2-17 侍女と夜会(2)
神暦720年 王の月23日 水曜日
「おお、プランシ男爵!良く来てくれた。卿の領地の林檎酒はこの夜会でも非常に評判だよ。令嬢も良く働いてくれている。うむ、楽しんでいってくれたまえ。」
「バリザール将軍!ご無沙汰ではないか。心行くまで楽しんで…といいたいところだが、程々にしておいてくれたまえよ?また以前のように酔い潰れられてはたまらんからな。」
ヴァレリー候ガスパール・タレイランは、広間の入り口付近で夜会に訪れた客を出迎えていた。
無論、隣にはその妻であるイザベルがおり招待客の奥方やその令嬢との挨拶を行っているが、挨拶の区切りが付く前に次々と参加者が増え、現在では井戸端会議の様相を呈している。
(まぁ、いつもの事とはいえ…いっそ奥方用の談話室でも設けるか?)
そんなことを考えるものの、招待客の奥方や令嬢を出迎えるのも妻の役目のひとつ。
妻がこの場から動けないのではそもそも意味が無い。
そんな詮無い事を考えながら挨拶を続けていると、名前の呼び上げも無しに入ってくる若い男に気が付いた。
程よく鍛え上げられた長身に上等な仕立ての騎士服にも似た動き易い格好、その上から短めの飾りマントを身に付け、その金髪は短く切り揃えられている。
そして彼はこちらを認めると、笑みを浮かべて近づいてきた。
「久しいな、ガスパール。」
「おお、これは若!お久しゅうございます。」
ガスパールが駆け寄り、その青年の前で一礼する。
彼こそはエルネスト・カノヴァス。
この国の国王の長男にして第一王位継承者であり、幼少の頃はガスパールが教育係として付き従っていた。
「突然に訪ねて済まんな。何、すぐに退散するさ。」
「とんでもございません!若の訪問でしたらいつでも大歓迎ですぞ。して、本日は如何用で?」
そう言いつつも、エルネストを眺めて目を細めるガスパール。
幼少のみぎりの教育役を御免となって10年ほどになるが、その成長振りを思い起こしいささか感傷に浸る。
「ああ、じじいの顔を見に供回りだけで来るつもりだったのだが、出発前にニネットに捕まってな。結局は馬車と護衛の一団が増えてさっき着いた所だ。」
「では先王とは?」
「先に庭を回って会ってきた。なんともまぁ生き生きとして非常に元気そうだったよ。」
そう言いながら先王の姿を思い出し、笑みを浮かべるエルネスト。
尚、王位を息子に禅譲した先王がこの屋敷に滞在している事は、一般にはあまり知られていない。
この国の王族には趣味人が多く、大抵の者は王として君臨するよりも趣味に生きる事を好む。
しかし王族であるがゆえにその義務から逃れる事は叶わず、また大抵の王はその臣民のためにその職務を忠実に果たすこととなる。
だがそれも後継者が育ち、自らの老いを感じるまでだ。
そうなった時点で、王は嬉々としてその座を後継者に譲り渡し、悠々自適の隠居生活に入るのがこの国の慣わしとなっている。
時にはその生を終えるまで王位にかじりつく者もいるが、大抵はその後の王位の継承で混乱を生む事となり、「無趣味者」との称号とともに後世の評価は低くなりがちだ。
その慣わしに従い、先王が王座を禅譲したのが5年ほど前。
以降趣味である園芸に没頭しつつ、名園として名高い大貴族の屋敷を渡り歩いている。
ちなみに現国王の趣味は釣り。
おそらく退位後は国内の水辺の貴族の屋敷を渡り歩く事になるだろう。
「その間にニネットは夜会に参加すると言っていたが…さて、どこにいる?」
そう言って広間を見回すエルネストと、一緒になり広間に視線を配るガスパール。
やがて人ごみのなかにニネットと、彼女と話す少女、そして二人を先導するように歩き回る侍女の姿を見つけた。
「うん?見かけない顔だな。」
「あれは…ニネット様と歓談されているのがブリーヴ伯の令嬢であるマリオン嬢、前を歩く侍女が、先日から屋敷で行儀見習いをしているデファンス伯の令嬢、ユーリア嬢ですな。」
ガスパールの説明に、ほうと声を上げるエルネスト。
「穂首派であるブリーヴ伯令嬢はともかく、『ぼっちの』デファンス伯令嬢が行儀見習い…か。珍しいな。」
