2-18 侍女と夜会(3)
神暦720年 王の月23日 水曜日
私は床にへたり込みながら呆然と男を見上げる。
防具越しとはいえ、普段から母上に練習用の剣で殴られ慣れているため、右頬の痛みはさほどでもない。
それにしても下女か…貴族出身の私にとっては言われ慣れない言葉だ。
っと、そんな感じで現実逃避もしてみたが、今頃になって殴られた事への怒りがふつふつとこみ上げてきた。
流石に勝てないでしょうけど、一発ぐらいは反撃しときたいわね。
その怒りのままに、キッと男を見返し、床についた手に力を込める。
「ほう、下女の分際で俺を睨むか。だがどうして、中々にいい目つきだ。」
私の視線を受けて男は嘲る。
上等よ。
その嘲りを受けて私は立ち上がろうとするが、その時に後ろからナターシャか駆け付け、私に寄り添った。
「ユーリア、大丈夫!?」
うんうん、やっぱり頼りになるのは同室の彼女ね。
今も私の身を案じてくれて…って、彼女は私に寄り添ってはいるが、私を支えるのではなく触れた手を床に押し付けるように力をかける。
(ちょっと、何よ?支えてくれるんじゃないの?)
(あいつには手を出しちゃ駄目よ!)
小声で問答をしていると、周りの人垣から声が響いた。
「お客様、申し訳ございません。」
人垣が割れてそこから現れたのは、筆頭侍女のカスティヘルミさんと、客間女中頭のエリアさん、…あと1人は見かけない顔だが、胸元のリボンの色からして客間女中か?
「すぐに替えのお召し物を用意いたします…デボネアさん?」
「はい、カスティヘルミ様。マティアス・ビゾン様、ペルト子爵の娘、デボネアと申します。こちらへどうぞ。」
カスティヘルミさんの声に、見慣れない侍女が前に出て、男…マティアスと言ったか?を案内する。
けどなんというか…随分と媚びた様な声だが…マティアス・ビゾン?
どこかで聞いたような気が…。
「ふん、子爵令嬢か…まぁいいだろう。」
こちらを一瞥したマティアスがデボネアに続いて歩き出し、割れた人垣の向こうに見えなくなる…と、ナターシャが大きく息を吐いた。
「あいつに関る事になるなんて…ついてないわね。」
「あいつって…有名なの?」
「聞いたことない?『アンヴィーの荒牛』。」
あー、思い出した。
カノヴァスの北東部に位置するアンヴィー領、そこで頻発する魔族領である隣国との小競り合いで頭角を現した次期領主だ。
勇猛果敢な猛将だが相当の乱暴者とも聞いていたが、服を汚されたとはいえ他所の家の家人に手を出すとは…聞きしに勝るわね。
「ユーリアさんと…エミリーさんでしたか、大丈夫ですか?」
カスティヘルミさんがこちらを気遣う。
尚、エミリーのほうは仲間だろうか?女中が二人ついて、その身を起こしていた。
「ええ、多少驚きましたが、大丈夫です。」
そう言って微笑むが、叩かれた頬が鈍く痛む。
カスティヘルミさんはこちらに近寄りその細い指で私の頬を包むと、悲しげに表情を歪める。
「頬が…熱を持っていますね。とりあえずはお二人とも、裏へ。」
カスティヘルミさんは数人の女中に床に転がったグラスなどの片づけを命じてから、私達を連れて配膳室へと向かう。
ここではまだ人の目があるし、耳もある。
最低でも招待客のいない場所へ移動して、私達に事情を聞く必要がある。
と、配膳室への入り口の脇に、きょろきょろと周りを見回しながらニネットと話すマリオンの姿が…って見つかった。
「お姉様、どうしてそちらから…って、どうしたのですか、その頬は!?」
頬の赤みを目ざとく見つけたマリオンが駆け寄る。
「んー、ちょっとゴタゴタがあって…。」
そう説明しつつカスティヘルミさんを見ると、こちらの表情を少し見てから、頷いた。
「だから裏で手当てするんだけど、マリオンたちも来る?」
招待客の控え室のうち、一番端の使われていないそこに皆が入る。
そして客用のソファーに腰を掛け、カスティヘルミさんに事情を説明する。
その間に女中が氷水の入った洗面器を持ってきたので、彼女からハンカチ受け取ってそれで頬を冷やしながら、ユニスさんを通して奥様へ報告するために出て行く侍女を眺める。
と、先程まで私の正面でずっと俯いていたエミリーがこちらを見て頭を下げた。
「ごめんなさい、ユーリスさん。私のせいで、そんな怪我まで…。」
だが私は手を振ると、安心させるように微笑んだ。
「大丈夫よ、エミリーさん。こういうのには慣れてるから。」
エミリーは「慣れてる…ですか?」と呟いて首を傾げる。
「ええ、騎士団の訓練に混ざったりしてるから。」
私がそういうと、エミリーは大きく目を見開いた。
「それでは、3日ほど前に試合されていたのは…。」
「あー、多分私ね。でも見てたの?」
「はい、屋敷の屋上…昨日お会いしたあの場所から、試合を見てました。すごかったです!」
エミリーが身を乗り出して答える。
あそこからか…って、あの距離で試合をしたのが私だと判断できるのか?
