章外6 小間使いの旅(5)
神暦720年 王の月19日 地曜日
「まぁそんな気概は無いと思うが、何かあったら大声を出すのだぞ?」
そんな伯爵のずいぶんな言葉に見送られ、燭台片手のジョゼはフェリクスの部屋に向かった。
その後ろには。ジャックが続いている。
「まったく…貴方達は何をしているのですか。」
半ば呆れながら、ジョゼが尋ねる。
客への対応としては常識を外れているだけではなく、二人とも楽しんで嫌がらせをしているのが明らかだからだ。
「旦那様のは…ある意味真っ当な親心みたいなものかな。初対面の娘婿には強く当たって恐れられてナンボ…みたいな、ある意味お約束的な。」
砕けた口調でジャックが答える。
「まぁお嬢様のお相手だったりすると、それを選ぶのも旦那様の仕事になるし…面識があったり、付き合いがあったりする相手だとそれも難しいから、その分張り切ってるのかもね。お嬢様から話を聞いてから、ノリノリで身上調査とか指示してたし。」
そしてニヤリと笑みを浮かべる。
「僕に関しては…立場上、旦那様のお手伝いをしない訳にはいかないから仕方なくね。」
そう嘯くが、少しも仕方なさそうでは無いジャックの態度にジョゼは少し苛立つ。
「それに姉さんの場合、最悪歳の離れた金持ちの狒々親父の元に嫁ぐ事になる…とかも覚悟していたから、それに比べればまぁありじゃないかな…とは思う。それも姉さんが拒否しなければだけどね。」
「ひとつ確認しておきたいのですが・・・何故私が彼の元に嫁ぐ事が規定路線なのですか?」
「えっ?憎からず思ってるんじゃないの?姉さんがそんな話をした事なんて、今までになかったじゃないか。今までならどんな相手にも『お嬢様のお世話がありますので』で取り付く島さえなかったのに。」
ジャックの言葉に、過去を思い起こすジョゼ。
確かにいままでの彼女であれば、お嬢様が成人するまでは結婚について考える事すら無かっただろう。
「ま、姉さんが自分の結婚について少しでも考えるようになるのはいい傾向だと思うよ。さぁ、話は此処まで。アイツに聞かれでもしたら興ざめだからね。」
思わすそれに頷きそうになりながら、興ざめというジャックの言葉に食って掛かろうとするジョゼ。
しかし顔の前で人差し指を立てるジャックに押しとどめられる。
彼女は仕方無しに歩みを止めて手を振る彼を一睨みすると、廊下の角を曲がってフェリクスに宛がわれた従者用の客室の前に立ち、その扉を叩いた。
中からの返事に答え、ジョゼは口を開く。
「フェリクス様、夜分遅くに申し訳ありません、ジョゼです。」
彼女の言葉に室内からどたばたと足音が聞こえた後、扉が開かれる。
「うわっ、本当にジョゼさんだ!何でこんな時間に?」
扉の前にたたずむジョゼを認めて、フェリクスの表情が訝しげな物から隠しきれぬ笑みを含んだ物に変わる。
尚、格好は夕食時に着ていた服のままだ。
「はい。本日の旦那様たちの態度について、謝罪とご説明…あとはフェリクス様と少々お話がしたかったもので。」
彼女の説明に、フェリクスはうれしそうに笑う。
「ええ、それでしたらよろこんで…?」
フェリクスは急に表情を引き締めると、ジョゼの脇を抜けて廊下に飛び出し左右を見回す。
だが少なくとも彼が見渡せる範囲に異常は見当たらない。
「フェリクス様、何を?」
怪訝そうに尋ねるジョゼに片手を挙げてから、尚も廊下の先に視線を送るフェリクス。
やがて彼はため息をつくと、やっとジョゼに向き直った。
「いや、申し訳ありません。伯爵たちなら、この状況を監視しているに違いない…と思ったのですが、どうも考え過ぎだったようで。まぁ、とりあえずは部屋へどうぞ。」
そう言って、頭をかくフェリクス。
そして、尚もおっかしーなーと1人ごちる彼と共に、ジョゼは部屋に入った。
と、ジョゼは部屋の中に奇妙なものを見つけた。
奇妙…いや、場違いというべきか。
装飾が少ないベッドとソファーセットが置かれた部屋の中には、穏やかに周囲を照らす魔導具…魔術式燭台が置かれていた。
外套掛けのように床に張り出した脚とその上に伸びる支柱、そして人の背丈ほどの高さに据え付けられた六面にカットされた結晶体。
古代遺跡から出土し、精緻な装飾が施され調度品としての価値も高いその魔導具は、普段であればこの屋敷の賓客用の客室に置かれている物だ。
何故それがこの従者用の客室に…そう思い、訝しげにそれを眺めていると、フェリクスもその視線に気づいたようだ。
「いやー、流石大貴族であるリース家ですね。こんな従者用の部屋にまで、魔導具の照明が備え付けられているなんて。」
感心したようにフェリクスが言うが、ジョゼはさらに疑問を強くする。
「しかし、主人が自ら招いた客人であるフェリクス様にこのような部屋を宛がう物でしょうか?」
「いや、俺…私が伯爵にお願いしたんですよ!あまりに広い部屋だと身の置き場がないんで…。」
ジョゼの言葉に、フェリクスが慌てて理由を述べる。
だとすればあの魔導具は…伯爵の心遣いだろうか?
