2-13 侍女と恋バナ
神暦720年 王の月20日 闇曜日
「こんな私でも貴女が来る前は、そのうちに初々しいお嬢様がやってきて、同室の私をまるで姉のように慕ってくれたり、その子を妹のように可愛がったり…とか楽しみにしてたのよ?それが来てみれば、年下のくせにふてぶてしくって、それでいて十年来の友人のように接してきて…それに不満はないんだけど、寝顔だけはかわいいんだから、ちょっとは手を出したって構わないんじゃないのさ?」
半ば目の据わったナターシャがくだをまく。
おそらく彼女が言っているのは、夕刻に起こしてくれたときの事を言っているのだろうが…何故か私が責められている。
あー、まぁ自分が世間一般的なお嬢様から外れている自覚もあるので、彼女には悪い事をしたかなぁとは思う。
「だったら今からでも始めてみる?姉妹ごっこ。なんならマリエルも入れて3姉妹ってことで。」
私が提案してみると、彼女はその心境を隠すことなく、表情を歪める。
「やめてよ、そんな怖い事。色々面倒を押し付けられたり、妹の立場を利用して集られたりするのが落ちだわ。」
そう言ってグラスをあおる。
歓迎会が始まって1刻ほど…彼女も結構飲んでいるが少々顔が赤い程度で、酔いつぶれたり呂律が回らなくなったりといった事はないので、酒にはそこそこ強いようだ。
ただ色々と絡み上戸っぽいところは出てきている。
なお、さっきから静かなマリエルは、完全に据わった目でちびちびと蒸留酒の果汁割りなどの甘い酒が入っているグラスを舐めている。
最初はこれが美味しいあれも美味しいなどとはしゃいでいたのだが、やがて今のような状態になった。
まぁ身体が小さい分酒には弱いし、疲れもあって回りも早いのだろう。
「で、どうなのよユーリア。騎士団でちやほやされて、ホントは嬉しかったんでしょ?」
ナターシャがニヤニヤと笑みを浮かべた顔を近づけて問う。
随分と話が飛んで…しかも昼の会話を蒸し返すか。
「だから、それ所じゃないって。代わる代わるに同じぐらいの歳の男に自己紹介され続けて、名前と顔を覚えるので精一杯よ。」
私は昼間と同様の答えを返す。
「けど、ほとんど覚えてるんでしょ?やっぱり有力貴族のお嬢様は違うわね!しっかり社交デビューの訓練もしているんだから!」
彼女は大げさに感心する。
まぁ確かに、礼儀作法とかと共に人の顔と名前を覚える訓練もするにはしたが、あまり得意ではなかった。
「少しだけよ、少しだけ。聞いてるんでしょ?『ぼっちのヴィエルニ、引きこもりのヴィエルニ』ってね。結局練習はしたけど、社交デビューの機会なんて無かったわ。」
社交界での交流に積極的な家の子女は、成人前に社交デビューを済ますと聞くが、生憎とウチはそうではない。
屋敷で開かれる小さなパーティーに挨拶で顔を出すくらいだった。
「その辺、あなたのウチはどうなのよ?貴女だってなんだかんだ言って『お嬢様』なんだし。」
その言葉に、グラスを干して大きくため息をつくナターシャ。
「生憎と、ウチみたいな弱小田舎貴族なんて貴族様のパーティーにはお声もかからないわよ。ここに来る前に会った貴族といえば…隣領のよしみでブリーヴ滞在時に領主一家の夕食に招待された位ね。」
そう言って、給仕を呼んでお代わりを注文する。
だから、貴女だってその『貴族様』でしょうに。
「へぇ。で、どうだった?メニューのほうは。やっぱり手間隙かかった高級料理だった?」
「メニューなんて憶えていないわよ!社交デビューも碌にしてない小娘が伯爵夫妻を前にして、ガチガチに緊張しながら覚えたマナーを必死に思い出して食事するだけで精一杯よ!!」
あら、案外気が小さい…といっても、家格の違いからすればこんなものか?
