1-23 お嬢様、夜更かしをする
神暦720年 王の月16日
アンジェルの髪を梳り終え、私もあれやこれやと身支度を整え、ベッドに入る。
さすがに広めのダブルベッドとはいえ、4人が寝れば少々手狭だ。
ちなみに並びは部屋の奥から
私-アンジェル-マリオン-ジョゼさんだ。
「でも、これ位の方が皆でくっついて眠れますわ。」
こんな状況でもマリオンは楽しげだ。
普通のお嬢様なら、広く豪華なベッドで1人きりなのが当たり前。
姉妹のいなかった彼女では、添い寝の経験もあまりないのだろう。
「まぁ、夏なら我慢ならないかもしれないけど、この季節ならまだまだ大丈夫ね。」
「うん、くっついて寝れば夜も寒くないよ。」
そう言ってアンジェルが、ベッドの上で横座りしたこちらの腰に抱きつく。
…ずいぶんとテンションが高い。
が、お泊り会ならよくある事か。
そんな事を考えつつアンジェルの頭を撫でていると、マリオンがやはり羨ましそうな視線でこちらを見ている。
有力貴族のお嬢様ならば、自分の欲求は素直に表現するものかと思ったが、彼女はいつも控えめだ。
これはリース家の教育方針なんだろうか?
まぁそんな事は置いておいて、微笑みながら手招きすれば、彼女も遠慮がちに抱きついてくる。
「まったく、貴女にはジョゼもいるでしょうに…。」
そう言ってジョゼに目をやれば、微笑ましい物を見るような表情でこちらを眺めていた。
やきもちを焼くかもとも思ったが、さすがに彼女は大人だ。
「ジョゼは別腹ですわ、お姉様。」
確かにあの胸は腹とは別の特別な存在だ。
いや、そうじゃなくて。
「そういえば、すっかり忘れていたけどジャックさんはマリオンの実の兄になるのね。」
「ええ、言われてみればそうですわね。私にはジョゼが付くので、あまり関わることはないのですが…。」
そう言うマリオンに、ジョゼさんが思わず噴出す。
「ジョゼ、どうかした?」
「いえ、申し訳ありません。お嬢様に気にもされないジャックがあまりにも滑稽で。」
そう言いつつ、我慢しきれないのか身体を震るわせ続けるジョゼさん。
「もちろん、ジャックもお嬢様との関係を知っておりますし、お嬢様が成人するまでは、関係を隠し見守る事に私達の意見は一致しておりました。」
「そう。ジャックとはあまり話す事もないから、気にしていなかったわ。」
「ええ、ジャックもお嬢様には表立っては関らないようにしていたようです。」
ふむ、それはそれで無関心すぎないか?
「ですが、ジャックにとってもお嬢様は実の妹。表立っては無関係を装っていますが、私と2人きりのときは、やれ『お嬢様の今日のコーディネートはどうだ』とか、『お嬢様にはこういった髪形はどうだ』とか、『お嬢様に似合いそうなドレスのデザインを考えてみた』とか、本心は妹を溺愛する馬鹿兄そのものですよ。」
そう言ってジョゼは笑いながらため息をつく。
「…い、意外ね。外見的には慇懃な侍従にしか見えないのに。」
「じゃぁ、ジョゼが用意する私の服は…」
「はい、聞くべき意見は私が判断して用意しております。」
ふぅん、いいお兄さんじゃないの。
「私にとってはフェリクスが兄貴分だったから、小さいときはどこに行くにも金魚の糞をしていたわね。もっとも、碌に気遣いなんかされなかったから、泥んこになったり軽い怪我をして帰ったりなんてのは当たり前だったわ。」
そしてそれを見て父が顔を歪め、母が笑いながらそれを宥めたものだ。
その後ヴィエルニ家の男子は父親が教育方針を決定し、女子は母親がそれを行うよう決まり、男子は穏やかに、女子はより活発的に育っていった。
「まぁ、今でもお転婆ではねっかえりな所は父の頭痛の種なんだけどね。」
そう言って自虐的に笑う。
「そんな事ありませんわ。お姉様は落ち着かれた雰囲気とやさしさ、そしてそれに秘められた力強さが非常に魅力的な私の憧れの方ですわ。」
「うん、姉ちゃん強いし優しいしすっごく格好いいもん。」
「私としましては、落ち着きの中にも多少幼さが残る所が非常にかわいらしく思えます。」
3人が共にべた褒めである。
というか、マリオンの視線が熱い。
「けど、調子に乗ると見境がなくなるね。気絶するまでくすぐられたり。」
「時々ねっとりとした視線に身の危険を感じるときがあります。というか散々弄ばれました。」
「お姉様でしたら…私はもっとしていただいても…。」
そして持ち上げた後で落としてきた。
自分としては、あくまで女の子同士のスキンシップの延長線だと考えているのだが…すべては私の理想のための。
というかマリオン、今なんて言った?
