていただきます。それでは。」


 と、挨拶もそこそこに女性を連れて部屋を出ていった。

 しかし、会合途中で席を蹴るなどとは…今回の件を咎められて短気でも起こしたか?







「ユーリアちゃん、大丈夫だった!?」


 クリストフが退席してからしばらくの後、控え室に奥様が現れた。


「カスティから話を聞いて、すぐに駆け付けたかったのだけれど、お客様の相手で手が離せなくって…遅くなってごめんなさいね。」


 慌ててソファから立ち上がる私に駆け寄り、そして両手で私の顔を包み覗き込む。

 その表情は必死であったが、トラブルの形跡が見当たらなかった所為だろう、次第にその表情は穏やかなものとなる。


「はい、カスティヘルミ様に治療していただいたため、怪我は特にありません。それに普段から鍛えているものですから、あのように叩かれる事など日常茶飯事です。」


 至近から奥様に見つめられてどぎまぎしながらも答えると、奥様はため息をついてから、「女の子なんだから…。」と呟いた。

 と、奥様の後から部屋に入ってきた伯爵夫人(ヴァネッサ)がそれに続くように口を開く。


「大事が無くてよかったわ。まったく、相手がどのような身分とはいえ、淑女に暴力を振るう殿方なんて、最低だわ。」


 手に持った扇で口元を隠しながらそういうが、口調からも怒りがあふれている。

 その間に、落ち着きを取り戻した奥様が部屋の中を見回して、その視線がソファに座る二人で止まる。

 正確にはそのうちの1人に。


「まぁ、これは姫殿下!おいででしたか、気付かずにご挨拶が遅れ、申し訳ありません!!」


 と、ソファに座るニネットの足下で頭を垂れ、挨拶を述べる。


「ごきげんよう、ヴァレリー夫人。ブリーヴ夫人…は先程お会いいたしましたわね。今日はお忍びですので、礼は不要です。」


 ニネットはそう言って直るよう促す。


「お爺様の顔を見に来た兄のお供で、夜会に参加させていただきました。ですが、非常に有意義な時間を過ごせましたわ。」


 そう言って、並んで座るこちらに視線を向ける。

 侍女の分際で姫君や貴族令嬢と同じ椅子に腰掛けていた私には微妙に居心地が悪いが、マリオンは何故か自慢げだった。

 変な所で肝が据わっている。

 流石大貴族の娘と言った所か。




「まぁ、そのような事が。」


 私たちは代わる代わる奥様たちにクリストフが退出した所まで一通り状況を説明した。

 奥様はその話に真剣に耳を傾けていたが、ブリーヴ伯夫人はマリオンが親しげにニネットと言葉を交わすのを微笑みながら眺めていた。

 社交デビュー初日から王族との伝を得るとは…マリオンでかしたとでも思っているのだろうか?

 ちなみに人数が増え席が狭くなったので私がソファを立とうとした所、マリオンがそれを押しとどめて、ニネットがマリオンの横に腰を移したのでそのまま座っている。

 まぁ、王女様に席を移動させるなどという不敬に周囲は青ざめたが、彼女はまったく気にしていないようだった

 その間にも幾人の侍女が入室しては、奥様に新しい情報を耳打ちする。

 どうやら、アンヴィー伯代行は本当に席を蹴って会合を飛び出したらしい。

 アンヴィー伯は国内に名を知られた長男(マティアス)を代行に指名したと思うのだが…完全な人選ミスでは無いだろうか。

 理知的なクリストフを指名していればすべてが丸く収まったような気もするが…でも、それだとクリストフを後継者として考えていると取られかねないか?