「あの距離で試合を見るなんて、随分と目が良いのね。」
「はい、山育ちなので眼はいいんです…でも、流石にあの距離だと女性だとは思わなくて、男の方だとばかり思っていました。でも目が良すぎる所為で、お屋敷の中だと失敗が多くて…。」
私の呟きに我に返ったエミリーは、頬を染めつつ答える。
「そんな事よりも!」
と、私たちの話を遮るように横に座っていたマリオンが声を上げた。
「お姉さまの怪我を治すほうが先決ですわ。こちらのお屋敷には、司祭様か助祭様はいらっしゃらないのですか?」
マリオンの言葉に、私は記憶を漁る。
この屋敷にそんな人がいるなんて話は聞いたことは無いが、城砦には司祭様が居る筈だ。
昼間であれば。
「隣の城砦になら…って、今の時間はいるのかしら?」
とっくの昔に日が落ちている時間帯だ。
こんな時間まで居るものだろうか?
と、そんな事を考えていると、カスティヘルミさんがこちらに歩み寄り再び私の頬を確かめた。
「この時間でも、1人は当直が居るとは聞いていますが…この程度の傷でしたら私が治しましょう。」
そう言って、真剣な表情で私の頬を見つめる。
『―――命の息吹よ、我が命により、この者の傷を疾く癒せ。』
彼女の言葉と共に、私の右頬がじわりと温かくなり、それと同時に右目の視界の端を何かが横切ったような気がした。
そしてふと気付くと、右頬の熱と痛みが引いている。
「これも…精霊術ですか?」
「はい。私はまじないの類は精霊術しか使えないので…上手くいったようですね。」
私の問いに、カスティヘルミさんは微笑む。
「まぁ、これが精霊術ですのね?初めて見ましたわ。王宮には司祭も宮廷魔術師も居りますが、精霊術師は居りませんの。」
「ええ、すっかり赤みも引いて、普段のお姉さまのままですわ。」
感心するように呟くニネットと、こちらに部屋備え付けの手鏡を向けるマリオン。
鏡に映る私の頬は、普段と変わらないものだった。
「ところでユーリアさん、こちらのお客様をご紹介いただいてもよろしいでしょうか?」
カスティヘルミさんが背筋を伸ばして尋ねる。
まぁこんな裏方を見せたのだ。
上への報告のためにも、身元ぐらいは聞いておきたいのだろう。
「こちらはブリーヴ伯の御息女で私の妹分であるマリオン。そしてそちらが、私たちの友人のニネット姫です。」
私の紹介の後に、二人がそれぞれ挨拶を行う。
そしてその場に居た侍女達が自己紹介を行う中、マリオンがナターシャに食いついた。
「まぁ、貴方がお姉さまと相部屋のナターシャ様ですのね。コムナ領と言えばお隣同士。仲良いたしましょうね。」
「はい、よろしくお見知りおきを、マリオン様。」
ナターシャが余所行きの笑顔で答える。
が、マリオンはナターシャの事を知っていたようだ…いつの間に?
