2-01 侍女と顔合わせ
今回から新章となります。
また、章分けと話数を振りなおしました。
神暦720年 王の月18日
ドミニクさんに続き、私は歩く。
この執政館は非常に大きな屋敷だ。
遠目に見たところ、横幅は3アルパン(106.5m)、奥行きはその倍ぐらいだろうか?
1パーチ(2.96m)程度の石垣の上に聳える建物自体は3階建てだが、屋敷の四方と南北の長辺の真中に一箇所ずつ物見のためと思われる4階部分がある。
正面からは見えなかったが、恐らくは使用人用の離れや洗濯場などが屋敷の後ろにでもあるのだろう。
その屋敷の玄関ホールから脇の廊下に出て、屋敷の隅の階段を上る。
ホールも同様であったが、廊下にも赤い絨毯が敷き詰められ、普通に歩く分には、埃一つ見当たらない。
これだけの広い屋敷をこの状態に保つには、よほどの労力がかかるだろう。貿易の拠点としての税収、穀倉地帯としての租税、タレイラン家の繁栄振りが窺える。
途中で幾人もの使用人とすれ違い、皆がドミニクさんに一礼する。
家令といえば、領地運用から家計のやりくりまで任される主人付きの使用人のトップだ。
おそらくは彼自身名家の出自か、タレイラン家の縁者なのだろう。
また彼自体、背筋の伸びた長身、綺麗に撫で付けられた白髪交じりの金髪と整えられた髭、意志の強そうな瞳だが、使用人たちに向ける眼差しはあくまでも優しげ…と非常に女性に人気がありそうな外見をしている。
と、すれ違う人の中に、見知った顔があった。
所々汚れたローブを纏い、本を何冊も抱えた彼女の顔を見るのはおよそ1年ぶりだったが、面影はまったく変わっていない。
というかほとんど成長していない。
驚いた顔をしていたが、お師匠様辺りから話は来ていないのだろうか?
3階まで昇ると再び廊下を歩く。
廊下は歴代の当主やその家族と思われる肖像画など美術品が並ぶギャラリーとなっていた。
その廊下を抜けて屋敷の一番奥、城壁側の部屋へ案内される。
ドミニクさんはその部屋の扉をノックし、内側から扉が開かれた後、一礼し用向きを告げる。
「デファンス伯が御息女、ユーリア様をお連れいたしました。」
部屋の中からの返事に、ドミニクさんが私に入室を促す。
それに頷き、部屋の入り口での一礼後に入室すると、部屋の奥には重厚な執務机が置かれ、その椅子には神経質そうな細身の中年男、さらに机の前の揺り椅子には、ドレスを着たふくよかな中年女性が座っていた。
神経質そうな金髪・カイゼル髭の侯爵とふくよかな銀髪…というよりも青髪の侯爵夫人。
そう聞き及んでいた風貌と一致するとなると、この二人がそうなのだろう。
執務机の上の盆と、揺り椅子の横にあるサイドテーブルには湯気の昇るカップが置かれ、テーブルの横にはポットを持った侍女が控えていた。
丁度休憩中だったのだろうか?