「まぁその辺は私も反省はしているのだけどね。」
そう言ってため息をつく。
そしてその反省が行動に繋がるかというとそれは別問題だ。
「けど、おれは姉ちゃんの事大好きだよ!」
「私ももちろんお慕いしております!」
「お嬢様の教育上あまり好ましくはありませんが…まぁ、信頼できる方ではありますし、旦那様がああですからそれに比べればまだマシかと。」
そうフォローも入る。
うん、やっぱり言葉に出されると照れくさいけど、嬉しいものね。
「ありがとう、貴方達。私も大好きよ。」
私は2人をまとめて抱きしめる。
さすがにジョゼさんまでは手が届かないし、彼女は相変わらず微笑ましい物を見るような表情でこちらを眺めていた。
その後も少女たちのおしゃべりは続いたが、アンジェル、マリオンと眠気に負け船を漕ぎ出したので、明かりを消し明日からの私達に思いを馳せながら眠りに付いた。
神暦720年 王の月17日
くすくすといった、押し殺した笑い声で目を覚ました。
カーテンの隙間から差す明かりを頼りに周りを見れば、既に目を覚ましていたのであろう、マリオンとジョゼと目が合う。
すると彼女達は口の前で人差し指を立てて静かにするよう伝えると、こちらを指差す。
その方向に目をやると、アンジェルの腹の上にミーアが蹲っていた。
…なんだ、いつもの事か。
「なんでか知らないけど、いつも朝になるとこうなのよね。」
寝起き頭で気怠く呟く。
「ミーアは幼い頃はアンジェルと共に育ったとお聞きしました。ですので、また引き離されることが不安で、このように寄り添っているのではないでしょうか?」
そうジョゼさんは考察するが、だったら上に乗ることもないだろうに…。
ぜったい夢見はよくないはずだ。
「あまり長く乗せておくのも可愛そうですし、そろそろ起こしましょう。」
マリオンの言葉に頷き、ミーアをアンジェルの上から抱き上げベッドの上に降ろした後、アンジェルを揺り起こす。
いつもならすでに目を覚ましている時間だったが、昨日の夜更かしの所為で寝坊したのだろう。
旅立ちの朝は慌ただしく過ぎる。
多少の時間であれば男衆を食堂で待たせることもできるが、それはそれで申し訳ない。
大急ぎで寝起きからの身支度を整えるが、ジョゼさんの手伝いのおかげでいつもよりも早く済ませることができた。
「アンジェル、優秀な侍女の仕事ぶりをよく見ておきなさい。」
そう命じて、自分の身支度をさせつつ、観察させる。
優秀な侍女と言われ、ジョゼさんは少し照れていたが、マリオンは鼻息を荒くして自慢気だった。
うん、そんなんじゃ自分の評価が落ちるわよ、マリオン。
朝食もいつもの通り。支配人に出迎えられ、昨日とほぼ同じ席順で円卓につく。
もちろん、フェリクスはジョゼの席を引いて自分の隣席に誘導する。
マメだ。
尚、アンドレさんは今朝も先に食事を済ませて馬車の準備中だ。
皆が朝食のメニューを給仕に伝える中、ジョゼさんは少し躊躇った後、麦粥を注文した。
給仕は一瞬その表情に驚きを表したが、すぐにそれを消し注文を受ける。
「あら、パンじゃなくていいの?ジョゼ。」
麦粥は雀麦などの雑穀を使用した庶民向けの食事だ。
「申し訳ありません、ユーリア様。昨夜の話で幼少の頃が懐かしくなりまして…。あの頃はあまり裕福ではなく、毎朝のように母が作ってくれたのですが、お屋敷では食べる機会がなかったもので…。」
ホストに接待される席で、わざと質素な食事を注文することに引け目を感じたのだろう。
実際そういった嫌がらせもあると聞く。
私たちの間柄とはいえ、そう捉えられることを恐れたのであろう。
