2-11 侍女と鑑定書と魔術実験
神暦720年 王の月20日 闇曜日
「さて、お主がワシに師事するにしても、金の話はきっちりとせねばな。」
ソファーに座り直したカロン殿が口を開く。
そっか、氷血華の話がまだだったか…できれば弟子入り前に済ませたかったが。
呼称に関しては…『お師匠様』では対象が2人になるし、このままにしておこう。
「はい。マリエルの話では、相場価格で…との事でしたが?」
「うむ、無論じゃ。弟子だからといって値切ったりはせん。支払いは翌々月になるが、大金貨で18枚でどうじゃ?」
それを聞いて、安心する。
ほぼ相場どおりだ。
「勿論、支払いが遅れる分は、その分対価を払おう。とりあえずは…」
と、そこで部屋の扉が叩かれた。
カロン殿の返事で扉から入ってきたのはマリエルだった。
「お師様、ユーリア…様よりお預かりした剣の鑑定書ができました。」
部屋の扉前で一礼しながらマリエルが言う。
その途中でこちらに気いて、様付けをしたようだ。
「おお、丁度良い所に来た。今、鑑定書について話をしておった所じゃ。見せてみぃ。」
その言葉に、頷いたマリエルは、カロンに鑑定書の羊皮紙と、『凍える大河』を手渡した。
…が、その目は眠たげで、足取りも少しふらついている。
「ふん、無理はするなと言った筈なのだがのぅ…まぁよい。報告書の評価についてはまた後日言い渡すが、とりあえず茶を入れとくれるか?」
カロンの言葉に頷き、隣室へ向かうマリエル。
その背にカロンが声を掛ける。
「そうそう、ユーリアはワシに師事する事になった。正式な弟子ではないが、まぁお前の妹弟子のような物じゃな。面倒を見てやれ。」
それを聞いたマリエルは一瞬足を止めるが、そのまま隣室へと歩いていった。
だが、隣室へと続く扉が閉まる前に、『よっしゃ!』といった乙女にあるまじき声が聞こえたような気がした。
それをやれやれといった感じでため息をつきつつ見送りながら、カロンは手元の羊皮紙に目を落とす。
「今夜は街に繰り出すのじゃろう?まったく、あんなにふらふらでは碌に遊べもせんじゃろうに。」
「初めて任された鑑定の仕事だと、はりきっていましたから。私からも急いでいないと伝えたのですが。」
「ふん、意気込みすぎて日々の課題に支障をきたしては本末転倒じゃというのにのう。鑑定書は及第点でも、そっちはまだまだじゃな…。」
鑑定内容を確認し終えたのか、そう言って丸めた羊皮紙を渡してくる。
「手渡しじゃから、封印とかは省くぞい?支払いの遅れの分は、それも含めて鑑定書を2枚つける。もう一枚のほうがより正確じゃからな。あとはまぁ授業料の一部として納得しとくれんかのぅ?」
「はい、それで構いませんが…鑑定書は1枚で十分では?氷血華に関しては、後ほど届けますが…。」
あんまり欲を出してもいい事もなさそうだし、それに当分はお金にも困らないだろう。
「まぁそう言わずに、受け取っておく事を薦めるぞい。授業料の後の分は、時々課題などを出すのでそれを受けてもらいたい。何、侍女の仕事に影響は出ないようにするから安心せい。まぁ別に、品納でもかまわんのじゃがな…氷血華、まだ持ってるのじゃろう?」
そう言って、ニヤリと笑うカロン殿。
「まぁ、それは冗談じゃが、それでも良いとは思うがな。しかし、お主のような若い娘があのような物、どこで手に入れた?金持ちのボンボンにでも求婚でもされたか?」
氷血華の花束で求婚でもされたら…その見た目からいって、身持ちの軽い女ならあっさり受け取りそうなものだが、生憎と自分だったら怖くて受け取れないだろう。
まぁそれとは別にして誤解は解いておくか。
「ブリーヴ伯と個人的なつながりがありまして、奥様から5本頂き、そのうちの1本は開花後にお返しする約束となっています。」
その言葉に、カロン殿は顎鬚を扱きながら思案顔となる。
「うむ、そうか…じゃったら手放す際には一声かけてくれんかのう?イーリアもそうじゃったがお主も駆け出しにしてはかなり魔力が大きいようじゃ。おそらく良質の種子が取れるじゃろう。その分、時間がかかるかも知れんがな。」
ふむ、別にそれでもいいか?
