2-04 侍女の眠れぬ夜
1-05の後書きに大陸の地図をリンクしました。
尚、話の内容により適時変更/アップデートされますのでご了承下さい。
神暦720年 王の月19日 地曜日
やってしまった…。
昨晩、入浴中に我を忘れた後、正気に戻ってから頭の中を占め続ける言葉だ。
いったい何回繰り返しただろうか。
一度眠りについてしまえばその間は慙愧の念から逃れられると思っていたが、訪れた夢見は酷い物だった。
寝汗にまみれて目を覚まし、一汗流そうとベッドから起き上がろうとしたところで、再び昨晩の失態を思い出す。
やってしまった…。
眠りに着く前と状況はまったく変わらず、そして浅くではあるが一眠りしたことで目が冴えてしまい、それ以降はまんじりとも出来ない。
仕方がないので、月明かりの下、ナターシャを起こさぬ様に気を使いながら、使い差しのキャンドルランプを手に取って寝巻きのまま廊下に出てみる。
思ったとおり、本数は減ったが廊下の照明はまだ点いていた。
どうやら廊下のランプは場所によりろうそくの長さが違い、時間により本数が減るようになっているようだ。
未だ点いているランプから手元に火をもらい、一度部屋に戻る。
音を立てずに動きやすい服に着替え髪を纏めてから、ランプと汗拭き用の布、刃入れされていない訓練用の長剣を手にとって部屋を出た。
夕方よりも暗くなった廊下を歩く。
渡り廊下から食堂に入り、城砦方面に折れる。
ここから先は未知の領域だが、現在位置と昼間に上階から見た城壁内の建物の配置を思い出し、練兵場への道順にあたりをつける。
まぁ、巡回中の衛士とかもいるだろうから、いたら適当に剣を振れそうな場所を聞くことにしよう。
さすがに不審人物として拘束されるような事は…ないといいな。
そう考えながら城砦への通路を歩くと、丁度屋敷と城砦との中間、城壁の辺りで通路が一部だけ広がっていた。
その部分の天井をランプで照らすと、明らかにそこだけ石材の質が違う。
これは…いざと言う時にこの通路を潰すための仕組みだろうか。
なんともまぁ…常在戦場なことだ。
城砦へ入り、最初の十字路に辿り着く。
四方を見回しても、手元の明かり以外は闇しか見えず、窓も塞がれているのか月光すら届かない。
と、前方から明かりが近づいてくるのに気いた。
丁度いい、ここで道を訪ねよう。
そう考えその場で待つと、カンテラを持った二人組の衛士が現れた。
「こんな夜更けに、何用ですか?」
衛士の一人が、気さくに尋ねる。
問いかけにも力みは感じられないが、咄嗟に対応できる程度の間合いは確保している。
一昨日も思ったが、この街の衛士はよく訓練されているようだ
「ちょっと寝付けなくて剣を振りたいんだけど、いい場所ないかしら?昨日お屋敷に着いたばっかりで、こっちのほうは不案内で。」
「ああ、そうですか。それでしたら、この先の広間を抜けた先に…」
と、そこでもう一人がカンテラを掲げる。
「おや驚いた。先日のお嬢様じゃないですかい。」
んー、顔に覚えはないけど、一昨日の衛士のうちの1人だろうか?
「ほれ、密輸船から逃げ出した船員が返り討ちにあった…。」
「ああ、班長が妙に興奮してた件か!」
ああ、そうだそうだと衛士二人が陽気に笑いあう。
というか、こんな時間に騒いで大丈夫なのか?
