章外3 小間使いの旅(2)
遅くなりました。
神暦720年 王の月19日 地曜日
「いらっしゃい、アンジェルちゃん。よく来てくれたわね!」
お付きの侍女の手により扉が開かれると、ヴァネッサは満面の笑みを浮かべて部屋に入り、そのままアンジェルのもとに駆け寄った。
「おくさま、おまねきいたただいてある…あり…。」
アンジェルが慌ててソファーから立ち上がってしどろもどろに挨拶を言い終わる前に、ヴァネッサは勢いのままアンジェルを抱きしめる。
「いいのよアンジェルちゃん、堅苦しい挨拶なんて。こうして来てくれたんだから。」
そしてそのまま頬ずりをした際に、アンジェルの足元に座っているミーアに気付く。
「ミーアちゃんも、よく来てくれたわ。」
ミーアはそれに返礼するように一声鳴いた。
「ふふっ、一昨日別れたばかりなのに、今日がとっても待ち遠しくってたまらなかったのよ。あら、今日は紅色の服なのね。可愛くてよく似合っているわ!それに贈ったリボンも使ってくれたのね。嬉しいわ。ミーアちゃんも、いい毛並ね。」
そう言って、今度はミーアの毛を撫でる。
ミーアも嫌がらずにおとなしく撫でられ、それ所かどことなく自慢気である。
「ねぇ、アンジェルちゃん聞いて頂戴よ、ジョゼったら酷いのよ?折角アンジェルちゃんが来てくれたのに、すぐに出迎えさせずにちょっと待てって。少しぐらい髪がほつれてたって、アンジェルちゃんの可愛らしさはちっとも変わらないのにねぇ。」
そう言って、ますますヒートアップしてアンジェルを抱きしめたまま身を揺らす。
そしてその時になって、ようやくジョゼとマリオンが部屋の中に入ってきた。
「お母様、いくら待ち遠しかったとはいえ、お屋敷の中を駆けるのは淑女の行いとして如何なものではありませんか?」
マリオンが苦言を呈せば、
「はい。それにアンジェル様も年若いとはいえ淑女ですから、少しでも身綺麗でいたいと思うものです。」
ジョゼがアンジェルの思いを代弁する。
「そうね。でも、待ち遠しかったのだから少しぐらいはいいでしょう?」
拗ねたようにヴァネッサは反論する。
「はい、少しであれば問題はないでしょう。ですが奥様…そろそろアンジェル様を解放されたほうがよろしいのでは?」
その言葉にヴァネッサが腕の中を見れば、強く抱きしめられて振り回されたアンジェルは、またもや目を回してしまっていた。
「ごめんなさいね。アンジェルちゃんがあまりにも可愛かったから、つい…。」
3人掛けのソファーの中央にアンジェル、その左右にヴァネッサとマリオンが並ぶという、応接間の使い方としては随分と変則的な並びの3人の前には茶の入ったカップと焼き菓子が置かれ、アンジェルがそれに手を伸ばしている。
「大丈夫だよ、おくさま。それに、おくさまに抱きしめられると、母ちゃんに抱きしめられてるみたいで暖かいんだ。」
アンジェルはにっこりと笑うが、周囲の表情はかすかに悲しげに歪む。
だがヴァネッサは努めて明るく振る舞う。
「そう、だったら一杯抱きしめてあげなくちゃいけないわね。」
そう言ってアンジェルに再び抱きつけば、
「ええ、私も負けませんわ。」
マリオンが逆側から抱きつき、
「僭越ながら、私も。」
ジョゼが後ろから抱きしめる。
そしてそのまま4人で年若い娘たちのようにくすぐりあい、笑い悶えたアンジェルがソファーから転げ落ちるまでそれは続いた。
「はーっ、はーっ、はーっ、はーっ。」
アンジェルがソファーから転がり落ちたことでくすぐりあいはお開きとなったが、ヴァネッサの膝に頭を預けたアンジェルの息は未だに荒い。
「申し訳ありません、アンジェル様。多少調子に乗りすぎました。」
ジョゼのみがしおらしく頭を下げるが、ほかの二人は微笑みながらアンジェルを眺めている。
「ふふっ、アンジェルちゃんって敏感なのね。無反応なマグロ女よりもよっぽど殿方に喜ばれるわよぉ。」
アンジェラの髪を撫でながらヴァネッサが微笑むと、途端にジョゼが眦を吊り上げる。
「奥様!またそのような事をお嬢様たちの前で…。」
