章外5 小間使いの旅(4)
神暦720年 王の月19日 地曜日
入浴を終えた一行は、バスローブに着替え濡れ髪の水を軽く切ってまとめた後、ヴァネッサの部屋に移動していた。
「遅くなりました。」
ノックに対する返事と共に室内に入ってきたジョゼが、櫛を手にマリオンの髪を乾かしていた侍女と交代する。
そのジョゼは脱衣所にてお仕着せへの着替えを済ませ、髪も多少は湿っているものの普段とほぼ変わらない髪型に整えている。
「あら、1人だけ来るのが遅いと思ったら…。貴女もこの部屋で着替えればよかったのに。」
ベッドの縁に腰掛けたヴァネッサが、タオルでアンジェルの髪の水気を切りながら言う。
尚、彼女も侍女の手により髪を乾かされている最中である。
「いえ、さすがにそこまで奥様方とご一緒と言う訳には…それに同僚にバスローブを用意させるのも気が引けますし。」
返事をしながらも、早速マリオンの髪を乾かし始めるジョゼ。
そのジョゼに、ヴァネッサは大きくため息をつく。
「本当、貴女はお堅いのね。」
「侍女の職務に規律は不可欠と考えておりますので。」
(さすがジョゼさんだわ。甘やかす主人にも一線を引くその態度!)
(ああ、ミーア様の愛らしいその尻尾の蟲惑的な動き!駄目っ、目を離せないわ!)
冷静に自分の意見を述べるジョゼの姿に、室内の彼女の後輩達はその信頼の念を強くする。
だがヴァネッサの言葉に振り向いたアンジェルは、満面の笑顔を浮かべてぶちかます。
「おくさま、ジョゼ姉ちゃんって…固いの?おっぱいはぽよんぽよんだったよ?」
「ええ、そうですわね。アンジェルの言うとおり、ぽよんぽよんでしたわ。」
純粋な貴族子女故の羞恥心の無さから、無垢な笑顔で追撃を加えるマリオン。
ジョゼはそれを同僚達の手前無表情で聞き流すが、その顔は真っ赤だった。
(以前のジョゼなら、職務に忠実であろうとするあまり心を閉ざし、もっと上手く平静を取り繕っていた筈だけど…少しは心を開いてくれたのかしら?)
ジョゼの表情を見ながら、ヴァネッサは思う。
これもユーリア達と出合ったことによる影響のひとつだろうか。
「さぁ、次は着替えかしらね。」
アンジェルの髪の毛を乾かし、髪を梳いたヴァネッサがそう宣言すると、侍女がアンジェル用の下着と寝巻きを携えてヴァネッサの前に進み出る。
マリオンのお古であるその寝巻きを確認し軽く頷くと、ヴァネッサは着替えについては不本意ながら侍女に任せた。
ヴァネッサの髪は長く、髪を乾かすまで時間がかかるためまだ立ち上がれないのだ。
「うーん、やっぱり下着がないとすーすーする。」
下着を差し出す侍女を前に、素肌に直接バスローブを纏っていたアンジェルがそれを脱ぎ捨てる。
そして侍女の手を借りて下着を身につけると、今度は寝巻きを頭から被り、ぷはぁという声と共に寝巻きから首と手を突き出した。
「わぁ、リボンがいっぱい。」
それは着用する者を飾り立てるかのように装飾用のリボンで彩られた寝巻きだった。
アンジェルは自らの寝巻きを見回すと、踊るように身体を翻す。
そして室内にいる者が皆、微笑みを浮かべてそれを眺めた。
「まぁ、アンジェルちゃん、よく似合ってるわ。」
「ええ、花畑を舞う妖精のようですわ。」
「えへ、そうか…な?」
褒められたアンジェルがマリオンを振り返れば、彼女は飾りの少なくシンプルだが上質の寝巻きに軽くまとめた髪…とその姿はまるで泉の精霊のようであり、アンジェルは口を開けたままそれを見つめたいた。
「わぁ、マリオン姉ちゃんもすっごいきれい。」
「うふふ、ありがとう、アンジェル。」
「我が娘ながら中々なものでしょう?けど残念ね。時間があるなら、二人揃っての肖像画でも描いてもらうのに。」
ヴァネッサの残念そうな声に、ジョゼが答える。
「さすがに一晩ではそれは難しいでしょう。聞くところによりますと魔導具の中には目の前の風景を写し取り、何度も繰り返し見る事が出来る…そんな物もあるとの事。そういったものがあれば別なのですが。」
ジョゼの言葉に、ヴァネッサは首を振る。
「サミュエルの収集品の中に魔導具はいくつかあったはずだけど、特に話題に上ったことはないからそんな物は持っていないでしょうね。」