「おっと、失礼しやした。広間を抜けた先の右手に階段がありやすんで、それを下りてくだせぇ。
そうすっと右の突き当りが室内訓練場になりやすんで、そっちならこの時間でも思う存分剣を振れやすぜ。」
「明かりは消えてると思うんで、その時は点けてくださいね。あと、帰るときは忘れずに消しといて下さい。火の不始末があると巡回担当もどやされますんで。」
こちらが礼を言うと、軽く敬礼して二人は巡回を続けて行った。
さて、行ってみようかしら。
言われたとおりに進み、訓練場に辿り着く。
扉を開けると、室内ではあるが十分な広さがあり、一段低くなった床は土で固められて、壁には明かりが灯っていた。
そして室内に剣が空を切る風音と気合が響く。
こんな時間なのに先客がいたか。
室内に入り、鎖で吊るされた木人形の間を受け、先客の様子を窺う。
両手剣での変幻自在な連続攻撃、そこから繋がれるまったく同じ剣筋での瞬きする間の3連撃や、さらにそれの連続攻撃。
その盛り上がった筋肉、繰り出される速度から見て、手練れの剣士といえども暴風に晒される立ち木のごとく守りをはがされ、刃をその身に受ける事になるだろう。
正に二つ名に違わぬ剣捌き、『暴風のアルノルス』がそこにいた。
と、気配を感じたのか、連撃から最後に大きく振り下ろしたあとにぴたりと剣を止めると、こちらに振り返る。
そして驚きに見開かれた顔が何かを呟きかけるが、慌てて首を振る。
「違う、ユーリアか。驚いたぞ、こんな所に、こんな時間に!」
私は笑顔で会釈する。
「従兄妹伯父様、ご無沙汰しております。」
「ははっ、また大きくなったなぁ!2年ぶりか!!従騎士ジャリエからの報告は受けていたが、無事に着いておったようだの。」
ジャリエ…というとテオか。
「はい、昨日無事に到着いたしました。ご挨拶が遅くなり、申し訳ありません。」
うん、マリエルとの再会とかで、すっかり忘れていたわー。
けどさっきは、何を言いかけたんだろう?
4.5キュビット(1.98m)近い長身に鍛え上げられた鋼のような筋肉。
きっちりと刈り上げた短い金髪に、いかついあごを覆う顎髭からは、玉の汗が滴り落ちていた。
一通り挨拶や近況の報告などを済ませた後で、従兄妹伯父が布で汗を拭きつつ尋ねる。
「しかしこんな時間に素振りか?新しい環境で眠れんか?」
「ええ、なかなかに寝付けなくて…ここしばらくは鍛錬をサボっていたので、身体を動かせば寝れるかなと。」
寝付けないのはその通りだが、環境の所為じゃないんだけどね。
「従兄妹伯父様こそ、こんな時間まで鍛錬ですか?」
「昔のように『おじたま』で構わんのだがな。まったく、一人前に礼儀など覚えおって。」
そう言いつつにやりと笑う。
幼少のころといえば、ヴァレリー騎士団副長(当時)の従兄妹伯父とデファンス騎士隊副隊長の伯父上は私の中の英雄であった。
よく膝の上に座っては、おじたま、おじたまと話をねだったものだ。
「まぁワシは夜半までは書類相手の泥沼の撤退戦を繰り広げておっての、何とかそれを終わらせたものの疲れ果てて居眠りしていたのだが、変な時間に目が覚めてしまってな。」
頭を掻きながらばつが悪そうに言う従兄妹伯父…小父上。
「これだけは何時までたっても苦戦続きだ。まぁそれは置いておいて、身体をほぐしたら振ってみろ。剣を見てやる。」
そう言って、部屋の段に腰を下ろす。
小父上に剣を見てもらうなど、めったに無い機会だ。
私は頷くと、剣を壁に立てかけて早速柔軟を始めた。
柔軟を一通り終わらせて、練習用の剣を構える。
そして軽く息を整えてから上段に構え、素早く右前へ踏み込みつつ右上から左下に切り下ろす。
そして一歩下がりながら右へ払い、顔の右横で相手に剣先を水平に向け構えてから踏み込んでの突き、剣を合わせてからの周り込みで胴を狙い、さらにそこから相手の手を狙って切り上げて大きく下がり、八双に構えた。
