2-10 侍女と老魔導師
神暦720年 王の月20日 闇曜日
食堂で騎士団の団員達に囲まれ、代わる代わる質問攻めにあっていた私であったが、第一騎士隊の昼休みが終わりに近づき、彼らが席を立ったタイミングでやっと解放される事になった。
まだ他の隊の連中が残ってはいたが、こちらも用があると言ってお暇した。
助かった…食事に訪れた屋敷の使用人たちの『さっさと退きなさいよ』といった感情が込められた視線が幾度も私に突き刺さり、また咳払いによる抗議や『あら、今日は混んでいるのね』といったこれ見よがしな会話に晒されていたのだ。
それに騎士達の顔と名前を大体は覚えたつもりだったが、これ以上は記憶の整理に時間が欲しい。
年配の騎士達はこちらの騒ぎに参加していなかったので大体30人程度か。
まぁ従騎士を除いた正騎士の約半分…意外と妻帯率は低いのだろうか?
尚、騎士隊は一隊に付き隊員は正騎士40人に従騎士15人程度。
騎士団全体では220人程度となり、衛士も同程度だ。
あとは水軍をあわせた人数がこの町の常備戦力となる…が、水軍の規模についてはよく分からない。
この食堂の利用者に水軍っぽい人たちを見かけないし、おそらくは水軍は専用の食堂を使用しているのだろう。
まぁ、城砦の向こうの水軍砦から一々こちらに通うには距離もあるし、仕事柄服装もこの屋敷には似つかわしくない。
騎士達の話からすれば多少の反目や縄張り争いみたいなものもあるようだ。
尚、テオはグループの端に座り、私との会話に参加する事はなかったが、こちらの話には耳を傾けているようだった。
「じゃぁね、お嬢様。またねー。」
テオたちのグループのお調子者、ポールが手を振って、一団が食堂から出て行く。
私も話疲れを顔に出さないようにしながら、それに手を振った。
「大人気だね、お嬢様。」
声に振り向けば、そこには従者のニコルが立っていた。
「物珍しさかしらね…質問攻めと自己アピールばっかりで疲れたわ。」
私がしみじみとぼやくと、彼はその甘いマスク…というよりかわいい顔に笑顔を浮かべる。
「あはは、まぁ所詮は騎士団だよね。よってたかって全員で質問攻めにするようじゃ駄目駄目、誰かしらストップをかければ高印象を与えるチャンスだったのに。」
意外と女の子の扱いに手馴れている。
そういえばコイツの事はドンファン気取りとかナターシャが言っていたな…。
「いいの?そんな手の内ばらして。」
「まぁさすがにお嬢様に手を出すと、お遊びじゃ済まないからね。それにテオも目を光らせてるだろうし…けど、他の娘には広めないでよ?あ、そういえば聞いたよ、テオを打ち負かしたんだって?」
話が早いな。こっちの輪に参加していなかった団員から聞いたのだろうか?
「まぁ運よくね。けどギリギリだったわ。」
「へぇ、凄いね。従騎士の中じゃ、トップクラスの腕なのに。けどあいつは、まだまだ上が居るのに自分の才能を鼻に掛けてる所があったから、いい薬になったんじゃないのかな?」
まぁその鼻をあかせてやったのだから、達成感がある。
「あと、今夜は街に繰り出すんだって?繁華街なら問題ないとは思うけど、夜道には色々と気をつけなきゃ駄目だよ?女の子なんだから。」
ホントに話が早いな!
「どこから聞いたのよ…まぁ私の腕なら大丈夫でしょ。あと、騎士団の連中には内緒よ?押しかけられても困るわ。」
さすがに団員に囲まれては女子会どころではない。
彼らと酒を飲むのもそれはそれで楽しそうだが、今日は勘弁願いたい。
「うん、了解。店はどこ?港側の店なら、あまり団員は立ち寄らないけど…女の子向けの店は少ないかな。」
「さぁ、ナターシャの行きつけの店らしいけど…良くは知らないわ。」
私の言葉に、彼は視線を宙に向け、記憶をさらっているようだ。
「だったらあそこかな…まぁ表通りじゃないけど、人通りもあるし明るい健全なお店だよ。けど色々と男が寄ってくるかもしれないから、酔いつぶれてお持ち帰りとかされないようにね。」
そう言ってから、彼は仕事に戻っていった。
さすが、ドンファン気取りと言っていただけあって、それなりに女の子の機敏に敏いようだ…私がそれに含まれるかは疑問だけどね。
さ、午後は約束もあるし、部屋に戻って着替えてから行くとしますか。
部屋に戻ると、ニヤニヤと笑みを浮かべたナターシャに迎えられた。
「お帰り。大人気だったわね。」
ベッドの上で本を開いていたナターシャがのたまう。
「見てたんなら助けてよ…。」
大きくため息をつきながら私が抗議すると、彼女の表情が意外だといったものに変わる
「あら、ちやほやされて楽しんでいたんじゃないの?」
「そんなわけないでしょ。そりゃぁ、仲間として迎えてくれるなら悪くはないけど、ああいう風にがっつかれるのは疲れるわ。」
ナターシャと会話をしながらも私は衣装棚を開いて鎧下と皮手袋をハンガーに吊るす。
「まぁ女騎士は珍しいからね。1年ぐらい前までは1人居たけど、結婚して出て行ったし…あとは偶に王都や他から修行で来るのが居るくらいで。」
やはり重装の騎士は女には厳しい職業か…冒険者のほうがまだ女性比率は多いか?
