2-16 侍女と夜会(1)
神暦720年 王の月22日 炎曜日
「はい、じゃぁ下着姿になって姿見の前に立ってください。」
夜会を翌日に控えたその日、衣装の修繕のために仕立屋が屋敷を訪れた。
だが屋敷の住人の衣装については特に補修を急ぐ物も無く、それ以外の補修が必要な物は仕立屋が持ち帰り次回来訪の際に届ける事となっている。
だが、私にとっては重要な案件が一件あった。
侍女用のお仕着せの採寸である。
仕立屋が屋敷を訪れるのは一巡りに1回。
勿論、この町での最重要の顧客である領主館のこと、急を要する仕事とあらば何を差し置いても駆け付けるだろうが、普段はその程度である。
と言った訳で、1人でお仕着せの採寸を受けていたのだが…。
「あら、随分と鍛えられた身体ね。」
下着姿で姿見の前に立った私を見て、お針子の女性が声を漏らす。
年配の仕立屋の主人と共に屋敷に訪れたその女性は、主に採寸や細かい針仕事を任されているようだった。
その声に、改めて彼女を見る。
年の頃は…私の5つほど年上だろうか?
長い赤毛を結い上げて、その表情はどちらかといえば無表情。
抑揚の無い落ち着いた声ながらも、仕立屋の主人と仕立てについて微に入り細を穿った打ち合わせをしていた所が印象的だった。
そして最大の特徴はその眼鏡…そこそこいい値段がするそれを彼女は身につけている。
まぁ手元で細かい作業をする仕事だからなぁ…目も悪くなりやすいか。
「何か?」
私の視線に気付き、彼女が問いかける。
「いえ、意外とはっきりと言うのね。」
私の言葉に、彼女は少し考えるような仕草を見せた。
「気に障ったのならごめんなさい。仕立てをするときの癖で、自分が気付いた事はよっぽどの事じゃなければ口に出してしまうの。これが案外、仕立ての微調整に役立つから。」
「そうなの?それで客相手のお針子が務まるの?」
私の言葉に、彼女は苦笑を浮かべる。
「そりゃぁ、『弛んだ体ね』とか、『汚い肌ね』とかは言わないから大丈夫よ。さっきの言葉だって、人によっては褒め言葉だし…そうでもないかしら?」
そんな風に自問している間にも、どんどんと採寸を進めていく。
そしてそれが上半身に及んだ所で、私は慌てて息を吸う。
「そんな事をしても無駄よ。胸元が弛んでは見苦しいし、かえって惨めよ?」
「何のことかしら?」
早速駄目出しが入ったが、私はできるだけ息を吐かないようにしてとぼける。
「私はこのお屋敷に何年も通ってるけど、細身の子は大抵がそうしてるわね。背の低い子は背伸びをするし、太めの子はおなかを凹ませるし…こういうときにも、ぱっと見の感想は役に立つわ。口には出さないけど。」
そう言いつつ、胸周りに巻尺を巻いたまま、彼女は動きを止める。
10秒刻…20秒刻…そのまま動きを止める彼女に私が降参して息を吐くと、彼女は採寸の続きを始めた。
「鍛えてるだけあって腕回りも太いのね…鍛えてるんでしょう?」
「ええ、騎士団に混じって訓練しているわ。」
「そう。だったら、上半身は少しゆったり目にして動きやすくしたほうがいいわね。筋肉がある分、見栄えよくするには裁断に修正を加えた方がいいし…もっと鍛えたときのために、細かい修正が効く様に生地には余裕を持たせるから、修正が必要な時は言って頂戴ね。寸法が合わないお仕着せのまま仕事されると、こっちの仕事が疑われるから…。」
そう話している間に、手元の紙に寸法を書き加え、満足そうに一息つく。
どうやら採寸が終わったようだ。