「ええ、今のところは無派閥ですが、これを期にこちらに引きずり込む算段をしております。気になりますか?」
その言葉に、エルネストは表情を歪めて大きくため息をつく。
「最近はどこでもそれだ。そんなに早く身を固めさせたいのかねぇ。」
対してガスパールはにこやかな笑みを浮かべながら答える。
「まぁ臣民としては若には早々に身を固めてお世継ぎを儲けていただければ、これに勝る事は無いのですがね。如何ですかな?礼儀作法も合格点ですし、母親の影響で剣の腕も中々のもので、従兄妹伯父であるアルノルス様のお墨付きですぞ?先日も騎士団の有望株を伸したといった話も聞きましたな。」
「アルノルスのか…それは随分とまぁ男勝りな事だな。」
多少は興味がありそうな表情を見せるエルネスト。
だが彼女を見つめたままため息をつく。
「だがまぁやめておこう。あれはちょっと抱き心地が悪そうだ。」
そんなあんまりな感想に、ガスパールは思わず苦笑を漏らした。
「ワインの赤を。」
「お水をくださる?」
「シードルをもう一杯お願いします。」
私は人ごみの中を歩き回り、招待客たちに飲み物を給仕して回る…って、ニネットそれ何杯目よ?
酒精は少ないけど、結構な量に…って、既に顔が上気して呂律も多少怪しくなってるし。
「それでお姉さまは私を抱きしめると、私を庇いながらローズクラウンから飛び降りて…」
そしてそんなニネットに、私たちの馴れ初めを聞かせるマリオン。
当時を思い出すかのように目を閉じた彼女の頬も上気している。
そして歩き回る私に付き従うかのように、彼女達は私の後を追いかけて歩いていた。
「おお、ユーリア嬢。しっかりとやっているようだね。」
「あら、ユーリアちゃん。こんばんは。姿勢が良いから侍女服も様になるわね。」
途中伯爵夫妻のそばを通りがかった際に声をかけられたが、こちらは軽く微笑んで黙礼をするだけだ。
「丁度いい、ワインの赤を。」
「マリオン、あまりユーリアちゃんに迷惑をかけては駄目よ?」
「大丈夫ですわ、お母様。ちゃんと付かず離れず追いかけますのよ?」
奥様の言葉にマリオンが胸を張って答えると、その形の良い胸が張り出される…くそぉ。
「ふむ。義理とはいえ娘が手ずから給仕してくれた酒は格別だねぇ。」
グラスに口をつけた後で、大きく息をついてしみじみと言う伯爵。
いや、ジョゼも貴方の娘じゃないの。
「そういえば、こちらのお嬢様…は?」
ふとマリオンの後ろにいるニネットの顔を見つめた伯爵が、何故か驚きに目を見開く。
どうかしたかと訝っていると、伯爵の前に進み出たニネットが軽く腰を折る。
「お久しゅう、ブリーヴ伯。」
「こ、これは姫様!ご無沙汰しております。」
慌ててニネットの前に跪き、その手を取る伯爵。
え?ニネットって…姫?
確かに王家の姫の中にそんな名前の方が居たような…。
「お兄様がお爺様にお会いするとの事でしたので、わがままを言って付いてきてしまいましたの。夜会は初めてですが、とても楽しい物ね。」
そう言ってこちらを見て笑う。
「ニネット…様?」
マリオンが呆然と呟くと、ニネットは少し悲しそうに微笑んだ。
「ニネットですわ、マリオン様。これからもそう呼んで頂けると嬉しいわ。勿論ユーリア様も。」
ニネットはそう言ってこちらの反応を窺うように見つめているし、マリオンも助けを求めるようにこちらに向き直る。
私はそんな二人を見てからにこりと微笑んだ。
「わかったわ、ニネット。だけど職務中は勘弁してね。」
私の言葉に、ニネットは満面の笑みを浮かべて胸の前で手を合わせる。
マリオンはそのニネットの手を取って、「友達ですわね」と嬉しそうに微笑んだ。
伯爵達の下を辞してから、私は一度配膳室に引っ込んだ。
マリオンとニネットも私に着いてきたが、流石に配膳室の中までは着いて来ないだけの分別はあったようだ。
二人に着いて来られるのもいい加減うっとおしく感じていたから、すこし休ませてもらおうかしら…っと。
入り口付近で、盆にグラスを載せた女中ぶつかりそうになったので、慌てて避ける。
彼女はごめんなさいと一言謝ると、そのまま歩いて行くが…確かエミリーって言ったっけ?
