2-05 侍女の仕事始め
神暦720年 王の月19日 地曜日
「ユーリア、そろそろ時間よ。ユーリア!」
ナターシャに揺り動かされ、目を覚ます。
さすがに睡眠時間が短いだけあって、まだまだ眠い。
そういえば一昨日も夜更かしをしていたっけ…。
「ユーリア、今日は朝礼があるから…さっさと起きる!」
掛け声と共に掛け布団を引っぺがされる。
なんか、容赦なくなってきたわねー。
「おはよう、ユーリア。よく眠れ…なかったみたいね。」
ナターシャの視線をたどり自分の格好を見ると、外出着のままだった。
着替えずに寝てしまっていたか…。
昨晩用意した水差しで洗面器に張った水を使い、顔を洗う。
洗い終わると、先にそれを使用していたナターシャが窓を開け、洗面器の中身を外にぶちまける。
おい。
「随分と豪快ね。いいの?そんなことして。」
「下は花壇になってるから、これ位なら。さすがに汚物や飲み残しとかだと、常識を疑われるけど。」
確かに、外からは他にも窓が開く音と、水音が聞こえてくる。
「そろそろ迎えが来るはずだから…さっさと着替えましょう。」
そう言いつつ、寝巻きを脱ぐナターシャ。
私はそれをなるべく見ないようにしつつ、外着を脱いでお仕着せに身を包んだ。
また自分を見失っても困るし。
一通り身嗜みを整え、気合を入れるために両手で自分の頬を張った所で、部屋に控えめのノックの音が響く。
ちょっと力を入れすぎたかと、ひりつく頬をさすりつつ扉を開けると、そこにはお仕着せに青リボンを着けた女性…侍女がいた。
「奥様付侍女のユニス・バローと申します。ユーリアさんをお迎えに参りました。」
癖っ毛なのか、毛先が跳ねた銀髪を結い纏めた、眠たげな瞳の侍女…昨日、執務室の扉側にいた人か。
もっとも、口調ははっきりしているので、眠たげに見えるのは顔つきだけか。
「ユーリアです。よろしくお願いします。」
私は会釈すると、扉脇にかけてあった自分用の鍵を取り、お仕着せの隠しに入れて外へ出た。
すぐに背後から扉が閉まる音と、鍵を掛ける音が聞こえたので、ナターシャも部屋を出たようだ。
「私が貴女の先任となります。私の行儀見習い期間である1年後までに、貴女を一人前に育て上げなければ、安心してここを出て行くことが出来ません。奥様のため、私のため、貴女自身のために貴女の努力に期待します。ちなみに、一般の侍女は使用人朝礼には参加する義務はないのですが、本日は顔見せのため参加していただきます。まぁ、カスティヘルミ様は毎回欠かさず参加していますし、私達も可能な限り参加しているのですが。」
ユニスさんが道すがら説明する。
カスティヘルミ?
この国では聞かない、変わった名前。
隣国であるオウトライネン風の響きだ。
「イザベル奥様付の侍女は貴女を含めて4人、奥様付き侍女の筆頭でありこの屋敷の侍女長のカスティヘルミ様、経験二年の私、経験一年のパメラさん、新人の貴女になります。」
カスティヘルミさんだけ様付けか。
おそらくは行儀習いではない、職業侍女なのだろう。
「休暇はこの4人の持ち回りで行い、普段は3人、最低でも2人体制で職務に当たります。休暇は1巡りに2日…世間の侍女が1人体制でほとんど休みを取れないのに比べれば、このお屋敷の侍女は本当に恵まれています。順番はカスティヘルミ様、パメラさん、ユーリアさん、私となり、今日の休みはパメラさんとなります。貴女は明日が早速の休みのため、本日の研修は多少詰め込み気味に行いますので覚悟しておいて下さい。」
渡り廊下を抜けて食堂に入る。
朝礼の時間だけあって、まだ1刻(午前6時)前なのに食堂に人があふれていた。
百人以上いるか?
と、ユニスさんが立ち止まり、小声で囁く。
「カスティヘルミ様には隙を見せないようにして下さい。彼女の種族故か…非常に奔放な方なので。まぁ問題を起こすことは少ないですし、その後の対処も比較的楽なので大目に見られてはいますが…何かあったら私に相談を。」
種族?奔放?
詳しい説明も無しに色々とぼかされているのであろう忠告を受け、内容を今一つ飲み込めないままユニスさんに続き厨房側の最前列にいた人の後ろに並ぶ。
みな青いリボンをつけているので侍女の列のようだ。
先頭に立っていた人は侍女用のお仕着せに身を包み、緑がかった金髪を頭の上に結い上げていた。
そしてその髪の間からは、長くとがった耳が突き出していた。
森妖精っ!森妖精がいた!!
さすがヴァレリー、都会だわ!!
