章外4 小間使いの旅(3)
神暦720年 王の月19日 地曜日
「うん、この服が一番かしら?」
舞踏会にでも参加するようなドレスに着替えさせたアンジェルを眺めて、ヴァネッサがうっとりと呟く。
この部屋に入って以降、アンジェルが試着した服はすでに二桁に到達している。
乗馬服、旅装、夜会服にワンピース、ローブや寝巻き、どこで用意したのか子供サイズのレースの下着とガーターベルトなどにも着替えさせたが、ヴァネッサの口からは褒め言葉しか出てきていない。
「この服は私の10歳の肖像画で着ていたドレスですわね。懐かしいですわ。」
「はい。多少大きめではありますが、薄紫の色合いがアンジェル様の髪色に映えて非常にお似合いかと。」
アンジェルを着替えさせた面々も口々に感想を述べ、褒めそやす。
尚、室内の壁際にはヴァネッサ付きの侍女が二人ほど控えてはいるが、ヴァネッサが手出しを禁じているためそれを見ているだけだ。
(まぁ、なんて愛らしい。私も彼女を着せ替え人形にしたかったわ。)
(私はその子よりも猫様の毛並を愛でたかった…。ああ、今日ほど客室付きの女中が羨ましいと思ったことは無いわ!)
彼女たちも行儀見習い中の良家の子女ではあるが、彼女達なりのプロ意識でその思いを表には出さずに無言で控えている。
「えへへへ…かわいい?」
最初は高価な服に緊張しっぱなしだったアンジェルも、やがて慣れてきたのか、自慢げにその滑らかな光沢を放つ生地とレースのフリルを見せびらかすように身体をまわす。
「ええ、勿論よ、アンジェルちゃん。ねぇ、そこでスカートを摘んでちょこんとお辞儀をして…んまぁ、なんて可愛らしいの!」
感極まったヴァネッサがアンジェルに抱きつき、その身を振り回す。
すでにこれも何度目か…アンジェルはされるがままだ。
「奥様、あまり乱暴にされますとアンジェル様の御髪が乱れてしまうかと。」
ジョゼの苦言に我を取り戻すヴァネッサと、それをころころと笑いながら眺めるマリオン。
そしてジョゼが手持ちの櫛でアンジェルの髪を整えるのまでが一連の流れだ。
と、そこへノックの音が響く。
部屋の主の返事と共に壁際の侍女が扉を開けば、齢50ほどの白髪交じりの髭を丁寧に整えた禿ダンディ…サミュエルが家令のエリックを連れて姿を現す。
「ふむ、皆こちらにいたか。うん?おお、誰かと思えばアンジェル嬢か。どちらの貴族令嬢かと思ったぞ。」
ありふれ、見え透いた世辞に周囲は皆苦笑を浮かべるが、言われた本人は伯爵を前に緊張で身を強張らせる。
「はくしゃく様、おじ…おじゃましてます。」
「うむ、よく来てくれた、アンジェル嬢。旅路の途中に呼び立ててしまって済まないね。疲れていないかね?昨晩はよく眠れたかね?」
「はい、よく寝れました。」
矢継ぎ早の質問に、反射的に答えるアンジェル。
しかし伯爵は彼女の表情が一瞬沈んだのを見逃さなかった。
「そうかね、それは何より。まぁゆっくりしていってくれ給え。」
と、そこで伯爵は夫人たちのほうに顔を向ける。
「さて、私がこの部屋を訪れたのはだね…ご婦人の身支度には時間がかかる物であり、それを待つのが紳士の心得とはいえ、待っている者が居る事を忘れられてはいないかと心配になった物でね。」
そう伯爵に言われて、部屋の者達はこの部屋に入ってすでに2刻近い時間が経過している事を思い出す。
すでに夕食には少し遅い時間だ。
「こちらで客人をもてなして時間を持たせるにも限界があるし、何より客人自体が限界を迎えそうなのでね。こうして多少礼儀には外れるが催促に来た訳だが…おめかししたアンジェル嬢が見れたので、その甲斐はあったかな?」
そう言って年甲斐もなくウインクをする伯爵。
だがダンディな外見にその子供っぽさは意外と似合っていた。
「あら大変、それはお客様に申し訳ない事をしたわね。でも、アンジェルちゃん以外のお客様って聞いていないのだけど、どなたかしら?」
ヴァネッサは驚き、侍女たちに顔を向けるが、皆首を振るばかりである。
「いや何、知り合いが屋敷の前に居たのでね、少し誘ってみたのだよ。まぁ面識の無い者も居るかもしれないがね。さて淑女の皆様方、お客様に紹介がてらにそろそろ夕食など如何かな?」
