2-15 侍女と夜会の準備
神暦720年 王の月21日 光曜日
「二日後に催される当屋敷での夜会ですが―――」
奥様付きの侍女達の最後尾に並び、私は朝礼の進行役の執事の話を聞き入っていた。
昨日は早めに帰って、マリエルを彼女の部屋に放り込んでからはぐっすりと眠る事ができたので、今朝の目覚めは良好だった。
「―――招待客は主に『穂首派』の所属貴族と御家族―――」
ちなみに穂首派とは、主にこのカノヴァス国の中部から北部の貴族達により構成されている派閥だ。
この国の宮廷内における最大派閥で、各領地の結びつきを深める事により、更なる発展を目指す穏健派である。
尚、名称の由来は、派閥に所属する貴族達によりこの国の穀倉地帯の大部分が統治されているため、実りの象徴である麦穂の首を派閥のシンボルにしているためである。
「―――尚、隣領領主であるブリーヴ伯の御息女、マリオン様が今回の夜会で社交デビューなさるとの事。何時も通り失礼の無いように―――」
そうか、マリオンが来るんだ。
仕事だからあまり相手をできないだろうけど、できればブリーヴでのアンジェルの様子とかを聞きたいわね。
「以上です。何か質問は?…では本日の朝礼を終わります。」
「貴女がユーリアさんね。パメラ・ペリエ。貴女の1年先輩よ。これからよろしく!」
朝礼後、奥様付の侍女達で集まった後、初対面であるパメラさんに挨拶される。
ウェーブのかかった深い栗色の髪を結い上げて、黙っていれば良家のお嬢様そのまま…の外見をしているが、非常にはきはきとした声で元気がよい。
「ユーリア・ヴィエルニです。よろしくお願いします。」
ペリエ家…オルロナ男爵…って事は、ユニスさんの実家の隣領か。
侍女らしく目を伏せて一礼する私の前に、パメラさんの手がすっと差し出される。
「私は硬い事は言わないけど、その分ビシビシ行くからね?覚悟しといてよ!」
私が掴んだ手を大きく振りながら、パメラさんが言う。
本当に元気のいい人だな。
「そういえば昨日見たわよ?食堂で、騎士団の連中に囲まれてたの。後で連中に聞いたら、従騎士の有望株を剣で伸したんですって?結構やるじゃない!」
そう言いつつ、握手した手を持ち上げてこちらの二の腕を握り、「うわ、硬いわね。」とか言っている。
「ギリギリの勝負で、辛うじて運を引き寄せただけです。それに、次は勝てないでしょうね。」
「またまたぁ。若いのに謙遜しちゃって~。」
そんな事を言って茶化すパメラさん。
いや、あなたとは1年ぐらいしか違わないって。
それに対してカスティヘルミさんは眉を寄せて、
「あら、私はカロン様に弟子入りしたとお聞きしたのですが…。」
と呟く。
みんな耳が早いな。
「剣術だけじゃなくて魔術も?これは中々の戦力ね。」
そう1人ごちるパメラさん。
ちょっと待って、何の戦力よ?
「はい、カロン殿にも魔術戦闘を師事することになりました。尚、魔術は生母の血故、剣術は養母の鍛錬故です。」
私がそう答えると、カスティヘルミさんは納得したとばかりに頷く。
「そうでしたね。イーリアは魔術だけでなく剣術も嗜んでいましたが、それほどの腕ではありませんでした。ですが、レイアが鍛えたというのなら納得です。」
「カスティ様、ご存知なのですか?」
「はい、20年ほど前ですが…彼女の生母と養母が、揃ってヴァレリーに修行に来ていたときに知り合いました。」
「へー、そーなんだ…。まぁ生母とか養母とか結構複雑そうな身の上だけど、問題なければそのうちに話してもらえたら嬉しいわ。」
素直に感心しているように見えたパメラさんが、こちらへの気遣いも見せる。
一見がさつに見えるが、それだけでは奥様付の侍女は務まらないか。
「さて、明後日の夜会の日ですが、順番から言えばパメラさんが休日、そしてユーリアさんが常夜番…ですが、まだ不慣れなため常夜番はユニスさんに担当して頂こうと思います。ですのでユーリアさんには私と共に、夜会での接客を担当して頂きます。」
「ふっふーん。夜会の日が休日だなんて、運が良いわぁ。まぁ人手が足りなくなって休日が潰れたら枕を涙で濡らすけど。」
カスティヘルミさんの言葉に、パメラさんが鼻息も荒く胸を張る。
その自己主張する胸は…、年の頃としては多少控えめだが、普通にあるな。
っといかん、気をとられた。
「やはり夜会の仕事はあまり歓迎されないものなのでしょうか?」
私の質問に、パメラさんは腕を組む。