「マグロ女?海妖精の一種ですの?」
「あら、マリオンも知りたい?それはね…」
疑問を顔に浮かべるマリオンに、詳しくそれを解説しようとするヴァネッサ。
ジョゼは慌てて彼女たちを引き離すと、マリオンを抱きとめる。
「お嬢様にはまだ早すぎます!成人されるまではお控えください!!」
「あら、ジョゼは本当に過保護ね。しかもマリオンとの関係がバレてからますます酷くなったわ。」
「可愛いお嬢様を立派な淑女に育て上げるのが私の役目です。」
ジョゼが胸を張り答えると、形の良い彼女の双丘がわずかに揺れてその存在を主張した。
ふとヴァネッサが視線を下ろすと、こちらを見つめるアンジェルと目が合う。
「どうかした、アンジェルちゃん?」
ヴァネッサの質問に、アンジェルは笑みを浮かべて答える。
「うん、みんな仲良しなんだね。」
「ええ、そうよ。家族ですもの。」
アンジェルの笑顔に、ヴァネッサも思わず釣られて笑顔になる
「そうなんだ…おれも姉ちゃんと家族になれるかな?」
アンジェルの言葉に、ヴァネッサの笑顔が曇る。
「ユーリアちゃんと?そぉねぇ…それはちょっと難しいかもしれないわね。でも、家族でなくても仲良くはなれるわ。もしジョゼが家族でなかったとしても、マリオンはジョゼが大好きだし、私も大好きだったと思うわ。もちろん、アンジェルちゃんも大好きよ。」
そう言ってから、アンジェルの柔らかなほっぺたをこねくり回す。
「ひゃっ、奥様やめて~。」
抵抗してみせるが、本気ではない。
床で丸くなっていたミーアがアンジェルの悲鳴に首を起こすが、彼女を見てあくびをひとつすると、騒がしい人間たちをよそに再び丸くなった。
「さぁ、お着替えの時間よ。今のドレスも可愛いけど、ほかにもいっぱい可愛い服があるから、夕食前に着替えちゃいましょう。」
そう提案した伯爵夫人に従い、マリオンの衣裳部屋へ移動する一行。
ちなみに、アンジェルがミーアを呼んだところ、床で丸くなったまま尻尾を一振りして動く気配がなかったため、そのまま置いてきた。
また、部屋を出る際に侍女たちの歓声が聞こえたような気がしたが、アンジェルも特には気にしなかった。
「そういえば、はくしゃく様は?」
この屋敷に来てから、一度も見かけていない。
アンジェルの身分を考えれば面会など望むべくもないが、前回屋敷を訪れた時にはよくしてくれたので、会えないのはちょっと悲しい。
「あら、まだ主人に会っていないのかしら?彼なら出迎えがあるって言ってジャックと何やら企んでいたようだけど、アンジェルちゃんの事じゃなかったかしら?」
ヴァネッサは首をかしげてジョゼに視線を送るが、彼女も首を振るばかりである。
と、そんな話をしているうちにマリオンの部屋にたどり着く。
ジョゼが開けた扉をくぐり部屋に入れば、年若い娘らしい、しかし整頓された部屋が一行を出迎えた。
「わぁっ!」
アンジェルがベッドの枕元や家具の上に置かれたぬいぐるみや人形を見て目を輝かす。
「すげぇ。人形がいっぱいある!!」
「あら、アンジェルちゃんもこういったものが好きなのね。そうね…マリオンもそろそろこういったものを卒業してもいい頃だし、いっそのこと全部…。」
「駄目よお母様!行儀見習い…には連れていけないかも知れないけど、その間もずっとこの部屋で待っていてもらうんだから!!」
珍しく強く反応するマリオンに苦笑を返す。
「そう、でも1体ぐらいなら、いいんじゃなくて?」
「それは…仕方ないですわね。1体くらいなら、アンジェルのもとに嫁がせても構わないわ。だって私の妹分ですもの。」
「ありがとう、マリオン姉ちゃん。でもオレ、人形の手入れとかできないし…。」
「お待ちください、アンジェル様。」
断ろうとするアンジェルを前に出たジョゼが制する。
「人形の手入れでしたら、侍女や女中でしたら心得ていましょう。デファンスに行かれたら、彼女たちから学ばれるのがよろしいかと。それに、子供は自分の世話を焼く親を真似て人形の世話をすることで、様々なものを学びます。そう深く考えずに、気軽に愛してあげる事をお勧めします。」