屋敷の主人、サミュエルの直々の案内の元、食堂へ移動する一行。
その途中で、ミーアも食堂に連れて行く。
そして食堂には、すでに先客が居た。
「あれ、兄ちゃん帰ったんじゃないの?」
長テーブルに座ったフェリクスを見つけ、疑問をそのままに口に出すアンジェル。
その後ろではジョゼが口に手をあて驚いている。
対して当のフェリクスはアンジェルにうつろな目つきで手を振り、その後ろにはジャックが控えている。
まるでフェリクスが逃げ出さないかを監視するような目つきで。
「面識のある者が殆どだとは思うが、紹介しよう。デファンス領騎士隊の従騎士、フェリクス・バール君だ。かの『デファンスの岩鬼』のご子息で、ユーリア嬢の従兄妹でもあり、アンジェル嬢の同行者だ。」
「ご紹介にあずかりました、フェリクス・バールです。奥様、お初にお目にかかります。以後お見知りおきを。」
席から立ち、そう自己紹介するフェリクス。
しかしその動きには覇気はなく、動作もどこか…いや、明らかにぎこちない。
「サミュエルが奥のヴァネッサよ。そう、貴方が…。」
マリオンやジョゼから話は聞いているが、ヴァネッサが会うのは初めてだ。
話に聞いていた通り、実直そうな青年ではあるが、妙に覇気が無い理由は容易に想像できる。
(まったく、『お前に娘はやらん!』などと言い出すよりかはマシだけど、随分と虐めているようね。)
ジョゼに思いを寄せている事も、またジョゼの態度から、憎からず思っている事も知っている。
そんなフェリクスの苦労を思い、ひそかにため息をついた。
「ほう?それではユーリア嬢とはその『盗賊退治』で知り合ったのかね?」
「うん。姉ちゃんすごかったよ。盗賊たちを、魔法の矢でばばばばばーって。」
アンジェルが大きな身振りで十八番のエピソードを語ると、伯爵は素直に感心した。
「ほほう。それはすごい。」
「うん、それで魔法の剣で盗賊たちを倒しちゃうし、すごいかっこよかった!!」
「なんともまぁ、淑女ながらも勇ましい限りだな。やはり剣は『デファンスの岩鬼』に?」
「いえ。剣については主に母親からですね。まぁ彼女も『デファンスの鬼姫』という二つ名持ちですが。」
食事中の会話は、主にユーリアを中心とするデファンスの話が話題となった。
その中でもデファンスでの生活については、フェリクスからフォローが入る。
しかしその表情は冴えなく、食事も殆ど味が分かっていないように見えた。
話の切れ目に、アンジェルが料理に手を伸ばす。
しかしまだ食器の扱いが覚束なく、フォークに刺した肉片が抜け落ちてあわや皿の上のソースに落ちるというときに、横から差し出された皿がその肉片を受け止める。
「あっ、ありがとうジョゼ姉ちゃん。」
礼を言われたジョゼが無言で頷くと、アンジェルは再度肉片をフォークで刺し、それを口に運ぶ。
「味のほうはどうかね、アンジェル?」
伯爵の質問に、そのまま答えようとして口の中の肉を思い出すアンジェル。
彼女はまず飲み込もうと口を動かすが、すぐには飲み込めない。
「あら、質問のタイミングが悪かったようね。ゆっくりで構わないわよ。」
ヴァネッサの言葉に、アンジェルは大きく頷いて咀嚼を続け、口の中のものを飲み込む。
「うん、すっごくおいしい。」
アンジェルの極上の笑顔に、目を細めてうんうんと頷く伯爵。
「そうか、それは何より。マリオンに聞いた話では、この前の晩はミーアが仕留めた棘鶉をご馳走になったそうだね。我が娘の事とはいえ、貴重な食材が少し羨ましかったものだよ。ミーアも、上手く仕留めたのだね。」
伯爵がアンジェルの後ろに視線をやると、そこでは床に置かれた盆の上で、ミーアが鱒をぼりぼりとかじっていた。
だが盆の回りが汚れるといった事は無く、非常にきれいな食事風景だった。
「ふむ、ミーアも非常にマナーがよいの…かな?」
伯爵の言葉に、ミーアがニャーと鳴く。
「ばしょはわきまえる だってさ。」
アンジェルの通訳に、そんなものかと感心する伯爵。
「そういえば、この前の朝食は粥を頂いた様で…騎士隊ではよく食べるのかね、フェリクス君?」
