2-12 侍女と歓迎会
神暦720年 王の月20日 闇曜日
私は返却された凍える大河を片手に部屋に戻った。
「あ、おかえりー。意外と早かったのね。」
ナターシャはベッドの上で寝そべって本を読みながら出迎える。
「色々あったけど…まぁ今日の予定は大方こなしたわ。」
残るは歓迎会のみだ。
「けど、さすがに少し疲れたわね。昨日とかもあんまり寝てなかったし。」
眠れなくて城砦をうろつきまわったのが、遠い昔のようだ。
今日は折角の休日なのに、かえって疲れを増やしただけのような気がする。
体調を整えるのも仕事のうちなのに。
「だから少し仮眠を取るわね。マリエルも寝てるみたいだし。」
凍える大河を剣帯ごとクローゼット内に吊るす。
そういえば、鑑定書に書かれたこの剣の名前…初めて手に取ったときに頭の中に浮かんだ名前のそのままだった。
知らず知らずのうちに剣が語りかけていたのか…あるいは、製作者がその外見から浮かんだ名前を命名したのか。
まぁそれはいい。
私はお母様と私を繋ぐ剣の柄飾りを一撫ですると、クローゼットの扉を閉めた。
さて、今の時間は…昼の11刻(午後4時)の鐘が鳴ってから少し経っているから、11刻半といったところか。
一眠りするには丁度いい。
「夜の1刻(午後6時)になったら起こして。そのあとで街に繰り出しましょう。」
そうナターシャに言いつつ、ぼふっとベッドに倒れこむ。
ナターシャのほうを見れば、ずっと視線は手元の本に注がれている。
「それ…何の本?」
「ん?談話室にあった小説よ。評判がいいから、どんなものかと思って読んでみたんだけど…意外とハマるわね。」
そう言って表紙を見せる。
その表紙には『青き剣と白き百合の物語』と書かれていた。
「あー、それ。奥様も読んでたわね。」
「ええ、奥様の大のお気に入りで、去年のミリアムお嬢様の誕生日にも1冊贈られたそうよ。」
随分と布教に余念のないことだ。
だとすれば…談話室に置いたのも奥様か?
ちなみに、若奥様は既に別ルートで入手されていたとか。
「ふーん、暇があれば読んでみるのもよさそうだけど、当分はそんな暇もなさそうね。」
剣の稽古に魔術戦闘…カスティヘルミさんも精霊術を教えてくれるとか言ってたなー。あれにも興味があるから初歩を習うのもいいだろう。
基本的に精霊術は口伝でのみ伝わり、初歩を習った後は精霊との交流の中でその結びつきを強くしていくものだと聞いているが…。奥様の部屋で見えたような気がする『何か』、あれが私にも見るようになるのだろうか?
「まぁそれは置いといて、時間になったら起こしてね。」
「分かったわ。1刻ね?」
「ええ、よろしく。」
そう言って、外着のままベッドに潜り込む。
私は寝つきがいいほうなので、寝息を立て始めるまでそれほど時間もかから―――。
ぐぅ。
意識は急に覚醒する。
鼻に感じる違和感と息苦しさに目を開けば、目の前にはベッドに肘を付いたナターシャの顔。
そしてその指は、私の鼻をつまんでいた。
「おはよう。」
ナターシャがしれっと挨拶をする。
それに鼻声で答えながら、身体を起こして大きくあくびをひとつ。
その間にナターシャの指は離れた。
「もうちょっとまともに起こしてくれてもいいじゃない。」
一応抗議はするが、彼女はニヤニヤと笑いを浮かべて答える。
「いやー、時間になったから起こそうと思ったんだけど、意外と可愛い寝顔を見てたら悪戯心がふつふつと…ねぇ?」
彼女はそう言って頭をかく。
意外…かぁ。
まぁ確かに、凛々しいとはよく言われるが、可愛いとは言われる事は少ないかな。
昔はともかく、ここ数年は。
ため息をつきつつも窓に目をやれば、外は既に薄暗くなっている。
「マリエルはまだ来てない?」
「ええ、来ていないわね。」
だとすればまだ夢の中だろうか。
「とりあえず顔を洗って…ってその前に、マリエルを起こしたほうがよさそうね。」
彼女はここ最近寝不足していたし、寝起きは悪そうだ。
「だったら私も、着替えたほうがよさそうね。」
彼女は立ち上がる。
今着ているのはゆったりとした寝巻きに近い格好で、このまま外出するのはいささか心許ない。
だったらその間に、マリエルを起こしてこよう。
使用人棟を抜けて、屋敷に向かう。
