1-24 お嬢様、花束をもらう
神暦720年 王の月17日
案内されたのは屋敷を通り抜けた先、庭園の一角の東屋だった。
大理石の柱で支えられたその東屋の中には丸いテーブルと椅子が4つ置かれ、そのうちの一つにはすでにティーカップ片手のブリーヴ伯爵夫人が腰かけていた。
「ユーリア様とそのお付のアンジェル様、ミーア様をお連れしました」
エリックへ頷きをひとつ返した後、こちらへ着席を勧める奥様。
椅子に座ると、すぐに奥様の後ろに控えていた侍女がお茶を給仕する。
ちなみに椅子にはマリオン―私―アンジェル とならび、マリオンの後ろにジョゼ、アンジェルの足元にミーアがついている。
昨日とは微妙に香りが違う。
ハーブティーだろうか?
「呼び出してごめんなさいね、ユーリアちゃん、アンジェルちゃん、ミーアちゃん。」
そう言ってこちらを見渡す。
「いえ、奥様のご招待とあれば、喜んで。」
そう言って微笑みながら軽く礼をする。もちろん、愛想笑いではなく、心からの微笑みだ。
「そう。ありがとう、ユーリアちゃん。あら、今日はみんなかわいい服なのね。」
褒められて照れたアンジェルが俯く。
それを見て奥様が、一層その微笑を深くする。
「まーっ、相変わらず可愛いわね。それでマリオン、昨晩は楽しかったかしら?」
その質問に満面の笑みを浮かべるマリオン。
「はい、お母様。とても興味深く、そして有意義な一晩を過ごすことができました。お姉様のこと、アンジェルのこと、そしてジョゼと私のことなど、様々なことをよく知ることができました。」
「あら、そう。それはよかったわ。でも少しうらやましくて、嫉妬してしまいそう。」
そういいつつ、視線をジョゼさんに送る奥様。
そしてジョゼさんは頭を下げ会話に割り込むことを詫び、
「奥様、お嬢様には私達の身の上をすべて知られてしまいました。」
と告げる。
さすがにこれには奥様もため息をひとつ吐き、
「知られてしまったものは仕方がないわね。けど、秘密を望んだのはジョゼだし、来年には明かすつもりだったのだから、肩の荷が早く降りたと考えましょう。」
と明るく言い放つ。
「とりあえず我が家のことは後回しにして、お世話になった昨晩のお礼ね。」
彼女が侍女に目線を送ると、侍女は東屋の隅の花瓶に活けた花束を手に取り奥様に差し出す。
受け取ったその花束を両手で持ち、こちらに微笑む奥様。
その花束の花はすべて蕾で、一輪も咲いてはいない。
そしてその蕾には、妙に光沢がある…青い薔薇?
これはひょっとして…?
「これは…氷血華でしょう?」
文献や話の中には出てきたが、実際に見るのは初めてだ。
アンジェルは興味深そうに花束を覗き込むし、マリオンとジョゼさんまでも目を見開いている。
「そう、正解!さすがユーリアちゃんね。」
奥様はまるでなぞなぞに答えられたかのように笑う。
「知っているなら説明はいらないだろうけど、リース家の先祖が品種改良した珍しい薔薇よ。伐られてから枯れるまでに周囲の魔力を吸収して、その種に貯め込むの。花が綺麗な上に珍しいから人気があるけど、その種も高く売れるのよ?」
ちなみに伐られた蕾についた種は発芽しないと聞いている。
そのため、他所で殖やされないために、蕾のついた枝はすべて切り取られ、開花まで厳重に管理されるのだ。
そして花束には蕾がついた枝が5本束ねられている。
「タレイラン家魔導師のカロンに乞われて3本だけ譲ったことがあったけど、その時は結構な額を払ってくれたから、お小遣いが足りなくなったら引き取ってもらいなさいな。」
ちなみにその額を聞いたが、5本で計算すれば凍える大河が相場で買える金額だった。
「奥様!いくらなんでもこれは礼としても高価すぎます!!」
さすがにその価値に腰が引けて遠慮しようと申し出る。
二つで十分ですよ!