「王族付きの護衛とかだったら、女騎士の需要もあるんだろうけど、貴族のお嬢様だと訓練を受けた侍女か従者が精々だからね。」
男所帯の騎士団に女騎士が混ざれば、それなりに気を使うし色々と厄介ごとの種は増える。
お金のある王都の近衛騎士団では女騎士だけで構成される隊があるが、他では望むべくもない。
母上の存在がデファンスで許されたのは、領内での騎士の名家の出自と質実剛健のヴィエルニ家の家風故か…。
「あんなのをぞろぞろ連れていたら、他の侍女に目を付けられそうで怖いわ。」
「まぁ、そのうち減って行くわよ、珍しくなくなれば。」
「だといいんだけど。」
格好はこのまま、シャツとズボンでいいだろう。
姿見で一通り身嗜みを確認する…うん、問題ない。
「午後は…マリエルとなんか約束してるんだっけ?」
「ええ、彼女のお師匠様のところにね。氷血華の代金の事も含めて、挨拶に。」
「ああ、そんな事言っていたわね。あの魔導師、たまにしか見ないけど、結構偏屈そうな顔つきをしているのよね…言いくるめられて値切られないように気を付けなさいよ?」
「マリエルが言うには、金払いはしっかりしているそうだけど…気を付けるわ。ありがとね。」
私は心配顔のルームメイトにそう答えると、そのまま部屋を出ていった。
タレイラン家付き魔導師、カロン・パゴーの研究室件居室は執政館の1階、南側にある。
使用人棟への通路の間、執務室の丁度真下だ。
と、聞いてはいたものの通路に挟まれた部分には扉がいくつか並び、それには特に部屋名などは見られない。
それぞれの扉の違いは、2つは同じものだが残りは大きな扉と重厚な扉だ。
そのどれにもノブには鍵穴が付いているため、それで判別することもできない。
さて、都合よく通りかかる使用人もなく、このまま扉の前で立ち尽くしても始まらない。
おそらく普通の扉は誰かの居室、片方は多分マリエルのかな?
あとの扉だが、どちらかがカロン殿の部屋の筈…とりあえずは重厚そうな扉から行ってみるか。
私は扉の前に立ち、軽くノックをするが…返事はない。
仕方がないので、ノブを回してみると…鍵はかかっていないようだ。
ふむ、ならば開けてみるか。
「失礼します。」
私は声をかけてから扉を開けて、部屋の中を覗く。
その部屋は部屋の壁、そして部屋の中にも本棚が立ち並び…書庫か?
そして部屋の中では、茶色いローブを着た1人の老人が、本を片手に放心したようにこちらを見つめていた。
「はっはっは。いやー、それにしてもびっくりしたわい。」
ローブ姿の老人が、禿げ上がった頭をぺしぺしと叩きながら言う。
今居る場所は先ほどの部屋の並び、大きな扉の部屋…カロン殿の居室件研究所だ。
壁際の本棚はおろか、机や箪笥、片机やどこから持ち込んだのか配膳用のワゴンの上にまで積みあがる本の山の中、奇跡的に書類程度しか積みあがっていないソファーセットに座り、カロン殿と向き合っていた。
「一瞬イーリアと見間違えてな、彼女があの世から迎えに来て、これから未来永劫イーリアに小言を言われ続ける地獄に落とされるかと思って肝を冷やしたわい。」
目の前で大笑いしている小柄な老人が、タレイラン家付きの筆頭魔術師にして魔導師、カロン・パゴーだ。
だが意外とその足取りはしっかりしたもので、背筋もピンと伸びている。
「それにしても似ておるのぅ。イーリアに比べて多少細身なのは剣を振っておる所為かの。」
「!?カロン殿、私の事を聞いておられるので?」
「ん?ああ、レイシェル殿からな。女だてらに剣を振っておると…外見はイーリア、中身はレイアの若い頃にそっくりじゃな。」
この人もお母様の事を知っている…その事が嬉しいが、比べられるのは小っ恥ずかしい。
「後はあれじゃ、レイシェル殿からはお主が魔術の修行をサボらぬ様に見張ってくれと頼まれておる。…彼女が言うには、母親に劣らぬ才を持ちながらも今一つ真面目に取り組まんとの事じゃったが…。」
そう言いつつ、こちらを試すように睨むカロン殿。
その眼光は鋭く、さすが大貴族家付の筆頭魔導師まで上り詰める人物だと感心すると共に、彼の視線を正面から受け思わず身を竦めそうになるのをぐっと堪える。
やがて彼は眼光を穏やかなものにすると、にやりと笑った。