「まぁ…人それぞれね。あまり礼儀作法とかに自信が無い娘は嫌がるけど、親族が招待されてる娘にとっては顔を見せるいい機会だし、若い貴族家紳士との出会いの機会として積極的に買って出る娘もいるけどね。」
「まぁ仕事としては飲み物などの提供と接客が主ですね。ですが、その仕事に就く以上、タレイラン家の顔となりますので気を抜く事は許されませんが。」
そう言って、カスティヘルミさんが話は終わりとばかりに歩き出す。
そろそろ奥様のお目覚めのお時間だ。
私たちはカスティヘルミさんに続くと、そのまま静々と歩き出した。
奥様の起床はいつもどおり…といってもまだ2回目だが、大体の流れは覚えている。
未だに見ているだけではあるが、流れを記憶から引っ張り出して、そして実際の流れを確認しながら記憶との差を修正していく。
ここ数日の仕事態度を見る限り、カスティヘルミさんは仕事に厳しそうな方なので、何時までもお客様扱いされるとは思えない。
もし明日自分が対応する事になったら…そう仮定し、不明な点をリストアップしていく。
ちなみに、今日も奥様の目覚めのお茶を給仕したのはこの前の癖っ毛の女中だった。
目があったときに軽く会釈されたが、目元に火傷の跡等は無かったので、前回の騒ぎの後にしっかりと冷やしたのだろう。
だが、毎度奥様の給仕当番を任されるのは、女中として信頼されて大役を任されているのか、それとも面倒な仕事を押し付けられているのか…その点がすこし疑問だ。
明後日の夜会の準備のために、今日は奥様が夜会で身に付ける物を中心に手入れを行うこととなった。
「うわぁ…。」
思わず感嘆の声を漏らすが、そのうちの半分ぐらいは呆れが混じっている。
奥様が夜会で使用されるアクセサリーを選ぶために、宝石用の棚が開けられ、その中からいくつものアクセサリーの小箱がパメラさんの手によって作業台に並べられる。
ネックレスにバレッタ、イヤリング…どれもこれも大粒の宝石もしくは多数の小粒の宝石…あるいは両方で飾り立てられ、遮光され薄明かりしか差し込まない室内でありながら僅かな光を反射させ、きらきらと輝いている。
尚、今回はコーディネートの結果肘まである絹手袋を着用する為、指輪は出ていない。
「うふふ、たくさんあるでしょう?気に入った物があったら着けてみてもいいのよ?主人から贈られた物以外なら、持って行っても…。」
「奥様、またその様な事を!」
横からちょっかいをかける奥様が相変わらず浮世離れした気前の良さを見せ、カスティヘルミさんに窘められた。
「カスティヘルミ様、このようなものでよろしいでしょうか?」
流石に緊張していたのか、一通りアクセサリーを並べ終わったパメラさんが大きく息をつく。
尚、奥様の前に出てからは、はきはきとした点は変わらないが、元気のよさは鳴りを潜めている。
今の彼女を見れば、立派な侍女以外の評価を付ける者は稀だろう。
「はい、結構です。では、今回の奥様のドレスに合わせた場合…これとこれ…あとこちらは如何でしょうか?」
カスティヘルミさんは自分のセンスでアクセサリーを選びながらも、奥様の意見を取り入れることを忘れない。
当の奥様は、何故か自分でいくつものアクセサリーを取り上げては、カスティヘルミさんの横に控えて選別を注視する私に合わせていく。
「うん、それで良いわ。ユーリアちゃんには…これはちょっと派手ね。若いんだから、もうちょっとシンプルなものがいいかしら?どう思う、カスティ?」
職務中とはいえ、流石に主人を無視する訳にもいかず、眉を寄せながら答えるカスティヘルミさん。
「そうですね…宝飾の少ないシンプルなネックレスと、それにあわせたブレスレットがよろしいかと。」
「そう。だったらこっちかしら?」
そう言って、宝石棚の中を漁り出す奥様。
その後姿をため息と共に見送るカスティヘルミさん。
「では、まずはこれらの手入れから始めましょうか。」
そう言って、アクセサリーを磨き上げるための布巾を取り出した。
屋敷の住人の方々の昼食のあと、私たちは今日も交代で昼食をとることとなった。
先日と違うのは、パメラさんが一緒ではなく1人で食堂に向かっている事だ。
廊下を歩き、屋敷の東側の階段に差し掛かったところで、私は窓の外を見る。
眼下には隣接する城砦と、その向こうに水軍の砦と町を囲む城壁が見える。
生憎とここからでは高さが足りないので城壁の向こうには空しか見えない…が、この上の階からなら見えるだろうか?