「でも、伐っても自然と庭に生えてくるものだし、それにユーリアちゃんも魔術を使うんでしょ?あなたの育てた花も見てみたいわ。」
氷血華は吸収した周囲の魔力の性質により微妙に色を変える。
普通であれば薄く青い色だが、火の魔力が強ければ赤みがかり、水の魔力が強ければより深い青になる。
ちなみに花自体は、結晶質の花弁のため種をつけた後もそのままの形を永く残す。
種を取るためには花をバラす必要があるが。
それを開花まで育てて、奥様に送るとなると…それはそれで手間だ。
触媒としての価値もあるので、駅馬車に頼んで…とも行かないだろう。
「そうですか…では、咲いた花の受け渡しは如何いたしましょう?」
ため息をつきながら質問する。
「花が咲いたと手紙をくれれば、使者を送るわ。近いから直ぐよ。」
受け取りに了承する気配を感じて、奥様がさらに笑顔になる。
「では、ありがたく頂戴いたします。」
差し出された花束を恭しく受け取る。
いや、その価値を考えて手が震えてなんていないから。
「ユーリアちゃんは魔術を使うから、花が咲くまで時間がかかるかもしれないわね。」
この花は周りの魔力が濃ければ濃いほど開花まで時間がかかるが、その分吸収した魔力量は増え、魔法触媒としての価値も上がる。
「魔術に関してはあまり熱心に学ばなかったのですが…幸いにして魔力量は人並み以上にあるようなので、おそらくは。」
「姉ちゃん凄いんだよ!氷の矢をばばばばばーって撃って、盗賊たちをやっつけちゃうし。」
アンジェルがまた興奮気味に話す。前にも言っていたが、彼女の中のハイライトシーンなんだろうか。
「うふふ、そう。だったら、気長に待ちましょうかね。」
そう言いつつ。今度は手元にある小箱を開く。
「でね、これはアンジェルちゃんへのお礼。髪を伸ばしたいって聞いたから、リボンと髪留めを。」
奥様がアンジェルの前に置いた小箱を横から覗き込む。
3色の絹のリボンがそれぞれ2本ずつと、氷血華の花弁を削って作られたのだろう、シンプルではあるがワンポイントとして薔薇の象嵌が施された小さな銀の髪留めが入っていた。
「わーっ、すげぇ。きれい!!」
アンジェルは視線を小箱に向けたまま離さない。
「あまり大きいのだと目立って仕事中に使えないだろうから、小さいほうがいいわよね。」
ちなみにリース家の家紋は青い薔薇であり、象嵌の紋様も略式の家紋だった。
つまりそれを身につけることは、リース家の関係者だと名乗るに等しい。
無論、縁もゆかりもないものが勝手に使えば処罰の対象となる。
だが、アンジェルがこれを身につけて、リース家の関係者として取り込まれるのは承服しかねる。
私がその思いを視線に乗せ奥様に向けると、奥様は笑顔で手を振る。
「心配しないで、ユーリアちゃん。ほら、ウチのが昨日、『困った事があれば力になる』って言ってたでしょう?マリオンを助けてもらったお礼と、その約束を形にしたものがそれよ。とりあえずこれをウチの臣民に見せれば、少なくともこの屋敷まで話が通るはずよ。」
それであれば…まぁ仕方がないとも言えるが、やはりこういった物は私から贈りたかったな。
「そういえば、本日は伯爵はご多忙ですか?」
まだ朝も早い。寝ているのだろうか?