食堂を抜ける際には、私に気づいた騎士団の面々が手を振ってくるのでこちらも小さく手を振って答える。
屋敷の中でも、1階、2階の執事室や蒸留室、魔術師の部屋などの裏側であれば、服装についてはあまりとやかく言われない。
これが3階、4階や表側の玄関ホールなどになると、お仕着せ以外で出歩けば大目玉だ。
「マリエルー、起きてるー?」
魔術師の部屋の並びに到着した私は、事前に聞いていた部屋の扉を叩くが、中からは反応がない。
しばらくノックを繰り返しても反応がないので、ノブを回してみれば…あっさりと扉が開いた。
「領主の館の中とはいえ、嫁入り前の乙女が無用心な…。マリエルー、入るわよー。」
ずぼらな彼女にため息をつきながら部屋に入る。
部屋の中には明かりもなく、窓にはカーテンがかかっているため真っ暗だ。
その上廊下から差し込む光で、床にまで積みあがった本の山が浮かび上がる。
真っ暗なこの部屋を歩くのはかなり難儀しそうだ。
廊下から照明を借りるか…しかし本だらけのこの部屋、裸火の蝋燭を持って、躓きでもしたら目も当てられない。
おそらくランプやら魔術照明やらが部屋の中にはあるのだろうが、この状況では見つかりそうにない。
ならば…。
『顕れよ、叡智の光よ―――ライト』
私の呪文により魔術が紡がれ、翳した手の先に光が生み出される
それはふわりと浮き上がり、部屋の中ほどで停止した。
床にまで置かれた本の影響で、そこかしこに暗がりが出来るが、暗闇の中を手探りで進むのに比べれば大違いだ。
部屋の中に広がる本の林の中、ベッドや机へと続く獣道を見つけた私は、細いそれをするりと抜けてベッドの脇へと辿り着く。
ベッドの脇には、昼間マリエルが着ていたローブが本の山の上に脱ぎ置かれ、布団からは下着姿のマリエルの肩から上が覗いている。
「マリエルー、時間よー。そろそろ起きなさーい。」
肩をゆすると、むずがる様に声を上げるが…目を覚まさない。
彼女の顔は寝不足の所為か、多少目元に隈が残り、頬が赤いのは寝付いて体温が上がっている所為だろうか。
その頬を指でつつき、ぐにぐにと捏ねたあとで、その小さな鼻をつまむ。
そしてそのまま、10、20と秒刻を数える。
口を閉じているので、呼吸音は聞こえない。
30、40。
やがて呼吸の動作が大きくなり、横隔膜が広がって胸郭が落ち窪み、横隔膜が縮んで胸郭が広がることを繰り返す。
50、60。
まだ起きない。
だがこのままでは、2度と目覚めないのではないか?
それは少々困るわね…ってちょっと!
慌てて鼻を離すと、マリエルは荒い息を繰り返した。
やがてそれが落ち着く頃、ぱちりと目を開き、周囲を見回してから、こちらに視線を向けた。
「おはよう、マリエル。」
私は何事もなかったかのように挨拶をする。
「おはよう、ユーリア。…何か、故郷の川で遊んでいて、溺れる夢を見たわ。」
「そう。町を出てから、一度も帰っていないんでしょ?私と再会して里心がついたのかもね。」
「うん、そうかも。手が空いたら、手紙でも書こうかしら。って、そろそろ時間?」
「ええ、起こしに来たわ。」
「分かったわ。準備してそっちの部屋に行くから、ちょっと待ってて。」
そう言ってベッドから起き上がるマリエル。
ローブを掴んで頭から被った後、彼女は姿見の前に移動して目の下の隈を確認した後で首を傾げる。
「あれ、鼻が赤い?」
マリエルが準備を整える間に、自分の部屋に戻る。
そして流しで顔を洗うついでに、水差しに明日の洗面用の水を汲む。
まぁ残りを洗面に使うだけで、本来は飲み水用の水差しなんだけど。
部屋に戻って、服装を整える。
とは言っても、今のシャツとズボンの上から、剣帯を締めるだけだ。
今日は暖かかったから、上着も必要ないだろう。
「貴女、剣を持っていくの?」
「まぁ護身用に、ね。女だけだし、遅くなりそうだし。」
そう答えてから刃を引き抜き、確かめてから鞘にしまう。
「まぁそれならいいけど…酔っ払って刃傷沙汰とか嫌よ?」
ナターシャの苦言に、黙って頷く。
「けど、そうして見ると小柄な剣士にしか見えないわね。」
呆れたようにため息をつくナターシャ。
「それで変な虫が寄ってこないようになればいいんだけど。」
こっちもため息で答えた。