そういえば階段の上には、物見塔代わりの小部屋があると聞いた。
屋上にも出れるらしいので、ちょっとだけであれば見ても時間的に大丈夫だろう。
首をもたげた好奇心に突き動かされるように、足音を立てずに階段を昇る。
こういった探検めいた事をする時は、つい忍び歩になっちゃうのよね…。
そんな事を考えながら、階段を上ると、ガラス張りの踊り場には先客がいた。
汚れひとつ無い女中用のお仕着せに濃い栗色の癖っ毛…奥様の目覚めの紅茶当番であり、お嬢様たちに良い様に使われているという彼女だ。
「あら、こんにちは。」
私が声をかけると、ガラス越しにじっと外を見ていた彼女の肩が跳ね、こちらを振り返る。
そして私の姿を認めると口を開く。
「あっ…えっと、その、私…。」
だがその言葉は意味を成さず、やがて緊張のためか彼女の顔は赤くなり…。
「し、失礼します!!」
やがて耐え切れなくなったのか、それだけ言うと私の脇を走り抜けて階下へと下りて行ってしまった。
別にサボってるのを咎めたりはしないのになぁ…。
彼女とまともに話す機会を得られず、それを少しだけ残念に思いながら、私もガラス越しに外を見てみた。
眼下には境界の壁越しに練兵場が見え、今日も訓練当番の隊が剣術の訓練をしている。
そして城壁の向こうには、北のほうに辛うじて風別れの山脈の峰が見えていた。
彼女はひょっとしたらそっちの出身で、遠くを眺めながら故郷の事でも思っていたりしたのだろうか?
「えっ?多分違うわよ。」
食堂で一緒になったナターシャと食事しながらそのことを話したら、一言で否定された。
「確か彼女…エミリーって言ったかしら。彼女は山の方の出身だけど、大山塊の麓だって聞いたから、逆方向ね。」
「だったら、風別れの山脈を見て、よく似た故郷を思い出してるのかも…。」
「それだったら、建物の反対側の物見から直接見たほうが早いじゃない。」
言われてみれば確かにその通りだ。
風別れの山脈に比べて距離があるが、条件が合えば十分に見ることは可能だ。
「だったら…何をじっと見ていたのかしらね?」
「さぁ?現実逃避でもしたかったんじゃないの?」
と、ナターシャの向こう側の席に着いた騎士達の1人と目があった。
確か昨日練兵場にいた団員達のうちの1人だと思う…隊章も合っているのでおそらくそうなのだろう。
軽く会釈すると相手は軽く手を振り、そして何事も無かったかのように仲間達と話しながら食事を始めた。
うん、この連帯感とか結構好きかも。
「こっちに来て数日なのに、すっかり馴染んじゃってまぁ。」
パンをちぎって口に入れながら、ナターシャが言う。
「まぁ密度の濃い生活していると思うわよ?自分でも。故郷での生活がのどかで代わり映えのしないものだったから余計にね。」
そう言いつつスープの中から肉片を掬い上げ咀嚼する。
肉だけかと思ったら、半分ぐらいは軟骨だったので、そのままゴリゴリと噛み砕く。
「ここの料理って材料は悪くないけど、下処理とかは大雑把なのね。」
「まぁ量が量だし、下処理だと雑用のチビ達が担当だからしょうがないわ。」
そう言いつつも、骨なら除けなさいよと半目でこちらを見るナターシャ。
彼女の話によると厨房や洗濯場の雑用には、孤児院から派遣された子供達が働いているようだ。
そういえば使用人棟で何度か見た事があるわね。
厨房の中に姿が見えたり、浴場で一緒になったりで。
「そういえば、マリエルは?」
ふと思い出したかのようにナターシャが言う。
普段であれば、昼食も毎日誘って一緒に食べるようにしているのだ。
「なんか顔色悪くって食欲も無いって言っていたわ。多分二日酔いね。」
「あらそう。だったら食べるのが回復の一番の近道なのにねぇ。」
「ねぇ。」
そう言って笑い合う。
まぁ彼女はあんまり深酒をした事もなさそうだったから、これも経験だ。
「さて、午後からも夜会の準備ね。」
昼食を片付けた私は、そう言いつつ伸びをする。
「こっちも同じね。毎度毎度だけど、若奥様の宝飾を扱う時は神経を使うわ。」
「あ、やっぱり?こっちも数が多すぎて、なんか実感が沸かないわ。」
「大丈夫よ、嫌でもすぐに慣れるから。」
そう言って彼女が笑う。
なんにせよ、夜会の度にこの作業が発生するならば、暇で困る事もそうそうなさそうだった。
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