「ウチのなら、まだベッドの中よ。昨日のあなたたちを見ていたら、どうしても二人目が欲しくなっちゃって。ちょっと無理をさせすぎたかしら。」
そういって、顔を赤らめる奥様。
ごちそうさまである。
「そういうことでしたら、私からは何もありません。アンジェル、ありがたく頂戴しなさい。」
「はい、お嬢様。奥様、ありがとう。大切にするね。」
そう言って満面の笑みを浮かべるアンジェルを、奥様が胸に抱きしめる。
豊満な胸に押さえ込まれ、じたばたと足掻くアンジェルだが、奥様は簡単には離さない。
……そうか、マリオンの胸は遺伝か。
私が『如何に遺伝による不利を覆すか』という思考迷路に迷い込んでいると、奥様は満足したのかアンジェルが開放される。そして次は椅子から下りて足下に屈み込むとミーアのあご下を撫で出す。
「相変わらずいい手触りね。」
「でも奥様、毛が生え変わる時期だから、あまり撫でるとドレスにも毛が付いちゃうよ?」
「あらいいのよ。ウチの洗濯女中は優秀だから。」
かといってその仕事を増やすこともあるまいに。
そうやって撫でているうちに、さらにマリオンとアンジェルも座り込んでミーアを撫でまわす。
ミーアはいつもどおりにされるがままだが、時折首を起こして奥様の手を舐めたりしていた。
本気で舐めれば肉が削げ落ちるから、撫でるのを許す程度には慣れたのだろう。
「アンジェルちゃん、デファンスについて落ち着いたら私にもお手紙頂戴ね?」
ジョゼさんから聞いたのだろう、奥様がアンジェルに手紙をねだる。
「うん、奥様。マリオンお嬢様とジョゼさんにも手紙書くから、一緒に書くよ。まだ字は書けないけど。」
「ふふ、アンジェル、昨日みたいに『マリオン姉ちゃん』で構いませんのよ?」
「はい、私も『ジョゼ姉ちゃん』と呼んでください。」
すっかり2人とも打ち解けたようだ。このままよい友人となってくれたら…素敵な事だ。
「あら、みんなですっかり仲良くなって…本当に羨ましいわ。そうだ、デファンスに帰るときにもブリーヴに寄るんでしょう?」
「ええ、そう聞いてはいますが。」
ボーダンさんたちがそう話していた。
「だったら、アンジェルちゃんをご招待しようかしら。」
「それは素晴らしい考えですわ、お母様。そういえば、私が小さい頃のドレスはまだ残っているかしら、ジョゼ?」
「はい、衣裳部屋の奥のほうになりますが、定期的に手入れをされ、保管されています。」
「そうね。だったらそれを着せてみて、似合う物を何着かプレゼントしましょう。」
本当にアンジェルは気に入られているのだな。彼女にとってはありがたいことだが、多少その厚意が大きすぎるようにも感じる。
「奥様、さすがに年端も行かぬ小間使いが高級なドレスを何着も所持するというのも分不相応に思われます。それに直ぐに成長しドレスに合わなくなると思われますので、せめて着せ替え人形にする程度でご容赦願います。」
盛り上がる3人に水を注すようだが、さすがに見かねて口を挟む。
絹のドレスなどをもらっても、小間使いがどう洗えばいいのだ。
奥様は「確かに、その通りね。」と頷いてはいるが、諦めきれないようだ。
「でしたら奥様、お嬢様の古い乗馬服などを贈るのは如何でしょうか?ドレスに比べ使うことも多いでしょうし、普段着としても問題ないかと。」
確かにドレスに比べ丈夫な乗馬服ならば、多少はマシだろう。だけどこの家のことだから、乗馬服に絹のシャツなど平気で使用していそうで怖い。
「そうね。乗馬服やズボンと…あとは木綿のシャツね。夏の外着があったはずだから、それもね。」
奥様が楽しげに服をリストアップしていく。これは…言っても止まらなさそうだ。
まぁアンジェルにとっても悪くない話なので、有難く頂戴しておくかと本人を見れば、どうすればよいのかとこっちと奥様の顔を窺いながらおろおろしている。
一巡り前までは襤褸を纏った浮浪児だったのだ。