こちらとしては、花が咲いてそれを楽しめれば十分だ。
だからといって、捨て値で処分するつもりもないが。
「後は、伝で安く手に入るのであれば、買わせて貰うので何とかならんかのう?あれはブリーヴのリース家でしか採れんから、市場の流通量を完全にコントロールされておる。王都の魔導学院には毎年規定量の割り当てがあるし、貴族付きの魔導師でも手に入らん事はないが、いささか懐に厳しい。そうじゃ、授業料代わりとしてまずは紹介状を書いてもらって安く手に入るように…。」
自分の考えに興奮したカロン殿が、テーブル越しに身を乗り出して迫ってくる。
いや、さすがに奥様にご迷惑をかけるわけには行かないし、そんな事をすれば確実に私の評価が落ちる。
今後もマリオンやジョゼとは親しくお付き合いして行きたいのだが…。
「お師様、落ち着いて。ユーリアが困ってる。」
そこに、お盆の上に茶器やポットを乗せたマリエルが入ってきた。
彼女はテーブルの隅にお盆を載せてから、テーブル上に積み重なった書類を纏めて持ち上げワゴンの上に積み上がった本の上に重ね、テーブルの上に茶を注いだカップを並べる。
「それにユーリアは意外と人間関係の執着心が薄い。面倒になったらあっさり切られる。」
そう私を評すマリエル。
んー、自分ではそんなつもりはないのだが、それでもこの状況ならそうするだろう。
あと眠い所為だろうか?
妙に言葉が短い。
「確かに、リース家にご迷惑がかかるようであれば、師事することについても再検討する必要があります。」
魔術戦闘は魅力だけど、リース家に迷惑をかけてまで学ぼうとは思わないし、案外お師匠様ならある程度のノウハウはありそうだ。
「それに安く手に入るように働きかけるにしても、支払いの当てはあるのですか?」
私の言葉に、カロン殿が言葉に詰まる。
確かに、『分かりました、安く譲りましょう。氷血華の枝10本を大金貨150枚、即金で。』などと言われても、購入できるはずもない。
「うむ、チャンスだと思ったのじゃがな…貧乏は厳しいのう。」
そう言ってうなだれるカロン殿。
いい年をした老人が打ちひしがれているというのは、傍から見ていても哀愁を誘う。
「まぁ次に必要となるときには花も咲いているでしょう。そのときには師弟価格でお譲りしましょう。」
見るに見かねて私がそういうと、カロン殿は満面の笑みで振り向いた。
「おおっ、そうかそうか。お主を弟子にして正解じゃった。次も頼むぞ、ユーリア。」
そして私の手を取って大きく上下に振るカロン殿。
…あれ?言質取られた?
「さて、もう一通の鑑定書じゃが…どこだったかのう。」
先ほどの打ちひしがれた姿はどこへやら、元気溌剌と言った感じのカロン殿は、自分の机の上を漁っている。
尚、お茶を出したマリエルはカロンの『そんな体調では仕事にならん。今日はもう上がって街に繰り出す前に一眠りしてこい。』との一声で自室に戻っている。
「カロン殿、既にマリエルの鑑定書をもらったのでこれ以上は必要ないのでは?」
「いや、確かこの辺に…おおっ、あったあった。」
そう言って持ってきたのは随分と古ぼけた羊皮紙だった。
「ですから、マリエルの鑑定書があると…。」
「いや、まぁ見てみぃ。」
そう言って渡された羊皮紙を、しぶしぶ開く。
随分と年季の入った…鑑定書?
数日前に依頼したのに、何でこんな古い羊皮紙に書く必要があるのだろう?