生憎とこれまでの人生で、知り合いに正体不明の妖精もどきはいても、森妖精はいなかった。
ユニスさんが小声で私を連れてきた旨報告し、その返事に耳をぴょこぴょこ動かしているのを見ながら、心の中でガッツポーズをとる。
と、列の前に男性使用人…家令のドミニクさんと同じ格好だがまだ若い…身形から言って執事か?が立ち、彼の挨拶と共に朝礼が始まった。
本日の予定、諸注意、挨拶の練習などのあとに、新人として私が紹介された。
前へと呼ばれ、一言挨拶をする。
「本日よりこちらでお仕えさせていただきます、ユーリア・ヴィエルニと申します。山出しの田舎者ですが、どうぞよろしくお願いします。」
背筋を伸ばし一礼するが、昨夜の件が広まっているのか、好奇心が混ざった視線を感じる。
さすがにひそひそ声は聞こえてこないが。
その後は列に戻り、何事もなく朝礼は終了となり、使用人たちは解散していった。
「ユーリアさん、自己紹介お疲れ様でした。本来であれば侍女や客間女中などの上級使用人は、筆頭以外は朝礼に参加する必要は無いのですが、可能であれば参加するようにしてください。」
朝礼後、列になっていた場所から壁際に移り、森妖精さんが言う。
振り向いて判ったのだが、彼女は眼鏡をかけていた。
大きなレンズが光を歪めてその瞳を大きく見せるため、彼女の印象をより知的に変化させていた。
「客間女中は筆頭のエリアさんだけでしたね。まぁ、あそこは人数が少ないから、後で伝えても手間はかかりませんが…。そう言えばこの前、エリアさんは部下達が話を聞いてくれないとぼやいていましたね。」
ユニスさんが口を挟む。
さすがに他部署の批判なので小声だ。
「確か客間女中は筆頭の家柄が一番低いのでしたね。家柄など、職務の上ではほとんど価値を為さない物ですが…嘆かわしい事です。おや、申し遅れました。私は奥様付きの侍女筆頭にして侍女頭を務めております、カスティヘルミ・アルフストロムと申します。オウトライネン首長国よりこのお屋敷へ行儀見習いに参って60年ほどになります。」
カスティヘルミさんが眼鏡の奥で目を細めてにっこりと微笑む。
60年!行儀見習いでありながらの大ベテランだ。
さすが森妖精、人間とはスケールが違う。
「お初にお目にかかります、ユーリア・ヴィエルニです。」
私は会釈をするが、顔を上げるとカスティヘルミさんは私をじっと見つめていた。
「私としてはあまり初対面とは思えないのですがね。イーリアがこの屋敷を去ってから、まだ20年程度しか経っていないので…それでもその娘がここまで大きくなるのですか。」
そうか、勤続20年以上の人なら、母様のことを知っているのか…。
「カスティヘルミ様、精一杯努めさせていただきますので、ご指導の程、よろしくお願いいたします。そしてもし叶うのならば、母の話を聞かせていただけると幸いです。私の物心ついた頃には、母は既に身罷られていたもので。」
個人的なことではあるが、反射的に願ってしまう。
だが筆頭はそれを咎めず、にっこりと微笑む
「ええ、構いません。古き友人について語らい、偲ぶ事は我々にとっても好ましい事。当時は彼女の早すぎる死を伝え聞き、人の命の儚さを嘆いた物でした。ですが彼女は貴女を残した。そして…。」
カスティヘルミさんは私に顔を近づけて、至近から私の目を見つめる。
「彼女と同じように貴女も精霊に好かれているようです。私は生憎と魔術は専門外ですが、精霊術であれば心得があります。望むのであれば、あなたにも手ほどきをいたしましょう。」
精霊術。
それは自然中に存在する万物の精霊に働きかけ、奇跡を起こす術だ。
大気中の魔力を己が魔力と呪文で思うままに作り変える魔術と違い、己が魔力を費やして精霊に働きかけ、事象となす。
口伝にのみ伝えられるため人間社会では廃れて長く、一部で細々と命脈を残すのみと聞くが、精霊と近しく長命な妖精族では一般的な魔法だ。
お師匠様からは知識として聞いてはいるが、精霊術を身につけようと思ったことはなかった。
まぁ、あの人なら精霊術の一つや二つ使えてもそう驚く事もないが、母上が精霊術を使えたといった話は初耳だ。
にこりと微笑むカスティヘルミ様。
その眼差しは、どことなく母上が私を見るそれに似ていたが、なんかこう…先ほどの忠告の所為か、それにねっとりとしたものが含まれているような気がしないでもなかった。
侍女の仕事は、仕える主人の生活に沿った物だ。
主人の生活がより便利に、快適に、不都合なく送れるように、影に日向に力を尽くす。
となれば拘束時間は長く、真夜中に用を申し付かる事も珍しくない。
それに過不足なく応える事が出来て、一人前の侍女となるのだ。
「奥様の起床時間は1刻半(6時半)頃。冬場は2刻頃と少し遅れます。朝食は3刻から御家族用の食堂で。その後わたしたちが交代で食事を摂ります。」
