章外2 小間使いの旅(1)
2013/12/30 リボンの件を追加
神暦720年 王の月19日 地曜日
コムナ川沿いの街道を、北を目指して馬車の一行が進む。
4人の騎士に先導されたヴィエルニ家の馬車の中に人影はなく、室内には一匹の剣牙猫が床で眠るのみ。
御者台には、御者であるアンドレとユーリアの小間使いであるアンジェルの姿があった。
日差しはぽかぽかと暖かいが、草原を渡って吹く東風はまだ冷たく、その風が吹く度にアンジェルは身をちぢこませていた。
「アンジェル、寒かったら中に入っていてもいいんだよ。」
アンドレは何度目かになる言葉を繰り返すが、アンジェルの反応もそれまでと同じだった。
「大丈夫だよ、おっちゃん。こっちのほうが楽しいもん。」
そうかとアンドレは頷くが、その表情は冴えない。
ユーリアがいなくなった所為でアンジェルは従騎士たちの4人部屋に移っていたが、昨晩はずっと塞ぎこんで言葉少なだった。
しかし今日は一転して御者台に座ってあれこれ見つけてははしゃいでいる。
(一晩眠って元気になった…いやいや、そんなに簡単には行かんか。)
その証拠に、笑顔一杯ではしゃいでいる彼女の顔には時折寂しげな表情が混ざる。
だからこそ、それが彼女の精一杯の強がりだと分かるのだ。
(だがしかし、風邪をひかれて旅程が遅れるのも考え物だ。お嬢様にも気にかけてやるよう頼まれたしな。さて…。)
「アンジェル、ここに居たいのなら、それでもいい。だが、風邪をひかれても敵わないから、毛布ぐらいは羽織りなさい。」
その言葉にアンジェルは頷き、御者台から立ち上がった。
寒さの所為で固まった手足をほぐしながら、ゆっくりと足場伝いに乗室へと移動し、扉を開ける。
扉の音と吹き込む風に床で丸まっていたミーアが目を開くが、アンジェルの姿を認めるとすぐに目を閉じた。
彼女が室内に入り扉が閉まると、途端に外の音が遮断され静かになる。
カーテンが閉じられているため薄暗い室内。
そこは、昨日までは暖かくて安心できる場所だった。
昨日までとの違いは、ユーリアと、多少の荷物の存在。
それだけの違いが、室内を寒々としたものに変えていた。
アンジェルは俯きそうになる顔をきっと上げて、歯を食いしばることで震えそうになる唇を抑える。
そして毛布を手に取り風に飛ばされないように身体に巻きつけてから縛ると、扉を開けて御者台に戻った。
ブリーヴの街が間近に迫った頃、フェリクスが馬を馬車に寄せ御者台に声をかけた。
「なぁ、アンジェル、やっぱり今夜はお屋敷に行くのか?」
アンジェルがブリーヴ伯のお屋敷に招待された件は、ユーリアからも聞いていたし、今日の朝食の席でも話が出た。
だがしかし、ユーリアの小間使いとはいえ元孤児が伯爵家の晩餐に招待される…というのも何か裏がありそうな気がして仕方がない。
(まぁジョゼさんが付いているのなら大丈夫…と思いたいが、伯爵家の意向には逆らえないだろうしなぁ。)
一体いつの間にそんなに彼女を信頼するようになったのか…と問いただしたくなるが、実に『恋は盲目』である。
「うん。姉ちゃんが言うには、『着せ替え人形』にされるんだって。」
アンジェルが屈託なく笑って言う。
彼女は『ユーリアが許しているのだから問題はない』と考えている。
実際、伯爵家から悪意を向けられた事も一度もない。
(まぁ、子女はマリオン様だけだし、親類にその年頃の子供がいなければそういった娯楽に飢えているのかもしれないな。)
そう考えて納得するフェリクス。
「そうか。だったら、屋敷までの送り迎えが必要だな。しょうがない、屋敷の前までは俺が送ってやるから、後でジョゼさんの話を聞かせろよ?」
いい笑顔で、少しも仕方なくなさそうに言うフェリクス。
ちなみに、『屋敷の前まで』なのは、前回ジョゼを屋敷へとエスコートしたときに起きた、伯爵とジャンにこってりと絞られるという苦難を再び味わわないためだ。
(家族ぐるみで付き合うのも、もう少し親密になってから…のほうが楽だよな。)
そんな事を考えているが、彼は親類になる前に根回しをする事の重要性には思い至らない。