案外事前に親からプレッシャーがかかっていたのかもしれない。
「そう、それは残念ね。料理の内容は気にはなっていたのよ。私も誘いがあったんだけど、断ってしまったから…。」
「はぁ!?断ったですって?…信じらんない。これが家格の違い?」
ナターシャは頭を抱えてぶつぶつ言っている。
というか、彼女も酔ってきたのかアクションが少しオーバーだ。
「ユーリアはそんなものよ。マイペースでマイウェイ。」
マリエルが口を挟む。
復活してきた…というか、ちゃんと聞いていたのか。
「昔から爵位や地位なんか歯牙にもかけないし、もしそれで厄介ごとに巻き込まれそうになっても、気がつけば姿をくらませてるのがいつもの手よ。」
そう言ってけたけた笑うが、その視線の先には何もない。
復活…はしていなかったようだ。
と、そんな時だった。
喧騒の中、酒場の扉に付けられた鈴の音が聞こえたと思ったら、波が引くように喧騒が静まっていく。
何事かと思い扉に視線をやれば、そこに立っていたのはフード付きのマントを身に纏った人物だった。
灰色の地味…というよりもみすぼらしさが目立つマントに包まれているその背は高く、体格もよい…おそらくは若い男か?
マントの端から剣の鞘が覗いていることから考えても、あまり真っ当な目的でこの店に訪れたとは思えなかった。
そんな店の雰囲気から言えばこの上もなく不釣合いなその男は、店内を見回した後、給仕に案内され入り口付近の壁際の席に着く。
そして壁に背を向けて座ると、店員に注文をし、椅子に深く腰掛け、テーブルに肘を着いて動きを止めた。
…さっき店内を見回したときに、こっちと視線が合った様な気がしたが…知り合い?
年代的に思いあたりが多すぎて絞れない。
「何アレ…なんであんなのがこんなお洒落な店に?」
ナターシャが小声で囁く。
「え、なに?」
「マリエル、見ちゃいけません!」
入り口に背を向けた席に座っていたマリエルが、振り向こうとするのをナターシャがおしとどめる。
って、どこぞのおかんか。
「だから、子ども扱いすんな!」
テーブルの下からゴンゴンと音が響く。
おそらくマリエルがナターシャの脚を蹴っているのだろうが…やがて一際大きな音が響いてマリエルがテーブル上に突っ伏した。
「ん、どうかした?」
私の問いに、半分涙目でマリエルが顔を上げる。
「テーブルの脚に脛ぶつけた。」
自業自得よ。
「それにしても、ユーリアってお酒にも強いのね。飲みっぷりもいいし顔色は…少し赤いか。けど呂律もしっかりしてるしね。」
ナターシャが両手で頬杖を突きながら、此方の顔を見つめてくる。
酒に酔った所為で妙にとろんとした目元が同性ながら色っぽい。
「そう?自制しているだけよ。故郷には同い年のうわばみが居た所為で、それに釣られて痛い目を見た事もあったからねぇ。」
遠い目をして答える。
エルザとフランクは元気だろうか。
まだ半月も経っていないのに、故郷を離れたのが遠い昔のようだ。
「あ、それってエルザ?懐かしいわね。彼女元気だった?結局、フランクとの仲は進展あったの?」
マリエルから矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
「あー、あの二人はね、ついに二人で親父たちをやり込めて、それぞれが相手の家を継いで所帯を持つことになりそうよ。」
「えっ、ついに『賭け』も決着?」
「ちょっとそれ、どういう話よ?詳しく聞かせなさいよ!!」
故郷を懐かしむマリエルだけではなく、恋バナの気配を感じてかナターシャも食いついてくる。
なんだかんだ言ってもナターシャも若い娘だ。
こういった話は大好きなのだろう。
私はもったいぶるように給仕に酒のお代わりを注文すると、届いたそれで唇を湿らせ、話の大筋から語り始めた。
「―――というわけ。その翌日に私は街を出たんだけど、おそらく半年もして落ち着けば正式に夫婦になるんじゃないかしら?」
そう、私は話を締めくくる。
二人の反応を見れば、マリエルは「そうか、そうなったか…。」といいつつ頷き、ナターシャは二人の姿を思い描いているかのように宙を見つめていた。
「やっぱりこういった話は興味ある?」
私の問いに、ナターシャは勢いよく頷く。