そしてそこには書いてあった鑑定内容は以下の通りだった。
---------------------------------------------------------------------------------------------------
銘:氷の大河
作者:不明。作銘無し。
作成地 :不明。大戦期作と伝わる古作剣と共通の作風が見られるが、詳細不明。
作成年代:大戦期前後と推定される
魔術効果
抜刀時:冷気属性、水/冷気属性強化、冷気ダメージ、
変生 :冷水の泉
付与 :氷河の刃
攻撃 :氷の瀑布
攻撃 :氷の奔流
特殊 :氷系の付与魔術による魔術効果の発動
特殊 :炎系の付与魔術による魔術効果の封印
備考:刃渡り20インチ(50cm)、柄の長さ8インチ(20cm)、両刃の直剣
通常より長い柄は『氷河の刃』使用時の操作性向上のためと思われる。
剣身と鞘の補強に白銀鋼を用いる。
刀身と柄頭には瑠璃による装飾があるが、この装飾部分を含め全体が酸に耐性を持つ。
以上を鑑定す。
鑑定者:デファンスのイーリア
----------------------------------------------------------------------
羊皮紙を持つ手が震えた。
これは…この鑑定書は、お母様が作成したものなのか
何ということだ…この鑑定書の価値は私にとって計り知れないものだ。
そう、氷血華の残りをすべてなげうってでも手に入れる価値があるほどに。
「その鑑定書はな、ここに来たイーリアにその持ち物であった魔剣を鑑定させたものじゃ。まぁ用紙の大きさを間違えて、署名欄の上に隙間が出来ているのはご愛嬌じゃな。」
私はカロン殿に視線を向け、そして口を開こうとするが…言葉が出てこない。
しかし彼は分かっているというように頷くと、再び口を開く。
「ここにはイーリアの書いた本や書類がいくつもある。生憎と20年の間に繰り返された持ち出しや移動、整理によって在処はバラバラになっておるが、この屋敷の中にもまだまだあるはずじゃ。幸いお主には3年の時間がある。ゆっくり探しながら多くを学ぶのがよいじゃろう。」
「はい、そう…いたします。」
カロン殿の言葉に、鑑定書を胸に抱きしめた私はゆっくりと頷いた。
「さて、話については大方片付いたと思ったが…後は何かあるかのう?」
とりあえずはこれ以上の話はなかった…と思ったら1件あったか。
まぁ後日でも構わないとは思うが…。
「カロン殿、実はお尋ねしたい事があります。この剣は最近使うようになったのですが…。」
そして私は、この剣を使用した際の意識と動きの鋭さと鉄剣を使った際の鈍さ、そして剣先の感覚的な距離などについて話した。
また、それを小父上に相談した所、カロン殿に尋ねる事を薦められた事も。
カロン殿は顎鬚を扱きながらそれを聞き終えると、深く頷いた。
「うむ、恐らくはアルノルス殿の考察の通りじゃろう。検証の手段についても当てがあるので、ワシに尋ねて正解じゃ。ちと待っておれ。」
そう言って隣室に消えるカロン殿。
そのまましばらくの間ごそごそやってから、小箱を持って戻ってきた。
「すまんのう、探すのに手間取った。まぁ見つかって良かった。見つからなかったらマリエルに尋ねる事になるからのう。」
さすがに寝付いたばかりであるマリエルを起こすのは気がとがめるから止めて欲しい。
それなら喜んで後日に回すから。
「さて、検証は簡単じゃ。この小箱の中には、各種金属のサンプルとして同質量のコインが入っておる。それを弾いて、飛び具合で確認してみれば、恐らくはっきりするじゃろう。」
そう言って取り出すコインは、銅の赤や鋳鉄の黒、銀や金など様々に彩られていた。
「とりあえずは…こんな所かのう。」
そう言って取り出したのは、銅に鋳鉄、銀と魔法銀のコイン。
「鉄、銅、銀、魔法銀の順番でコインを握ってから弾いて、最後に鉄でもう一回じゃ」
カロン殿に言われるままに、まずは鉄のコインを握り、少し待ってからソファーに座ったまま握り拳の親指に乗せて天井に向けて弾く。
コインは放物線を描き、天井から2キュビット程度まで昇った後、床のじゅうたんの上に落ちてくぐもった音を立てる。
「大体そんなものか…。」
カロン殿に頷きつつ、失くさないように落ちてきたそれを目で追いかけ、転がった先で拾い上げてからソファーに戻り、次のコインを取る。
次の結果も同程度、やや弾くのにも慣れたような気もしないでもないが、天井に届くことなく落ちてきた。
「やはりその程度か。まぁ、鉄も銅も魔力伝導率は大して変わらんからな。さ、次じゃ。」
そして3枚目、私が弾いた銀のコインは、天井ぎりぎりまで弾かれるとそのまま落ちてきた。
惜しいな、あとちょっとだったのに。
「うむ、先程よりかは飛んだのぅ。まぁ銀が魔力伝導率に優れているといっても、魔法銀に比べれば大したことはない。さ、本命の4枚目じゃ。」
カロン殿に頷き、じっくりと気合を込めてから弾かれたコインは勢いよく天井に当たって、反射角に軌道を変えて部屋の隅に転がっていく
「ほっほ、やはりそうか?さ、次はもう1回鉄じゃ。」
カロン殿はすっかり実験を楽しんでいるようだが、こちらはそうではない。
落ちたコインはどこ行った?