「デファンス伯が娘、ユーリア・ヴィエルニです。行儀見習いとして罷り越しました。」
私が名乗ると、侯爵(?)が軽く居住まいを正し、机上で両手を組む。
そして軽く息を吸い込むと、
「まぁっ、貴女がユーリアちゃんなのね!遠い所からよく来てくれたわ!大丈夫?疲れてない?あらあらあら、聞いてはいたけど、本当に凛々しい貌をしているのね!それに背も高くて、背筋もぴっと伸びて、すごく映えるわ!!それにしてもなんて綺麗な黒髪!でもデファンスは北の領地よね?ひょっとして、お母上が南の出身なのかしら?でも肌はそれほど濃くは無いけど、日に焼けてとても健康的ね!」
椅子から立ち上がった、奥様(?)が、私の手を取りながら一気に捲くし立てる。
うん、外見はともかく、どう見ても中身は井戸端のおかみさんだ。
そのままこちらの外見に対する所見と、回答するタイミングすらない一方的な質問、そこから発展した世間話が続くが、それを遮る様に侯爵が何度か咳払いをすると、やっとそれに気づいた奥様の話が止まる。
「あらあらあら、ごめんなさいね。私ったらいつもいつも…でもね、私も―――」
話を再開しようとする奥様を再度咳払いで遮ることに成功すると、今度こそ侯爵が口を開く。
「お初にお目にかかる、ユーリア嬢。私がこのヴァレリー領主、ガスパール・タレイランだ。デファンスから遠い所、よく来てくれた。そして、」
「私がイザベル。ガスパールの室よ。歓迎するわ、ユーリアちゃん!」
また侯爵夫人が侯爵の話を遮り自己紹介をする。
「長旅だったろう、まず今日はゆっくりと休みたまえ。配属に関しては、明朝説明があるだろう。故郷を離れ、色々と戸惑う事や悩みなどがあったら、同室の先任や家政婦に相談したまえ。」
侯爵が口元を笑みに歪めてこちらを労わる。
だが、その眼差しは観察するかのようにしかとこちらを見つめている
と、侯爵夫人はくるりと身を翻し、侯爵に向き合うと、
「ねぇあなた、この娘は侍女に配属するとの話だったわよね?だったら私付でいいかしら?ユニスも来年には年期が明けるし、そろそろ引継ぎをする娘が必要だわ!」
「ふむ、それは構わんが、セリアに話を通してからだな。彼女には彼女の考えがあるかもしれん。」
セリア…確かブリーヴ伯の縁者の家政婦だったか。
というか、伯爵夫人、体型の割にフットワークがいい。
声も大きく聞き取りやすく、ふくよかな美人…というと、昔は演劇でもやっていたのだろうか?
と、ドアがノックされ、侯爵の視線を受けた侍女により開かれる。
奥様のそばに控えている侍女も同じだが、この侍女もお仕着せ姿だが廊下ですれ違った女中と比べ一目でわかるほどのよい物を身につけていて、彼女達にはなかったリボンを襟元に結んでいる。
「旦那様、奥様、遅くなり申し訳ありません。」
眼鏡をきらりと光らせて、入ってきた女性が一礼する。
40歳ぐらいの落ち着いた雰囲気の生真面目そうなひとだ。
領地内の村長の奥さんとでも紹介されればそのまま信じてしまいそうな目立たぬ格好をしているが、その仕立ては決して安物と呼べるようなものではなく、腰に着けた鍵束もそれを否定している。
それこそが屋敷内を支える家政婦の証であり、家政婦こそが奥方付きの使用人のトップだ。
ということは、彼女がセリアさんだろう。
その後ろには女性使用人が1人…この部屋の侍女と同じ格好なので、彼女も侍女なのだろうか。
「ううん、ちょうどいい所に来たわ。ねぇ、セリア、ユーリアちゃんはユニスの後釜で私付にしてもいいわよね?」
奥様がセリアさんに確認すると、セリアさんはちらと私のほうに視線を向ける。
「まずは旦那様、先ほどブリーヴ伯より私宛に手紙が届きました。内容を掻い摘みますと、ユーリア様に目をかけてやってほしい との事でした。無論、私がタレイラン家にお仕えする以上ブリーヴ伯の依頼で公私混同をするつもりはございませんが、奥様専属ともなれば当家侍女の花形。ブリーヴ伯に対する便宜としては十分かと思われます。無論、見込みが無いようであれば配置変更に躊躇はいたしません。」
家政婦の事情説明と提案。
それを聞いて、侯爵が訝しむ。
「ブリーヴ伯が…ユーリア譲に便宜を?リース家とヴィエルニ家が何時の間にそのような仲になったというのだ?」
考え込みかけた侯爵は、ふと思い出したようにこちらに視線を向ける。
私の意見を求めているのだろう。
私は一礼すると口を開く。
「現在の所、父の社交会における方針は今までと変わりないものと思われます。ただ、私がこちらへ赴く際にブリーヴにて伯爵家と交友を持つことがありまして、それにより今回のブリーヴ伯から依頼依頼が届いたものと思われます。またこの件がヴィエルニ家にどのような影響をもたらすか、愚昧な身には計りかねますが、父が方針を変更するにしても、この報告が届くまで5日から8日程度猶予がありましょう。」
私の意見に侯爵が頷く。
「ふむ、そうか…裏で動くのではなく、セリアごと私を巻き込んでデファンス伯をこちらの陣営に引き込む算段か?リース伯め、近いうちに会合を持たねばな。」
侯爵が呟く。
歴史のある名家ではあるものの、長年各派閥から距離を置き『ぼっちのヴィエルニ』などと陰口を叩かれていた父が特定の派閥に所属するようであれば、この国の社交界での大きな変化となりうる。
が、こんな事を周囲に漏らしていいのだろうか?