「勿論よ。侍女たちの間でもこういった話はよく話題に上るし、屋敷を出て行った侍女の話もなんだかんだで人伝で入ってくるから、それで盛り上がったりもするわよ。」
基本、屋敷に勤める侍女は侯爵を含めた派閥の子女だ。
繋がりがあれば消息も入ってくるし、奥様たちがそれを話題にすることもあるだろう。
「一度お屋敷に入っちゃうと町から出ることはほとんどないから、ある程度閉鎖された環境になるのかしらね…。そんな環境だから、みんな外の話に飢えてるし、それが恋バナならみんなが飛びつくわね。」
ナターシャの話に、私は頷く。
「ふーん、なるほどねぇ。それを元にして、宮廷派閥内の奥様ネットワークが形作られるのかしらね。」
無論、それだけで形作られるわけではないだろうが、貴族の子女が一度嫁げば、以降の交友範囲はその近隣に限られる。
その前に国内に広く既知を作るために、行儀見習いが利用されているのだろうか。
「ふぅ。話が弾むとお酒の量も増えるわね。」
店の外に出た私とマリエルは揃って伸びをする。
夜風が酒精で火照った肌に心地よい。
夜空にいつの間にか昇った月が、路地を照らす。
ナターシャは店内で会計中。
怪しい男は気が付いたら居なくなっていた。
「私はこれだけ飲んだのは初めてよ。普段は夜遅くまで課題をこなしたりして飲む暇はないし、食堂のエールは美味しくないし。」
マリエルがローブの腹の辺りをさすりながら言う。
服の上からでは分からないが、おそらくおなかがぽっこり膨らんでいるのだろう。
確かに、甘めの酒が好きなマリエルの口にあの苦めのエールは合わないだろう。
「お待たせー。さ、帰りましょう。」
ナターシャが出てきて声をかける。
「ご馳走様、ナターシャ。」
「ゴチでーす。」
一応の礼として、支払いに感謝を述べる私たち。
「ええ、どういたしまして。さ、次回は約束通りマリエルの奢りよ?しかも私が決めた店で。さぁ、どこにしようかしらぁ。」
ナターシャが楽しげに念を押せば、マリエルは手のひらで耳をふさいであーあー言っている。
3食お仕着せ付き、仕事上の必需品もほとんどが屋敷持ちで給金がほぼ小遣いの侍女と違い、魔術師見習のマリエルは給金で生活必需品を揃える必要がある。
そんな彼女の懐次第だとしたら、次回がいつになる分かったものではない。
まぁ、いざとなったら半分ぐらいは私が持たせてもらいましょう。
ナターシャには内緒だけどね。
ナターシャを先頭に、近道だという細い路地を歩く。
そろそろ夜更けといってもいい時間帯で、すれ違う人も酒場からの帰りと分かる人がほとんどだ。
そんな折、足元のふらついた男がこちらに寄ってきたので、半身を引いて躱す。
「うぉっと、ごめんよぉ~。」
男は謝罪の言葉を呟いてそのままふらふらと歩いていったが、それを見送った視界の隅で、何かが蠢いた。
丁度路地の角のあたり、何かと思って目を凝らすと、すれ違った酔っ払いがその横道に入ろうとして、急にたたらをふむ。
「うぉい、驚かすなぁよ!」
男の抗議の声が風に乗って聞こえ、そして大きく回るように歩いて路地に消える。
「ユーリア、どうしたの?」
立ち止まった私に、怪訝そうに声をかけるナターシャ。
「いや、酔っ払いがぶつかりそうになってね…。」
そう言いつつ、軽く走ってナターシャたちに追いつく。
うん、酔いのせいで足先の感覚が遠いが、テンションが上がって全力で走り出したくなる。
そして月を見上げた振りをして、視界の隅で来た路を確認する。
路地の向こう、さっき酔っ払いが曲がった横道から、フード付きのマントを身に纏った人物が出てきた。
恐らくは灰色の…周囲に溶け込むマントに包まれているその背は高く、体格もよい。
マントの端から剣の鞘が覗いていることから考えても、あまり真っ当な目的でこの路地を歩いているとは思えなかった。
そしてその目的は、高確率で私達に絡むものであろうと予測できた。
私はナターシャに後ろから勢いをつけて抱き着くと、その耳元に口を寄せて囁いた。
「さっきのマント男、私達を尾けているみたいよ?」
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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