 だとすると今回の件はマティアスへの手綱が甘かったか…まぁ何にせよ後の祭である。


「アンヴィー伯代行は本来であればこの屋敷に宿泊する予定だったのだけど、既に共方と街を出て領地へ向かったみたいよ。」


 奥様が侍女達から入ってきた情報を明かす。

 この街を出たとすれば、次の大きな街はブリーヴか…野宿するのでなければ、夜通し走る事になるな。

 クリストフも大変だ。


「ほんとうに、アンヴィー伯にとっては頭の痛い問題ね。その分。私たちにとっては譲歩を引き出すチャンスだけど。」


「ええ、サミュエルの楽しそうな顔が浮かぶわ。あの人悪巧みが大好きだから。」


 ブリーヴ伯夫人(ヴァネッサ)の言葉に、奥様(イザベル)笑顔で相槌を打つ。

 この二人はかなり仲が良いようだ。

 まぁ旦那同士が同じ派閥な事もあり、領地も近いので親しく付き合っているのだろう。

 ちなみにその旦那達は、会合を終え、そのまま宴会になだれ込んでいるらしい。

 おかげで侍女も女中も大忙しだ。


「ところで奥様、私達は宴会のお手伝いに出なくてよろしいのでしょうか?」


 きまりが悪そうなエミリーを見かねて、私が尋ねる。


「大丈夫よ。セリアもカスティもしっかりやってくれているし、人手に関しては『泉の園』にお願いしたし。」


 奥様はそう答えて、「だからこの部屋にいてもいいのよ?」と続けた。

 ちなみに『泉の園』とは、侍女や女中専門の相互扶助組織である。

 良家子女の行儀見習いならともかく、職として侍女や女中として働く娘が、伴侶に恵まれることなく歳を取ると老後の生活に困窮する事が多い。

 そんな彼女達を保護し、また身寄りの無い子供を引き取って教育を施し、侍女や女中として良家に送り出し、また職を失った彼女達に職を斡旋する。

 数百年の昔、仕えた老齢の主を失いその屋敷を相続した1人の侍女が、彼女の元に身を寄せた女中達と作り上げた組織は、今では大陸中にその拠点を持つ『侍女ギルド』とも呼ぶべき一大組織となっている。

 この屋敷にも、侍女はともかく女中や女中見習として普段から10人程度は働いているので、その伝で応援を頼んだのだろう。

 そういえば、今朝の朝礼でもそんな事を言っていた。


「けどまぁみんな忙しいから、エミリーがこの部屋にいてくれて助かるわ。」


 そう言って、奥様は部屋備え付けの茶器で給仕をするエミリーに微笑む。

 ふーむ、一介の女中でありながら奥様に名前を憶えられているとは…奥様も意外と見ているのね。


「ところで、お姉様はこの後はどうなさるのですか?」


 マリオンの問いに、私たちの関係を知らない奥様が「まぁ」と相好を崩す。


「あらあら、二人は仲がいいのね。ユーリアちゃん、今日は色々あったしこのまま早めに切り上げてもらってもいいわよ?それに確か、明日はお休みよねぇ?」


 奥様の言葉にマリオンが一瞬の驚きの後破顔する。


「まぁ、何たる僥倖。でしたら、明日はお姉さまと遊べますのね!」


 そう言ってこちらに身を乗り出すマリオンに、思わずのけぞる。

 だがそんな彼女を伯爵夫人が窘める。


「駄目よ、マリオン。ユーリアちゃんにも予定というものがあるのよ?」


 伯爵夫人はそう言いはするが、私達を微笑ましげに眺めている所からして、淑女の嗜みとして相手の都合を配慮するよう注意しているだけで、私が断るとは思っていないのだろう。