配膳台の所まで行くと、ナターシャがお盆にグラスを載せていた。
どうやら彼女は蒸留酒を中心に給仕しているようだ。
「ちょっと一杯もらえる?」
私が言うと、ナターシャはこっちに視線も向けずに答える。
「水にしときなさい。まだまだ長いのよ?」
だが私は、彼女の横に立つとその場で蹲った。
「色々あって気付けが欲しいのよ。何かいいのない?」
ナターシャはため息をつくと、配膳台の一角を指差す。
「気の抜けたシードルとか氷の溶けた氷杯とか温くなったワインとかでよければ、そこにあるわよ。けど、味見程度にしておきなさいよ?」
彼女の言葉に立ち上がり、シードルのグラスを取って一口含む。
ああ、甘みで脳が活性化する。
「随分とお疲れのようだけど、何かあった?歩き回って疲れたとかいう貴女じゃないでしょう?」
私は大きくため息をつく。
「客の中に私の妹分がいてね、彼女と話しているうちにまた別の女の子と仲良くなったんだけど、彼女…王族だった。具体的にいうとお姫様。」
ナターシャは額に指を当ててうめく。
「それは…気付けのひとつも欲しくなるわね。」
「しかも妹分と一緒に私について回ってきて、今も出待ち中。」
「それは…私なら胃が痛くなってるかもね。」
「あはは、ナターシャさんなら大丈夫よ。そんな玉じゃないでしょ?」
そんな風にふざけながら、よっこらせと立ち上がる。
「さて、休憩終わり。あんまり待たせるのも悪いから、さっさと行きますか。」
「何ならあっちを使えば?」
彼女が指差す先には、私が入ってきた入り口とは別の広間への出口があった。
おお、そっちもあったか。
それならバレずに広間に出れるかしら?
別の入り口から広間に入り、給仕を行う。
広間に入るときに遠目に見たが、マリオンたちは先ほどの入り口に完全に注意が向いているようで、こちらに気付いていないようだった。
ワインにカルヴァドス、そして水…そろそろ穂首派の会合の時間が近いのか、水を求める人が多い。
さて、そろそろマリオンたちの背後から声をかけて…などと考えていると、広間に複数のグラスの割れる派手な音が響き渡った。
何事かと音のした方に移動すると、丁度輪を描くように人ごみがまばらになっている部分があり、その中心には、床にへたり込んだ女中とその前に仁王立ちする男の姿が…男の足下には盆といくつものグラスが転がり、その服の腰から下の大部分がまだらに濡れていた。
どうやら、盆をひっくり返してグラスの中身を男にぶちまけてしまったようだが…周りを見回しても、私以外の上級使用人が見当たらない。
これは…仕方がない、新入りとはいえ私が出るしかないか。
「お客様、お怪我はございませんか!」
男の前に出て一礼する。
その隙に周囲の状況を確認するが、男はまだ若い…20代初めのようだ。
がっしりとした筋肉質の体格に、厳つい顔つき…長く伸ばした赤毛は、まるで獅子の鬣のようだ。
着込んでいるのは騎士服風の上下…帯剣しているところから見ても騎士かそれに類する身分なのだろう。
一方、床にへたり込んでいる女中は…エミリーか。
自分のしでかしてしまった事を思ってか、男のほうを見つめたままただ呆然としている。
とりあえずは…他の上級使用人が来るまでは時間を稼がなければ。
「大変申し訳ありません、お客様。すぐに替えのお召し物を…。」
そう言いつつ近づいて、濡れた服を拭こうとクロス片手に手を伸ばす。
だが次の瞬間、かがみ込んだ私を衝撃が襲った。
「きゃっ!!」
我ながら随分とかわいらしい悲鳴を上げるものだと思いながら衝撃を受け流しつつ、私はそのまま床に倒れ伏して受身を取る。
そして男のほうを振り向けば、男は腰の高さで拳を握ったまま吐き捨てた。
「下女が…誰が触れていいと言った!?」
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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