「とりあえずこんな所ね。お仕着せ以外にも仕立てるものが有ったら、相談に乗るわよ。休みの日に、ウチ…ギャレー商会に来て、エステルを呼び出してもらえれば多分いるから。」
彼女の言葉に、思わず苦笑する。
主人からの採寸の仕事ついでに自分の営業か。
おそらく指名で仕事を取れば、その分給料に色がつくんだろう。
「そうね。機会があったら、お願いするわね。」
もっとも、普段はお仕着せで十分だし、外着が必要なのは休日の外出ぐらい…あ、そうだ。
「所で、鎧の仕立てってお願いできる?」
半ば冗談のつもりで言った言葉は、彼女を呆れさせるには十分だった。
神暦720年 王の月23日 水曜日
「本日催される夜会ですが―――」
今日も私は奥様付きの侍女達の最後尾に並び、朝礼の進行役の執事の話を聞き入っていた。
「招待客としては―――」
やはり本日のメインイベントである夜会の話が中心だ。
ちなみに私のお仕着せだが、出来上がりは次の巡りになるそうだ。
「―――以上が招待客となります。ですがそれ以外にも当家と良好な関係を―――」
王都の屋敷で催される夜会ならともかく、領地で催される夜会では、招待客の宿の確保が必須となる。
だが招待客やその家族、またその使用人を含めればその数は百を優に超える規模となり、到底この屋敷の中だけでは賄いきれない。
そのため、相手によっては街中の貴族向けの宿を借り切り、そちらに滞在してもらう事となるのだが、それでもこの屋敷に泊まる人数は多い。
貴族であればその家の使用人を連れて滞在するためそちらに割り振る人数はそれほど多くは無いが、それでも人手不足は避けられず、その負担は主に下級使用人が受け持つ事となる。
そのためにパメラさんは休む事ができているが…彼女が今日の休みを喜ぶ位だ。
色々と苦労があるのだろうな…。
ちなみに招待客の中に、ヴィエルニ家の名前は無かった。
まぁ穂首派には参加していないから当たり前ではあるが、ちょっと残念だ。
しかし、そんな観想を抱くのも故郷を離れて少しは里心が出てきたのだろうか?
「以上です。何か質問は?…では本日の朝礼を終わります。」
その後の一日は、目まぐるしく過ぎていった。
奥様の日常のお世話以外にも、衣装や装具の最終確認や入浴と髪結い、それらをまだ日の高いうちに済ませた後は、ユニスさんに連れられて会場となる広間とその周辺の下見、それらをすべて済ませた頃には既に日も落ち、間もなく招待客が到着する時間となっていた。
「リシー子爵トマス・ランチーノご夫妻」
「メンリ子爵ニルス・カンブラご夫妻」
室内にゆったりと流れる音楽を上回る声量で、入り口に立った呼び上げ役の声が響く。
そしてその紹介の声と共に、招待客が次々と広間に入ってきていた。
って、呼び上げ役はニコラスか。
少なくとも見てくれはいいし、声も響くから適役だろう。
そして私は他の侍女達と共に、給仕役の1人として飲み物の入ったグラスの乗った盆を片手に人々の間を歩き回っていた。
「何があるのかしら?」
扇子を持ったまだ年若い女性…というよりも少女か?に声をかけられる。
銀の細い鎖で長い金髪を飾った少女、年の頃はおそらくは私の少し下…マリオンよりも若いんじゃないかな?
「はい、シリットの白ワインとタマリーの赤ワイン、プランシのシードルとカルヴァドスがございます。」
だが、説明をしてもその少女にはいまひとつピンと来ていないようだ。
これは…社交デビュー直後の少女が、背伸びしてお酒を注文してみた…といった感じか?