「うん、頼むよ兄ちゃん。姉ちゃんに買ってもらった服着ていくから、変なのに絡まれたら困るもん。」
「ああ、任せろ任せろ。」
そう請け負うフェリクス。
しかし、この後ブリーヴの城壁を抜ける際に、アンジェルが衛士からリース家の家紋入り招待状を受け取った事により先方の期待の大きさを知り、「どんだけ楽しみにしてるんだよ!」とフェリクスは安請け合いした事をちょっとだけ後悔した。
宿に荷物を運んだ後で、アンジェルはユーリアに買ってもらった紅色のワンピースに着替える。
ちなみに、男衆は彼らの取り決めによりそれとなく部屋を出ていた。
まだ子供でしかない年齢ではあるが、この取り決めはアンジェルの服を引っぺがした過去があるフェリクスが提案し、他のメンバーもそれを受け入れていたからだ。
着替えの後に部屋の小さな鏡台の前に座って髪を結っていると、ノックの音が響いた。
「おう、アンジェル、もういいか?」
聞こえるフェリクスの声に、大丈夫だと答えるアンジェル。
フェリクスが部屋に入って見た物は、髪結いにに悪戦苦闘しているアンジェルだった。
「おいおい、大丈夫かよ。何度も結い直した所為で、髪がボサボサになってるぞ?」
「えっ?あーあ。」
呆れたように言うフェリクスに、アンジェルは言われて初めて気づいたのか、大きくため息をつく
「姉ちゃんには習ったんだけど、まだまだ上手くいかなくって…梳くだけにしとこうかな。」
それを聞いたフェリクスが思案顔になる。
「だったら俺が結んでやろうか?」
「えっ、兄ちゃん結えるの?」
「ああ。昔はよく幼いユーリアの髪を結ばせられたぞ?まだ自分では結べないくせに、森やら藪の中で暴れまわって、解けたから結べって。」
目を丸くして驚くアンジェルに対し、顎に手を当て、昔を思い出すかのようにフェリクスは語る。
そんな間にも、椅子を引っ張ってきてアンジェルの後ろに座り、櫛を手に取る。
「兄ちゃん、結い終わったら、このリボンをつけてね。」
そう言って、伯爵夫人より贈られたリボンを渡す。
「了解…って、これリース家の家紋入りじゃん。こんなのもらってやがったのか。」
「うん、この前行った時にもらった。」
「ああ、わかった…って、あーそうか。髪が短い分難しいのか。まぁ何とかなるかな。」
そして鼻歌交じりに梳いた髪を分けて結い始める。
「痛っ!ちょっと、兄ちゃん引っ張りすぎ!!」
「おっ、悪い悪い。久しぶりだからな。」
抗議を受けて、フェリクスは改めてやさしく髪を結う。
アンジェルは大人しく結われていたが、背後から漏れ聞こえる「おおっ?」やら「うわっ」といった呟きが否応なく不安を増大させる。
「なぁ、兄ちゃん大丈夫かよ?」
「大丈夫大丈夫…よし、こんなもんか。」
フェリクスの声に顔を上げ、鏡を見る。
横を向いて後頭部を鏡に映せば、短い三つ編みがうなじの上で纏められていた。
所々髪の毛が跳ねてはいるが、アンジェル自身がやるよりよっぽど上手くできていた。
フェリクスにとっても中々の出来たったようで、その表情は満足げだ。
「ありがとう、兄ちゃん。」
「うし、じゃぁ行けるか?…って、その前に片付けだな。」
フェリクスの言葉に室内を見渡せば、脱ぎ散らかした衣類がベッドの上のみならず床にまで散らばっていた。
領主の屋敷は宿屋の目と鼻の先だった。
その距離を、アンジェルの鞄を持ってフェリクスは歩く。
隣にはアンジェル、その足下には妙に毛並のいいミーアが並ぶ。
部屋の片づけが終わった後に、『じゃぁミーアの毛並も梳かないと』と櫛を取り出したアンジェルをフェリクスは慌てて止めた。
そして、「梳くならもっと安い櫛で」と、「毛が付くから着替える前に」と注意をしてやめさせたのだ。
おかげでフェリクスが手櫛で整える羽目になったのだが、何故かミーアは満足げだ。
しかし、この鞄も随分と軽い。
中身を聞けば、櫛とリボン程度しか入っていないようだ。
「なんか、お古の服とかくれるんだって。だから、ほとんど何も入っていないんだ。もらった服、姉ちゃんに見せるの楽しみだな~。」
アンジェルはニコニコと答える。