降って沸いた幸運もここまで続くと、さすがにどうしていいのかわからないのだろう。
「アンジェル、これも有難くもらっておきなさい。まぁ、実際に私が目にすることは当分先のことだから、貰う前に服の内容を見ることは出来ないけど。」
そしてジョゼさんに目を向ける。
「ジョゼ、貴女の先達としての経験を借りたいのだけど、アンジェルに不相応な分は、私に代わり貴女が抑えてもらえないかしら?」
そうお願いしてみる。
「私としては構いませんが…。」
そう言いつつ奥様を窺う。
自分の興奮具合にも気づいたのだろう、奥様は大きく息をつく。
「そうね。服を見繕うのは貴女に任せるわ、ジョゼ。ただ、用意できたら一通り見せてね。」
「はい、奥様。ユーリア様、お任せ下さい。」
そう一礼するジョゼさん。
私の目の届かない間だが、これで安心できるだろう。
アンジェルの礼儀作法の未熟さについて目を瞑るのならば。
何時までも楽しい時間は続きそうだったが、騎士達を待たせているので、程々でその場を辞した。
目的地であるヴァレリーまでは馬車で1日程度だが、暗くなる前に到着したい。
「じゃぁがんばってね、ユーリアちゃん。たまに遊びに行くわ。」
「ええ、お姉様。私も遊びに行きますわ。」
「遊びに来られてもあまりおもてなしも出来ないかもしれませんが…落ち着いたら手紙を書きます、奥様。マリオンも。」
「じゃあね、奥様。帰りにも寄るね。」
「ええ、待ってるわ。予定では明後日ね?」
「うん、明後日の夕方。」
「伯爵にも宜しくお伝え下さい。」
「ええ、伝えておくわ。」
「では、ジョゼも元気で。」
「はい、ユーリア様。お気をつけて。」
そして馬車に乗り込む。
馬車の窓から外を見ると。軽く手を振るフェリクスに、ジョゼが会釈を返していた。
まだしばらくは関係の進展はなさそうだが、結構好印象を与えているようには思える。
その後ろでジャックさんは少し憮然とした表情で見送っていたが。
「出発!」
ボーダンさんの号令により、馬車と共に隊列が進み出す。
手を振るリース家の一同に大きく手を振り返すアンジェルの横で、負けじと大きく手を振る。
そしてそれを見て奥様とマリオンは笑っていた。
まぁ、さすがに使用人たちは笑えないから、少し悪い事をしたかなと思ったが、マリオンの笑顔が見れてよかったと思う。
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隊列が見えなくなるまで見送ってから、私は大きく息をつく。
私がお慕いしているお姉様は、とうとうヴァレリーへ旅立たれてしまわれました。
予定では3年間の行儀見習い。それが終わるまでは手紙でしか言葉を交わすことが出来ません。
普通であれば。
「ジョゼ、私のレッスンの内容を礼儀作法を中心にして頂戴。あとお母様、お父様にお願いして、社交デビューを少し早めていただきたいの。」
「それはいいけど…どういった心変わりかしら?」
そう、私は社交界に憧れつつも、少し奥手で、社交デビューは半年ほど先にしようとこの前話したばかりだった。
「パーティへの出席はヴァレリー候主催のものを中心に。あとはデファンス伯の領地で行われる物を。」
得心したのか、お母様が笑顔になる。
「あら、それはいいわね。だったら私も気合を入れないといけないわね。それに、行儀見習いの行き先はもう決めたんでしょう?」
「ええ、もちろんですわ。」
「特にお嬢様の希望が無いようであれば、ヴァレリー候のお屋敷か、派閥内の有力貴族の屋敷が候補に上がっていたはずです。ですので、お嬢様の希望も問題なく叶いましょう。」
ジョゼの太鼓判が押され、ますます決心を強くする。
さぁ、お姉様。すぐにお傍に参りますわ。
読んでいただき、感謝いたします。
次の話を楽しみにしていただけたら、幸いです。
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