いや、威圧的な程度で接するのならば、態々そんな事はしないはず。
「それよりもジョゼさん、立ち話も何ですから、ソファーにおかけ下さい。」
言われて初めて、ジョゼは自分が入り口で立ち尽くしていたことに気づく。
そしてフェリクスの勧めるまま、部屋に備え付けのソファーにフェリクスと向かい合って座った。
「それでジョゼさん、謝罪…というのは…?」
向かい合って座った状況を意識しだしたのか、多少早口でフェリクスが尋ねる。
それに対してジョゼは、表情を引き締めると深々と頭を下げた。
「まずはこの屋敷の主と弟に代わりお詫びさせていただきます。主自らが半ば無理矢理にお誘いした挙句、恫喝とも言っても過言ではない数々の態度、平にご容赦を。」
「えっ?ちょっと待っ…。」
突然の謝罪に、フェリクスは慌ててそれをおしとどめようとする。
だがジョゼは、頭を下げたまま続けた。
「ひとえにこれも私の将来を想い、フェリクス様の人となりを推し量るためのもの。どうか愚かな親心と一笑していただければ幸いです。」
「わかりました!わかりましたから頭を上げてください!!」
フェリクスの懇願に、ジョゼはやっと頭を上げる。
「そうか…そうだったのか。俺はてっきり、最初から追い払うためにあんな態度に出ていたんだと思っていたんだが…そうだよなぁ、追い払うなら屋敷に招待なんかせずに、一喝すればそれで済むよなぁ。」
伯爵の権力を持ってすれば、一従騎士を追い払う事などどうとでもできる。
「はい。最初は評価如何ではフェリクス様を排除することも考えていたようですが、あの…あの夕食の席での言葉で考えを変えたようです。まったく…。」
大きくため息をつくジョゼに、当時を思い出したのか、顔を真っ赤に染めたフェリクスは窺うように尋ねる。
「あれは…ご迷惑でしたか?」
フェリクスの言葉に、ジョゼは素直に頷いた。
「はい、あのような事を言われると非常に困ります。」
ジョゼの言葉に、少なからぬ衝撃を受け引きつった笑みを浮かべるフェリクス。
「あれ以来、気を抜くと自然と頬が綻んでしまいます。同僚の手前、真面目な表情を取り繕うのも一苦労です。まったく…このような事は初めてです。」
そう言ってフェリクスに笑みを向けるジョゼ。
その笑顔は、普段は真面目な表情を崩さないジョゼの心からの笑みであり、フェリクスは言葉もなくそれに見蕩れてしまう。
そんな彼に対し、ジョゼは恥ずかしげに俯くと、小さく呟いた。
「な、何か言って下さいまし。」
彼女の言葉に我に返るフェリクス。
彼は小さく気合を入れると身を乗り出し、畏まった表情で口を開く。
「ジョゼさん、私と…。」
だがその言葉は、やはり身を乗り出したジョゼの人差し指が、フェリクスの口元に置かれる事で遮られた。
「申し訳御座いません、フェリクス様。私はお嬢様が成人するまではお側を離れるわけには参りません。」
申し訳なさそうな彼女の言葉に、フェリクスは悔しげに歯を食いしばる。
「ですがもし、そのときにフェリクス様のお目に適う方がいらっしゃらないのであれば…こんな私でよろしければ、喜んでお受けさせていただきます。」
彼女の言葉に、フェリクスの目が大きく開かれる。
そして震える手で差し出されたジョゼの手を取り、その甲に口付けをすると、彼は糸が切れたかのようにへなへなと床に崩れ落ちた。
「フェリクス様!?」
慌ててテーブルを回り、ジョゼが駆け寄る。
そして身を起こされながら、蒼白となった顔でフェリクスは困ったように笑みを浮かべた。
「すみません、ジョゼさん。情けないな、こんな事で腰が抜けるなんて。」
強がって見せるフェリクスの体を支え、ソファーに座らせる。
そして彼の服を緩めてしばし様子を窺った。
「フェリクス様、如何でしょう、落ち着かれましたか?」
顔色に血行が戻るのを見計らって、フェリクスに声を掛ける。
すると彼はジョゼの顔から視線をそらし、頭をかきながら答える。
「いやぁ、それはちょっと難しいかな。」