伯爵が明らかに声を低くして尋ねる。
フェリクスのほうは緊張に身を硬くし、背筋を伸ばして答える。
「はいっ、野外でまとめて調理するのに適しているため、行軍食としてよく口にします。また訓練明けの帰宅が不規則な時間のため、家に帰った場合、用意してあるのは大抵が粥であります。」
フェリクスの回答に、伯爵は額に皺を寄せる。
「そうかね。そういえばジョゼは粥に思い入れがあるようだが、彼女に合わせることで心象をよくしようとでも考えたのかね?」
「はっ、そのような…そのような事は…。」
途中まで進んだ答えが、伯爵の一睨みで立ち消える。
だがフェリクスは意を決すると、自らを奮い立たせるように大声で続けた。
「はっ、その通りであります。私は彼女の事をもっと知りたく、また彼女に私の事をもっと知って欲しいと願っております。」
その言葉に伯爵は感心したように方眉を上げ、ジャックはそっぽを向いて小さく舌打ちをする。
そしてマリオンは頬を上気させ手を打ち合わせ、ヴァネッサはあらあら若いわねと微笑み、ジョゼは顔を覆ってその場にしゃがみこんだ。
「ふむ、そうかね。だったらこの後、晩酌に付き合いたまえ。私の知っている彼女の事を語ろうではないか。」
そう言って、伯爵は顔面蒼白で椅子にもたれかかるフェリクスに、軽くグラスを掲げた。
食事自体は和やかに滞りなく進んだ。
時折マリオンやヴァネッサからアンジェルやユーリア、デファンス伯やデファンス領についての質問が飛び、アンジェル自身やフェリクスが答える。
アンジェルのテーブルマナーについてはおぼつかない事もあったが、ジョゼがサポートに回り、またサミュエルやヴァネッサもそれを暖かな眼差しで眺めていた。
そしてミーアは床に敷かれた盆の上で鱒をすっかり食べつくすと、『きれいに食べるものだ』とサミュエルたちを感心させた。
だがサミュエルが時折ジョゼについての質問をフェリクスにする時は、男衆の間には妙な緊張が走り、それに気づいたヴァネッサはまた内心ため息をつくのであった。
食事を終えた後、アンジェルはマリオン達と共にヴァネッサの部屋に案内された。
なお、フェリクスはそのまま伯爵に連れられ、酒を酌み交わすとの事だった。
(なんか兄ちゃん、今にも泣きそうな顔をしていたな…。はくしゃく様はやさしい人なのに。)
『アンジェルに対して』はその認識は間違ってはいない。
「客間もあるんだけど、こっちのほうが客間よりもベッドが広いし、アンジェルちゃんたちとお泊り会みたいに寝てみたかったの。」
そう言ってうれしそうに笑う伯爵夫人。
『たち』には勿論マリオンやジョゼも入っている。
「だから今夜はみんなでここで寝るわよ。勿論ジョゼも。」
そう宣言するヴァネッサに、それは楽しみと口にするマリオン。
だがジョゼはまたかとが閉口する。
命令であれば仕方がないが、なにぶん普段と勝手が違うのでやりづらい。
食事の間にアンジェルの荷物もこの部屋に運ばれ、またお土産の服もしまわれて鞄は随分と膨らんでいる。
「でもその前にお風呂ね。ミーアちゃん…は毎日お風呂に入っているのかしら?」
「うーんと、あまり入らないよ。剣牙猫はきれい好きだから、あまり汚れないし。」
アンジェルが答えると、それにあわせてミーアがニャーンと鳴く。
「うん、『まだいい』だって。」
「そう、それは残念ね。だったら他のみんなでお風呂に行くわよ?」
そう言って、ヴァネッサははりきって侍女に準備を指示した。
「おー、すげぇ!」
服を脱ぎ捨てて扉を開け、浴室に入ったアンジェルは、浴室の広さに感嘆の声を上げた。
10人以上でも一度に利用できる、大理石張りの浴室だ。
この町で泊まった宿の浴室も広かったが、ここの浴室はそれ以上だ。
「殿方は雁首そろえて悪巧みするのが好きだから、持ち回りで集まってはやれ宴会だ会議だと忙しいものよ?だから客用の浴室は広く作ってあるの。」
アンジェルに遅れて浴室に入ってきたヴァネッサが解説する。
普段であれば、もう少し質素で小さい住人用の浴室を使用している。
尚、集まりがある時にはそちらは来客の従者に開放される。
「ふーん、そうなんだ。お風呂もみんなで入ると楽しいもんね。」