あの人、珍しいものを見せびらかすのも好きだから…とヴァネッサは心の中で呟く。
「ですが奥様、お嬢様の社交デビューを期に、肖像画を作成するのがよろしいかと存じます。」
「そうね。では町の画家を呼んでもらえるかしら?段取りは任せるわ。」
ヴァネッサの指示に、ジョゼが畏まりましたと頭を下げる。
「では次の巡りには夜会の予定がございますので、その次の巡りに手配をいたします。」
「ああ、そういえばそうだったわね。」
ジョゼの言葉に、忘れていたわとヴァネッサが呟く。
そして身支度を整えたマリオンが、アンジェルの横に並んで自慢げに口を開く。
「アンジェル、私、次の巡りにヴァレリー候の主催する夜会に出席しますのよ。そこでお姉さまにお会いして、今日の事をいっぱい話しますの。楽しみですわ。」
マリオンが頬に手を当て、目を閉じてうっとりとしながら話す。
「それってぶとうかい?ぶとうかい?マリオン姉ちゃん、すげぇ。」
アンジェルはその話を聞いて興奮気味だ。
「ええ、勿論ダンスもありますのよ。でもお姉さまと踊る事が出来ないのが残念ですわ。」
マリオンが不満げにぼやく。
さすがに裏方であろうユーリアに会い、言葉を交す事はできても共に踊る事は不可能だ。
「あらあら、マリオンは殿方よりもユーリアちゃんの方がいいの?でもあの娘なら凄くハマリそうね。」
「ええ、お姉さまよりも素敵な方なんて知りませんわ。」
「まぁ。でも、だったら残念ね。次に一緒に舞踏会に参加できるにしても、4年後だなんて。」
マリオンは大きくため息をつく。
そう、これから三年間、ユーリアはホスト側になり、来年からはマリオンもそうだ。
だがいっそのこと、ブリーヴでパーティを開けば…だがユーリアの主人が招待に応じるという宛も無く、招待客のお付きの者と主催者の娘がダンスを踊るなどとは聞いた事も無い。
「それは…残念ですが、諦めますわ。」
同じ屋敷で行儀見習いをしていれば、チャンスもあるかも知れない。
マリオンにはそれに期待するしかなかった。
その後もおしゃべりは続き、その合間合間にヴァネッサはアンジェルを可愛がり、ミーアを可愛がり、それにやきもちを焼いたマリオンがジョゼに慰められミーアは我関せずで絨毯の上で丸くなっていた。
そして夜も更け、アンジェルが舟を扱ぎ始めた頃に、サミュエルからの使いがジョゼを呼び出した。
「こんな夜更けに何事でしょうか?」
思い当たる節の無いジョゼは、ヴァネッサに尋ねる。
しかし膝枕にアンジェルを寝かせたヴァネッサにもそんな物は無い。
「さぁ。でも、またぞろ悪巧みしているようだから、何かあったらすぐに報告なさい。」
ヴァネッサの指示に首肯して部屋を辞し、ジョゼはサミュエルの書斎へ向かった。
書斎に到着したジョゼはノックをし、到着を告げる。
すぐに中から返事があり、彼女は部屋の中に入った。
「旦那様、お呼びでしょうか?」
一礼して用向きを尋ねる。
部屋のソファーにはサミュエルが座り、その横にはジャックが控えている。
ソファーの間のテーブルには数枚の羊皮紙と幾品かのアテが並び、量からして2~3人で飲んでいたのではないかと当たりをつけるが、その相手はいない。
「おお、来たか。」
酒の入ったグラスを片手に、随分と上機嫌なサミュエルが言う。
グラスの中で酒を廻し、それを眺めながらに口を開いた。
「先程までフェリクス君とここで飲んでいたのだが、いい時間なのでお開きにして、彼はいま湯に浸かっている頃だ。それでだが、ジョゼ…彼の部屋に行ってきたまえ。」
庶子ながら、心の中では父と慕うサミュエルの言葉に衝撃を受け、ジョゼは身を強張らせ、恐る恐る尋ねる。
「それは…この身をもって彼を持て成せと?」
淡い好意を持つ相手とはいえ、サミュエルの言葉は乙女であるジョゼにとってあんまりな内容だった。
彼女はぐっと歯を食いしばると、気丈に返事を待つが、
「いやっ、そうではない!そういう意味で言ったのでは決して無い!!」
慌てるサミュエルにより即座に否定され、安堵のため息をつく。
そしてあごに手を当てて言葉を探していたサミュエルは少し経って口を開く。