食堂から奥様の部屋へ移動する道すがら、カスティヘルミさんが説明する。
「この屋敷の住人の方の部屋は3階、奥様の部屋はその西側になります。ちなみに家令や家政婦、執事や魔術師の部屋は1階です。奥様の寝室の隣には侍女の待機部屋があり、夜通し控える場合こちらを使用します。仮眠は許可されていますが、熟睡して呼び出しに気づかない等といった事の無い様、注意して下さい。」
奥様の部屋の前にたどり着くと、丁度ワゴンを押した女中が現れた。
目覚めのお茶の給仕だ。
栗色の髪の癖っ毛の女中は、よく見れば昨日浴室に行くときにすれ違った娘だった。
その手元のワゴンのポットからは芳醇な香りが立ち上る…いい茶葉を使ってるみたいね。
香りから言って…赤茶かしら。
「とりあえずは、少し下がって一通りの流れを把握して下さい。細かい注意はまたあとで。質問もその時に。」
そう言ってからドアをノックし、一礼の後に部屋に入った。
「おはようございます、奥様。お目覚めの時間にございます。」
カスティヘルミさんが声を掛け、天蓋付きのベッドの脇に控える。
そしてその間にユニスさんがカーテンを開け、それを纏めていく。
私はそれを見ながら、頭の中で順番を確認していく。
下っ端の私が、当分は窓を開ける役になるのだろう。
その間に、女中がベッドの脇でポットからカップに茶を注ぐ。
と、ユニスさんが窓を開いた途端、一陣の突風が室内に吹き込んできた。
入ってきた扉が少し開いていたのか、どこかで開いていた窓まで風が通ったか。
その風はベッドの天蓋を揺らし、その飾紐が大きく揺れて女中の顔を打つ。
驚いた女中がポットを取り落とし…あ、ヤバい。
とっさにそれを受け止めようと飛び出すが、ふかふかの絨毯の所為で踏ん張りが利かない。
と、私がカスティヘルミさんの脇を通り過ぎた所で、私の耳が彼女の声を捉えた。
『―――風よ、我が命により、彼の物を受け止めよ。』
この大陸の東部を中心に使われ、我々も常日頃話すカノーヴ語。
その言葉は、カノーヴ語とは明らかに違う言葉であったが、何故か自然と脳裏に意味を成して響いた。
そして落下中のポットに駆け寄る私の目の前で、「何か」がふわりとポットを持ち上げ、姿勢を保ったままゆっくりとそれを床に下ろす。
それは風よりも透明度が低く、まるで意思を持った透明な水が動いたように見えたが、その動きは風そのものだった。
「大丈夫ですか?火傷とかしてませんね?」
ポットにたどり着いた私は、こちらを気遣うカスティヘルミさんに頷いてそれを拾い上げた。
特に割れてもいないし蓋も開かなかったので、絨毯にほんの少しお茶がぼれたのだけで済んだ。
そのこぼれた所も、女中が慌てて布巾で叩いている。
「それにしても、随分と身のこなしが軽いのね。驚いて目が覚めちゃったわ。」
奥様はこの騒ぎで目を覚ましたのか、枕に頭を沈めながらも、視線だけはしっかりとこちらに向けていた。
「本日より御仕えさせていただきますユーリアです。よろしくお願いします。」
奥様が起き上がり、ベッドの中で茶を飲み始めてから改めて挨拶をする。
ポットは落としてしまったが、その前に注いでいたものだ。
ちなみに女中は、おかわりを用意するために厨房まで戻っている。
尚、彼女の頤に手を添え、紐が当たった目元をじっくりと確認したところ顔が少し赤かったので、私のハンカチを魔術で冷やして持たせておいた。
それで冷やせば、すぐに目立たなくなるだろう。
「よろしくね、ユーリアちゃん。期待してるわよ?わからないことがあったら皆に聞いてね。特にカスティはこの屋敷一番のベテランだから、何でも知ってるわ。」
「はい、そのように。」
私は素直に頷く。
カスティヘルミさんには個人的なことまで色々と聞く事になりそうだ。
「彼女の母親は一時期魔術師修行の一環としてこの屋敷に滞在しておりました。私としては古い友人に再会したような気分で、これからの仕事も楽しみです。」
「あら、そうなの。けど、そんな娘いたかしら…その人も黒髪?」
カスティヘルミさんの言葉に、記憶を思い起こそうとしてその眉を歪める奥様。
「丁度、奥様が旦那様と共に王都の屋敷で生活されていた頃でしたので、面識はなかったかもしれません。」
それを聞き、安心したのか安堵の笑みを浮かべる奥様。
「よかったわ。物忘れが酷くなったのかと思って不安になっちゃったわ。」
そういって、ころころと笑う。
本当に、とても明るくて気さくな奥様だった。
読んでいただき、ありがとうございました。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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