マリエルが私たちの部屋を訪れてから、3人で揃って外に出た。
執政館と城壁の間を塞ぐように経つ小屋が、出入りの業者や使用人用の出入り口となる。
そしてその出入り口から、屋敷からは垣根で隔てられた道が続き、大通りの勝手口へ続いている。
使用人や業者の出入りはここで改められ、記録される。
勿論門限を過ぎての出入りは家政婦や家令に伝えられ、咎められる事になる。
そしてそれを繰り返せば処罰を受ける事になるだろう。
その出入り口を先に抜けたところで、ナターシャに道を譲る。
そこから先はナターシャにお任せで、彼女の案内するままこの時間でも活気のある大通りを進み、港の近くで道をそれて大通りよりも人通りの多い路地に入る。
「随分と賑やかな路地ね。」
「まぁ飲み屋街?みたいな感じだからね。港に近いから船乗りや商人が多いけど、騎士団が重点的に目を光らせてるから比較的安全よ。」
だが、この人通りの多さは背の低いマリエルにとっては少々歩き辛そうだった。
仕方なくその手を引いて歩く。
「悪いわね、ユーリア。」
「まぁこればっかりはね。」
「杖でも持ってくればよかったかしら?」
確かに、杖を身長以上に伸ばせば目立ちはするが…それ、杖を振り上げてるのとほとんど変わらないんじゃ?
別の意味で歩きやすくなりそうだ。
衛士に通報されなければ。
また、こんな私たちを見てナターシャがしみじみと呟く。
「なんか、完全に歳の離れた妹の手を引く兄の構図よね。」
ほっといてよ。
『冬の陽だまり亭』
ナターシャが案内した店だった。
予約はしていなかったようだが幸いテーブル席に座る事が出来たので、席について酒場内を見渡す。
ナターシャが案内するだけあって、男だらけのむさい酒場ではなく、結構お洒落で…女性客が多い。
というか、客のほとんどが女性のみのグループで、それ以外もカップルの男女だ。
それとは反対に従業員は男性ばかりで、女給もいるがスカートではなく給仕と同様の格好をしている。
なるほど、こういう店か。
室内を見渡している間にも、給仕を呼んだナターシャが次々に酒と料理を注文していく。
酒はボトルで頼んでいるので、最初はこれで乾杯するのだろう。
「結構お洒落なお店ね。」
「ええ、侍女や女中たちに人気の店ね。まぁ、下級使用人の稼ぎじゃ滅多にこれないだろうけど。」
「はー、私じゃ独りで飲ませてくれる店は少ないから、こういう店は初めてね。」
飲酒に年齢制限がある国もあると聞くが、幸いこの国にはない。
しかし、支払いができるか怪しい年齢に見えるマリエルに酒を提供する店は少ないだろう。
あったとしても、一杯ごとに支払いを求める安酒場ぐらいだが、そんな店では今度は身の危険がありるので出入りはおすすめできない。
「マリエルは結構飲むの?」
ナターシャが尋ねるが、それは私も聞きたかった質問だ。
「甘いのを少しだけね。辛いのや苦いのは嫌いよ。」
不貞腐れたように答える。
そんな酒で、酷い目にあった事があるのだろうか?
「だったら大丈夫そうね。注文したのが…来たわね。」
給仕が持ってきたのはハムやチーズなどのつまみに人数分のグラス、そして蜂蜜酒の瓶だった。
これなら甘いから大丈夫ね。
「蜂蜜酒なら…想像よりもあっさりしてるけど、風味は甘いから安心して。」
その間にも、給仕がそれぞれのグラスに酒を注いで行く。
そういえばヴァレリーに来る途中、メニルで飲んでお土産にも買ったなと思い出す。
あの頃はまだアンジェルとも出会う前だった。
酒を注ぎ終わった給仕が卓を離れると、それぞれがグラスを持つ。
「さて、今日集まったこの三人の関係が、『最古の酒』蜂蜜酒よりも長く続くものになりますように。そして、その関係が蜜月と成り得ますように…。」
成程、それでそれでこの酒か。
「そしてユーリア、ようこそヴァレリーへ。乾杯!」
「「乾杯!」」
3人がグラスを掲げて、歓迎会が始まった。
蜂蜜酒、美味しいですよね。
ハニーワインというだけあって、白ワインのような口当たりで、ほんのり甘くて飲みやすい。
自分はワインは苦手なんですけど、Amazonで買ってちびちびやってます。
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