「そうだな…最初に聞いておくべきか。ジョゼ、お前はあの若造…フェリクス君の事をどう思っているのだね?」
サミュエルの言葉に、告白とも取れる夕食時の言葉を思い出し頬を染めるジョゼ。
そしてそんな彼女をサミュエルはただ温かく見守る。
「私は…誠実な方だと思います。不器用にも見えますが、アンジェル様もよく懐かれ、信頼できる方だと思います。」
彼女の言葉に頷くサミュエル。
「では男としては…どうだね?」
「さぁ…あまりそういった目で他人を見た事がありあせんので。ですが…そうですね、不快な方ではありません…ね。」
そう言って目を伏せる。
それに対してサミュエルは腕を組むと、天井を見上げる。
「お前たちももう19…この屋敷に来て、12…いや、13年か」
そう言ってちらとジャックにも視線を向ける。
「そろそろお前たちも伴侶を得るべきだとは思うのだ。特にジョゼはな。だがお前はマリオンが成人するまではそのつもりは無いのだろう?」
「はい。お嬢様が成人するまでお仕えするのが私の使命です。」
「うむ、それはまことに有難い事ではあるのだが、その時になってから相手を捜すのも、いささか出遅れた感がある。なのでその前に相手を見繕って、時が来れば嫁ぐだけ…といった所まで話を進められればと思うのだ。それにお前の事だ、ぐずぐずしているうちにマリオンが行儀見習いから帰って来れば、何をおいてもその世話に専念するだろう。それが数年も続ければ、立派な行き遅れと後ろ指を注される事になる。」
そして二人の表情を窺う。
ジョゼは俯き、そしてジャックは薄く笑みを浮かべて控えている。
「幸い二人とも器量には恵まれているので、そう難しい事は無い。ジョゼであれば、私と繋がりを持ちたいと考える貴族からもいくらでも話はあるだろう。最低でも男爵…あるいは子爵などからもな。だがあまりそういうのは望まぬのだろう?」
伯爵の言葉に、頷くジョゼ。
「私が貴族夫人などとは…分不相応です。それに社交界などとても…。」
「うむ、そうであろうな。だがその点、彼であればまだ爵位も持たぬ従騎士…ではあるが、父親はデファンス騎士隊の要職。彼自身もデファンスの次期領主の縁戚にして才気にあふれる将来有望な若者と聞いておる。」
そう言って、机上の羊皮紙を持ち上げて目を向ける。
そこには、この数日で調べ上げられたフェリクスの情報が書かれていた。
「社交界を好まぬとあらば、国の中心部よりも辺境…田舎の方がよかろう。それに…お前というデファンスへ出向く理由があれば、マリオンも喜ぼう。まぁユーリア嬢が何時までデファンスにいるかは分からんし、勿論お前が望まぬと言うのであれば無理強いはせんがな。」
そう言って、一旦言葉を区切りジョゼの反応を窺う。
彼女は顔を俯かせたままサミュエルの話を聞いていた。
「それで、今日は今後を見越して半ば強制的に彼を招待し、多少強く当たる事でこちらに対する畏怖を起こさせておったのだが…縁戚と言えども伯爵相手に対面で酒を飲むなど、経験した事は無かろうて、緊張と状況が理解できていない所為で、終始ガチガチであったわ!」
そう楽しそうに笑う伯爵を見て、ジョゼは内心ため息を漏らす。
そうか、彼の困り顔はこれが原因か。
「こんな状況だ、今奴の部屋に押しかけてやさしい笑みと言葉を投げかければ、簡単に落ちるし、今後、容易く尻に敷けるであろう。そういう意味で、奴の部屋へ行けと言ったのだ。」
自分の与り知らぬ間に、ここまで話が進んでいたのか…サミュエルの言葉に内心頭を抱えるジョゼ。
そしてとんでもない目にあっていたフェリクスに心の中で詫びる。
「まぁ、まだ知り合って日が浅いというのであれば、言葉を重ねるのが一番だ。夜分遅いというのもあるが、何、なんだかんだ言っても嫌な顔はすまい、行ってきたまえ。」
サミュエルの言葉に、分かりましたと首肯するジョゼ。
少なくとも、伯爵の対応などについて詫びなければならなかった。
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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