 まぁ彼女の用事以上に優先する予定がある訳でもなし。


「まぁ、予定では午前は剣術の鍛錬、午後は魔術の訓練、夕方からは買い物も兼ねて街に繰り出そうかと思ってはいましたが…。」


 本来の予定を告げると、それぞれがそれぞれに反応を見せる。


「あらあら、やっぱりユーリアちゃんは行動的なのね。」


 と奥様が言えば、


「ええ、本当に。暴れ馬の件があったから、乗馬が上手なのは知っていたけど。」


 伯爵夫人が奥様に同意する。


「まぁ、剣術ですの?」


 とニネットが素直に驚きを浮かべ、


「では明日は訓練に参加しないんですか!?」


 とエミリーが悲しげに呟く。

 当のマリオンはこちらを見つめたまま首をかしげて、


「普段のお姉さまの休日もとても興味深いですわ…。」


 と呟いている。

 そして、「そうですわね…。」などと1人で呟いた後、奥様に向き直った。


「侯爵夫人、不躾ながら、お願いがございます。」


「あら、何かしら?」


 マリオンの問いに、奥様は微笑みながらも首を傾げる。


「私、行儀見習いにはぜひともこのお屋敷をと考えておりますの。つきましては、その下見として、明日はお屋敷の中を出入りさせていただけませんでしょうか?」


 そうして頭を下げるマリオン。

 あー、下見にかこつけて、明日は私にべったり貼り付こうかといった魂胆か。

 そんなマリオンに、奥様は微笑を浮かべて答える。


「具体的には、どのような所かしら?場所によっては、当家の人間以外が立ち入っては拙い場所もあるわ。」


 奥様の問いに、マリオンが詰まる。


「えっと、その…どこかというと…何と言いますか…そう、お姉さまが出入りする場所…ですわ!」


 詰まりながらも途中で開き直ったのか、マリオンが胸を張って断言する。

 それを聞いた伯爵夫人は眉をゆがめてから手で顔を覆い、奥様は「あらあら…」と呟いている。


「うふふ、そうなの。だったら、ユーリアちゃん、お休みの日に申し訳ないんだけど、屋敷内の案内は貴女に任せるわね。普段の貴女の休日を見せて差し上げなさい。」


 そう言ってにっこりと微笑む。

 これはお目付け役代わり…ということになるのだろうか、お目付け役の予定に対象があわせるのが普通とは違うが。


「はい、畏まりました奥様。」


 私がそう返事をすると、マリオンはぱっと表情を明るくする。


「ごめんなさいね、ユーリアちゃん。悪いけど、マリオンの面倒をお願いね。何なら、ジョゼを使ってもいいから。」


 そう謝る奥様に、「お気にせずに。」と答える。

 というか、ジョゼも来てたのか。

 まぁマリオン付きの侍女だから当然か。


 と、そこで部屋にノックの音が響き、若い男が姿を現す。

 騎士服風の上品な服に身を包んだ若い男は、部屋の中にニネットを認めると、そのまま「失礼」とだけ断り、ずかずかと部屋に入ってきた。


「ニノ、こんな所にいたのか。方々を探したぞ。」


 その声に振り向いたニネットは、「あら、お兄様。」と呟く。

 お兄様…というとこの国の王子か!

 皆が立ち上がったのに一瞬遅れて、私も立ち上がる。


「供回りだけでさっさとじじいの顔を見て帰るつもりが、お前が付いてきた所為でもうこんな時間だ。これでは、王都に付くのが夜明けになってしまうではないか。」


「あら、でもとても楽しい時間が過ごせましたのよ?」


 王子はニネットに文句を言うが、それも何処となく冗談めいていて、ニネットもどこ吹く風といった雰囲気だ。

 おそらくは昔から王子にはわがままを言って甘えてきたのだろう。


「殿下、もしよろしければ、屋敷内にお部屋を用意いたしましょう。」


 奥様がそう提案する。

 確かに今から宿を取るのも手間だし、夜通し走って何かあっては貴族としての面目が丸つぶれだ。


「む、そうか。それは助かるぞ、侯爵夫人。だが良いのか?夜会の客で客間が埋まって、街の宿にまであふれ出しているのではないか?」


 奥様の提案に、王族らしからぬ配慮を見せる王子。

 だが奥様はそれににっこりと微笑む。


「殿下と妃殿下をお迎えできるのでしたら、私たちの部屋を開けてでも用意いたしますわ。ただ、幸いと言いますか、部屋の空きがありますので、早速用意いたします。」


 そう答えた奥様が、視線をこちらに向けて意味深に笑う。

 そうか、アンヴィー伯一行が泊まる予定だった部屋か。

 奥様が二人とお付きの分の部屋を用意するよう指示を出そうとした時に、私の前に立ったエミリーが奥様の視線を遮った。


「お、奥様、ご用件でしたらわたくしひゃ。」


 あ、噛んだ。

 まぁそうか、ニネットだけでも一杯一杯だったのに、さらに殿下と同じ部屋にいるのは流石に気が気ではないか。


「そう。じゃぁお願いね。」


 奥様からセリア様とカスティヘルミ様宛の言伝を預かって、一礼したエミリーが部屋から出て行く。

 となると、給仕は私の役目か。

 私がソファからその脇に移動すると、マリオンもそれに追随するように動き、王子の前で腰を屈めて一礼する。


「ブリーヴ伯が娘、マリオンと申します。お目にかかれて光栄ですわ。」


「エルネストだ。そういえば夜会の場でもニネットと共にいるのを見かけたな。まぁあれだ、多少わがままな所もあるが、贔屓目を差っ引いてもまぁ素直で良い娘だ。仲良くしてやってくれるとうれしい。」