だがそれはあまりにも遅く、剣が重い。
意識だけが先走り、呆れるほど遅く剣がそれを追従する。
ヴァレリーまでの旅の間は、実戦はあったが鍛錬は行っていなかった。
それがここまで身体を鈍らせるのか…いや、そうではない。
凍える大河を使っていたときは、そんな事はなかったはずだ。
それどころか、感覚は研ぎ澄まされていたのだが…それに比べれば今はもどかしいほどに鈍い。
「よく鍛錬している。さすが、あの跳ねっ返りの薫陶を受けるだけはある。その歳でそこまでの剣を身につけた者は、ウチの従騎士連中でもなかなかいないが…どうかしたか?」
思いが表情に出ていたのか、小父上がいぶかしむ。
「いえ、道中鍛錬を怠っていたので久々に剣を振ったのですが…自分ではやけに遅く感じられました。」
「ほう?」
「心は先走るばかりで、剣がまったく追いつかない…まさか此処まで鈍るとは思いませんでした。自分の怠け癖を悔いております。」
構えの状態からゆっくりと剣を振り上げ、振り下ろす。
余分な力は入っていないようだが…もう一度素早く振ると、やはりどうしようもなく遅く思える。
「ふん、そうか…だがひょっとしたら、それは精神が研ぎ澄まされた結果かも知れんぞ?」
「えっ?」
そんな短期間で、壁を越えるにも等しい出来事など…あ。
「剣が遅いと気づくためには、速き剣を知る必要がある。知っているからこそ、比べる事が出来るのだ。そしてそれは、剣が上達するための近道とも言える。何事も、目標が見えていればいないのに比べてそこに辿り着くのは早い。…あと思い当たる事といえば…最近、いい剣に触れたりはしなかったか?」
鼓動が大きく響く。
あの剣に触れたときもそうだった。
「旅の途中、ひょんなことから魔剣を手に入れました。今は鑑定のため他人に預けておりますが、その剣を振ったときには、あまりの剣の速さに、しばらくはこの目が信じられませんでした。小ぶりの剣故…とも思っていたのですが。」
「ほう、魔剣か…その歳で持つのもどうかとも思うがな。まあそれはいい。で、それは鋼鉄か?波紋鋼か?それに形状は?」
さすが騎士団長、そういうところに食いつくか。
「材は白銀鋼、形は長めの小剣…あるいは短めの長剣程度で、片手半剣並に長い柄を持ちます。」
「白銀鋼…短いとしても、正騎士といえどもそこまでのモノを持っているのは少ないぞ?」
確かに剣以外にも何かと入用な騎士の事だ。特別に裕福な家の出身でもない限り、剣にそこまで財を注ぐ事は難しいだろう。
「そうか、それであれば納得…いや、或いは。そう、聞いたことがあるか、ユーリア?森妖精の剣士達は、鉄製の剣を嫌い、銀や魔法銀、最低でも白銀鋼の剣を扱う事を。」
私は自分の記憶を漁る。
確か、屋敷の図書室にあった物語では、いつも森妖精は銀の剣か魔法剣だった。
「はい。御伽噺の森妖精は皆そうでした。生憎と森妖精の知人はいないため、正確な所はわからないのですが。」
「そうなのだ。彼らは鉄を嫌う…その理由は、鉄は魔力を通しにくいから…銀や魔法銀は鉄に比べ遥かに魔法適正に優れているからだ。魔力の強い森妖精が銀製の剣を使えば、その魔力は剣先まで行き渡り、より軽い鉄の剣に比べても数段早く剣を操れるのだ。また魔術などの才を持つ人間も同様で、イーリアなども…そうか、イーリアか!思い出したぞ?」
「小父上…母様をご存知なのですか?」
「それはそうだろう。従兄妹の親友で、短かったとはいえあの者はヴァレリーで学んでおった。」
「母様が…この街に?」
「そうだな、丁度おまえぐらいの歳に、カロン殿の元で2年ばかりな。同じ時期にレイアも騎士団で修行していて、何かと2人には世話を焼いたものよ。」
初耳だった。
母様はずっとデファンスにいたものだと思っていたが…そうか、母上と共に旅をしていたのだろうか?