まぁ、私にはあんまり関係ないだろうから、問題ないだろうが。
と、そこで奥様が手を打ち鳴らす。
「はいはい、悪巧みはそれくらいにして、ユーリアちゃんの配属の件よ。私付きで問題ないわね、セリア?」
「はい、仰せのままに。本来であれば侍女はすべて奥様直属。当家では私が奥様に代わり監督しておりますが、奥様の意向に勝る理由はございません。」
「ありがとう、セリア。いつも頼りにしているわ。じゃぁセリア、ユーリアちゃんの案内をお願いね。」
「はい、奥様。ユーリア様、お部屋に案内いたします。」
セリアさんとともに後ろに控えた侍女が奥様に向けて一礼した後、私を促す。
「環境が変わって慣れないでしょうけど、しっかり休んでね。じゃぁ明日からよろしくね、ユーリアちゃん。」
「はい、ご配慮痛み入ります、奥様。未熟者ではありますが、精一杯お仕えさせていただきますので、どうぞよろしくお願いします。」
私は奥様と旦那様に一礼し、執務室を辞した。
執務室から退出し、その扉が閉まった後、セリアさんがこちらに一礼する。
「申し遅れましたが、タレイラン家で家政婦を務めております、セリア・バートンです。厨房を除くこの屋敷の女性使用人を監督させていただいております。」
「ユーリア・ヴィエルニです。どうぞよろしくお願いいたします、バートン夫人。」
こちらも名乗り返すが、こちらの言葉におやと表情が変わる。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。そしてこちらがナターシャ。ユーリア様と同室となります侍女です。新人の世話を焼くのも同室者の務めとなっておりますので、ハウスルールや細かい疑問などは彼女にお尋ね下さい。」
「ナターシャ・アーロン、若様…オディロン様の奥方であるジャンヌ様付の侍女です。よろしくお願いします。」
一礼するナターシャさん。
他の侍女と同じように淡い栗毛を結い上げているが、いたずら好きそうな目つきの所為で、どことなく幼く見える。
「こちらこそよろしくお願いします、ナターシャさん。」
「では途中まで私が案内いたします。まずこのお屋敷の構造ですが、南北に長い長方形の地上3階、地下1階の建物となっております。地階は主に物置、1階、2階は共用部、3階はタレイラン家の方などの個室となっています。屋敷の四隅と南北の中間にそれぞれ階段があり、この部分にのみ4階部の物見と屋上への出入り口があります。」
移動しつつ説明が行われる。そして南東の階段に到着したので、それを下りる。
階段前のフロアと踊り場には窓があり、外の景色を見渡せた。
3階からは砦との間の城壁越しに錬兵場が見下ろせ、騎乗した騎士団や槍の穂先を揃えた衛士達が訓練しているのが見える。
「執政館の南側に使用人棟があり、1階及び2階の通路で執政館と行き来できます。こちらには使用人用の食堂、待機室、浴室、リネン室などがあります。尚、この使用人棟は通路で砦とも繋がっており、騎士団の団員も使用いたします。」
すれ違う女性使用人は皆同じようなお仕着せを着ているが、その中に混じる侍女に比べ、仕立ては質素でリボンを結んでいない。
2階に下りた後、東側廊下の南の突き当たりの扉を開け、板張りとなった渡り廊下を抜ける。
その先は大きな部屋となっており、8人掛けの長テーブルと長いすが手前と奥にずらっと並んでいた。全部で20セットぐらいか?