と、屋敷の敷地外周まで辿り付き、門が見えたところでフェリクスは立ち止まる。
「よしアンジェル、オレはここまでだから気をつけて行ってこい。」
そう言って、鞄を渡す。
「え、何で?ジョゼ姉ちゃんに会って行かないの?」
「ああ、それは非常に魅力的な提案だが、色々と事情があってな。ここから見守ってやるから、ジョゼさんと何を話したか、くれぐれも忘れないようにな。」
「うん、わかった。じゃぁ行ってくるね?」
手を振って、とてとてと駆け出すアンジェル。
やがて彼女は正門の衛士の元にたどり着くと、招待状を見せ、門の中に入っていった。
「さてと、じゃぁオレも帰るか。またね、ジョゼさん。」
そう呟いて踵を返そうとするフェリクスの肩に、白手袋に包まれた掌が置かれる。
「まぁ、そうおっしゃらずに、ぜひともお立ち寄り下さい。」
若い男の声に、壮年の声が続く。
「そうだぞ、君ぃ。遠慮なんて若い者のすることではないぞ?よもや、儂の招待を辞退する事など…あるまいな?」
最初こそにこやかだったが、最後のほうは恫喝の響きが混じるその声に振り向く事も出来ず、フェリクスは『はひぃ』と情けない声を上げて頷くのだった。
案内を衛士から引き継いだ侍女に先導され、応接間に通される。
そして侍女は『少々お待ち下さい』の言葉と共に、扉の向こうへ消えた。
アンジェルは手持ち無沙汰に部屋を見回し、感嘆の声を上げる。
「は~、いつ見てもすごい部屋だね。」
独り言とも取れるその言葉に返すのは、ミーアの鳴き声。
(寝てしまえば大した違いはない。)
「うん、まぁそうなんだけどね。」
(だが、この床は柔らかだな。)
そう言って絨毯の上で丸くなる。
「あー、毛が落ちると姉ちゃんが嫌がるんだけどなー。」
(ここに居ないのだから気にする事も無い。)
ミーアの鳴き声にアンジェルの顔が俯き、それを見たミーアが、気まずげに視線をそらす。
と、ノックの音が響き、少し遅れてから扉が開かれた。
そこに現れたのは、小さな籐籠を手に下げた銀髪の侍女…ジョゼであった。
「ようこそいらっしゃいました、アンジェル様。」
「あっ、ジョゼ姉ちゃん、こんにちは。」
アンジェルの満面の笑みに、にっこりと微笑むジョゼ。
「奥様は後ほどお見えになりますが…その前に御髪を整えましょう。」
そう言って、アンジェルが座るソファーの後ろへ回る。
「え、おかしいかな?兄ちゃんに結ってもらったんだけど。」
「そうですね、悪くはないのですが少しほつれがありますので、奥様が身支度を整える間に…。それにしても、これをフェリクス様が?」
リボンを解き、髪からピンを抜いて三つ編みを解くジョゼ。
「うん、昔は姉ちゃんの髪をよく結ってたんだって。」
「成程、そうなのですか…。」
手際よくアンジェルの髪を梳き、編みこんで行く。
多少癖がついてしまっているが、同じように編みこむので問題ないだろう。
「兄ちゃんはさ、今日は『じじょう』があるから来られないって言ってたけど、ジョゼ姉ちゃんと何を話したか教えてくれってさ。」
アンジェルの言葉に、目を丸くして驚くジョゼ。
やがてその表情は笑みへと変わる。
「ですが、それは内緒の話ではないのですか?」
「え、ないしょ?兄ちゃんは何も言ってなかったよ?」
アンジェルの返答に、思わずくすりと噴出すジョゼ。
「もうっ、しょうがない人ですねぇ…。はい、できました。」
「えっ、もう?すげー!」
アンジェルは早速立ち上がって、室内の姿見のほうに走っていく。
そして鏡の前で右へ左へと顔を向けて、髪型を確かめる。
「うん、ありがとう、ジョゼねえちゃん。」
「いえ、どういたしまして。さて、では奥様をお呼びいたしますので、今しばらくお待ち下さい。一番可愛いアンジェル様との面会を、奥様は今か今かとお待ちですよ。」
そう言ってから櫛を収めた籐籠を持ち、深く一礼してから部屋を出ていった。
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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