だが、ジョゼの説明の後半部分はアンジェルのとってはちんぷんかんぷんだ。
「えーっと、よくわかんないや。」
アンジェルの言葉に、ジョゼは少し思案する。
「そうですね…人形を大切にすれば、早く大人になれるということですよ。」
「そうなの?だったら…ほしいかな?」
「だったら決まりですわね。」
マリオンが笑みを浮かべて手を叩く。
「でも…そうね、人形も1体ではかわいそうじゃないかしら?」
「言われてみればそうですわね。だったらこちらの双子の人形はどうかしら?」
ヴァネッサの疑問に、マリオンが人形の中から2体を選び、アンジェルに差し出す。
それは、貴族所有のものとしては珍しい、布で作られた金髪の女の子の人形。
片方が髪を1本の三つ編みにしていて、もう片方が2本の三つ編みだ。
「わぁ、かわいいね。」
「まぁ、この子たちはまるでアンジェルちゃんと姉妹のようね。」
「布製の人形であれば、傷ついた時にも修復は容易でしょう。」
三者がそれぞれの感想を述べる。
「マリオン姉ちゃん、本当にこの人形くれるの?」
「ええ、もちろんですわ。喜んでもらえたようで、私も嬉しいわ。」
「うん、ありがとう!大切にするよ!!」
マリオンから人形を受け取ったアンジェルが、それを抱きしめる。
「マリオン、ちなみにその子たちの名前はなにかしら?」
「えっと、人形たちは数も多いので、特に決めておりませんでしたわ、お母様。」
「そう、だったら名前をつけないとね、アンジェルちゃん。」
「えっ、なまえ?」
「そう、名前。名前は大切よ。特にそこ子たちの世話をするなら。なにがいいかしらね?」
「なまえ…なまえ…。」
アンジェルは幼いながらも一生懸命頭をひねって考える。
金髪の双子の人形。
そういえば、故郷の村にも金髪の双子が居た。
歳が近かったので村の大人たちによくまとめて面倒を見られていた年下の幼馴染。
村の離散以来会ってはいないが、彼女たちは元気にやっているだろうか。
「うん…だったら、この子がアリア、こっちの子がアリス…ってどうかな?」
アンジェルは最初に三つ編み1本の人形を、そして次に2本の人形を持ち上げて命名する。
「アリアちゃんにアリスちゃんね。素敵な名前だわ。」
「ええ、可愛いらしい名前ですわね。」
「双子でしたら、名前に共通点がある事で仲も深まりましょう。」
彼女自身双子であるジョゼも名前に太鼓判を押す。
「うん、ならアリアとアリスにする。」
アンジェルは「アリア、アリス」と呟きながら、再び人形を抱きしめる。
それをほほえましそうに見ていたマリオンが、思いついたようにジョゼに声をかける。
「ジョゼ、あとでこの人形たちの服もアンジェルのお土産に追加しておいてね。」
「はい、お嬢様。ユーリア様からはアンジェル様の服については程々にと申し付かっておりますが、この子たちの服については特にありません。合うものはすべてでよろしいでしょうか?」
マリオンは思案顔で宙に視線を向ける。
「そうね、ドレスと寝間着、あとは普段着を3着ずつ位で。あとは次に来た時のお楽しみですわ。」
「はい、畏まりました、お嬢様。」
「さて、次はいよいよアンジェルちゃんのお洋服ね。さぁ、行きましょう。」
ヴァネッサがアンジェルに手を差し伸べると、アンジェルは両手をふさぐ人形に視線をやる。
「アンジェル様、お持ちいたします。」
「うん、お願い。」
アンジェルは差し出されたジョゼの手に人形を預けるとヴァネッサの手を握り、つないだ手を大きく振りながら隣の部屋に歩き出した。
以上が今年最後の投稿になります。
来年も『男装お嬢様の冒険適齢期』をよろしくお願いします。
…男装も冒険もまだまだ先になりそうですが(汗
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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