「そうですね、ワインは有名どころで評判もいい物ですが、飲み慣れないとあまり美味しく感じないかも知れません。シードルとカルヴァドスは林檎から作られたお酒となりますが、飲みなれないのでしたら蒸留していないシードルが良いでしょうね。」
私が詳しく説明すると、「まぁ、林檎ですか?」と手を合わせて彼女が微笑み、「でしたらそれを」と注文する。
私はグラスを渡した後に軽く一礼し、また人ごみの中を歩き出す。
まぁシードルは酒精が弱めだから、慣れないお嬢様には丁度良いでしょうね。
それでも濃かったら水で割っても良いし。
これがエルザだったら、カルヴァドスのシードル割りをジョッキでグビグビ行くでしょうけど…。
そんな事を考えながら歩いているとニコラスの声が耳に入った。
「ブリーヴ伯サミュエル・リースご夫妻、ご息女のマリオン様」
そちらに視線を向けると、入り口のそばに3人の姿が見え、そしてそれを旦那様と奥様が出迎えている。
っと、流石は伯爵家、結構な割合の招待客の視線を集めているわね。
そんな中、両夫妻がそれぞれ挨拶を交し、マリオンが侯爵夫妻に挨拶した後、彼女は話もそこそこにきょろきょろと辺りを見回しだす。
そして私と視線が合った…と思うと満面の笑みを浮かべてから奥様の元を辞し、静々と、しかし足早にこちらに歩み寄ってきた。
薄緑の露出の少ないドレスに、肘まで覆う同色の手袋。
奥様も長手袋をしていたし、近頃はそれが流行なのだろうか?
「お姉様、お久しぶりです!」
「ようこそおいで下さいました、マリオン様。歓迎いたします。」
作法に則り私の前で小さく腰を折るが、再会の嬉しさからか笑みを抑えることができていないマリオン。
だが私はお盆を片手に腰を折り、給仕役としてのみの歓迎の意を伝える。
しかしマリオンにとっては、それが不満のようだった。
「もうっ、他人行儀ですわ、お姉様!」
そう言って頬を膨らませる。
おやおや、あっという間にレディの皮が剥がれたわね。
でも残念、ここでは他の招待客や同僚、上司の視線が…。
「申し訳ありません、マリオン様。職務中ですので。」
そう答えてから、片目を瞑って人差し指を立てる。
「まずはお飲み物など如何でしょうか?その後はよろしければソファーのほうにご案内いたします。」
そう言ってシードルの入ったグラスを持たせてから、マリオンと共に壁際のソファーのほうに移動した。
「あんまりですわ、お姉様!」
マリオンはソファーに座った後も、まだむくれていた。
「ふふっ、ごめんなさいね、マリオン。でも久しぶり…って言っても、まだ一巡りも経っていないわね。また会えて嬉しいわ。」
私はマリオンの横に壁に背を向けて立ち、顔だけマリオンのほうに向けて答える。
この夜会は、派閥内の親睦を深めるため…だけではなく、この屋敷で働く子女の様子を、その親である派閥貴族が確認するためのものでもある。
なので、親類や縁者との会話もある程度は黙認される…ものだが、あくまでも黙認だ。
部屋の中央で、大っぴらに会話に花を咲かせることは流石にはばかれる。
なのでこうして、あくまでもソファーに腰を落ち着ける招待客と、その脇に控える給仕役…といった状況を取り繕う。
「私もですわ、お姉様。私は再会できる日を一日千秋の思いで待っていましたのよ?」
「まぁ、大げさね、マリオンは。」
私がそう呆れて言うと、マリオンは顔を赤くして「本当の事ですのよ。」と呟く。
うわ、かわいい。
しかしここは広間の隅とはいえ人の目がある。
抱きしめたりできないのがもどかしい。
「そういえば、その格好もとても良く似合っていますのよ?ジョゼと甲乙つけがたいくらいに。」
そう言うマリオン。
まぁ、素直な賞賛として受け取っておこう。
「貴女のドレスも、良く似合っているわね。変に背伸びするよりも、貴女らしいし、とてもかわいらしいわ。そういえば、アンジェルがお世話になったんでしょう?迷惑をかけなかったかしら?」
私の言葉に、一層と笑顔を濃くするマリオン。
「ええ、とても楽しい一夜でしたわ。それよりもお姉様、重大なニュースが…。」
そう言って声を潜めたマリオンが打ち明けたのは、寝耳に水の大ニュースだった。
「フェルが…ジョゼに求婚?いくらなんでも早すぎるわっ!何トチ狂ってるのよ、あの色ボケ小僧がっ!!」
私の声を潜めた叫びと共に天を仰ぐと、マリオンがそれを可笑しそうに眺めている。
「小僧と言いますがフェリクス様はお姉さまよりも年上ですわよ?それにジョゼも満更では無いようですし、何よりお父様が強力に後押ししていますから、今すぐでは無理でも私が行儀見習いに出た後でしたら、輿入れも十分ありえますわ。」
マリオンの言葉に思わず意識が遠くなる。
ジョゼが…あのけしからん肉体が、フェルの物になるというのかっ!