「こちらが使用人棟の食堂です。この棟の2階が食堂と待機室、1階が厨房と浴室、リネン室です。さらに南側には男子使用人宿舎、女子使用人宿舎、洗濯所があります。ナターシャさん、リネン室へ寄ってユーリア様に合う女中用のお仕着せを一式受け取ってから、部屋に案内して下さい。侍女用のお仕着せはオーダーメイドとなりますので、後日採寸し仕立てます。それまではリボンのみが侍女の印となります。」
「はい、バートン夫人。」
「では私はこれで…ユーリア様、リース家より貴女様に目をかけるよう依頼されておりますが、私は部下には公平に接する事を心がけておりますので、あえてそのような事はいたしません。ですが、仕事に対する努力は報われるべきだとも考えてもおります。真面目に職務に取り組み、精進なさってください。それが務めを果たすための一番の近道です。ではナターシャさん、後をお願いします。」
そう言い残し、バートン夫人が本邸へと戻る。
その後姿を黙礼とともに見送ったナターシャさんが、夫人が見えなくなってから口を開く。
「仕事に対してはそれはもう厳しい人だから怖がる新入りは多いけど、決して必要以上に無理をさせない人だから、あんまり怖がらなくても大丈夫よ。」
ナターシャさんはこちらの様子を窺いながら微笑む。
「そう?ウチには結構怖い人が多かったから、それほどでもないけど…。」
お師匠様とか、お師匠様とか、稽古中の母上とか、稽古で騎士達をまとめて蹴散らす伯父上とか。
「あら、伯爵令嬢なんて聞いていたから、蝶よ花よと育てられたんだと思ってたけど、凛々しい外見通りに物怖じしない性格なのね。それにタメ口だし。」
こちらの返答に驚いてはいたが、すぐに納得したのか目を細める。
「まぁ田舎育ちのお転婆娘だったから。度胸が無くちゃ悪ガキに混ざって遊んだりできないわ。」
私はそれにため息をつきつつ答える。
ホント、どうしてこうなった。
「ふうん。けど、田舎者だってんならウチも負けてないわよ?」
彼女は不敵に笑う。
なんだ、澄ました侍女ばかりかと思ったら、案外話せる人もいるのね。
「あらためて、私はユーリア。デファンス出身のお転婆よ。よろしく。」
「ナターシャ。コムナ出身の田舎者よ。こちらこそよろしく。」
しっかりと握手を交わす。
田舎者というだけあって、彼女の手は侍女をしている割に力強い。
コムナというとブリーヴのさらに北か。領主はアーロン…男爵だったはず。
「とりあえずは、立ち話もなんだし、さっさとリネンに寄ってから部屋に行きましょう。」
ナターシャさんが先に立って歩き出した。
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ユーリアが退出した執務室…その部屋には、侯爵とその夫人、数人の侍女が残っていた。
侯爵は手元にあるデファンス伯からの手紙に目を落とし、それを流し見てから机上に放る。
「ユーリア嬢か…非常に気の強そうな顔をしていたな。動きの端々にキレがあり、手紙にあったように剣術に傾倒しているのであれば、激しい動きも得意だろう。…劇で男役をさせれば、非常にハマりそうな娘だったな。」
「あら、貴方はまたそんなことを考えてらしたの?」
奥方が呆れたように言い放つ。
それに対して伯爵は表情を歪めると、机上のカップを手に取る
「ふん。陰謀は仕事、演劇は趣味だ。丁度仕事の合間の一服中だったし、趣味に走って誰に憚る必要がある?」
音を立てて茶をすすり、大きく息をはく。
無論、マナー違反だが、奥方の感想への意趣返しのつもりなのだろう。
「それにしてはお仕事の話題に食いついていましたけど?」
「まったく困ったものだ。休憩中にも関わらず、仕事の話を忘れることすらできぬ…休む暇もないな。」
そうごちると、大きなため息とともに背もたれに体重を預け、半ばずり落ちる。
ガスパール・タレイラン。
カノヴァス国の王宮において最大の勢力を誇る派閥を手練手管により纏め上げ、利権争いによる分裂の危機を何度も乗り越え、その智謀と権謀術数によって政を動かす有力貴族として大陸中に名を知られる侯爵。
だが私生活を省みれば、芸術の庇護者を自称し、仕事柄の万年胃痛に苦しむ唯の好事家であった。