そう言いながら、アンジェルは洗い場の桶やら椅子やらに興味を示している。
「アンジェルもお母様も早いですわ。」
さらに二人に遅れて、一糸纏わぬマリオンと、湯浴衣を着たジョゼが入る。
尚、洗い場にはやはりヴァネッサ付きの侍女達が湯浴衣で控えている。
「あれ?ジョゼ姉ちゃんは今日は入らないの?」
アンジェルの疑問に、『仕事ですので。』とすまし顔で短く答えるジョゼ。
しかし、『ジョゼ姉ちゃんっておっぱい大きくてかっこいいんだ。』などとアンジェルが力説するのを同僚に聞かれ、顔を赤らめている。
「ジョゼ、貴女も一緒に入りましょう。」
「そうよ、気にせずに入ってしまいなさい。」
「お嬢様に、奥様までそのような事を。」
二人の指示と、職業倫理との間で板ばさみになるジョゼ。
「一緒に入って、アンジェルちゃんの世話をしてもらえると助かるわ。」
「そこまで仰るのでしたら…畏まりました、少々お待ち下さい。」
ヴァネッサの懇願で終に折れ、ジョゼは不承不承頷いて脱衣場に引き返す。
(何てこと、ジョゼさんのアレが白日の下に晒される日が来るなんて。)
(領主館侍女の最終兵器が…ゴクリ。)
洗い場の侍女たちが秘かに言葉を交す。
この屋敷の使用人たちはヴァレリー領の執政館に比べ人数も少ないので、一人用サイズ従業員用の浴室を順番に使用する。
勿論客用や住人用の大きな浴槽を使用する事もなく、着替えもそれぞれの部屋で行うので基本同僚の裸を目にする機会は無い。
尚、侍女たちの中でジョゼが抜きん出ているのは、皆が控えめなのも否定しないが、侍女長を除いた侍女の中では最年長の所為でもある。
「姉ちゃんも、ジョゼ姉ちゃんとお風呂に入った時はおっぱいを褒めてたよ。『けしからん、けしからん』って。」
「まぁ、ユーリアちゃんが?そういえばあの子は控えめだったわね…。」
ユーリアの、どちらかと言うと逞しい胸を思い描き、憐憫を感じるヴァネッサ。
しかしそれは、持てる者の優越。
「けど、おくさまもおっきくてかっこいいね。」
「あらそう?けど最近はラインが崩れてきちゃって。」
彼女の胸は形は多少弛んでいるが、大きさで言えばジョゼを凌駕する。
5年前の彼女であれば互角以上に戦えただろう。
この点で言えば、マリオンの将来は約束されているとも言える。
「おくさま、それよりもいすに座って。お湯かけるよ。」
「ええ、お母様。掛け湯をいたしますわ。」
二人に勧められ、洗い場の椅子に腰掛けるヴァネッサ。
侍女達が慌てて手を出そうとするが、ヴァネッサに押しとどめられ、アンジェルたちの手によりヴァネッサの身体が湯で流される。
そして浴室に戻ったジョゼが見たのは、いつか見たような3人でお湯を流し合う姿だった。
身体を洗い終え、4人で浴槽に浸かる。
湯船の中で、アンジェルはじっと眺めていたヴァネッサの胸に手を伸ばした。
「あら、アンジェルちゃんどうかした?」
「うーん、おくさまのおっぱい、母ちゃんみたいにぷよぷよだ。」
「あら、そう?」
「うん、マリオン姉ちゃんがぷにぷにで、ジョゼ姉ちゃんがぽよんぽよん?」
アンジェルの微妙な表現に、あらそう…と再び生返事を返す。
しかしアンジェルが物心ついた頃でも、アンジェルの母はそれなりに若かったはずだ。
それで今のヴァネッサと同程度というのは、乳母で子を育て、肌の手入れを欠かさない貴族と平民の差か。
「うん、こうしていると、母ちゃんといるみたいなんだ。」
「そう。だったら、しばらくこうしていましょう。」
そう言って、アンジェルを抱き寄せる。
「おくさま…?」
さらに抱いたままで膝の上に座らせた。
「これでもっとお母様に近づけたかしら?」
「うん…ありがとう、おくさま。」
ヴァネッサの胸に頭を預けたまま、俯いたアンジェルが腕で目元をこする。
それをヴァネッサは、母親としての慈愛に満ちた眼差しで見つめ続けるのだった。
「なるほど、これが『ぽよんぽよん』なのね。」
「お止め下さいまし、お嬢様!」
読んでいただき、ありがとうございました。
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