「はは、多少の小言など言われ慣れているということか。肝も据わっておるようじゃな。まぁよい。親元を離れて羽目を外すのは若い者の特権じゃ。多少の事なら目こぼしもするし、何かあれば尻ぬぐい程度ならしてやろう。」
そこで大きくため息をつくカロン殿。
心なしか、その視線が柔らかなものになったような…。
「だからまぁ…休み毎とは言わんから、1巡りに1回ぐらいはこちらに顔を出せ。色々と書物も揃っておるし、手が空けば魔術の鍛錬も見てやろう。行儀見習いが終わり、どこぞの貴族に嫁ぐにしても知識は邪魔にはならんし、魔術もあれば色々と役には立つ。」
カロン殿…といえば、国内の魔術師であれば知らぬものが居ないほどの実力者であり、その名声は辺境でひっそりと暮らすお師匠様と比ぶべくもない。
そんな魔導師に指導してもらえるのであれば、それは滅多に無い機会ではあるが…剣術の鍛錬時間が減るのは嫌だなぁ…。
「それに、妹弟子ができるのはマリエルにとってもいい刺激になると考えておるのじゃが…既に鑑定に張り切っておる様にのう。…うん?あまり気乗りしないといった顔じゃな。ならば…そうじゃな。」
カロン殿は何か悪戯を考えたかのように口元を歪める。
「ワシは今ではタレイラン家付きの魔導師として知られておるが…若い頃は大陸中を渡り歩いておっての。まだ無名でパトロンもなく、研究のための資金や路銀の調達と、移動を兼ねるために冒険者としてよく商隊の護衛についておった。」
おお?
小柄で痩せた体つきの割には、動きがいいと思ったら…研究室育ちの純粋培養じゃないのか?
「そんな折に遺跡調査で立ち寄ったデファンスでレイシェル殿と知り合うての。色々と世話になり多くを教わったものじゃ。そしてその教わったうちのひとつが、杖と魔術を使用した立ち回りじゃ。」
魔術師、それもそれ専門の者は、魔術の焦点具として魔術紋を回路として埋め込んだ杖を使用する事を好む。
そしてその杖を通して、大地と大気から魔力を集め、より高い水準で魔術を構成し、その威力を高めようとする。
見習の魔術師は小さな短杖をつかって魔術の基礎を学ぶため、私も短杖を持ってはいるのだが…実家のクローゼットの中に置いてきた。
いや、短杖だと地面に突かない分、大気からしか魔力を集められないし、持ち歩くのが面倒だったから基礎を覚えて魔術が使えるようになってからはいつしか邪魔になり歩く事もなくなっていた。
持ち運びが邪魔なら、護符や指輪を加工して焦点具にするのが一般的なのだが…私は体質故か、体感的にあまり焦点具の優位性を感じられなかったので、結局焦点具無しで魔術を使っている。
「その後は自分でも研鑚と研究を重ねてな、やがて前衛でも後衛でも、乱戦でも戦える戦闘魔術師として冒険者の間では名を馳せたのじゃ。じゃが今では…老いによってこの身体は衰えたが、それでも日頃から鍛えてはおるし、知識と経験はまだまだ有用じゃ。どうじゃ、この老いぼれの技…学んでみんか?」
これは…非常に興味深い。
私としてはあまり杖術には魅力を感じないのだが、乱戦での魔術を用いた戦い方は、非常に惹かれる物がある。
現状、剣で斬りあっている最中に魔術を使用する隙など見出せるものではないので、それが出来るようになれば実戦でもかなり役に立つだろう。
「はいっ、是非とも…御教授願います。」
私は頭を下げ、提案を受諾する。
その返答にカロン殿の声が少し震える。
「おお、そうかそうか。ワシの弟子は独り立ちしたものも含めて十何人も居るが、みなこの技には興味を示さなくてのぅ。このままワシと共に消え去るのみかと諦めて居ったのじゃが…ワシにとっても嬉しい限りじゃ。」
席を立ち、私の前まで移動したカロン殿が、私の肩に手を置き頷いた。
この日、正式に弟子入りしたわけではないが、私はカロン殿に師事することとなった。
よくよく考えてみれば、お母様も私と同じで、お師匠様とカロン殿に師事していたのだ。
後日その事に気づいた時、20年近い月日とそれを超える人の縁に軽く眩暈を覚えつつも、その先に未だお母様が存在するような気がして独り喜びに打ち震え、彼女の偉大さを改めて思い知るのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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