「別に、うちの領地だと珍しくないですよ。ウチも結構食べるし。」
ジョゼに気にしていない旨を伝えようとすると、フェリクスが割り込む。
実際、行軍食としては大鍋で作れて消化の良い粥はよく食べられる。
「小麦だと消化がいいから腹持ちはイマイチだけど、雀麦や猫麦を混ぜれば結構持つし、俺は好きですよ。」
そう言ってジョゼさんに微笑みつつ、「だったら俺も、大盛りで」と給仕に注文の変更を伝える。
よくやった、フェル。
これは結構ポイント高いわよ。
「ふむ、でしたら今日は最後の旅程でもありますし、全員粥で構わんな?」
とボーダンさんが見回すと、騎士たちは皆頷く。
「柔らかな小麦のパンもいいが、行軍続きで疲れた胃腸には粥が一番。」
「乳粥というのもありますね。あれはあれで甘くて疲れが取れます。」
といった声が上がる。
「マリオンはどうする?」
ジョゼさんに頷きながら問いかけると、マリオンはこちらの顔色を窺っている。
「お姉様もお粥ですか?」
「あなたに合わせるわ。」
「ではわたくしもお粥で。」
「だったら…アンジェルも同じでいい?」
「うん、ね…はい、おじょうさま。お粥食べるの久しぶりです。前に食べたのは教会の炊き出しでした。」
このメンバーで一番の苦労人がここにいた。
その後、皆で粥を中心とした朝食を食べ、出発準備のため解散した。
ちなみにアンジェルは、「これが粥?具も多いし美味すぎる!」といつも通りの勢いで食べていた。
そして荷造りを済ませ、旅装で馬車に乗り込む。
さすがに4人とその荷物も含めると、馬車の中のスペースもギリギリだ。
「ではお嬢様、まずはブリーヴ伯の屋敷へ向かいます。」
「うん、お願いね。」
一同へは、朝食時に町を出る前に屋敷に立ち寄る旨を伝えている。
なので、隊列は町の外ではなく領主の館方面へ向いていた。
「お手数をおかけします、お姉様。」
「いいのよ。それに奥様のお招きだし。」
自分とアンジェルを大いに気に入ってくれた人だ。
さすがに昨日の分だけで別れを済ますには少し物足りない。
「出発!」
ボーダンさんの号令で馬車が動き出す。
だが目的地はすぐそこだ。
先行したフェリクスが門番に来訪を告げると、すぐに屋敷の門が開かれ、馬車は車寄せへ滑り込むとゆっくりと停止した。
「お嬢様、到着いたしました。」
アンドレがドアを開けると、それに応え外に出る。
そして馬車を降りるマリオンに手を貸す。
「お姉様はその格好でもエスコートが様になるから不思議ですわ。」
そうマリオンが笑う。
確かに、いつもの癖でしてしまったが、女性用の旅装でエスコートをするものではないな。
アンドレに任せるべきだった。
まぁマリオンが喜んでくれたならいいか。
馬車の前には、既にエリックさんとジャックさんと従者が数名、列をなしていた。
「お待ちしておりました、ユーリア様。お帰りなさいませ、お嬢様。」
一同が深々と礼をする。
「ただ今戻りました。エリック、ユーリア様の案内を。」
「はい、奥様がお待ちです、こちらへどうぞ。アンジェル様とミーア様もご同行願えますか?」
そう言われ、ジョゼの荷物を馬車から降ろしていたアンジェルの動きが止まる。
そしその間に、「失礼」の声と共に、マリオンとジョゼさんの荷物が従者たちの手により、屋敷に運び込まれる。
「アンジェル、ミーアと共についてきなさい。」
マリオンとジョゼさんと共に歩き出すと、アンジェルがミーアに声をかけてあわててこちらを追いかけた。
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