床を這いずり回ってコインを見つけ、ソファーに戻る。
そして鉄のコインを握り、力を込めて天井に弾く…と、先程よりも高く上がったが、それでも天井まで1キュビットほど届かなかった。
「さ、これではっきりしたのう。やはりお主は魔力伝導率の高い金属と相性がよいようじゃ。」
カロン殿が楽しげにのたまう。
やはり学者であると、こういった実験には心が躍るのか?
「今まではそんな事を感じたことはなかったのですが…。食事中に銀のナイフを使っていても、感覚が鋭くなる事もありませんし。」
「それはなんとも言えんが、食事中に全力でナイフを扱う者もあまりなかろうて。あるいは、魔法銀の純度の高い剣に触れて何かを掴んだのかも知れん。ま、感覚の違いには、意識の方を慣れさせる以外に方法はなさそうじゃの。あとは…そうか、試しに鉄のコインと魔法銀のコインを握った場合に、格闘…拳闘の動きがどうなるか試してみるのじゃ。」
カロン殿が身を乗り出してこちらに指示をしてくる。
ちょっと鬱陶しいと思わなくもないが、面白そうである事も事実。
まずは鉄のコインを握って、宙に向けて拳を打つ。
拳闘については正式に学んだ事もなく、デファンス騎士隊での隊員たちが行っていた物の見よう見まねに過ぎない。
2度、3度とジャブを放ち、フック、アッパーと繋げてみるが動き的には普段通りで特に変わった事も無い。
そして次に魔法銀のコインを握ってみて…ジャブを放つと、その拳の軽さに驚く。
おお、これは初めて『凍える大河』を使ったときの感覚にそっくりだ。
こっちのほうが『凍える大河』の白銀鋼よりも魔法銀の純度が高いから当然か。
そのままフック、ストレートと繋げるが、やはりコインを握ったほうの手だけ動きが速く、もう片方は酷くゆっくりだ。
「もう片方にはこれを握ってみるのじゃ。」
そう言って投げ渡される1枚のコインを受け止める。
手にとって見れば、魔法銀よりも比重が大きいのか1周り小さめで所々に結晶質が見て取れる。
「結晶鋼じゃ。魔法銀よりも魔力伝導率に優れる。ほれ、やってみい。」
カロン殿に急かされるまま、身体を動かす。
うわ、魔法銀のときも速かったが、こちらはそれ以上。
握ったのが左手だったが、利き腕の右よりも早く振れている。
「これは…凄いわね。」
「うむ、これではっきりしたのう。恐らくは魔力伝導率が高い素材の装具を使うことで、動きがよくなるようじゃのう。魔法銀や白銀鋼が望ましいが青鉄鋼や銀でも効果があるはずじゃ。それらの素材で篭手や脛当を作れば、少なくとも四肢の部分までは素早く動かせるはず…しかし、よくよく考えてみれば人族としては随分と特殊な体質をしておるのう。森妖精の一部にこのような体質…魔力特性を持つものがおるとは聞いていたが…これもイーリアから継いだ血かのう。」
多少興奮から覚めたのか、大きなため息と共にぼやくカロン殿。
「うむ、非常に興味深い研究内容ではあるが、研究対象がユーリアであるのがのう。デファンス伯やレイシェル殿を敵に回すのは御免じゃが、それでも尚興味深い…。」
そう呟いた後も、ぶつぶつと呟き続けている。
「うむ、まぁよい。それについてはこれから考えるとして、ほかに何かあったかの?」
個人的には研究対象になるのは真っ平御免なので、そのまま諦めて欲しい。
「いえ、今のところは何もなかった筈です。」
「うむ、そうか。では、これからは気が向いたらこの部屋を訪ねるといい。氷血華については、マリエルに渡しておいてもらえばよいし、研究室や書庫の合鍵もそのうちに届けよう。さて、街に繰り出すにはまだ少し早いと思うが、どうするのじゃ?本でも見ていくかね?」
「いえ、一旦部屋に戻ろうと思います。」
「そうか。ではまたな。」
「はい、いずれまた。」
そう挨拶を交してカロン殿の下を辞し、部屋に向かった。
私も街に繰り出す前に、軽く一眠りしておきたい。
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
ご意見、ご感想などありましたらお気軽にお寄せください。
評価を付けていただければ今後の励みになります。
誤字脱字など指摘いただければ助かります。