あ奴には過ぎた代物だ!!
「ですがこれが実現すれば、ヴィエルニ家とリース家は縁続き…大手を振ってお姉さまの元に押しかけられますわね。」
マリオンは「とても楽しみですわ。」とか「早くそうならないかしら。」とか呟いている。
そうか、それが伯爵の狙いか。
ヴィエルニ家は貴族としては珍しく、他の貴族との親戚付き合いが少ない。
いや、縁続きの貴族が少ないわけではないのだが、縁組後は没交渉となることが多い。
またヴィエルニ家の人間はそれを承知で他家に嫁ぐのだ。
これはうちと縁続きとなる事で派閥内の地位の向上、そしてあわよくばうちを派閥に引きずり込もうとするつもりか?
そんなことを考えながら広間に目を向けると、伯爵夫妻が他の貴族との挨拶回りをしているのを見かける。
と、奥様がこちらに気付き手を振りつつ、伯爵にそれを伝えているのを見て、軽く頭を下げる。
ああ、マリオンと知り合ったばっかりに、両家の関係どころか場合によってはこの国の社交界の力関係にすら影響が出かねない状況になっている…でも仕方ないのよね、私たちが出会わなければ、マリオンが大変な事になっていた可能性が高いし。
まぁ、これ以上の事は父上に丸投げして知らん振りを決め込もう。
そう、行儀見習い中の私はそれらの変化に気付けなかった!…って事にできたらいいなぁ。
「あら、こちらにいらっしゃったのですね。」
声に振り向けば、そこには先程のシードルのお嬢様がいた。
「先程の『シードル』がシュワシュワとしてとても美味しかったので、もう一杯頂こうと探しておりましたの。」
そう言って、にっこりと笑って空になったグラスを差し出す。
む、あまり夜会慣れしていないのか?
シードルのグラスを持った給仕役なら、そこらにいると思うのだが。
「左様ですか。ではこちらを…。」
グラスを受け取り新たなグラスを手渡すと、彼女はそれに口をつけた後、大きく息を吐く。
「はぁ、美味しいですわね。」
そう言って、同じくシードルのグラスを持ったマリオンに微笑みかける。
「見たところ仲がよろしいようですが、お二人はお知り合いですか?」
「はい、私のお姉さまですわ!」
その言葉に、マリオンは待ってましたとばかりに胸を張る。
いや、その言葉じゃ実の姉妹と勘違いしちゃうんじゃないの?
「マリオン様とは…なんといいますか、姉妹のような仲ですわね。」
「あら、私は実の姉妹のようにお慕いしておりますのよ?」
そう言って口を尖らせるマリオン。
ホント、そんな所は実の妹にそっくりだ。
「ふふっ、本当に仲がよろしいのね。申し遅れましたが私はニネットと申します。夜会には来たものの、あまりお話しできる方がいなくて…よければ少しお話してもよろしいでしょうか?」
彼女の言葉に、私は眉を歪める。
と、それを見た彼女の表情も不安げに歪む。
む、しまった。
「私は仕事がありますので、あまり長い間のお相手はできませんが…マリオンはどうかしら?」
「はい、私もお姉様以外はあまり相手がいないので…喜んでお受けいたしますわ。」
そう言って微笑むマリオン。
ちょっとマリオン、そんなんじゃ社交デビューの意味が無いわよ?
そんなこんなで少し話をした後で、私は二人の元を離れて仕事に戻った…のだが、その後も何故か二人は私についてまわってきた。
ああ、周りの視線が痛い。
読んでいただき、ありがとうございました。
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