 マリオンの挨拶にそう返す王子。

 流石に王族と言うだけあってニネットとの交友を願いつつも頭を下げたりはしない。

 それに「喜んで」と答えるマリオン。


「さて、ニネットを探し回った所為で喉が渇いた。済まぬが茶を所望する。」


 そう言いつつ、王子はソファの開いたスペースにどっかと腰をかける。

 私は無言で茶を煎れる。

 茶葉は赤茶。

 それもこのお屋敷で賓客用に出す最上のものだ。

 しかし、残ったのがエミリーだったら最上のお茶でもてなしたのかも知れないが、生憎と茶の煎れ方については一通りの作法しか習っていない私だ。

 まぁここは基本に忠実に…と。


「失礼いたします。」


 そう一声かけてから、茶をエルネストの前に置く。

「うむ」と軽く返事をした彼がカップを取り、そして香りを楽しんでから茶を口に含むのを伏せた顔から横目で眺める。

 一口、二口とそれを飲み干してから、彼は大きく息をついた。


「うむ、さすが侯爵家、いい葉を使っているな。ブレンツ帝国はアルピルスの紅葉赤茶(クリムゾンリーフ)か。だが湯の温度が少々高く、それなのに抽出時間は一般的な線…おかげで渋みが強く出てしまっている。もう少し湯を冷やすか、抽出時間を短くするべきだったな。」


 そんな事を言いつつも、茶を飲み干して「もう一杯」とカップを差し出してくる。

 今度は忠告どおりに、少々冷ましたお湯で煎れると、彼は一口付けてから満足したかのように大きく頷いた。

 この王子の趣味を耳にした事はなかったが…どうやら茶道楽であるようだ。



 ソファに座った方々の話を横で聞きながら給仕をしていると、やがて部屋が用意できたとカスティヘルミさんが部屋に現れた。

 彼女に案内されて二人が部屋を出ていくと、私はそこで大きく息をついた。

 あの男は…一見こちらには視線を向けず興味がないような振りをしていたが、私が茶を煎れる度に、「む」とか「ふむ」とか1人ごちるのだ。

 おかげで茶を煎れるごとに緊張を強いられ、精神が磨り減ってしまった。


「うふふ、疲れた?ユーリアちゃん。」


 奥様はそんな私をながめて微笑む。

 どうやら王子の趣味については知っていたようだ。


「エルネスト殿下はお茶には五月蝿いのよ。でも、満足していた様だから、ユーリアちゃんに任せて正解だったわぁ。」


 そう言って、「座って座って」と席を勧めてきたので、ありがたく座らせてもらう…前に、言われたように自分でもお茶を煎れてみた。

 そして席に着き、カップに口をつける。

 …確かに美味しい。

 芳醇な香りと、すっきりとした後味…殆どが茶葉のおかげだろうが普段飲むお茶とは大違いだった。

 だが、疲れた身体には甘みが足りない。

 砂糖を2杯、3杯と溶かしてそれをぐいとあおる。


「ふふっ、豪快ね。でも疲れたときには甘いお茶よね。」


 奥様は特に咎める事もなく、それを眺めていた。


「お姉さまのお茶、とても美味でしたわ。ジョゼの煎れるお茶とも甲乙つけがたい位ですわ。」


 マリオンはそう言うが、流石にお世辞だろう。

 もしくは茶葉の所為か。


「じゃぁユーリアちゃん、お疲れの様だし、そろそろ上がっちゃいなさい。後はだいじょうぶよ。殿下たちを案内したら、カスティが来るから。」


 そう奥様が退席を促す。

 うーん、そうよね

 流石に疲れたわ。

 特に最後で。


「でしたらお姉様、この後は私の部屋で…。」


「これマリオン、ユーリアちゃんはお疲れなのよ。それはまた明日にしなさい。」


 早速誘いをかけてきたマリオンを、伯爵夫人がたしなめる。

 うん、これはありがたいな。

 流石に今日は色々ありすぎた…。


「ごめんなさいね、マリオン。流石に疲れたから、このまま休ませてもらうわ。でもね、明日は朝一番でそっちにお邪魔するから、楽しみにしていてね。」


 そうマリオンをなだめてから、「必ずですわよ、お姉様。」と渋るマリオンと奥様方の下を辞して、自分の部屋に向かった。

 とっとと寝る…の前に、汗を流さないと…それよりもお茶ばっかりで胃が痛い。

 と言うわけで、私は使用人棟へと足を向けたのだった。


読んでいただき、ありがとうございました。

次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。


ご意見、ご感想などありましたらお気軽にお寄せください。

評価を付けていただければ今後の励みになります。

誤字脱字など指摘いただければ助かります。



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