そう言って、相変わらず視線をそらすフェリクス。
ふと自分を省みれば、彼の身を支えた後はまるで縋り付く様にフェリクスに身を寄せていた。
「こっ、これは失礼いたしました!」
顔を赤面させてぱっと立ち上がり、フェリクスから距離をとるジョゼ。
思わすフェリクスはジョゼに向けて手を伸ばすが、その手は空を切り、顔に寂しげな表情を浮かべる。
(何て寂しげな…まるで捨てられた子犬の様。でも大丈夫、私はどこにも行きませんわ。)
そう思いはするが、いい加減お嬢様の下に戻らなければなるまい。
彼女は軽く笑みを浮かべるとフェリクスに一礼する。
「大変名残惜しいのですが、職務中のためそろそろお嬢様の下に戻らねばなりません。フェリクス様、また明日お会いしましょう。」
そう告げるジョゼに、フェリクスも名残惜しげに返事をする。
「フェリクス様、おやすみなさいまし。よい夢を。」
微笑を浮かべてそう告げて、ジョゼは部屋を辞した。
彼の夢の中に出れたらいいな…などと思いながら。
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「おうおうおう、甘酸っぱいなぁおい!!」
執務室の机の上に身を乗り出し、サミュエルが声を上げる。
彼の目線の先には文様調の装飾が凝らされた古い鏡。
見る者が見れば、それはフェリクスの部屋に置かれた照明の魔導具と同じような装飾だと気付くだろう。
「もし手を出すような事があれば駆け付けるつもりだったのですが…。」
「だから言ったではないか。そんな気概は無いと。」
呟くジャックに、勝ち誇ったように言うサミュエル。
「まぁ若い頃は無駄に滾っておる物だから機会があれば手を出ように思えるかも知れんが、傾向的に見て騎士隊の連中は意外と奥手な所があるからな。普段から鍛錬で発散しておるかから、あるいは…ヴァレリーで遊び歩きでもした…かの?」
「ですがまぁ、紳士的に対応していた…との事で合格という事でしょうか?」
「手を出したら手を出したで、そこを押さえて有無を言わさずにジョゼの尻に敷く事ができたのだがな。まぁトラブルは無いに越した事は無いが。」
再び鏡を覗き込んだサミュエルは、ふんと鼻を鳴らす。
「さぁ、これ以上は詰まらん物しか見えんだろう。仕舞いにして祝杯でもあげるか?」
そう言って、サミュエルがコマンドワードを唱えると、鏡に映っていたフェリクスの部屋の風景が消える。
そう、これは『監視の光台』。
燭台と鏡で一対となり、燭台の周りの風景と音声を鏡に伝える魔導具だ。
普段であればそれは賓客用の客間に置かれ、賓客の内情を探り出すために使われていた。
普段招待するのが同じ派閥の仲間とはいえ、内部は一枚岩ではないのだ
「ええ、お付き合いいたします。銘柄は如何いたしましょう?」
「うむ、任せる。幸い今日はヴァネッサの部屋に行くわけにもいかんからな。久々に深酒もよいが…少々疲れ気味でな。今日は早めに寝るか。」
ここ数日、ユーリアとアンジェルに触発されて二人目を欲しがるヴァネッサに求められ、寝不足が続いていた。
歳が離れてまだまだ若いヴァネッサが満足するまで相手をこなすため、いささか無理をしていた。
「畏まりました。ではプランシの林檎の蒸留酒、20年物は如何でしょうか?」
ジャックの提案に頷くサミュエル。
ジャックが一礼して酒庫に向かうと、椅子に深くもたれかかったサミュエルは独りごちる。
「さて、これでジョゼの嫁ぎ先については目処がついたか…いささか急ぎ気味とも思うが、期を逃す手は無いからな。後は若い二人に期待して…いや、もうちょっと発破をかけるか?」
その後もぶつぶつと呟く。
まぁ何にせよ。今夜はいい夢が見れそうだった。
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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