「それでだ、イーリアも護身用と言って魔剣を一振り持っていたのを思い出した。剣の腕は並の従騎士程度であったが、それを継いだ…いや、ひょんなことから手に入れたと言っていたな。違う物なのか?」
母上の剣?
聞いたこともない。
あったとしても、父上が形見に持っているのではないか?
「それは…どのような外見で?」
「話にあったような小剣と長剣の中間程度。青い鞘が印象的な、白銀鋼の剣…。2人目が生まれたばかりの正騎士では魔剣なんぞ買う余裕もなくてな…。まぁ、その後実家の家督と家宝の魔剣を継いだのだが、当時はひたすらに羨ましがったものよ。」
まさか…あれは母様の剣だったのか?
「イーリアの血を継いでいるのであれば、白銀鋼との相性が良過ぎる所為で鉄の剣が遅く感じる可能性が高い。その辺は、カロン殿に尋ねれば詳しく検証が可能だと思うが、ワシとしては同重量の銀剣と鉄剣を用意して振り比べるぐらいしか思い付かんな。」
間違いないのか?
あの剣は…。
ということは、母上の剣を所有していた赤い髪の女が、それを私が滞在していた街の武器屋に、私が来店する直前にわざわざ売り払ったのか。
…お師匠様、何故素直に直接渡して下さらないのですか?
格安とはいえ、少なくない金を払ったのですよ?
それどころか、もし他人の手に渡ったらどうする積もりだったのですか!!
次々と明かされる事実。
その衝撃の所為か、小父上の話を理解はできるが今一実感が沸かない。
私が半ば呆然としていると、訓練場の扉が開かれ、先ほどの衛士達が入ってくる。
「お嬢様は…一休み中ですか?って、失礼しました!!」
室内に小父上がいることに気づき、慌てて姿勢を正し敬礼する。
「うん?おお、衛士がここに来ると言う事は…11刻の巡回中だな?」
「はいっ!お嬢様が素振りを行うとの事でしたので、火の元の確認のために立ち寄りました!!」
「もうそんな時間か。ああ、巡回ご苦労、火の元は私が始末するから先に行ってよろしい。」
「はっ、巡回を続行いたします!」
衛士達が回れ右をし、そのまま扉を抜けて外へ出て行く。
そして小父上はこちらに向き直る。
「もう11刻だ。色々思うことはあるかもしれないが、ベッドに入り軽く寝ておけ。何、寝付けなくとも身体は休まる。明日…もう今日か。今日からは覚える事も山ほどあるはずだ。そんなときに頭が動かないようでは研修にならんぞ?」
小父上の言葉に自分の状態を思い出す。
昨日の失態なぞ、遥か彼方へ吹き飛んでいた。
「あと、おまえの剣だが、距離を取ってからの踏み込みが甘い。最初の踏み足を足一つ分右にずらして、もう半歩踏み込め。あとはまぁ及第点だ。意識に剣が追いつくようになれば、一皮むけたと自分でも分かるはずだ。」
小父上の指摘に、無言で頷く。
たしかに、こちらが距離をとれば相手も間合いを変えてくる。
ならば今までの踏み込みでは足りなくなるし、相手が補足しにくいようにもう少し角度を取るべきか。
「…休みの日に気が向いたら、団の鍛錬に参加してみろ。騎士団は4隊に分かれて交代勤務をしているが、いつでも参加できるように各隊の隊長たちに話を通しておく。まぁ、奴らにもいい刺激になるだろう。」
これは元々こちらから頼もうと思っていた事だ。
話が早くて助かる。
「はい、よろしくお願いします。」
「次の機会には稽古をつけてやる。まぁ、楽しみにしておけ。」
にやりと笑う小父上に見送られ、訓練場を出る。
気がつけば、心は落ち着き、軽い疲れが身体にまとわり着いている。
時間はあまり無いが、寝床に入ればすぐにでも寝付けそうだった。
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