「ええ、こちらこそよろしくお願いいたしますわ。それと、後ほど少々お話をいたしたいのですが、よろしいでしょうか?それも二人きりで!」
などと言ってナターシャに詰め寄っていた。
当のナターシャは、何故か困ったような視線をこちらに向けるが、特に問題ないだろうと頷いておく。
まぁナターシャの家にとっては、最大の取引先であるリース家のお嬢様だ。
仲良くなれば後々役に立つだろう。
と、カスティヘルミさんが手を打ち鳴らす。
「さて、そろそろ会合の時間…ですが、殿方がそちらに集まるとはいえ、我々の仕事は他にもたくさんあり、何時までもここでこうしている訳にも参りません。ユーリアさんとエミリーさんは先程のショックもあるでしょうし、休んでいただいても構いませんが、他の者は職務に戻ってください。」
彼女の言葉に、女中達は頷き部屋を出て行く。
ナターシャも「じゃぁ。」と手を振り、部屋を出て行こうとするが、「お姉様、少々失礼します。」と、マリオンがその背を追いかけた。
さっき言っていた話でもするのだろう。
彼女達を見届けてから、カスティヘルミさんも、「ではごゆっくり。」とニネットに挨拶して部屋を出た。
後に残ったのは私と私とニネットとエミリー…その中でも明らかにエミリーが身を持て余していた。
「わ、私…仕事してきます!」
「いいじゃないの、少し休んでいけば。」
立ち上がろうとする彼女を引き止め、ふと思い出す。
「そういえば、仕事中に顔を合わすことはあっても、自己紹介したことは無かったわね。ユーリア・ヴィエルニ、デファンス伯の娘。成人したばっかりの15歳よ。」
「エミリー・リシェです。オード村の村長の娘で、去年から女中をしています。14歳です。」
「ニネット・カノヴァス。カノヴァス国の第3王女で13歳ですわ。」
「ひいっ!」
しれっと割り込んで自己紹介するニネットに、小さく悲鳴を上げるエミリー。
「わ、私などには、もっもっ勿体のうございます!」
彼女は慌ててソファーから下りると、床に平伏する。
まぁ、貴族でもない庶民にとってはちょっと辛いか。
「あー、落ち着きなさい、エミリー。こんな場だから、奥様に接する時と同程度に礼を尽くせば、特にお咎めも無い筈よ。ニネット様もそれでよろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんわ、ユーリア様。今日の私は、招待すらされていないお忍びの客ですし。」
そう言って上品に笑う。
こういうところを見ると、やっぱりお姫様だなと感心する。
と、ノックの音が響き、先程部屋を出ていったカスティヘルミさんが姿を現す。
そしてその後ろには見知らぬ青年が1人。
細身の…だが鍛えられた身体に文官風の上等な服を纏い、撫で付けられた銀髪の下から覗く優しげな風貌は苦悩するように歪められている。
私の3つ4つ上の歳に見えるが…誰だ?
「ユーリアさん、クリストフ・ビゾン様をお連れいたしました。」
カスティヘルミさんの紹介に、青年が一歩進み出て…頭を深く下げた。
「この度は、兄がご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした!」
大声で詫びる。
ビゾン…で『アンヴィーの荒牛』を兄と言う事は、あれの弟か。
「ご存知のように兄は大変気性が荒く、粗相があったため頭に血が上ってしまったのでしょう。とはいえ、他所の家人に暴言を吐くどころか、あまつさえ暴力まで…お詫びの言葉もございません!」
彼は頭を下げたまま謝罪の言葉を続ける。
「本来であれば兄が直接出向くべきではありますが、気性ゆえ再度ご迷惑をお掛けする恐れがあったため、兄に代わり謝罪させて頂きます。平に、平にご容赦を。」
そして頭を下げたまま許しを請う。
まぁ、元はと言えばこっちが服を汚してしまったのが悪いんだし、腹を立てるのは仕方が無い。
しかし、暴力を振るうのは頂けない。
私が前に出なかったら、そのままエミリーが殴られていたかもしれないのだ。
だがまぁ、ここまでされたら許す他無いだろう。
所詮こちらは接待役だ。
ごねても主家の評判に泥を塗るだけだ。
「元はといえば私共の粗相が発端。ここまでされては許すも許さないもありません。」
しかし、弟は兄に比べれば随分とまともだな。
「但し、次に同じような事があれば…その時はこちらも黙って打たれる事は無いので相応の覚悟をするようお伝え下さい。」
「なっ!?」
私の口から出た言葉は、彼を驚かせるに十分な威力を持っていたようだ。
それもそのはず、国内に名の知れた武人に小娘が痛い目を見せると言うのだ。
思わず顔を上げた彼と目が合ってので、自身ありげに微笑んでみせる。
と、相手は噴出し、押さえ込もうとしていた肩の震えはやがて大きな笑い声となった。
「こっ、これは…何とも剛毅なお嬢さんだ。わかりました、必ずや兄に伝え、二度とこのような事が無いよう言い聞かせましょう。そういえば、お名前をまだ伺っていませんでしたね。お聞きしてもよろしいでしょうか?」
青年はにこりと笑い、こちらの答えを待つ。
「ええ。ユーリア・ヴィエルニと申す唯の下女ですわ。」
私の名を聞いた後、苗字に思い当たった青年の顔がさっと青ざめる。
そしてその後は、先程よりも深く頭を下げ、ひたすらに兄の無礼を詫びるのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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